55話 それがテーマだ!
ワイラー北区。
この円形広場は、悪名高い傍若無人な夜警神官等の詰所が "あった" 場所だが、もっぱら老人達にとっては、人気の薬湯の大浴場がたったの銅貨三枚で楽しめるという、ワイラーに来る巡礼者達も多く利用する、癒しと憩いの名所である。
ドラクロワはフェイスガードのない、いつもの暗黒色の兜を片手にぶら下げ、体の割りに小さい頭の濡れた長い髪を引っ掻くように伸ばしながら、周りの家屋に灯が点り始めているのを横目に見て、詰所消滅という一大事にも関わらず、どこの街にでもありふれているような夕刻の顔である、民家の静かな景色と夕食(ゆうげ)の薫りを認め
「老人よ、夜警の神官達はまだか?」
老人と呼ばれたカメリア婆さんは、揺り椅子に深く座った姿勢で
「魔王様、薬湯はどうじゃった?あれは最初こそピリピリとするがの、二度、三度と入るうちに、その匂いと刺激が不思議とどこかクセになるものじゃての。
あぁ、失礼失礼。そうだの、まーだだんれも来んですじゃ」
隣のちょんまげアランが、芝居がかった表情で目を円くして見せ
「ちょっとカメリアさん!?何度も言うようだけれど、ドラちゃんはあの伝説の勇者様なのよ?
それを魔王だなんて、真逆もいいとこだし、とっても失礼よ?」
薬湯の香りを漂わせる魔王は、年寄りの戯れ言を特に気にした風もなく
「フフフ……この俺が魔王か。アランよ、構うな。こいつは老い先短い、好きに呼ばせておけ。
そうか、まだ夜警神官は来んか。では、ここでゆっくりと待つしかないな」
カメリア婆さんの隣、曾孫のリルケが、その実に暇そうな顔のドラクロワを見上げて、「はいはいっ!」と小さな手を上げた。
魔王は目の端で動いたそれを見下ろして
「ん?なんだ?」
リルケは将来が楽しみな可愛らしい顔を上げて
「あのね、まおーさま。まおーってたのしいですか?」
アランは一瞬ビックリした顔をしたが、ニッコリ微笑んで
「リルケちゃん?だからこの方はね?」
ドラクロワは少しだけ思案顔をしたが
「そうだな。俺は魔王ではなく伝説の勇者だから分からんが、魔王などというものは、きっとつまらんと思うぞ」
真面目腐った顔で答えてやる。
リルケはそれが嬉しかったのか、口元に指をやり、大斑蛾(おおまだらが)のようなカラフルなタイツの短い足をバタバタとさせ
「つまらん?おもしろくないってことかなー?
でも、まおーさまって、いちばんつよくて、なんでももってるんでしょー?
いいないいなー!まおーさま!りるけもまおーさまになりたいですー」
魔王は一瞬だけアランと目を合わせたが、直ぐに五歳児を見下ろし
「リルケとやら、そう思うか……。
うむ、飽くまでも俺は伝説の勇者だからな、どこまでいってもこれは想像でしかないが……。
魔王は確かに強い。なにしろ魔力は無限で、人間でいうところの寿命というものもない。
たとえ怪我をしても直ぐに治るし、病気にもならない。
お前の言うように、確かに欲しいものは何でも持っているし、持ってないなら望めば何だろうと手に入れられる。
だが、ある日ふと、こう思う。
それがなんだ?このまま生き続けて何が面白い?
人間や亜人間等はほぼ支配した。なんなら殲滅させてやってもよいが、そんなものはただ手間がかかかるだけだし、いた方が賑やかなのであえて存在を許してやっている。
つまり、もうやることなどない訳だ。
おまけに自然淘汰の末に、部下達も有能な者ばかりが残っているだろうから、あーあーお前達ときたら、何にも分かってないな。
そこはだな、もっとここをこうしてこう、うんうん、そら見ろ、これが正解だ。とか、横槍を入れる余地もないのだ。
また、元々最強の生命体ゆえ、弱い人間のように鍛練や修行をやって、身体や技を磨く必要もなく、倒すべき相手も、絶え間なく自己を練磨し、少しでも努力を怠れば、たちまち追い越されてしまうといったような、同じくらい強い"好敵手・宿敵"もいない。
かなり前から亜人間、人間達の冒険者等も危険な領域を熟知しており、闇雲に攻め入って来ることもない。
そうなれば、魔王など毎日毎日、ただ魔王城の王座に仰け反っているだけだ。
どうだ?ここまで聞いて魔王になりたいと思ったか?魔王は幸せだと思うか?」
魔王本人が一気に捲し立てた長い魔王観は、幼いリルケには理解が不能らしく、ただポカンと口を開けているだけだった。
アランは途中からうなずいて、暗くなって来た空をぼんやりと見上げ
「そうね……。何も目標とか生き甲斐のない人生なんてつまらないものかもね?
あたしがコックとして頑張れるのは、お客様に美味いって言ってもらえるように、この間よりも美味い!って言ってもらえるようになりたいっていう、自分が未熟だからこそ、まだまだ辿り着けない、とっても遠い目標というものが出来る訳で。
それが、何を作っても最初っから最高の味を造ってしまって、どんなチャレンジもバカバカしくなるくらい、何でもかんでもみんなが気絶するようなステキな物しか造れないのなら……それって、きっとつまらないかもね……」
その時、健康茶をすすっていた老婆カメリアが笑った。
「ホホホ……。なら思い切って止めてしまえばよかろ?
だーんれもお前のことを知らん土地へ引っ越して、フラリと適当な店で雇ってもらい、何も出来ない、無能な男の振りをしてじゃな、見下す店主、兄弟子に苛められながら、まず下ごしらえあたりからその腕を徐々に見せてやり、皆を驚かせて、凄いな君!?なぜにそんなことが出来るのじゃ!?下働きなどとんでもないわい!今日からここの料理長になってくれ!こりゃとんだ無礼をば致しました!!と言わせてやればよかろ?
そういうのを楽しんでみれることも無限の才の裏打ちあればこそ、じゃろ?」
アランはちょび髭の前で、熊のような掌を、パァン!と合わせ
「えー!?なにそれ!?ヤダ!それってスッゴく楽しそうー!!」
ドラクロワはアメジストのように透き通った美しい眼で、一本の歯も残っていない老婆を見据え
「老婆よ、上出来だ。何一つ付け足すことも出来ないほどの正解だ。
俺もそう思う。ま、俺は伝説の勇者だから魔王とは関係ないが、お前の答えには少しだけ驚いた。
ふむ、俺の考えは間違っていなかったか。
フハハハハ!老婆よ、ボケて死ぬのを待つばかりと思っておったが、それなりに考えておるようだな。フフフ……まだまだ捨てたものではないな」
その時、地べたに座ったリルケが地面の振動を感じて
「うわー!ひーばーば!なにかくるよー!」
三人が振り返ると、大通りの遥か先から、純白の馬が数頭と、銀色に輝く戦車部隊が夕陽に照らされ、もうもうと砂煙を上げながら、グングンとこちらへ向って迫って来ているのが見えた。
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