48話 黄昏に総崩れ
暗黒色の激走馬車がワイラーに着いたのは夕暮れ。
集中豪雨は霧雨程度に鎮まり、その城塞都市の名の通り、白亜の城壁がそびえ立つ野に残った大きな水溜まりが、曇り空を映した鉛色の鏡となって、四つの巨大な黒い馬体を下から照らした。
馬車から降り立った勇者一行を出迎えたのは、カミラーのアンデッドホースと比べれば、子馬にしか見えない乗馬の蹄から泥土を落とす、ワイラー北門の守り番達であった。
菱形を形成する陣立(じんだて)で迫る四騎士の内、先頭で滴の垂れる大盾を担ぐ男は、声から察するにまだ若者らしい。
身に纏った、いかにも清廉な人格者を思わせる純白のプレートメイルは、所々、鷹をモチーフにした板金羽飾りが印象的だった。
その美麗な兜のひさしを、カチン!と跳ね上げ、部下らしき脇の同じ装備等へ、警戒不要の合図か、その右の籠手を挙げ
「ユリア、ユリアじゃないか。光の勇者様は北へ出て行ったきりだったな。
勇者集結伝説の噂は届いているぞ。元気だったか?」
サフラン色のローブの女魔法賢者も短い手を上げ
「ダリウス!久し振りー!元気だったー?
この人達は仲間だよー。ちょっと先生の所に用があって寄ったんだー」
ダリウスと呼ばれた、ユリアの知り合いの白騎士は勇者一行を眺め
「そうか。この方々があの……フム、君の仲間なら問題ないな。
えーと……うん、7名か。ハハ、丁度女神様達と同じ数だな。
では、伝説の勇者様方には、一応名前だけここに記していただこうか。
君が出て半年か、変わりはないか?ハハ、ここは少しも変わらないよ。ここだけの話、相変わらず神官様達はうるさいしね。
うーん……うん、あの戦士殿の出で立ち……手続きはこっちで簡略化しておくから、夜警の始まる前に迅速に宿を取った方がいい」
ユリアは後ろの仲間達を振り返り、大きな水溜まりに不注意にも、バシャッ!と深紅のブーツを突っ込み、派手に跳ねた泥水に
「わあっ!びっくりしたー!」
と声を上げる、分かりやすい美人を見て
「えっ?ああ、マリーナさんか……。
うん、そうするね。ありがとうダリウス」
一行は書類に署名を求められたが、特に尋問の類いなどもなく、大陸王から授与された勲章が伝説の勇者の威光を発揮したので、ほとんど招かれるようにして門をくぐった。
城塞都市ワイラー。
そこは高層建築が整然と並ぶ、ゴミ一つ見当らない、清潔で都会的な街だった。
故郷を案内しようと、ユリアが先に立って歩く。
「ここを出て半年位しか経ってないのに、なんだかスゴく懐かしい気がしますねー。あっ今晩はー!」
すれ違う通行人に会釈した。
七人は雨上がりの白い建物が並ぶ商店街を抜け、幾つか角を曲がると、ある宿屋兼酒場に辿り着いた。
この旅籠、名を「白鳩亭」といった。
やはり白亜の五階建てで、大きな館を思わせる豪華な宿だった。
一階の開け放たれた、半屋外の酒場にはすでに灯りが灯り、客が入っているようだ。
ユリアが皆を振り返り、ローブの細い腰に手をやり
「この宿は北区ではとっても評判がよくて、玉子と鶏の煮込み、それから、近くに陽当たり良好で、肥沃な畑を持つ店主さん自慢の果実酒、葡萄酒が絶品だと噂です。
私の住んでた近所なんですけど、一度は泊まってみたかったんですよねー。
ドラクロワさん、ここで大丈夫ですか?」
魔王は美しい顔を商店等の灯りに彩られながら、白く壮麗な宿を見上げ
「あの馬車は悪くないが、湯とベッドがないからな、それ等にありつけるなら俺は何処でもよい。
うむ、今宵はここで、ワイラー産の葡萄の味でもみておくか」
無関心を装いつつも、ユリアの宣伝文句はかなり効いたようだ。
その証拠に、魔王はそのまま淀みなく、真っ直ぐに酒場へと入ってゆく。
例のごとく、カミラーが「お供します」とその後をピンクの影のように追う。
ユリアは口に手を添えて、その暗黒色の背に向けて
「ドラクロワさーん!私は用を済ませてきますねー!?
フフフ……ドラクロワさん、ホントに葡萄が好きですねー。
じゃあ、アンさんとビスさん。私達は先生の所に行きましょうか!?
