第7話 不審者の勧誘

 号泣事件の後、御園さんはすっかりいつもの調子に戻って、無駄にキラキラとした空気を背景に、秀桜への勧誘を始めた。


「里桜、環境が変わるのは誰しも不安なものさ。でも、何も恐れることはない。秀鳳は素晴らしいところだよ!校舎は2年前に改修されたばかりだから、空調は完備されているし、図書室だってこの辺りの学校では随一の蔵書量だよ!食堂のご飯だって美味しいし、何より、秀鳳に来れば僕とずっと一緒さ!」

「良いですね。特に最後のがなければ。」

「はは!里桜は照れ屋さんなんだね。」


 ナイスジョーク!とでも続けそうなテンションだけれど、勿論ジョークのつもりなんてない。私は本気だ。こんなにバイタリティーの高い意味不明な思考の人とずっと一緒にいたら、絶対精神がもたない。


「とにかく、秀鳳には行きません。私の学び舎は誠凛です。もう決めたんです。」

「どうしてだい?あの廃病院のような学校になんでそんなに拘るんだい?」

「どこが廃病院ですか!誠凛に通う全生徒に謝って下さい。」


 確かに古い校舎かもしれないけれど、その辺にある学校もだいたい同じはずだ。


「とにかく、拘りがないんだったら僕と秀鳳に通おう!」

「ええ……。」


 なんかまずい。このままだと勢いで流されそうだ。誠凛にしたのだって、家が近かったからなんとなくだ。強いて言うならちょっとした理由はあるけれど、本当に小さなものだ。学校を廃病院と素で勘違いする人から見たら、尚更小さな理由だろう。


「……お父さんとお母さんが、誠凛の同級生で、その頃から付き合い始めて、結婚して、今に至るみたいな感じなんです。すごくラブラブとかって訳じゃないし、普通の夫婦ですけど、私もそうなれたらいいなって思うんです。だから、ジンクスというか、両親と同じ誠凛に通いたいんです。」


「そんなことならやっぱり秀鳳に!」みたいな台詞が即座に返って来るのかと思っていたけれど、御園さんは顎に長い指先を添えて何か考え込んでいる様子だった。


「誠凛に通いたいという気持ちは変わらないんだね?」

「はい。」

「そうかい。なら仕方ないな。」


 御園さんは立ち上がると、カウンターの店員に何か2、3言声をかけ、どこかに短い電話を入れた。


「里桜、もっと一緒に居たいんだけれど、僕はちょっと急用が出来てしまってね。寂しいだろうけど、これも2人の未来のためなんだ。」

「後半はよく分かりませんが、今日は解散ってことですね。」

「まあ、そんなところだね。ああ、帰りはもちろん送っていくよ。可憐な里桜を変質者が狙っていたりしたら大変だからね!」


 むしろ変質者はあなた、と突っこみそうになって押し留めた。うっかりそんなことを言ったらまた鬱々とした空気でめんどくさいことになりそうだ。


「さあ、そろそろ藤堂も着いているだろうから行こうか。」

「え、でも私まだお金、」

「お金?ああ、もう払っているから問題ないよ。」

「えっ!自分の分くらいは払いますよ。」


 自分の分は自分でというのは勿論、ここで借りを作ったら、後でとんでもない要求をしてくるかもしれない。財布から100円玉を8枚かき集め、広いけれど少し華奢な手のひらに乗せた。


「僕が入りたくて入った店だから、里桜からお金を貰う訳には行かないよ。これは返そう。」

「いえ、やっぱり自分の分はちゃんと払いたいです。」

「いや、僕が君に御馳走したかったんだから……。と、これでは押し問答になってしまうね。とりあえず車に乗ろうか。」


 カランカランと控えめに響くドアベルの音とともに店を出ると、黒塗りの車が正面に停まっていた。陶器のような白い腕に引かれるまま、座り心地の良い黒いシートに腰をかけた。


「それで里桜。僕はこのお金を貰いたくないんだけれど、里桜は本当に返して欲しくないのかい?」

「はい。自分で飲んだ分なので。」


 コーヒー代と考えるともったいないし、正直返して欲しいけれど、そんなことは言えない。


「そうか。じゃあ、僕も受け取っては立つ瀬がないから、これは僕と里桜の結婚資金として貯金することにしよう。里桜もそれなら納得だろう?」

「やっぱり今月ピンチなんで返してください。」


 借りを作らないためのお金で、危うく外堀を埋められるところだった。

 800円はあっさりと払ってくれたけれど、何故か諭吉さんを上乗せして返そうとしてきたので、全力でお断りした。

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