42話 クリティカルキャンディ
階段最寄りの六人掛けテーブルには、黒獅子亭コースのメイン料理まで提供が済んでいた。
見た感じ35、6歳といった、まだまだ若さの残る隻腕のライカンの男は、殆ど生の極厚牛ステーキを右手一本で器用にカットしながら、自分の若い頃に毛の色以外は寸分違わぬ愛する息子アレクが、先ほどから賑やか過ぎる、この地下階の一番奥のテーブルを気にしているのに気付いていた。
中年の父はステーキを等間隔に、ひどく几帳面に切り終えてから、ナイフを鉄板皿の端に置き、ワイングラスの水を少し飲み
「アレク、あの人達が気になるかい?
だけど、ここは酒場で、お酒を飲んで酔って騒ぐ所なんだ。
だから、あの人達は何もおかしくはない、ここではそういう楽しみ方をしていいんだよ。
私達は祭りで何処も満員だった料理店の中でここが何故空いているのか分からなかったが、どうやらここは少しハメを外したいお客さん達の集まる店だったらしい。
だけど、私達家族は私達の楽しみ方をしようね。
アレク、学校は楽しいかい?」
未だ、清潔感ある刈り込まれた後頭部を見せる、多感な息子に柔らかに問いかけた。
彼等家族の席とドラクロワ達の席とは厚い煉瓦の遮蔽壁もあり、少し離れた席なので、何を話しているか等、その詳しいとこまでは分からない。
だが、彼等がとても賑やかなことだけはしっかりと伝わってくる。
息子は料理へ向き直り、眉に掛かった薄い茶の前髪をフォークの右手、その人差し指を立てて横に流し
「あ、うん。そうだね、分かってるよ。
学校か……もう僕も14だから、嫌なことを言う人も居なくなったよ。
それに、少し前に先生が授業の前に時間をとってくれて、僕の家が母さんが手伝って、父さんのデザインした装飾品を必死に造ってるって事を皆に話してくれたんだ。
それからかな?皆が、その……父さんの手の事とか、学費が遅れてることとか、そういう色んな事を言ってこなくなったのは。
小さいときはちょっと悩んだけど。うん、今は楽しいよ!」
全体的に細長い少年は、嘘偽りのない、幼さの残る無邪気な若い笑顔を父親に見せた。
父親は何度も小さくうなずいて、酵母で丸々と膨らんだ焼き立てのロールパンを取り、少しかじり、クルミの仄かな甘さを感じながら
「そうか。それは良かった。ゼカリア先生は優しいな。
だが……私の腕が、ここに利き腕があればもっと商品を量産出来るのだけどね。
あ、いやいや!母さんは十二分によくやってくれているし、製造の腕だってもう両手が有った頃の私を遥かに越えているよ。
後はアレク、お前がこのまま金泊の叩き、銀の彫塑(ちょうそ)加工に上達してくれれば何も心配ない。
私はこんな素晴らしい家族に恵まれて本当に幸せ者だよ。
15年前のあの時、確かに私は七大女神様が遣わして下さった勇者様のお力により、死の淵から救われ、この生を能えられたのだ。
お前達には苦労をかけさせて済まないが、私としては少しくらい金銭的に厳しくても、それを上回る家族の愛がそれを補って余りあるので、この上なく幸せなんだよ。
それにアンとビスは、先月、神聖魔法学課を首席で卒業し、これからは習得した治療魔法を介護施設でふるってくれるだろうし、私達家族の前途は本当に順風満帆だ。
本当に幸せ過ぎて不安になるくらいだよ」
そう微笑む父親の右手の肘に、幸せ涙の母親が寄りかかり
「グスッ、本当にそうね。あなた、いつもありがとう。生きていればこそですものね。今日のお祭りにも家族全員で参加できたし、夕げも少しの贅沢が出来ました。私も本当に言うことなし、だわ……」
幸せそうな夫婦の向かいの席。
クセのある、愛らしくも美しいアンとビスは、それらとは対称的な暗い表情でうつむいていた。
この二人三脚で必死に生計をたてる両親と、まだ修行の身である弟を前にして、流石に
「パパ!ママ!今まで七大女神寺院に学資寄付をありがとう!
