5話 魔神拳

 巨人ボルドーが深紅の装備の美女を見下ろし

 「おー?いい女だなぁ。まーだガキだがぁ、いい声で鳴きそぉだぁ!」

 イヤらしく笑うと黄色い歯が見えた。


 マリーナは八相に構え、サファイアの瞳で睨み返し 

 「アンタ、本当に人間?ひょっとしてオーガーの血でも入ってるのかい?」

 口は軽いが、流石に戦慄を隠しきれない。


 ボルドーが片手でナイフみたいに見える銅剣を下ろし

 「ほぉんじゃぁーこれでもぉ、喰らえぃ!!」

 剣の先で地面を刺し、ザバッと砂を一塊、マリーナの顔へ撒き散らす。


 「うっ!!」

 マリーナは咄嗟に銅剣の両の手指を広げてかざし、顔に掛かるのを防ぐが、閉じた瞼にパッと砂が当たった。

 「こんな?!」


 怯んだ女勇者へ、その巨体からは信じられないスピードのボルドーのショルダータックルが命中!


 「ぐあぁっ!!」


 マリーナは後方へ吹き飛んだ。



 仰向けに倒れた170㎝に、三メートルの巨人が馬乗りになり、無造作に巨大な右拳を振り下ろした。


 ゴツンッ!!


 マリーナの美しい顔が凄まじいスピードで真横に旋回し、砂にめり込む。


 女戦士は、ボルドーの猛烈なタックルで空中で既に気を絶していた。

 ガードどころか反応も出来ない。


 今度は左の拳、そしてまた右と、巨大な拳の乱打が止まらない。


 ボルドーの哄笑が打撃音と入り交じり

 「きれーな顔もこれでぇおしまいだぁ!!えひゃひゃひゃぁ!!」

 拳を引き上げる度に鮮血が舞う。


 「止めてぇっ!!」

 ユリアが悲鳴に似た声を上げる。


 貴賓席が騒然となり、ガーロードが顔をしかめた。


 宰相が立ち上がり

 「ラルフ!今すぐ止めさせろ!!これはもう剣技指南ではない!!

 我々は野蛮な殺し合いを見に来たのではない!」


 ラルフは不満気な顔で手を上げ

 「ボルドー!もうよい!

 勇者マリーナ様が伝説と呼ぶには程遠いお力なのは分かった!

 ボルドー!止めろ!」


 巨人は涎を垂らしながら、顔が紫に腫れ上がった女勇者の首を右手で締め上げ

 「あれぇ!?こいつぅ鳴かねぇぞぉ!?」


 マリーナは金髪まで血にまみれ、痙攣しながら白眼を剥き、口の両端から血泡を吹いている。


 シャンは小刀を両手に、一気に駆け出していた。

 ボルドーの背後に影のように滑り、跳躍。


 狙いは訓練用の兜からはみ出た大きな両耳であった。


 ボルドーは

 「んー?なぁんかいるなぁ?」

 大きな頭をブンッ!と後方へ唸らせた。


 鉄の兜の後頭部が、小刀の両手を左右に広げた空中のシャンの顔面に激突した。


 「ぐぅっ!!」

 アサシンはそのまま後方に吹き飛んだ。


 「キャアッ!!」

 悲鳴はユリア。


 ドザン!


 シャンは受け身も取れず、砂地に背中から落下した。


 仰向けの紫のマスクに鮮血の染みが広がって行く。

 明らかにそこは陥没していた。

 

 その上のトパーズの瞳は、右と左がてんでバラバラな方を向き、眼球振盪を起こしている。


 ラルフが巨人を指差して

 「ボルドー!その辺にしておけ」


 ボルドーは四角い兜の後ろを撫で、首を振って鳴らして

 「OKぇ団長ぉー!あーちょっとすっきしたぁー。グヘッエヘッ!」


 宰相は憤然とし

 「この男はなんだ?!王の御前にこんな残虐な蛮行を晒しおって!

 ラルフ!これは長たるお前の責任だぞ!!」



 ラルフは頭を下げたが、真っ直ぐにガーロード王を居抜くように見て

 「申し訳御座いません。

 しかし、兵は詭道なりと申しまして、狡猾な魔王軍は常に当たり前の形式、作法に則った戦い方をする訳では御座いません!