マリーナさんとシャンさんは、あっち、ドラクロワさんと同じ班ですかー?」
ライカンの双子はうなずいて、待ってましたと、信仰心と知識欲の入り混じった顔になった。
マリーナは、チラッと隣のシャンを見て
「ど、どうする?ユリアのお師匠さんがいるんならさ、いちおー挨拶しといた方が、いいよね?」
シャンは目を瞑ってマスクを波立たせ
「フフフ……マリーナ、お前が夕刻のエール酒を我慢して、常識を優先させるとはな。
この旅で一番の成長じゃないか?」
マリーナは頬を掻き、照れたような笑いを浮かべ
「えっ!?ヤッパリそう思ったー?ま、アタシもアレ、伝説の勇者様だからさ、少しはねぇ?」
ユリアは杖を腋に、カラカラと笑って掌を合わせ
「ウフフ。マリーナさん偉いです!
アンさんビスさん、あのですねー、マリーナさんはエール酒がなによりも大好きですからねー、これはホントにスッゴいことなんですよー?
ウフフフフ。でも大丈夫ですよ!先生も負けないくらいお酒が大好物ですから、久し振りだし、そこでご馳走してもらうことにしましょう!
そうだなー、折角だから、私もちょーっとだけいただこうかな?お酒」
女戦士と女アサシンは目を剥いて
「アンタは絶!対!ダメ!!」
「お前は止めておけ!!」
ユリア、アンとビスは、二人のもの凄い剣幕にキョトンとした。
ユリアは酒乱の自覚も記憶もないらしく、釈然としない顔で、急速に暗くなってゆく夕空を見上げ
「さぁ、それじゃあ早く向かいましょうか。
なにやら夜警の神官様達の取締は厳しいと、よく噂に聞きましたので。
私は夜間に出歩いたことはないので、直接お会いしたことはないんですけどね」
マリーナは恨めしそうに白鳩亭の灯りを見ながら喉を鳴らし
「へぇ、そうなのかい?でもさー、まだ夕方だよ?」
その時、女勇者達は後方から数個のカンテラで照らされた。
「そこの見ない顔共、旅の者達か!?動くな!」
それは男の声だった。
見れば、大人の拳大の鉄球に柄の棒を刺した、鋼鉄の片手用打撃武器、モーニングスターを腰にぶら下げた、白い服に軽装鎧の神官らしき白ターバンが五人いた。
明らかに、夜間警護の見回りといった威圧感がここまで漂ってくる。
その男達は、ワラワラと一行に近付き、ほぼ半裸の女戦士、マリーナを取り囲むように集まり、カンテラでその美しい顔を照らす。
女戦士は手をかざし、眩しそうに顔をしかめ
「えっ?アンタ達何?」
そのカンテラ持ち等のリーダーらしき、頭のターバンの先を尖らせるように巻いた、シャンのマスクの白い版で鼻まで覆い、アイラインを目尻上まで跳ねさせた痩身の男が、眼光鋭く金髪碧眼女の深紅のチェストアーマーを睨み付け
「おい貴様!この聖都でなんたる破廉恥な格好をしておるか!?
女神聖典、太陽の書、第7章12節。女人とは常に慎ましくあり、男を扇情するがごとき肌の露出を避け、これ長衣(ながぎぬ)にて覆うべし、を知らんとは言わせんぞ!!」
この男、いきなり現れて狂おしいほどに怒り心頭であった。
その隣、異様に頭の大きな巨漢ターバンが、ズイッと前に出て、突然マリーナの左肘を掴んで強く引き
「若様!こ奴!よくよく見ればまだまだ小娘ですぞ!?
うー!けしからん!けしからん!けしからーん!
ここは我等にお任せあれ。この娘、情欲を煽り、人心を惑わしたとして、詰所にてとっくりと神罰を与えてやりますわ!」
顎髭の大男は鼻息も荒く顔面を紅潮させ、太い眉の下で燃える瞳でマリーナを見下ろした。
女戦士はそれをキッと睨み上げ
「ちょっと!アンタいきなりなにすんだい!?
い、痛いよ!!アタシは肌が弱くてさ、全身鎧は蒸れてかぶれるから苦手なんだよ!
大体さー、アタシは何処でもこれで通してるけど、文句なんか言われたことないよ!?
うわわわわっ!?だーから痛いってばー!!」
大柄な体を反らし、男の剛腕から逃れようと身をよじるが、更にその腕を捻り上げられ、左肩に激痛が走る。
頭の大きなターバン男はカンテラを仲間に預け、空いた右手で後ろからマリーナの素肌の腹を抱き寄せ、そのままその毛深い手を這わせるや、その上の深紅の部分鎧の巨大なバストの左を鷲掴みにし
「ぬふふ……この破廉恥娘めぇー!天罰じゃあ天罰じゃあ!」
熱く臭い息をマリーナのうなじへと吹きかけた。
マリーナは目を剥いて
「ちょっ!?何すんだい!!?くっ!!この!!ヤメロー!!」
反射的に深紅のブーツの左かかとで、男の黒サンダルの足の甲を踏みつけようとしたが、男はそれを読んだか、サッと足を交わしたので、マリーナは地面を、ドンッ!と踏み鳴らしただけであった。
大きな頭の男は、平然とシルクのズボンの太い脚をマリーナの右膝辺りに巻き付け、バターン!と斜め掛けに背負った大剣ごと女戦士を前に押し倒し、後ろから体重を掛けてのしかかり、その高く結った金髪の襟足を、グイッ!と押さえ付けてマリーナをうつ伏せに地に組伏せた。
その一連の動作は、明らかに訓練された組技の動きだった。
マリーナは倒れかかる二人分の体重を利用され、その両肩を外されたようで、泥土の付いた顔を横にして絶叫する。
ユリアは目を円くし
「や、止めて下さい!!あなた方は何ですか?夜間警備の神官様にしてもやり過ぎですよ!!
