65話 造った者と使う者

 「ひえぇっ!魔王様ぁ!」

 干し肉のような、硬いシワだらけの手を伸ばして叫んだのは、揺り椅子のカメリア婆であった。


 明らかな回転運動を見せながらも、真一文字に飛翔するそれは、長さといい、太さといい、丁度電柱ほどの大きさの眩(まばゆ)い炎の柱であった。


 その古代魔法のミサイルは、竿立ちになって散り散りに逃げようとするも、鋼鉄の連結によりその場に固定されてしまった、恐慌状態の八頭の白馬等の背を、容赦なく無惨に舐めて焦がしながら、ゴボボォッー!!!と恐ろしい唸りを上げて、ドラクロワの胸元へと届いたかのように見えた。


 だが、魔王はそのロケットの衝突の寸前に、何気なく、正に無造作ともいえる動きで左手の掌をかざすように上げ、それが着弾するのを阻んだ。


 なんと、ラアゴウの口より射出されて、飛来しつつ巨大化した螺旋の炎の大柱は、その白い掌に触れたかと思うと、大きく縦と横に十字を切って分かれたのである。

 それはまるで、見えない障壁にぶつかったようにして、正しく四散した。


 ドラクロワの傍らに立っていたアランとジラールは、古代攻撃魔法の炸裂する凄まじい迫力に目を剥いて、全身に熱い閃光を浴びながら左右に別れてすっ跳び、死に物狂いで地を転がって喚く。


 二人の髭面達の危機管理能力は高く、それぞれの避難・退避の反応は見事なほどに速かったので、幸いどこにも火傷はなく、各々が悲鳴と苦鳴を上げただけで、なんとか無傷のようだった。


 一方、炎の柱は魔王の手の先で大爆裂しつつ、恨みがましそうに、真昼を想わせるほどに辺りを照らして暴れた。


 その解き放れた猛る龍のごとき大炎は、縦10メートル、横5メートルのほとんどT字型の巨大な逆さの十字架となって、さも口惜しそうに、思うさまに手足を伸ばしてわなないた。

 だが、大炎は信じられない早さで急速に勢力を失い、縦横の交わった一点、魔王ドラクロワの掌に吸い込まれるように収縮してゆく。


 ドラクロワは巨人の使うシャワーか、大きな滝のように火の粉を撒き散らす、外炎がわずかに紫の大逆十字の急速な衰えを、同じ色のアメジストの瞳で見据えながら

 「ん?この火炎魔法……そこらのただの魔法とは違うな。なにやら……」

 火影に美しい顔を、郷愁にも似たノスタルジックな色に染めながら、何かを思索しているように伺(うかが)えた。


 ジラールは大地に転がったまま砂塵にまみれ、両腕で頭部をカバーしていたが、腕の隙間から炎の急激な収束を認め、驚愕しながらも身を払いつつ上半身を起こした。


 眼前の辺り一面には、白煙とタンパク質の焼ける臭いとが渦巻いている。


 「さ、流石はラアゴウ様の得意魔法……。な、なんという攻撃力だ……。戦車用の馬が……全部焼け死んだか!?

 ハッ!!こ、この男、ま、正か……ラアゴウ様の大炎の舌をかき消したのか!?

 そんな!?し、信じられん!!あの大翼竜(ワイバーン)を天空にて絶命せしめた、あの大炎の舌を!?い、一体どうやって!?」

 跳ね髭の下の薄い唇は色を失って渇き、黒い瞳は怯えるように忙(せわ)しなく動き、混乱と畏怖を露にしていた。


 勿論、ドラクロワによる古代魔法の無効化・鎮火能力に最もド肝を抜かれたのは、北区の夜警神官等でも、円形広場近隣の野次馬達でも、カメリア婆でもアランでもなく、"大炎の舌"を発動したラアゴウ本人であった。


 炎柱を発射した口をだらしなく広げたまま、正に唖然としていた。

 彼の頬、その無駄にキメの細かい白い肌の上を、脂汗が白粉(おしろい)とシェーディングを溶かしながら、まるで流星群のように流れ落ちる。


 「え!?コーサ様から賜った古代魔法の奥義が……き、消えた!?

 いやいや、ちょっと待って!ちょっと待ってよー!

 そんなバカな!!こんなのウソだよ!ぜ、絶対的におかしいよー!!

 あの紫の炎は、対象物のハラワタを炭に変えるまで、決して消えやしないんだ!

 お、おかしいよぉー!あれはちょっと手をかざしただけで消えたりしちゃダメなんだ、ダメなんだよぉー!

 そんな!じゃ、詰所を消したのってヤッパリ、ほ、本当に君だったの!?

 き、君って一体何なの!?ちょっと止めてくんないかな!?怖い怖いぃー!!わぁー!君は何なんだよー!!?」

 錯乱寸前の色欲の豚王の弛(ゆる)んだ身体が、押し寄せる恐怖と戦慄のあまり、出来立てのモッツァレラチーズのように、フルフル、タプタプと震え出した。


 地面に仰向けで首を起こしたアランは、大炎のミサイルの閃光をまともに見てしまった目に、漸(ようや)く視力が戻ってきたようで、焦げ臭い左の跳ね髭を擦(さす)りながら

 「ド、ドラちゃん!?アナタってば、こ、古代魔法を消しちゃったの!?

