54話 花のカミラー

 東区中神殿「豹の間」で、北区夜警神官のリーダーであるジラールは、二、三歩歩いて、神官詰所が消失したと報告した見習い神官に詰め寄り

 「おい、お前は何を言っている?

 私達の詰所が吹き飛んだだと?

 ふん!右神官長ラアゴウ様の前で馬鹿も休み休みいえ!!」

 浅黒く、筋張った腕を伸ばして小柄な男の襟首を掴むや、グイッと引き寄せた。


 ぶら下げられた格好の短髪にくるくると天然のカールがかかった気の弱そうな青年は、恐れの余り涙を溜め浮かべ

 「い、いえ!だ、断じて嘘偽りではござません!!

 ジ、ジラール様もご覧ください!」

 震える手で、木製の巻物のような望遠鏡を差し出した。


 ジラールはそれと、未だ幼さの残る見習い神官の情けない顔とを代わる代わる見下ろし、投げ捨てるように若者を放り

 「えいっ!貸せっ!

 ラアゴウ様、失礼致します!」

 振り返り一礼すると、つっ立った青年に体をぶつけながらすれ違い、白装束の大振りな長めの半袖の口をはためかせ、早足でイライラを露にしながら、通用口からテラスへと向かった。


 ラアゴウは開いている方の右目をギョロッとさせて「あ、うん」と言って、豚そっくりの顔を嫌な予感で曇らせた。


 ジラールはテラスに着くと、望遠鏡をアイラインの入った目にあて、見慣れた眼下のパノラマを見下ろした。


 「あの若造!ラアゴウ様の前で寝言を言いおって!もしラアゴウ様の機嫌を損ねてしまったらどう責任を取るつもりだ!?

 これがいつもと変わらぬ詰所が見えたり、そこから煮炊きの煙が上がっている程度であったなら、きっと偽勇者達と一緒に処刑してくれるから、な!?」

 ジラールは信じられないといった感じで、一旦望遠鏡を下ろして瞬きをし、口髭を撫でて目を擦り、天を仰いでまた望遠鏡に戻った。


 「そ、そんな馬鹿な!?確かにあれは円形広場の名物、北区薬湯銭湯の長煙突であって、その直ぐ斜め下には金の冠を戴いた我等の神官詰所が……ない!?

 まー、待て待て!ジラールよ!焦るな!そして慌てるな!

 え、えーとぉ……。で、では先ほどとは反対側からいくか。

 広場の東に、ドワーフの鋳物工場の長煙突が、うん!あるある!

 でー、その隣に金の冠を戴いた……ない!!ないぞ!?詰所だけがない!!

 そんなバカな!?こ、これは一体なんだ!?ななな、何が起きている!?」

 

 驚愕するジラールの後方からペチャッ!ペチャッ!と裸足の歩く音がする。


 足音の主は肥満の豚巨人、ラアゴウだ。

 繊細な金のブレスレットを緩くはめた、丸っちい生白い手をジラールへと差し出し

 「ジラール君どう?あの子の言ってたのは本当だったー?」


 ジラールは動揺しつつも、恭しく六角望遠鏡を手渡しながら

 「は、はい!信じられませんが、我等がつい今朝まで寝泊まりしておりました、歴史ある北区夜警神官詰所が、こ、忽然と消失しております……。

 で、ですが私、先ほどからここにおりましたが、何の振動も、波動も、何かが崩れる音すらも聞こえず感じませんでしたし、ご覧下さい!今もあそこには煙の一筋も立っておりません!

 詰所は一体どこへ消えたのでしょうか!?正か、足でも生えてどこかへ逃げ去ったとでもいうのでしょうか!?

 ラアゴウ様!わ、私はなにか悪い夢でも見ているようです……」

 尖(とんが)りターバンは、激しく狼狽して髭の口元を押さえ、ゴクリと浮き彫りの喉仏を鳴らした。


 ラアゴウは分厚い唇を半開きにして、臭い息をヒューヒューと吹きながら、望遠鏡から見える景色に見入っていたが、眉なしのパープルのシャドウの入った右の目を細め

 「あれれ困ったねぇー、ホントに無いねぇ。

 北区と東区はボクの管轄だ。何をどうやったのか分からないけど、ちょっとこれは許せないねぇ。

 うん、これは右神官長たるボクに対する宣戦布告、露骨な挑戦だよ。

 コーサ様から授かった古代魔法を駆使するこのボクも随分と舐められたもんだよねー?

