旧暦物語 -如月-

@n-nodoka

旧暦物語 -如月-

 一層の冷え込みが強まるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。

 俺は相変わらず、元気に過ごしています。そして―――

「「オニはぁ―――――そとぉぉぉっ!!!!」」

「うわあ―――っ!!」 

「「ふくは―――――うちぃぃぃぃっ!!!!」」 

「それは部屋に向けて―――――っ!!」

「あっははははははっ!! 頑張れ、千尋ーっ!!」

「何をですかぁぁぁぁっ!!」

「「オニは――――――そとぉぉぉっ!!!!」」

「ぬおおおぉぉぉぉぉっ!!」

 そして、俺よりもずうっと元気な子供達に、追っかけ回されています。



「あっははははははっ!! いやー千尋、良い追われっぷりだった!! 最高だったよ!!」

「そいつはどーもっす。ぬぁー……まだ服から豆が出てくんなあ」

 寒空の下だったけど、服の中にある違和感がどうしても気になってしまい、茶色のジャケットごと、上着をバサバサと揺らす。

 さっきまで鬼役として幼稚園の節分祭りに参加し、怒涛の豆攻撃を全身に浴びてきた、その帰り道。

 街灯の照らす歩道には薄っすらと降り積もった雪が残り、氷点下の冷え込みになっているはずなのだけど、

「あー……まだ熱いっすよ……」

 薄く湯気が出る身体から、ぽろぽろと豆が落ちる。どれだけ撒かれたんだ、俺。

「あはははっ、そりゃあんだけ走り回ったらなぁ。どれくらい走ってた? 20分くらいか?」

 赤のコートを着た先輩は、半年振りに会ったというのに、相も変わらずの勝気で明るいスタンスだった。それでもさすがに笑いすぎたのか、目尻を拭っている。そんなに良かったのか、俺の鬼お面全力逃走は。

「予定ではそのくらいだったらしいんですけどね。なんか、途中で他の先生から延長の申し出があったんすよ。子供達が楽しくてエキサイティングしちゃってて収拾がつかなくなってるから、もう少し収まるまで付き合ってもらえないかって」

「あー、それでかぁ。どおりで長いと感じた訳だ」

「めっちゃ笑ってましたもんね、先輩。咽喉、大丈夫っすか?」

「あはははっ、これしきで痛めてたんじゃ、幼稚園の先生なんて務まらないね」

「はー、相変わらずっすね」

「いやー、でもホントに助かったわ、千尋。子供達もみーんな楽しそうで、先生達の評判もすこぶる良かったし。良い後輩を持ったわー。来年も鬼役、予約しといていい?」

「その時までに、俺の……ぬ、就職が決まっていたら……っと、やってもいい、っく、すよ」

 答えながら、背中に潜んでいるらしい、おそらく最後の一個であろう豆を出そうと身体を捻り捻じりもがく。 

「ああ、そうか、千尋も来年で卒業かぁー」

 感慨深そうに言う先輩に、

「しみじみ言いますけど、先輩だって、たった二年前のことでしょ……とれた、っと!」

 ぐるっと回り、遠心力で背中に潜んでいた豆を飛ばす。と、すかさず先輩が、

「鬼はー外―っ、てな」

 あはは、と白い吐息で笑う。

「んー、あれから二年かぁ……月日の流れは早いわねぇ」

 星の浮かぶ空を遠く見る様子に、

「口調が年寄りになってますよ、先輩」

 と、思わず突っ込みを入れる。あはは、と先輩は美人顔の眉を上げて、

「失礼だな、殴るぞ」

「せめてまずは怒ってからにしてくださいよ……とても幼稚園の先生の言動とは思えないっすよ。子供達には、もっと優しいんでしょ?」

「いや、かなり厳しい先生で通しているよ」

「へえ、意外っすね? めっちゃ子供好きなのに」

 俺の疑問に、今度は珍しく苦い笑みを作り、だからよ、と先輩が答える。

「子供が好きなことは、幼児教育に身を置くものとして大切な要素であり、素質だとは思っているわ。……けれど、好きなだけでは教育はできない。好きな気持ちだけでいて、何でも可愛いから許すなんて、そんなことをしていては教員として失格だし、何よりも子供達の為にならないから――だから、私は基本的に厳しく接するようにしているのよ。その分、可愛がるときはとことん可愛がるから、それでバランスが取れている、っていうのが私の自論よ」

