第6話 不審者の依頼

 コーヒーを飲んでいる御園さんは何も喋らなくて、瞬きをしなければ高名な芸術家が制作した精巧なビスク・ドールのようだ。コーヒーカップを片手に、物思いに耽っているような様子は、洋館に棲む幽霊だと言われたら信じてしまいそうなほど、浮世離れした美しさを醸している。


「それで、御園さん。用事って、なんだったんですか。」


 あまりに儚げな目の前の男は幻影なんじゃないか、消えてしまうんじゃないかという馬鹿みたいな妄想を振り払うべく、問いかける。


「ああ、そうだったね。実は、里桜にお願いしたいことがあってね。」

「お願い?」


 返事が返ってきて、少しほっとした。でも、出会った当初からの話しぶりとは違う、やけに落ち着いた声音に、つい身をかがめた。彼が真剣な目で真っ直ぐに見つめてきて、どきりとした。


「来週から、僕と一緒に秀鳳高校に通って欲しいんだ。」

「……はい?」

「声が小さかったかな?すまないね。僕と一緒に秀鳳高校へ通って欲しいと言ったんだ。」

「聞こえてます。無理です。」


 何言ってるんだ、この人。どうしてさっきこんなのがあんなにも繊細そうに見えたんだろう。


「無理って、どうしてだい?」

「いやどう考えても無理ですよ。時期だって考えて下さい。もうどこも2次募集すらかけてませんよ。そもそもうちは秀鳳みたいなお金持ち私立に行くお金はないです。」

「なんだ、そんなことなら問題ないよ。まず、時期は編入試験を受ければ良い!試験を受ければ、里桜の成績なら問題なくパスできるはずだ。お金だって里桜が思っているほど大した額じゃないよ。僕のお小遣いで十分カバーできるくらいの額さ。」

「たぶんそれはお小遣いの金額がおかしい。そしてなんで私の成績なんか分かるんですか。」


 一瞬しまった、という青褪めた顔をして、爽やかに微笑んだ。


「いや、つい。……ね?」

「何がね?ですか!笑って誤魔化そうとしないでください。」


 絶対流されてはいけないところなのに、危うく頷くところだった。美形って恐ろしい。


「その、つい……。里桜のことが知りたくて、簡単に調査して貰ったんだ。」

「は!?調査!?」


 恥ずかしそうに頬をポッと染め、そっぽを向きながら御園さん……もとい不審者は言った。隠していた趣味がばれた人みたいな反応だけれど、普通はもっと違う反応があるはずだ。気まずそうにするとか、ひたすら謝るとか。


「調査って何調べたんですか。聞きたくないですけど、嘘をつかずに、正直に、しっかり答えてください。」

「君に嘘をついたりなんてしないよ。そうだね、住所、氏名、生年月日、部活動、成績、趣味、食べ物の好き嫌い、家の電話番号、後はその、あ、足のサイズを……。」


 ……だから突然家に現れたり、コーヒーが苦手なことを知っていたのか。

 そして、最後の足のサイズと言ったらまた頬が赤くなった。そこを恥ずかしがる神経があって、何故調査(ストーカー)したことを隠そうともしないんだ、この人。


「最後のはとにかく、他は個人情報だらけじゃないですか!調べたことは今言ったので全部でいいんですよね!?」

「ああ。……いや、正確には実際に調べることができたのがそれだけだったんだ。僕としては、好きなタイプやデートで行きたい場所、住みたい理想の家、薬指のサイズなんかも知りたかったんだが、少ない時間ではそれしか調べられなかったんだ。あと1カ月もすれば結果は出ると言われているんだけどね……。」


 ……どうでもいいことばっかり。それなのに何がそんなにショックだったのか、ガックリ、という擬音がつきそうなくらい落ち込んでいる。

 だいたい薬指のサイズって何。小指とかじゃだめなの?さっきの足のサイズといい、何かマニアックな方向のフェチなんだろうか。この人の重要とするポイントが全く分からない。


「1カ月後の結果なんて待たずに、調査は今日でさっさと打ち切って下さい。これからもそういうの勝手に調べるのはやめてください。」

「そうだね。これから同じ学校で、里桜と仲を深めていけば、自然と分かることだ。今後は無断で調査せず、君に断りを入れてからにするよ。」

「調査しますって言われてOK出すとでも?そして秀鳳には行きませんから、諦めて下さい。」

「嫌だ!」


 声を荒げて、テーブルを叩くような勢いで御園さんが立ち上がった。


「やっと出会えたんだ。同じ年齢の人間の男女で、会いに行くことができる距離にいて、こうやって顔を合わせて話すことだって出来てるんだ。僕は、諦めるなんてしたくない!」