 さっきの女の子達を今すぐ味見したいのは山々だけど、早くあそこに行って、悪戯っ子を捕まえないとコーサ様に怒られちゃうねー。

 ハァ……誰だか知らないけど、何てことしてくれたんだー!困ったなぁー!

 うーん……これは古代魔法で殺っちゃわなきゃボクの気が済まないよー。

 うん!これは疲れてるとか面倒臭いとか言ってられない!直ぐに行ってみよう!

 ねぇ!みんな!早く馬車の準備をして!」

 望遠鏡をジラールに返し、その脂肪が溶けた溶岩のように裾野へと垂れ広がった足は、もうペチャペチャと下り階段へと向かっていた。



 その頃、北区の胸壁の外では、眩(まばゆ)い西日が夕陽になったのを見上げて確認した、優美なフリル日傘を閉じる、美しい幼女にしか見えないピンクの盛り髪の女バンパイアが一人立っていた。

 

 辺りに人はなく、一般競走馬の倍ほどもある、体高が三メートルを優に越す、目隠しをした漆黒の恐竜じみた四頭の巨馬達が僅かにいなないていた。


 それらの馬主、五千歳のカミラーは驚いたように、その手近な一頭を振り仰ぎ

 「なんじゃと!?アレイスターよ!誠か!?おう!そうじゃそうじゃ!お前はユリアとあの犬双子の臭いが分かるのか?

 ん?リリト!お前もか!?そーかそーか!

 ふうーむ……これは見事、魔王様の仰った通りじゃったな。

 アンとビスとやらは女神官戦士、リンドー出立の際、お前らが嫌いな匂いに敏感に反応しとったから、猟犬代わりに尋ねてみよとのことじゃったが……。

 うーむ。流石はドラクロワ様じゃ、その目敏さといい、目の付け所といい、本当に凄いお方じゃ。

 ん?じゃあれか?お前達には、あの低知能娘と犬娘等が、この街のどの辺りにおるのかも分かるのかえ?」


 巨馬の一匹が応えるように天に向かって、ヒヒーンッ!といななくと、そっくりな他の三頭も負けじと高々といなないた。


 「なんと!?分かるのか!?

 うーん…………。ならば初めからお前達を頼れば良かったのう。

 さすればわらわも、あのように要らぬ恥を晒さんでも良かったのにのう……。

 くほぅっ!お、思い出すだけでも顔から火が出そうじゃわい!!恥ずかしやー!あな、恥ずかしやーじゃ!!

 ま、まぁ今更悔やんでもせんなきこと、か。

 では、車両を外しちゃるから、わらわを背に娘等のところへ連れて行け」

 カミラーは御者台と、それぞれの黒馬達を繋ぐ連結を外してやり、輪止めをした車両内へと消えた。



 少しして、ガチッ!ガチッ!と音を鳴らしてカミラーが現れた。


 が、それはいつもの腰を左右に恐ろしく引き絞ったコルセットとフリルファッションとは異なり、正しく異様な出で立ちであった。


 それは兜の後頭部に真紅の羽根飾りも高々と、幼児サイズのピンクのフルプレート(全身甲冑)姿であり、短い釣竿のような鞭を持っていた。


 そしてバーミリオンカラーの恐ろしく長い槍を手に少し歩いて、アンデッドホース、アレイスターの手綱、馬銜(はみ)を引っ張って、その長い鼻面を下ろさせ、そこを一撫でして、真紅の瞳をカッ!と見開くや

 「皆よく聞け!これより我等は死地に飛び込む!!

 そうじゃ!戦じゃ!突撃じゃー!

 じゃが、街の住民等には蹄(ひずめ)も体も一切引っ掻けてはならん!

 ただ、攻撃してくるものは別じゃ!遠慮なく神聖魔法の匂いがする生臭坊主等から踏みにじれい! 

 ホホホ、お前達もお父様と戦場を駆けた日が懐かしいか!?

 おお、これに胸の歯車が高鳴るか!?

 この朱い槍、何やら一騎駆けをするときには必需品らしいの?

 おー、すまんすまん!一騎でのうて四騎じゃったな!

 まぁそう鼻息を荒げるでない、ただの言葉のあやじゃて、そんなに気にするな。

 よし!アレイスター!リリト!ギロチーナ!バートリー!では、これより馬鹿娘等の救出にいざ出陣じゃー!」

 そう言って、アレイスターの鞍に触れたかと思うと一気に跳躍し、馬上の人となり、短い鋼の手の鞭を指揮棒に、街の中央を差した。

 

 四頭の馬というよりは黒龍を想わせる巨馬達は、普通の馬にはない鋭い犬歯を剥き出しにし、天空へと狂おしくいなないた。

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