 これもまた勇者様方に闘いの厳しさをご理解頂ける機会と思い、敢えてボルドーを喚びました次第に御座います」


 王は険しい顔をしていたが

 「ラルフよ。その方、剣技指南とは建前に過ぎず、この機を利用し王国騎士団こそが、このガーロードが勇者と認定した者達よりも優れておると主張したかったのか?」


 騎士団長はブーツを鳴らし最敬礼すると

 「有り体に申せば、その通りに御座います」

 傾けた顔は不敵に歪んでいた。


 ガーロードは

 「この野心家め。だが、余は断じてこんな下衆を騎士とは認めん」

 言って、砂地を髭の顎でしゃくった。


 巨人ボルドーはとぼけた顔で

 「げすぅ!?ゲヘッへェ!強けりゃ何でもいいんじゃねぇすかぁ?」

 太い小指を鼻にねじこんで言った。


 ラルフは巨人から王へ顔を返し

 「私も同意見です。魔王を倒さねば暗黒の時代は終わりません」


 ガーロードは鋭い視線を野心家に向け、沈黙していたが、ふと動くものに目をやる。


 その先には暗黒時代の原因、ドラクロワがしゃがんでシャンのマスクを人差し指で引っかけ、その顔を見ていた。


 ボルドーがのっしのっしとそれに歩み寄り

「お前も鎧を着てるなぁ。じゃあーお前も勇者かぁ?」


 ドラクロワはそれを完全に無視して巨人とすれ違い、仰向けに倒れたマリーナのとこまで歩き、またもやしゃがんで、赤と紫に腫れ上がった変わり果てたその顔を見下ろした。


 ボルドーはそっちを向いて

 「あれぇ?なんだぁこいつぅ?

 聞こえてねぇのかぁ?」


 ユリアがサンダルで砂を飛ばしながら駆け寄ってきた

 「どらぐどばざーん!!ひ、酷い!こんなの酷過ぎますよー!!」

 涙と鼻でぐしょ濡れの美少女は、直ぐにしゃくり上げながらルビーロッドを両手で掲げ、回復魔法の詠唱に入る。

 


 ラルフはドラクロワに微笑み

 「勇者様!今日のところはよくお休みになって、明日にでも早々にジュジオンにお戻り頂きまして、まずは田舎町の近隣の弱小モンスターなどを狩って、のんびりとレベルを上げていかれる事をお薦め致します。

 魔王討伐は我々騎士団にお任せあれ!!ははははは!!」

 騎士団の長は今ここに、見事本懐を遂げたのである。


 ボルドーも

 「ガハハハハ!俺なーらぁ魔王に勝てるぅ!魔王ぉ呼んでこーい!!」

 傷痕だらけの力こぶを掲げてポーズを決め、それに騎士団員が拍手を贈った。 


 

 ガーロードは無言であった。


 確かに人間離れしているとはいえ、騎士の一人に散り散りにされるようでは、これから先、魔戦将軍、更にその上に君臨する魔王討伐など夢のまた夢である。


 血筋と光属性であるというだけで、果たしてこの若者達を、過酷な魔王軍との戦の最前線に送り出してよいものであろうか?

 王もそう考えあぐねていた。


 この女勇者達の弱さは、伝説の正当性にすら疑念を抱かせるものであった。



 その時、ドラクロワがやおら立ち上がり

 「貴様等……。よくも見てくれだけが取り柄の、俺専用神輿担ぎをこんなに不細工にしてくれたな。

 それ相応の覚悟は出来ておるのだろうな?」


 宰相「見てくれ!?」


 教皇「みこしかつぎ!?」


 ガーロード王も発言の意図が掴めず、顔を険しくした。



 ラルフは鮮やかなブルーの肩をすくめ

 「何を仰っているのかよく分かりませんが、回復が済まれましたらお引き取りを。

 あぁ、騎士団から王都の土産でも御進呈いたしましょうか?

 あーっはっは!!」



 ユリアは瞑った目から涙をこぼしながら必死で回復魔法を唱えていた。


 呪文は成果を上げ、女戦士は金色の燐光を放ち、血にまみれた目を開いた。


 ゆっくりと上半身を起こす。顔の腫れは殆ど目立たなくなっていた。

 

 「ん?ユリア?

 そうか……あいつの突進喰らってから記憶がないけど……アタシ、やられたんだね。

 ドラクロワ。ゴメンよ、アタシときたら前座もウマイこと出来、なくて……あれ?変だね?アハ……」

 目元にこびりついた血潮を光る雫が洗い、溶かし出した。


 続いてシャンが意識を取り戻す

 「はっ!?私は……そうか。ユリア、すまん」


 魔法賢者は杖を支えに肩で息をしていたが、蜂蜜色の頭を振り

 「マリーナさんも、シャンさんも精一杯頑張ってて、凄く格好良かったです!!

 私なんか恐くてなんにも出来なくって……ごめんなさい!!

 とりそぎ私の唱えられる最高レベルの回復魔法をかける事しか出来ないなんて……。

情けないですよね?

 す、少し休んで、もう一度……うっ」


 二人が意識を取り戻したのを見て安心したか、魂が抜けたように横に倒れる。


 パシッ。


 暗黒色の禍々しい手甲がそれを支えた。


 ドラクロワは食いしばった歯列の隙間から、魔素の焦げる煙を立ち上らせながら

 「ユリアよ。もう一仕事だ。しっかりしろ」

 アメジストの瞳は燃えるように爛々と輝いていた。


 ユリアはハッとして

 「は、はい!すみません!」

 懸命に杖と自分の足で踏ん張った。



 教皇は目を見開いていた

 「流石は勇者様!あの治療魔法、中々のレベルですぞ……」


 

 ボルドーがドラクロワの後ろに迫り、巨大な芋虫みたいな指で、暗黒色の背中をドンと突き

 「俺ぁ男を苛めるのはあんまり好きじゃねぇから、お前はもう帰っていいぜぇ!?