私達、これから家を出て、伝説の勇者様のお供をする為に冒険者になって、この人生を捧げます!」
とは言えなかったのだ。
褐色の漆黒ボブ、ビスが水色のブラウスの肘で、意図してデザートスプーンを落とした。
父親と同じプラチナカラーの髪のアンがサッと屈んで、それを拾ってやると
「ビス。スプーン、新しいのをもらいにいこう。それから、デザートもそろそろ出してもらおうよ」
姉はうなずき
「ちょっと上に行ってくるね?」
と家族へ宣言し、紙のエプロンを手際よく外して、アンと階上へ向かった。
どうやら双子は、上で家出作戦の会議を開く気らしい。
コントン!コントン!と躍動感ある若い脚のヒールが鳴った。
ビスの将来の姿、褐色の優しげな母親は
「えっ!?まだデザートには早いわよ?」
と階段へ声を投げたが、双子のフリルブルマは速かった。
アレクがステーキの付け合わせ、色とりどりの豆類をフォークの上に乗せて、ホボッと吸い込み
「多分手洗いだよ。僕と違って、姉さん達いつも色々一緒だから」
父親は階段に顔をやろうとしていたが、素早く軽い咳払いでサラダへ戻った。
「うん、ここのドレッシングは美味いな……」
母親はワイングラスの水に口を付け、黄ばんだシャンデリアを見上げていた。
気まずい空気の凝固するそこへ、突如、音もなく幻のように、真っ白い肌の美しい幼女にしかみえない、後ろ手を繋ないだピンクのフリルロリータファッションが立っていた。
「わっ!」
アレクが思わず驚いて声を上げ、その拍子にトウモロコシの粒が喉から鼻の奥へ侵入したようで、コホ!コホ!と咳き込む。
ライカンスロープの夫婦も驚いたが、直ぐに優しく微笑んだ母親が
「あら?どうしたの?あちらの席から来たの?」
ドラクロワ達のテーブルを隠す大きな植木を指差した。
「パパとママのお酒とお食事に途中で飽きちゃったのかしら?
何か御用?あっキャンディあるわよ、食べない?」
美しい小さな女バンパイアは白い眉の片方を上げて
「わらわを子供扱いす、」
言いかけ。
(ハッ!いかんいかん!今はこのライカン男を魔王様の所へ連れてゆくのが我が使命。わらわの自尊心より任務遂行が第一優先じゃったわ!ここで下手なことをすれば、魔王様から、人一人引っ張って来れん役立たず!と思われるかも知れん!ならば、このラヴド家当主カミラー、自分を捨て全身全霊でこのご指示を全うし、見事この宅よりライカン男だけを連れ出してみせまする!!)
「う、うん……。お姉ちゃん達のお喋りがうんと長いから、私つまんなくてー。
えー?いいのー?私キャンディだーい好きー!」
五千年物の引きつった顔で、笑いの形を造って見せた。
ライカンの母親は直ぐに屈み
「そう、小さな子はキャンディ好きでしょ?持ってて良かったわ」
とテーブル下、荷物カゴの革の肩掛け鞄をゴソゴソとやり、白い紙でくるんだ、丸で手鏡のような、中身の黄色が透けた棒付きキャンディを出し、カミラーへ手渡した。
バンパイアはそれを顔から遠く、シャンデリアにかざすように掲げ
「お、おばさんありがとー!ワー!とっても嬉しー!
ウフフ!どーんなお味かなー!?後で必ずやいただきまーす!
誓ってホント後で、絶対に裏切ることなく何が起ころうとも、間違いなくいただきまーす!!」
ライカンの母親はニッコリと微笑んで
「え?お食事終わってるなら今食べていいのよ?
それね、私の手作りなの。今度、装飾品を買って下さる、お子さんのあるお客様に粗品としてお渡ししようと思ってるの。
だから小さなお客様の意見も聞きたいな。
ねぇお願い!あなたの素直な感想をいただけないかしら?」
カミラーはギリギリで笑顔をキープして
「う、うん!じゃ、じゃあ、これよりいただきまーす!」
(こ、これは!ま、正か!?いや、流石に菓子には入れまい……。うごぉっ!!)