 ふふんっ、と何故か自慢げに主張され、はあ、と妙に納得してしまう。

 それが気の無い返事に捉えられたのか、先輩は少しムッとした表情で、

「こら、千尋。あんた、そんなんで大丈夫なの? あんたも目指してるんでしょ? 幼稚園の先生」

 言われ、そうですね、と素直に頷き、

「目指してますし、そうなるように努力はしてますよ。でも――」

「でも?」

「――厳しいっすね、幼稚園の就職」

 雪道に向いていた視線を、少し上へと向ける。静かな街道と、綺麗な星空。この街の名物帰景色だと、俺が勝手に言っている情景を眺める。

「……まだ一年先とは言っても、大学四年生なんて、残った単位の取得と就職活動が主ですし、俺も含めて先行して就職活動にあたってる奴もいます。……けど、皆、厳しそうです」

 就職先が全く見つからない訳ではない。しかし、臨時職員であったり、非正規であったりと、自分達が望む雇用形態でとってくれるという場所が限られてしまっているのが現実としてある。

 もちろん学校側も支援してはくれるが、やはり成績優勢な学生が有利な斡旋を受ける為、待っていては就職からこぼれてしまうかもしれない。

 それを踏まえると、同大学出の先輩は優秀だと、改めて思う。

 確か、今の俺と同じ三年生の末ごろには、先輩が今務めている、今さっきまで鬼のお面を付けた俺が大量の園児たちに追われていた、あの幼稚園への就職が決まっていたはずだ。教育実習での評価が抜群に良かったらしいとのことだった。

 ちなみに俺もいくつかの幼稚園や保育園に実習に行かせてもらったが、そこまでの評価は得られていない。

 これも、先輩のいう素質というものの違いなのかもしれない、なんて考えは愚痴っぽくなってしまうので、普段は胸中にしまいっぱなしだ。

「……でもま、全く諦めてはいないんで。俺も先輩を見習って、日々精進努力、就職活動っすよ」

 素質とか、天性とか、運だとか。こと優秀な先輩と比べ始めたら、足りないばかりでキリがないけど。それでも、

「――俺も、子供、大好きですから」

 真剣な顔で聞いてくれていた先輩に向けて、勝気な笑みを返す。

 隣を歩く、俺の憧れの先輩。そんな人にも負けないと自負している、唯一の想い。これだけは、勝てずとも譲れない。

 先輩は少し驚いた顔をしていたけど、直ぐにいつも通りの勝気な笑みで、

「――よく言ったっ!!」 

 乱暴に、けれど暖かい掌で、俺の頭を撫でまわしてきた。完全に子供扱いだ、これ。

「ちょ、先輩、俺もう大人っすよ、園児じゃないっすって」

「あっははははっ、私から見れば、学生のあんたはまだまだ子供だからねっ。さっさと就職決めて、仕事の愚痴を語り合いたいもんだわっ」

 あはははは、と楽しそうな先輩を見て、

「……できれば、先輩と一緒に仕事してみたいっすね」

 ずっと思っていた本音を、ぽろっと吐いてしまう。 

「ん? 千尋と私が同じ幼稚園でってこと? あっははは、それは良いなぁ。そしたら、毎年節分イベントは安泰よねっ」 

「ほかにも色々使えますよ、俺。鯉のぼりも上げますし、和歌も詠いますよ」

「あっははははっ!! 鯉のぼりはともかく和歌はいらないねっ! 千尋の古典話、私は聞いてて面白いけど、子供達にはちょいと早いでしょーよ」

「いや先輩、時代は幼少期からの英才教育っすよ。今の内から和歌に親しみを覚えておけば、もしかしたら未来の歌人が生まれるかもしれないっすよ。もしくは俺みたいな古典好きが」