私達は許可をもらってここにいます!直ぐにその手を放して下さい!!」
この娘らしくなく、大きな頭のターバンに猛然と詰め寄った。
ゴチャッ!!
至近まで寄った小柄なユリアが仰け反る。
なんと、マリーナへ屈み込んだ大男は垂木のような剛腕の肘打ちを、少女の顔面へと一切の遠慮もなく、思い切りめり込ませたのであった。
その骨をも砕く一撃に、鼻血を噴き上げながら後方に倒れるユリア。
シャンが迅雷の動きで小刀を抜いて、その男の後ろへ回り込み、その髭の喉元に突き付け
「貴様!どういうつもりだ!?突然現れて旅人に暴行するのが貴様の務めか?今すぐその女を放せ!ぐがっ!!」
ゴツン!!と鈍い音がして、女アサシンは糸で引っ張られるように真横に倒れた。
その後ろには、鋼の鈍器を振り下ろしたままの姿勢で、白ターバンの仲間が立っていた。
アンとビスは突然の暴挙に唖然としていたが、顔から全ての表情を消し、フォンフォンと鋼の六角棍を回して構えた。
人生経験は三十路の双子、その姉のビスが、直ぐに突きを放てるように棍を構え、アンがその背に自らの背を付けて死角を無くす。
ビスが前に伸びた美しい顔を夕闇に影にし
「あなた方は七大女神様の神官ではないのですか?なぜこんなことをするのです?」
氷のように冷たい声で問うたとき、その突き立てた漆黒の犬耳に、聞き慣れた神聖語が響く。
振り返ると、そのフレーズは先ほど「若様」と呼ばれた、アイラインのリーダー格の男の口から洩れていた。
アンが、その他人を呪うような癖のある念呪に驚愕する。
「そ、それは!?ま、正か、失われた禁術、戦神の光華刃!?
や、止めて下さい!!こんな人の密集した所でそれは危険過ぎます!」
リーダー格の男の複雑に組み合わせた左右の手指から虹色の光が溢れ、放射線状に広がりつつ回転を始める。
その光の帯は回るにつれて、菊の花弁のごとく無数に分裂、立体化、具現化して、発光する眩い刃となって夕闇に爆発的に飛び散った。
大きな頭の男が金の髪束を掴んで持ち上げ、眼前に盾とした、汚れて呻くマリーナへ、倒れたユリア、シャンの身体へと、そのガラスのような1メートル半ほどの柄のない諸刃の剣が音もなく突き立ってゆく。
アンとビスは咄嗟に後方へ跳び、各々の棍を激回転させ、危なげなく防御の型へと転じた。
数が多いとはいえ、併せて三十年近くの訓練に裏打ちされた、棍術格闘の達人である狼犬のライカン姉妹にとっては、単純な直線運動で飛来する、この程度の大きな投擲武器を叩き落とすこと等は造作もなく、全く脅威ではなかった。
褐色のビスは防御の方は手首に任せ、油断なくターバン男達を見据え、次の戦略を組み立てる。
アンに至っては、女勇者達の為の治療呪文の詠唱を始める余裕さえあった。
だが……。
なんと、この光刃は半物質であり、鋼の六角棍ではそれを弾くどころか、なんの手応えさえも得られず、ただ真っ直ぐに防御の風車を素通りして飛んで来た。
二人は驚愕の顔で、精神に刃の侵入と、そこから急激に気力が喪失してゆくのを感じながら、同時に敗北を予感した。
倒れる双子の視界には、大地にカンテラを置いた残りのターバン二人が、同じ閃光の回転刃を別角度から輝かせていたからだ。
この古代神聖魔法時代の外法、禁術・戦神の光華刃とは、物理的に相手の肉体を切り裂く無限の刃ではなく、敵の精神に深く突き刺さり、そこへ深く根を張って、気力と精神力を吸い上げて衰弱させ、それにより対象を無力化させるという、捕縛緊縛を目的とした高レベルな精神魔法であった。
アンは必死で神聖魔法の防壁(バリアー)を発現させようと、朦朧としながらも無意識に詠唱を開始していたが、ターバン男達はそれを待たず、無数の精神崩壊の光剣がそこへ殺到した。
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