 嘘!!す、スッゴいわ!!えー!?し、信じられなーい!!

 ハッ!ど、どうしたの?火傷でもしたの!?」

 ドラクロワが左掌を眺めるのを、何か途方もなく恐ろしいものでも見るように、呆然と見上げた。


 ドラクロワはそれを緩く拳に固め、左手首を回して暗黒色の手甲を鳴らし

 「これは、この魔法の独特のクセは……。

 ウム、何故だか俺はこれを知っている。と言うより、これは俺が造った攻撃魔法だ。

 猫も杓子(しゃくし)も火炎魔法というだけで有り難がり、折角の高温の炎をムダに球状か扇型に放出するのに納得がいかず、対象物に一直線に飛び、かつ着弾する寸前まで、高温を内部に織り込むように籠めるために螺旋運動を採用したのだ。

 ウム、一山幾らの凡愚(ぼんぐ)共の使う、有りがちな火炎魔法とは区別を付けるため、目印に外炎を紫にしておいたから、これは何処をどう見ても俺が編み出したものに違いない。

 だが、それにしても、何故この豚の王様みたいなのが、こいつを使えたのだ?

 フゥム、まだまだこの星にはよく分からんことが転がっているものだな……これぞ冒険の醍醐味、というヤツか……。フフフ……」

 白く細い顎を指先で撫で、独り満足そうにうなずいた。


 呆然自失のラアゴウを筆頭に、居並ぶ聖コーサ配下の神官等は、ドラクロワの呟(つぶや)きを少しも理解できず、ただただ、この暗黒色の甲冑の美男が、恐ろしく古代魔法に通じていると認識するのがやっとであった。


 ラアゴウが堪らず、といった感じで、破裂するように叫んだ。


 「そんなバカなぁー!!こんなのウソだよぉ!!ぜ、絶対的におかしいよぉー!!」


 そして、納得のいかない人間のすること、つまり、懲りずに再度、魔法語を詠唱し出したのである。


 ジラール達には、もうそれを止める事は出来なかった。

 彼等がこの聖都を我が物顔で、それこそ肩で風を切って歩き、傍若無人に振る舞えるように根拠と正統性を与える物。

 それは信徒に死後の世界を説く神官の職、裕福さ、生まれの良さなど、幾つかそれらしいものがある。


 だが、やはりそれらの根幹を成すものといえば、それは強さ、それも圧倒的かつ絶大な強さである。

 その強さとは無論、現人神(あらひとがみ)コーサから伝授された古代魔法の超威力であり、彼等神官等にとって、それが無効にされる等ということは決して、そう、断じてあってはならない事なのだ。


 今や純白の僧服を纏(まと)う男達の心はひとつになっていた。

 彼等は全員、それこそ祈るような気持ちで、喉を鳴らしながら、(次こそは!次なる古代魔法こそは、その絶大な威力を発揮して、この怪しい余所者を抹殺してくれっ!)と、頼りの右神官長の詠唱が終わるのを、焦燥に沸き踊る心臓を押さえつつ、

今か今かと待った。


 そうして、漸(ようや)くお待ちかねの古代魔法の第二弾の発動である。


 ラアゴウの白い芋虫みたいな指の輪は、天空で煌めく星々のごとく、明滅しながらも煌めき、細く緩い銀のブレスレットの辺りでクロスにさせた両腕の先、その丸っちい掌の前で紫の炎が、ボバァンッ!!と地を打って、一面に裾野(すその)を拡げたかと思うと、ゴォッ!と一気に天へと立ち上がった。


 なんと、斑(まだら)に炭素化した、横たわる馬体の折り重なる空間には、腰から下を地面に埋めたような、炎の巨人が出現したのである。


 立ち上がったその紫炎の山は約9メートル。


 それは大小の火球と炎塊を真下に垂れ溢(こぼ)しつつ、頭部の両脇に牛のように大きな角のある、筋骨隆々たる逞しい男の上半身を形成してゆく。


 その巨人の身体は燃え盛る紫炎であったが、芯のようなものは全く見えなかった。

 顔も体も、その全てが炎である雄大な人型は、遥かな高みからドラクロワを見下ろすように腕組みの姿勢で現れたが、今やそれを解き、極炎の両手を鷲掴みの格好に開きながら前へと伸ばし、グモォオッーー!!と雄牛のように吼えた。


 魔王は、それをのんびりと見上げ

 「ウム、こいつにも見覚えがあるな。

 だが、そこの白豚の王よ。お前が一応は人間である限り、呪文の詠唱をしなければコイツを召喚出来ないのは仕方がないとはいえ、最後のところを間違えてるぞ?

 先ほどお前は確か、コイツの名前を詠み結ぶところで"モロク"と発音したな?

