49話 魔王は早く話を終わらせたかった
ここ「白鳩亭」のキッチンでは、顔を光らせた純白のコックコート、コック帽の体格のよいちょび髭男が、両手でスコップに近い巨大な木製スプーンで、これまた巨大な、大人一人入れるほどの湯槽のような鉄鍋をかき混ぜていた。
それは飽くまでも小手先でグチャグチャと弄るのではなく、体ごと、腰と背中の筋肉を主な動力として使い、まるで大魚を銛で突き、水から上げるようにして、鶏鍋料理が焦げないよう、繰り返し繰り返し、必死に混ぜていた。
どちらかというとその姿は、「調理」というより、「戦(いくさ)」と言った方が似つかわしく、そして相応しかった。
そこへ女、中年の小綺麗な給仕服、こぼれ髪一筋ない、きつく括(くく)った頭の「昔は看板娘でした」という、僅かに美の残滓を感じさせる女が、困ったような顔で歩み寄り
「アラン、夕方からいる親子連れなんだけど」
アランと呼ばれた、逞しいちょび髭コックは、美味い鍋の仕上げはここが正念場、と動きを継続させながら
「なに!よーう?二番鍋の仕上げの時は話しかけないで!っていってるじゃ!ない、の!よう!」
所々、気合いで音量の針が右に振り切れる。
中年の女は、さして気にした風もなく
「うん、オチビちゃんの方は、お人形さんみたいに、まぁ可愛い別嬪さんで、旦那の方は目の覚めるような男前なんだけどさ、なにが気に入らないって、ウチの料理は一切頼まず、ずーっと葡萄酒ばかり飲んでるのよ。一体どういう胃してんのかしらね?」
ドラクロワのテーブルの伝票をグッーと前へ掲げる。
アランは男らしい顔を上げはしたが、じっくりとそれを見ている場合でないらしく、ニッと微笑み、魔女が使うような、妖しい秘薬造りの大壺みたいなお化け鍋に戻って
「そうなの!?別に!いいじゃない、なんでもウチの出すものを!気に入ってくれてん、なら!
そんな良い男なら、後で!見に行こうかしら、ね!」
アランが格闘するシチューを思わせる大鍋料理は、ギリギリ煮崩れてない鶏の骨付きのモモ肉とグリンピース、玉ねぎ、ニンジン、ジャガイモ、マッシュルームの逆巻く激流となり、鍋内をまんべんなく循環していた。
その熱気と煙の充満するキッチンへ、透き通った女児の声が響く。
「給仕よ、次の葡萄酒をくれ」
ここからすると幾分明るいカウンターに、小さな巻毛の女影が見えた。
アランは首から下げた、漂白済みの清潔なタオルの肩で汗を拭き
「はいはーい!今すぐー」
と優しく応え、中年女を見ると。
「20本目」
と不機嫌な声が返ってきた。
テーブルで待つ魔王は、並の人間とは身体の造りが異なるようで、アルコールにより居住まいを持ち崩すことはなかった。
だが、少し酔ってきたときの癖である、左手親指の尖った紫の爪を歯にあてる仕草が出ていた。
「白鳩亭」は、造りから調度品に至るまで、さりげなく金がかけられ、いずれも高価な物でまとめられているにもかかわらず、少しも嫌味のない、毎夜訪れたくなるような佳い酒場であった。
その奥の四人掛け木製テーブルの角には、銀製の飾り板が被せてあり、そのモチーフは、頭髪が鎌首をもたげる無数の毒蛇の女で、吠えるように牙の口を開けたデザインであったが、その小さな怪物女の装飾は斜め上、椅子にちょこんと腰掛ける、先ほどの美しい幼女にしか見えないカミラーを睨み上げ、威嚇しているように見えた。
その本物の怪物女、ロリータファッションのバンパイアは、ライフルの弾丸を思わせる、長く異常に尖った犬歯をそれに、カッ!と剥き返し、フン!と自嘲気味に笑った。
そして、本日24本目となる葡萄酒の瓶を主(あるじ)へと捧げ
「魔王様。あの三色馬鹿娘達と犬双子等にございますが、少々遅いですね。
まぁ、居ない方が静かで落ち着きますが」
魔王は、ダランと白い左手を下ろし
「師との再会となれば、積もる話もあろうし、アンとビスも貪るように書に向かっているのであろう。
では、湯に浸かり、休むとするか……」
ドラクロワは、カミラーと同じ寂しそうな目をし、ゴゴッ……と椅子を鳴らし、瓶の乱立するテーブルを後にした。
その後を、椅子から飛び降りたカミラーが追う。
数組の客等のテーブルの間を抜け、少し歩くと、カウンターで待っていた薄毛のちょび髭店主、アランが笑顔で迎える。
「ま、ホントに良い男!お酒も強いし素敵!
あら、剣を下げてるって事は、巡礼じゃないのね?
うふふ、親子の冒険者さんなんて珍しいわ。どう?この街は気に入って?