 ブフッ!あぁ今日は楽しかったなぁー。

でもぉ、まだこんなんじゃあ全然足りねぇー!

 あぁー今すぐにでも魔王と戦いてぇーなぁー!!

 団長ぉ!魔王ぉ今ここに呼んできてくだせぃよぉ!?あっ無理かぁ!ゲヘッエヘェッー!」


 騎士団は拍手でボルドーの勇ましさと強さを讃えた。

 


 ドラクロワは美しい横顔で

 「ユリア、二人を連れてあっちへ行ってろ。

 今からこのゴミを片付ける」


 ユリアは何かを言おうとしたが、直ぐにうなずきマリーナへ向かった。


 蜂蜜色の三つ編みは女戦士を起こしながら、震える小さな背中で

 「どらぐどばざん……メチャクチャにしてやってぐだざい……」


 魔王は長い薄紫の睫毛をはためかせ

 「任せておけ」



 ボルドーが顎を撫でながら頭上から

 「メチャクチャ?片付けるぅ!?グエッヘヘヘヘ!!

 おいチビヤロぉ!お前が今からそうなるんだぞぉ!?」

 

 ドラクロワはクルリと振り返り、漆黒の天鵞絨のマントを翻し、素手を引くとボルドーへ構えた。


 ラルフが立ち上がり

 「おや?ドラクロワ様、懲りずに御挑戦ですかな?

 フムフム。貴方のお綺麗な顔が色とりどりに腫れ上がるのを見るのも、また一興ですかね?

 ダン!勇者様に銅剣を!!」


 教皇は

 「はわわわわ……や、止めなさい!!」

 とオロオロし、ガーロードの顔を見上げた。


 王はドラクロワもマリーナとそう変わらないと思い、それがどうやってグリーンドラゴンを倒したのか理解出来ずにいた。


 だが、これ以上若者が傷付くのも見たくはなかったので

 「もうよい!ドラクロワよ!気持ちは分からんでもないが、今日のところは場をわきまえて下がるがよい!」

 と、言おうとした。



 ドラクロワは同じ姿勢のまま

 「いらん」


 ラルフは首を前に出し

 「ハッ?どういうことですか?

 銅剣をお渡ししますから少々お待ち願えますか?

 ダン!早く御持ちしろ!」


 見守る王、貴賓席も騎士団等も、素手で格闘をするという概念がない。

 魔法の発動にしたって杖が要る。


 揃って困惑していた。


 「この程度の雑魚人間に武器はいらんと言っておるのだ」


 ボルドーが禿げ頭に血管を浮き立たせ、真っ赤に茹で上がった

 「雑魚ぉ!?お前ぇ!俺のこと雑魚ってゆったなぁ!?

 もう許さぁーん!!捻り潰してやるぅー!!」


 巨大な手のひらが、漆黒の優男を握り潰さんと降ってきた。



 「魔神拳!!」


 バキンッ!ビダーン!!


 突如として、ボルドーの視界から見慣れた自分の両腕が消えた。


 「なんだぁ?ん?あれぇ?」


 なんとボルドーの両手がタオルを肩にかけるように、骨を砕かれ、万歳を越えて背中へビッタリと張り付いていた。


 「うぎゃあーー!!!」


 ドラクロワはアッパーの姿勢で立っている。


 なんという剛拳か、そのアッパーでボルドーの両の手と肩は完全に破壊されていた。


 巨人は公衆に丸出しになった脇の下を見せて絶叫した。


 そこへ暗黒色のブーツが歩み寄る。


 「魔神脚!!」


 バキッ!!


 「ぎゃあっ!!」


 今度はドラクロワの足刀蹴りが、電信柱のような巨人の左脚の膝を破壊した。


 完全に逆関節になり、ビダーンっ!と左爪先が腹にくっついた。


 「はぐあぁーー!!」


 絶叫し、砂煙を巻き上げ、転げ回るボルドー。



 ドラクロワは血も凍るような美しい微笑を浮かべ、綺麗に整えられた紫の親指の爪を同じ色の滑らかな唇にあて

 「良い声で鳴くじゃあないかぁ……褒美に命だけは勘弁してやろうぅ」



 王も名士達も何が起きているか理解が着いていかなかった。


 瞬く間に破壊された規格外の化け物、ボルドーの悲鳴だけが訓練場に響いた。


 ドラクロワは砂煙を上げのたうつ巨人を氷のような眼で見下ろし

 「あぁ、まだ壊せる部分があるな……。

 頼むから死ぬなよ?

 ドラクロワお兄さんとの約束だぞ?」


 「魔神掌!」ギャー!


 「魔神突き!」ギャー!


 「えーっと魔神頭突き!」ギャー!


 「魔神砂かけ!」ギャー!


 「魔神レンガ」ギャー!


 「魔神ドア!」ギャー!


 若干、素手じゃないのも混ぜながら、適当な名前の殺人拳を炸裂させた。


 

 30分後、王城を後にする賑やかな勇者のパーティが城下町に出ていった。

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