「千尋みたいになるのかー。責任取れないわー、私」

「ちくしょう今に見ててくださいよ。幼稚園で和歌の良さを伝える、吟遊詩人みたいな先生がいるって巷で噂されるっていう壮大な俺の夢があってですね」

「んじゃ、お勧めの一句を詠ってみなさい」

「へい、喜んで。 『――願わくは 花のもとにて春死なむ その如月の 望月の頃――』……良い歌っすよね」

 自慢げに、そしてしみじみと詠みあげるが、

「確かに季節も合っていて良い歌だけど、お釈迦さんに憧れて死んでった坊主の歌なんて、未来ある子供達には似合わないから却下ね」

 振っておきながらの否定だった。

「てか、俺の和歌なんて、はなから採用する気無いっすよね、先輩」

「私が聞いてあげるから、我慢しときなさい」

「先輩が聞いてくれるなら、むしろ満足っす」

「志が低いぞ、未来の吟遊詩人っ!」

 あはははっ、と酔っ払いみたいな笑い声。そして他愛のない、騒がしいだけの会話を豆のようにまき散らしながら、夜の街道を二人で歩いていった。



「さて、と……今年もこの時がやってきましたか」 

 俺の手元には、見事なカラーリングで園児が描いてくれた、お手製の鬼のお面。

 今日は、二月三日。全国一斉の節分デー。俺にとっては、毎年恒例全力疾走デーだけど。 

 隣の広場から、わいわいと既に騒いでいる子供達の声が届く。

「へいへい、もうすぐ鬼の千尋先生が出ますよー」

 鬼お面の耳から伸びる輪ゴムを頭に引っ掛けて、額の辺りにセットしながら、あれから何回目の節分だっけな、と考える。

 大学を卒業してから、俺の希望はいくつも叶った。

 最初は臨時職員という形態だったけど、幼稚園で正規に雇ってもらえるようになった。しかも、あの先輩と同じ幼稚園で。

 約束だった鯉のぼりも上げたし、節分の鬼役に至っては、学生の頃から含めれば、通算記録を更新中だ。

 けれども。

「ったく、ずるいよなー……空きが出来れば正規で働けるでしょって、カッコいいこと言うだけ言って、さっさと居なくなっちゃってさー」

 先輩と同じ職場で働くという夢は、叶ってから半年で、終わってしまった。

 長く付き合っていた人と結婚が決まり、続いて子供を授かったことを切っ掛けに、先輩は仕事を辞めた。

 来る我が子に全力を注ぐ為なのだと、変わらない勝ち気な笑顔で言っていたのが、なんとも先輩らしかった。

そして俺は先輩の後釜として、そのまま正規雇用となった。

旦那さんの地元で暮らすという先輩家族を見送りに行った時、今まで見たことのないようなデレっぷりで我が子を可愛がる先輩と、一人黙々と引っ越しの準備を進める健気な旦那さんの姿を見て、

「先輩、旦那さんにも愛情を傾けてやってくださいよ」という俺に、

「あっはははは、そうだね、忘れてたっ!」

 照れたように笑う先輩が、とても綺麗だった。



 先輩、お元気でしょうか。俺は相変わらず元気で、相変わらず鬼のお面被って走っています。

 そして、相変わらず、あなたのことを想っています。

 

『――願わくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月の頃――』 

 

 数年前の節分に、二人で帰った夜。あなたに憧れていますと、俺が詠った和歌を覚えていますか。

 あの時、歌ではなく、ちゃんと告白していたら、何かが変わっていたのかもしれない。そんな馬鹿げたことを、未だに考えてしまいます。

 それでも、先輩。俺もいい加減、成長したんですよ。俺の和歌も、一部の園児とお母さん方には好評です。吟遊詩人と呼ばれるには、まだまだ遠そうですけど。

 いや、そんな本気で心配しなくても大丈夫です。他にもちゃんと、もっと身になることを教えていますから。

 例えば、そうですね。先輩は、知っていますか?

節分って、毎年二月三日って決まっているわけじゃないんです。

 暦の関係で、一定の周期で変わるらしいんです。そしてその変わり目が、来年。

 今度の節分は、二月四日に変わるそうです。

 毎年来ていた二月三日の節分も、今日で終わりです。

 だから―――、


「今年も、元気な鬼さんで行きますかーっ!!」

 

 今年の節分が終わったら。

 いい加減、届かないとわかっている憧れの人は諦めて、俺も素敵な嫁さんを見つけます。

 そして嫁さんと二人で、先輩を驚かせに突然会いに行きますから。

 その時は、節分じゃないかも知れませんが。

 豆鉄砲くらっても、鬼みたいに怒らないでくださいね。

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