43話 やっぱりわらわはこやつがきらいじゃ!

 カミラーは枷による手首と首の固定も終り、罪状の読み上げをぼんやりと聴きながら、断頭台からの最期の景色を心に刻む、亡命に失敗した貴族のような哀しい目で、痙攣する眼輪筋と純白の睫毛をはためかせ、茫然と黄色い飴を透かして銀製燭台の灯火を眺めていた。


 歪(いびつ)なレンズのような、円形の飴が屈折させる世界は夢のように美しく、それは一種幻想的景観であったが、それを手にする者には、この世の不条理が眼前に絶望の黄色い幕となって垂れ込めたように見えていた。


 150㎝ほど先には、ほっそりとした褐色の優しげな女。

 その潤んだようなブルーグレイの目を細めてこちらを窺い、手製キャンディの味の感想を今か今かと待っている。


 カミラーは前に伸ばした両手で煌めく危険物を掲げ、目を固く閉じ、小さな薄桃色の唇を浅く噛んでいた。

 

 (くっ!何を迷うておる……わらわはラヴド家当主、カミラーじゃ。ただニンニクで喉と腹の中をごっそりと入れ換えるだけのこと。死ぬほどのことではないわい。そうじゃ、我が城で魔王様にお供を嘆願した時のわらわの決意、あれは断じて戯れではない。ここで魔王様からの命を達せらるるならば、今、謹んでこの身を打ち砕こう……)


 端から見ると、美しい幼女が親切な家族から貰ったキャンディを、その小さな舌先を出して舐めようとしているだけのことだが、そこには懊悩(おうのう)ともいえる大きな葛藤、そして決意があった。


 生命体は長命であればあるほど知覚・痛覚が発達している。

 それはフィジカルダメージと外部からの危険を鋭敏に察知・感応し、その生命をより健全に、長く補完するためである。

 

 バンパイアは確かに出鱈目ともいえる、驚異的再生能力を有している。

 とはいえその例外ではなく、いや、その知覚の鋭敏さは、限りなく永遠に近いほど長命な分、短命な人間より遥かに長じていた。


 つまり、簡単にいえばバンパイアは人間より本能的に痛いのが苦手なのだ。 


 先ほどのユリアによる凍結攻撃などは、その五千年という永き歳月の中で築き上げた精神力とプライドで、ギリギリのところで何とか声こそ上げなかったが、実のところ、その超激痛で何度か発狂しかけていたのである。


 見るも憐れ。今、誇り高き吸血貴族である元魔戦将軍は、その小さな舌を必死に前へと突き出していた。


 (ぬぉー!!ふぬぅー………………。ん!? そ、そろそろ砂糖の煮詰めに舌が触れてもよいころじゃ、が……。ん?)



 ペキッ!


 ガリボリッ!バリボリ!ボリガリガリガリ……。



 (!?!?!?)


 ピンクの盛り髪の斜め上から、謎の異音が連続して鳴り響く。


 決死のカミラーが恐る恐る瞼を解錠すると、眼前に掲げた己の両手にあの死の粗品はなく、ただ大きく滑らかなキャンバスが拡がっていた。


 その薄い小麦色の表面には縦の筋が一本入っている。

 よくよく見れば、それは紛れもなく、引き締まった女の腹であった。


 破砕音の源へと小さな顔を上げると、金髪碧眼の分かりやすい美人が血色のよい唇を動かしていた。


 その女は探るような目付きで天井を睨み

 「んー……あっ!オレンジか!美味いねーコレ!

 カミラー。ドラクロワが男はまだか?だってさ。

 飴もらって悪いね!なんかアンタ、スッゴく苦手そーだったからさ。

 うん!お姉さん!コレ、スッゴく美味しいよ!お姉さんてさ、もしかしてお菓子屋さん?ねぇねぇ!これって絶対人気の商品でしょ?

 このちっこいのはカミラー。この婆さんさー、甘いものとか、特にこういう繊細な味とかはよく分かんないんじゃないかな?

 アタシはこの味大好きだよ!うん、ちょっと高くても買っちゃうかもーだね!