 熱のこもった早口の声が少し大きくて、御園さんが喋り終わると、店内の空気がしんと静まりかえった気がした。


「……すまない。僕としたことが、大きな声を出してしまった。びっくりさせてしまったね。」


 どこか寂しそうな微笑みを浮かべながら、御園さんは席に座り直した。


「……君と出会った時、これが僕の99回目の人生だって言ったことを覚えているかい?」


 ポツリと、御園さんが徐に口を開いた。


「ええ、まあ。」

「信じられないかもしれないけど、本当なんだ。僕はその全部で君に恋をしたけれど、病気だったり、身分の差だったり、自分ではどうしようもない理由で、諦めてしまったこともあった。」


 突拍子もない話なのに、本当に辛い記憶を思い出しているかのように、御園さんの伏せ気味の目が潤んでいく。涙になるのを堪えるように、御園さんは目を瞑った。


「けど、別の人生でその時のことを振り返ると、『なんであの時もう少しだけ頑張らなかったんだろう』と思うんだ。全力で頑張った筈なのに、その時の自分が無意識のうちにブレーキをかけていたことに、次の人生になってから気づいて、どうにもやるせない気持ちになるんだ。……だから、今回は次の自分が微塵もそう思わないように、この恋に全力を出したいと思ってる。」


 鳶色の瞳が真っ直ぐに見つめてきて、本気で言ってることが分かる。

 輪廻転生的な部分はよく分からないけれど、諦めたことを後悔する気持ちは、何となく分かる気がする。……でも。


「……全力すぎるのも問題ですよ。私は御園さんのこと全然知らないですし、家に突然来られたりとかは、流石に驚く、というか怖かったです。」

「そんな!僕はそんなつもりじゃ……。」


 御園さんはかなり打ちひしがれてしまったみたいだ。初めて叱られた子供みたいに、泣き出す一歩手前の表情で、どんよりと淀んだ空気を背中から出していそうな、重たい空気を背負い始めた。

 調査という名のストーカー行為を糾弾したいけれど、そんなことをしたら口から魂が抜けていきそう。


「あの、元気出して下さい。ストーカーしたことも、もう怒りませんから。」


「ストーカー……。そうか、僕のしていたことはストーカーだと思われていたのか……。はは……。」


 まずい、地雷踏んじゃった。踏み抜いちゃった。力なく笑いながらなんかぶつぶつ呟き始めた。「気持ち悪がられていたんだ……」「この流れは85回目のときと同じだ……終わりだ……」

 ……85回目の人生もストーカーしたのか。なんかもう、負のオーラが見えそうなくらいひどいことになってる。


「あの、怒ってないですし、気持ち悪いとかも……まあ、思っていませんから。ちょっと感覚が違っただけですよ。だから、ね、元気出して下さい。」


 自分の負の世界に入ってしまっていて、聞いているのか分からないけれど、私が虐めたみたいでいたたまれないので、それなりに必死に慰めてみた。


「怒ってないのかい?」

「はい。」

「本当に気持ち悪いと思っていないのかい?」

「はい。」


 嘘ではない。出会った当初からいろいろと感覚が違い過ぎて、気持ち悪いとかの域を超えていたと思う。


「僕のこと、嫌いになったかい?」

「嫌いではないですよ。好きとか嫌い以前に、まだよく御園さんのこと知らないですし。」

「ううっ。里桜~!」


 努力の慰めの結果虚しく、御園さんはポロポロと涙をこぼし始めた。


「わっ!何泣いてるんですか!」

「すまないっ。君に、絶対に嫌われたと思ったんだ。でも、嫌いじゃないって言ってくれて、僕、安心してしまって、それで、」


 溢れてくる透明の涙を、白い両手で拭いながら、御園さんは澄んだテノールを震わせた。

 変な人だと思っていたけれど、ただ何事も正直で、悲しくなったら泣くし、会いたくなったら会いに行く。なんでも全力すぎるだけで、悪い人ではないんだ。


「私、ゆっくりだったら御園さんと仲良くやっていけると思います。ちょっと感覚の違う部分もありますから、ゆっくり合わせていきましょう。」

「うん、うんっ!そうだね。里桜、これからも、僕と仲良くして欲しい。」

「はい。じゃあまあ、よろしくお願いします。」

「ああ、よろしく。」


 まだ赤い目で、御園さんはふわりと微笑んだ。少女漫画だったらキラキラが散りばめられそうな、輝くオーラの笑顔だった。

 出会いやら押しかけやらで誤解していたけれど、こんなに綺麗な笑顔の人だ。悪い人な筈ない。


「では早速、里桜の編入の件について話し合いたいんだが、」

「却下で。」


 悪い人ではないけど、やっぱりちょっと変な人だ。仲良く、やっていけるか少し不安だ。










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