第5話 不審者とカフェ

 豆を挽くところからこだわりを持ってやっているのか、コーヒーはまだ運ばれてくる気配がない。

 一度喋ると訳の分からないことを話し出す目の前の男は、 今度は何も喋らなくなってしまった。

 絵本に出てくる王子樣みたいな美青年に、微笑みかけられたらときめくだろう。ただ、何も言わずに終始ニコニコと見つめられ続けるのはまた別で、少し怖いものだということを今実感している。両ひじをつき、両手に顔を乗せて、彼は心底楽しそうな笑顔でずっとこちらを見ている。なんだかいたたまれなくて、テーブルの木目を追うように視線を下げた。


「あの、そういえば御園さん?」

「里桜には是非、玲司と呼び捨てにして欲しいな。若しくは玲ちゃんとか、愛称でも構わないよ。」

「御園さん。何の用でうちに来たんですか?」


 無言と無駄な笑顔に耐えられず、疑問をぶつけてみた。彼は私が言葉を発したことに一瞬びっくりしたような顔をして、澄んだテノールで喋り始めた。


「ああ、僕としたことが、今日こうして君に会えたことが嬉しすぎて忘れるところだったよ!」

「押しかけてきておいて、何偶然出会ったみたいな言い方してるんですか。」

「出掛けている可能性だってあるからね。今日出会えたのも運命さ。」


 なんて前向きポジティブな考え方だろう。感覚が違いすぎて、会話が成立する気がしない。


「ああ、僕の要件だったが、まあ、ちょっと君にお願いしたいことがあってね。僕の――」

「失礼致します。こちら、珈琲でございます。」


 若干の歯切れの悪さに違和感を感じていると、やっと飲み物が運ばれてきた。。程よい筋肉のついた腕が、珈琲を迷わず御園さんの前に置いた。

 ……コーヒーを頼んだのは私だったはずだ。


「あの、」

「失礼致します。」

「うわあ」


 コーヒーは私ですと店員さんに話しかけようとしたら、コトリ、と私の前に置かれたコーヒーカップ。

 白くふわふわなミルクの泡の上に、くっきりと描かれた三連のハートが円の右下を繊細に飾り、それ以外のスペースを存分に使って描かれたハートの枠内に、流麗な筆記体で大きく書かれた「I LOVE YOU」の文字。

 思わず声が出たけれど、勿論素敵とか感動とかの「うわあ」ではない。

 目の前の男を見ると、フッと得意気に笑いかけてきた。感動していると勘違いされている、絶対。


「違いますから。別に喜んでなんかいません。断じて。」

「そうかい。成程、これが世で聞くツンデレというものなんだね。今までそういった趣向はよく理解出来なかったが、いざ目の前でされると堪らない愛らしさがあるね。」

「うわあああ」


 どうしよう。既にどうしようもない気がするけれど、さらにこの人の変な扉を開いてしまったのかもしれない。


「あの、そのコーヒー頼んだのは私だったはずですよね?私がそっちを飲みますよ。」

「でも里桜はコーヒーを好んで飲まないだろう?だからこれは僕が頂こう。そのキャラメル・マキアートは僕からのプレゼントだから、そっちを飲みなよ。」

「え、でも……」

「もしかしてそれも好みじゃなかったのかい?他のものを頼もうか?」

「いえ!結構です。これ飲みますから!」


 本気で新しく別のを頼むつもりなのか、御園さんがメニューを開き始めたので、慌ててストップをかけて、こんがりとしたナッツや砂糖の甘い香りがするカップに口をつけた。


 ……そういえば、なんでコーヒーが苦手なことが分かったんだろう。女の子=苦いもの苦手みたいな固定観念でもあったんだろうか。

 いや、案外ただこのラテアートのサプライズがやりたかっただけかもしれない。

 考えても分かりそうな気がしないので、ぐるぐるにかき混ぜてから、喉奥へと流し込んだ。





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