 あー、そうそう、ちょと悪いんだけど、ウチの大将がアンタの旦那さんにちょいと話があんだってー。

 多分、直ぐ済むと思うからさ、ちょっとあそこの席まで借りてっていいかい?」

 口の木の棒をピコピコさせ、引き締まった腰に左手をやり、右の手の長い親指で後方の賑やかなテーブルを指差した。


 飾らない明るい女戦士の招請に、夫婦は前に伸びた顔を付き合わせた。



 その足下では女バンパイアが、ギリリッ!!と奥歯から嫌な音を鳴らし、何ともいえない複雑な顔で、高みから威圧するかのようにたわわに実った、巨大な真紅の二つの果実を睨み上げていた。



 手をかざせば火傷しそうな、その真紅の熱視線の更に先、天井を突き抜けた上の地上階、そこのカウンター席では、美人双子のアンとビスが泣きそうな顔でうなだれていた。

 

 二人の悩みとは、先ず何とかして伝説の勇者を捜し出し、そしてそのお供に加えてもらうことであった。


 だが、相手はこの星一の空前絶後の大英雄である。

 この街で今夜か明日にも繰り返されるであろう歓迎の宴、パレードを追いかければ良いだけのこと。

 ただ見つけるだけなら特にどうということもない。

 そこからは、「ドラクロワ様が15年前、私達に我を忘れるな、と仰っられました!」と理由をつけて、靴磨きでも、炊事洗濯、荷物持ち係りでも何でもいい、何とかして彼等に取り入ってパーティに入れてもらう。

 もし断られたって決意は変わらない!

 その時は勝手にお供をするつもりだ。

 

 問題なのは、貧しい中でも二人分の学資をなんとか遣り繰りしてくれ、やりたいことをやらせてくれた、散々世話をかけてしまった両親と、まだ子供の域を出ない弟を置いて旅立つという、彼女達の我が儘をどう通したものかという一点である。

 二人はここ最近はそればかりを煮詰めていた。


 そうして答えの出ないまま、遂に神前組手大会の今日を迎えてしまったのだ。

 徹底討論の末、結局二つのプラン残った。


 まず一つ目は、家族には何も告げず、黙って勝手に家出をしてしまう。

 二つ目は、一年程、二人で死ぬ気になってモンスターハントでも何でもやり、とにかく働き、稼げるだけ稼いで、それを両親に渡し、魔王討伐への旅立ちを許してもらうというものである。


 二人の間での答えは当然、大方は後者へと傾き、ほぼそれで固まりつつあった。


 が、問題は短期間で、そう都合よく両親と弟を支えられるほどの蓄えを作れるかである。

 この星の災厄、魔王討伐となると帰ってこられるのは何年先になるか分からないし、ドラゴンの炎のブレス(吐息)や、魔王軍の放つ高レベルの魔法等で骨まで炭素化させられたなら回復呪文もお手上げ、この両親の元へは帰ってこれない。


 過去の経験とノウハウを最大限に活かし、神前組手大会で連続覇者となって莫大な賞金を得ることも考えた。

 が、神聖魔法学部での勉強と、その高いレベルでの修得が優先された。

 それになにより、なぜかこの新しく書き換えられた世界では、大会優勝者への賞金というもの自体がなくなっていたのだ。


 結局この夜も答えは出ず、二人は空しくも一旦地下のテーブルへ戻るしかなかった。


 自然、アンもビスも無言になり、酒場の木製の階段を踏む足どりは重かった。


 褐色の姉が階段の終りで空元気に鞭を入れ、顔を両手で叩(はた)いて頬のリフトアップを済ませ

 「パパ、ママ、アレク、遅くなってゴメンねー!

 祭りに来てた寺院の修行仲間と、たまたまそこで会っちゃ、て!?」


 コース料理のデザート、銀製のゴブレットにプリンとフルーツ、それに生クリームの盛り合わせが5つ運ばれたテーブルの脇には、紙のような白い顔の父親が幽鬼ごとく立ち尽くしており、席の母親と弟は喘ぐように口を空けている。


 アンが何か違和感を感じ、姉の肩越しに色白の顔を覗かせて

 「えっ?どうかした、の!?」


 その刹那、双子は思わず得意のユニゾンで叫んだ。


 「パ、パパ!?」  

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