 だからこのガキが出て来たのだ。正しくは"モレク"だ。次からは気を付けろ。

 おいモロク!祖父のモレクは魔界でどうしている?

 ん?そうか、最前線で傷付いたか……。

 フフフ……父の悪魔遣い方は荒いからな……。

 ん?傷付いたのは心の方だと!?フハハハハ!!お前達一族は悪魔のクセに面白いな!

 ん!?あぁもういい、もう帰ってもよいぞ。

 気が向いたらお前も含め、上級悪魔族がそう簡単には使役されんよう、魔界門に少し手を加えておいてやるか。

 んん?価(あたい)だと?モロクよ、見えんのか?今この場にはおらんであろう。

 フフフ……それともお前、俺から価を取るつもりか?」


 焔(ほむら)の巨人は滅相もない!!とばかりに、ブン!ブン!と燃え盛る牛頭を振り、最期にドラクロワに恭しく角の頭を下げて、出現時と同じく、バザンッ!!と大地を叩くような音を立て、跡形もなく消え去った。



 ラアゴウ一味は、今度こそ肝を潰して驚愕した。


 聖コーサから賜った無敵・無双の古代魔法、その最上級の召喚奥義である、大炎の王"稚児喰いのモレク"が何もせずに魔界に帰ってしまったのだ。

 

 「アワワワワワ……な、何がどうなってんのコレ……。

 き、君さ、あのモレク(実際には孫のモロク)と話してなかった?絶対的に話してたよね!?」


 魔王は恐れ戦(おのの)く皆の視線に気付き

 「バカを申すな。俺は光の勇者だぞ?上級悪魔など知らんし、縁も所縁(ゆかり)もない。

 さっきのはアレだ、この星で語り継がれし全ての闇を払う、待望久しい伝説の勇者の威厳と威光に恐れを成して、尻尾を巻いて一目散に魔界へ逃げ帰ったとか、何かそんなところであろう。

 そんな事よりお前、俺専用の神輿(みこし)担ぎの三色馬鹿娘達を玩具とか、念入りに拷問するとかなんとかいっておったな……」

 暗黒色の禍々しきブーツが、ザッと一歩前に踏み出した。


 「ひっ!!」

 豚王と夜警神官等は、思わず小さく叫んで後退した。


 ラアゴウは戦車のシートで汗と脂汁(とんじる)にまみれ

 「いえいえいえいえいえいえ!!そそそ、そんな拷問だなんてとんでもないですぅー!!

 あ、あのー……貴方様は一体どういう御方なのですか?

 やはり、聖コーサ様ともご面識がおありなのでしょうか?」


 ドラクロワは白い手で額を抱え

 「おい贅肉王。お前、また聞き返したな?俺はたった今、光の勇者だと名乗ったであろうが……」

 そう答えた魔王の顔は、血も凍るように美しく、そして途方もなく恐ろしかった。


 神官等はまたもや戦慄し、馬上で背筋をピーンと伸ばした。


 ラアゴウはあまりの恐怖で吹き出る汗に、僧服の袖で頬を拭うが、シルクの生地と脂汗(ぶたじる)とが相まって、腕がヌルッと上方向へとすっぽ抜けた。


 「は、はひぃっ!!こ、これは誠に失礼致しましたぁっ!!

 え、えーと、麗しき女勇者様達でござりますが、あの、えと、只今東の中神殿にご逗留(とうりゅう)中でございますぅっ!

 では早速、わ、私めがご案内させて頂きますぅー!!」

 豚王は戦車の座席から、ドッテン!ゴロゴロッとまほろび出て、大地に手をついた。


 ドラクロワは額から手を下げて、白い肉の山をジロリと睨んで

 「では、そこへ案内しろ。あぁ、その中神殿とやら、ここから遠いのか?」


 ラアゴウは、顎と肩とがなだらかな山型に一体となった部位を、ブルブルブンブンと激しく振って

 「い、いえいえ!すーぐそこでございます!ど、どうぞこの戦車に……あっ!」

 右神官等長はここに来て漸く、脇に横たわる馬体群、先ほどつい頭に血が上り、思わず焼死させてしまった、焦げた哀れな白馬達の骸(むくろ)に気付いた。


 魔王は僅かに顔を傾け

 「どうした?ん?その馬達か……何も殺さなくてもよかったな。

 まあよい。アランよ、使える鞍と馬銜(はみ)を探せ」


 魂を抜かれたように、呆(ぼう)っとしていたコックは

 「はっ?!えっ!?くら!?はみ?

 そ、そんなものどうするの?戦車の馬は全部死んでるみたいよ?

 夜警神官達の馬に乗るつもりなら、別に鞍なんて……」


 ドラクロワは闇の中で小刻みにうなずくと

 「あぁ、そのようだな。だが、乗れる畜生がまだ居るだろ?

 フフフ……俺は豚の乗るのは初めてだ。さて、どんな乗り心地かな?」

 月に照らされた魔王の顔は、ゾッとするほど冷たく、そして美しかった。


 ラアゴウは、とりまく神官等の視線を一点に集めながら、狂おしいほどの嫌な予感を覚えた。

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