じゃ、えーっと、お部屋代と込みで……うん、銀貨18枚ね!わっ!?」
言い終える前に、接客用の光沢のある、鮮やかな青いコックコートの胸元へ、キンッ!とドラクロワが弾いた硬貨が銀光と共に跳ねた。
咄嗟に、ペシャッと平手を合わせて受け取ったアランは、ちょっと髭の口を尖らせ
「えー?一枚ぽっちじゃ全然足りないわよー。冗談キツいわー、お、きゃ、く、さ、ま(ハート)。
うふふふ……きゃっ!!」
アランはウィンクした目で、合掌の間にあるそれが銀貨などではなく、プラチナ硬貨であることを認め、切れ長で、意外に綺麗な目を限界まで見開いた。
ドラクロワは平然とその前を通り過ぎながら
「釣りは要らん。カミラー、最上階の部屋の鍵を受け取れ」
ピンクの盛り髪の小さな従者は、それに恭しく頭を垂れ「は!」と応え、プラチナ硬貨の輝きに狼狽(うろた)える店主を予想し、小さな顔を上げたが、店主のアランは一向に部屋番号も告げなければ、鍵も寄越さない。
「ちょっとお待ちよ」
無駄に良い声はアランである。
ドラクロワは振り返らず、その場で立ち止まり
「なんだ?」
アランは全体的に三ミリ程度に刈り込んだ頭、その頂部(てっぺん)のみを少しだけ長く残して、一つまみ捻って尖らせたその毛束に赤い小さなリボンという、世にも珍妙な頭を、おもむろにカウンター下にくぐらせ、店のドア前、階段への通路に出て来た。
その身長は、178㎝といったところか。
体重の方は80㎏はないだろう。
「あのね。貴方がとんでもないお金持ちで、恐ろしくお金離れが良いのは分かったわ。
多分、何処ででもこういうお金の払い方なんでしょうけど、余り馬鹿にしないでちょうだい」
アランの口調は穏やかで、諭すようなものだった。
魔王は傾けた美しい横顔で
「馬鹿にしないで、だと?」
アランは、肘の所で折り畳んだコックコートの袖を伸ばし、太い腕を組んで
「そう。あたし達は物乞いじゃないの。
天下の城塞都市、聖都ワイラーで、ありもしない権力を振りかざして、スキあらばここの警護料を寄越せと要求してくる、イカれたヤクザ神官坊主達なんかに負けるもんかと、一生懸命に商売をしてんの。
ただ純粋に、お客様に美味いと信じるものを提供して、美味いと言っていただけるように、毎日命を懸けて朝から晩まで、汗と鶏の脂、時季によっては葡萄の血にまみれて生きてるわ。
だからお料理、お酒の値段設定も従業員達と一緒に額をぶつけ合って、お野菜の値段が変わるたんびに真剣になって考えて、ギリギリのところまで下げて、お客様がまたお越しいただけるよう、納得していただけるようにつくってるの。
それを目ン玉が飛び出るような硬貨を投げて寄越して、釣りは要らん、恵んでやるからとっとけ、俺が金持ちでよかったな?なんて、あたし達商売に誇りを持ってやってる人間からしたら、これはもう大変な侮辱なのよ。
そういう訳だから、お釣りは明日の朝までには用意しておきますから、お願いだから、ウチではもう二度とこんなことはしないでちょうだい。
なんだかここの辺りが、キューと締め付けられるよう苦しくなって、とっても悲しくなるの。
今度は、もっともっと美味しい葡萄酒を造って待ってるから!」
最後に泣くような顔でニッコリと笑った。
ドラクロワとカミラーは心底驚いていた。
こんなにキッパリとプラチナ硬貨を断られたのも、自分の生きざまに誇りを持っている人間に出会ったのも初めてだったのだ。
確かに、形式的な「そんなに受け取れません」はある、だがそんなものは直ぐに引っ込み、プラチナ硬貨の輝きに屈さない人間はいなかった。
どの街のどんな店でも、どんなに美人を鼻にかけたお澄まし女店員も、仏頂面の婆様も、職人気質の無愛想なオヤジも、この白金の輝きの前では皆例外なく、途端にとろけてへりくだり、気味の悪い猫撫で声で、頼みもしないのにこちらの機嫌を取ってきた。
この作品中にて繰り返すようだが、この星の通貨はこの千年間超、大陸のみならず、どこでも概ね共通であり、紙幣という概念はなく、銅、真鍮、銀、金、プラチナの順で価値が上がる。
それぞれの価値としては、まず銅貨一枚で、大体どこの町でも人参が二本買え、真鍮硬貨で寝かせた葡萄酒を一本、銀貨で流行りの服の上下を一着、金貨で馬一頭、プラチナ硬貨で土地付きの新築の平屋一軒が買えた。
ドラクロワは余りに意外だったのか、アランへ聞き返した。
「お前はそれが要らんのか?それの為に働いているのではないのか?
人間とは、それが自由になるなら、部下も親も殺せる生き物ではないのか?」
アランは、アララララと広い額を押さえ
「そうね、親云々(おやうんぬん)は別にして、確かにお金の為もあるわ。
それがなければ他人様からも世間様からバカにされ、とっても惨めな気持ちになったし、今でも月末にはそのお金の為にイライラして、しなくてもいい喧嘩をすることもあるわ。
うん……愛した人とも、そのお金が原因で別れなければならなかったこともあったわね……悲しいね。
でも、でもね、それよりもっと大事なのはね、」
「美味かった」
ドラクロワが居合い切りのように言葉を抜刀した。
アランは心を袈裟懸けに斬られ、そこに固まった。
ドラクロワは暗黒色の天鵞絨マントをひるがえし、ちゃんとアランに振り向いて、その顔を指差し
「ここの葡萄は、俺が今まで飲んだどの酒よりも美味かった。
明日の朝も飲みたい。もうありません、だけは許さん。無ければ今直ぐ仲間と夜通し葡萄を踏め。
カミラー、鍵を受け取れ」
アランはもう何とも言えなくなり、目の前に出された小さな手に雫を落とした。
その掌を濡れるままにさせている女バンパイアは
「ハゲチャビンよ、良かったな。
わらわの記憶では、ドラクロワ様があんなに、酔われるまでに葡萄酒を召し上がられたのは初めてじゃ。光栄に思うがよい。
ほれ、早いとこ鍵を寄越さんか」
アランは口を押さえて静かに震えていたが
「ばい!」
と一声吠えて、鍵を取りにまたカウンターの下をくぐった。
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