飴の作者は褐色の手を伸ばし、震えるカミラーの真珠色の爪の指先で摘まんだ木の棒の先、油紙の包みを下で絞っている、光沢のあるワインレッドのリボンを解いて、直径15㎝ほどの気泡の目立つ、鮮やかな黄色いガラスのような円形飴を露にしてやった。
明らかに戦慄する引きつった微笑のカミラーが喉を鳴らすと、柔らかな表情のライカンの慈母と目が合った。
「ウフフ……。とってもカワイイお嬢さんね。アンとビスの小さかった頃を思い出すわ。
ねぇあなた?」
父親は細長い首をかしげ、まじまじとカミラーを熟視し
「いや、母さん。それは流石に親の欲目だよ。アンとビスはここまで綺麗な顔ではなかったよ。うん。
やはり子供は変に遠慮したりしないとこがいいね。僕も思わぬ所で飴の感想が聞けるのは嬉しいよ。
まぁ、母さんの作るお菓子に嫌な顔をする子なんていないだろうけどね!
ハハハ!こいつは夫の欲目かな?ハハハ」
性格なのか、他愛ない意見へも律儀な感想を述べた。
小さな舌先を出した女バンパイアは、真紅の眼の瞳孔を開き切り、息すら止め、凍りついたように硬直している。
この流れでは、ここで今更
「私、これヤッパリいらない!」
とは言えない雰囲気であり、崇拝する魔王から与えられし任務の達成の為にも、まず大前提として決してこの男の機嫌を損ねることは出来ないのであった。
ここはどうあっても舐めるしかない。
(し、しかし……)
アレクもシャンデリアの灯りに煌めく、透き通る黄色い飴を見て
「それバンパイアキラーっていうんだ。僕も大好きだよ。ホントに美味しいよ!」
(な、何キラーじゃと!?)
褐色の女はその動揺に毛ほども気付かず、微笑んで目を細め、自信作への感想を待っている。
「それね、ありきたりなオレンジ味じゃあ宣伝の粗品としてインパクトに欠けるから、ちょっとだけ個性的な味になるように、アレが入ってるの」
カミラーは、この女が革の肩掛け鞄を開いたときから総毛立ち、包みを解かれた時などは卒倒しそうになっていた。
勿体ぶって言われた『アレ』
その混入物が何であるかなど、解り過ぎる程に分かってはいたが、朦朧としながらも一応聞き返した。
「ア、アレっ……て?」
カミラーはバンパイアの直系であり、単なるアンデッドモンスターとは異なり、大別するならば悪魔のカテゴリに入り、ほぼ完全生命体である。
その心臓への杭打ち、若しくは聖別された剣による斬首以外では致命傷にもならない。
その為、下っぱの吸血鬼等とは異なり、直射日光は苦痛ではあるが、その身を骨まで焦がされることはない。
だが、不死の魔族として、確かに神聖なる陽の光は苦手である。
また、不死軍団の兵士等には七大女神寺院の高僧により清められた聖水も大変有効とされている。
まともに振り掛けられれば邪悪な暗黒支配魔法は即解除され、その身は瞬く間に溶けて崩れてしまう。
だが、これもカミラーには火膨れを起こさせる程度にしか効きはしない。
だが、そんな対光属性までも有する、ほぼ不滅の不死軍団の元魔戦将軍も、先祖代々その始祖から、ある植物の根だけはどうしようもなく苦手としていた。
それを食べるはおろか、その独特の薫りの臭気を一息吸い込んだだけで、まず強烈な不快感と目眩に襲われ、激烈な痛みが鼻腔内と喉を焼き、気管内の粘膜はベロリと剥がれるほどにびらんさせられ、肺胞は灼熱の火の粉を肌の外にまで光らせるという。
その致命的な、ある植物の根とは……。
褐色の滑らかな肌、細身で男好きのする美しいライカンの母親は、嫌みのない満面の笑みで、朗らかにこう言った。
「ニンニクよ」
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