第4話 不審者と散策
「さっきのリラックススタイルもかわいかったけれど、その服も似合っているよ。僕のために着飾る君は世界で一番美しい。」
「最後のはいりません。」
時間のない中で選んだ適当なスタイルも、彼の何かのフィルターにかかれば問題ないらしい。
それにしてもどこへ行こう。とにかく家に入れないことを最優先にしていたから、これといって行きたい場所もない。屋外だとまだ少し寒いし、ショッピングもなんか違う気がする。
「さあ、里桜。お手をどうぞ。」
黒塗りの、素人目にも高級車であると分かる車のドアを開けて、彼が手を差し伸べてきた。
「何してるんですか。
運転手さんは笑い皺が表情全体に溶け込んでいるような、人の良さそうなおじいさんといった感じの顔だ。きっと私みたいに通りすがりのところを訳が分からないまま巻き込まれたんだ。かわいそうに。
「玲司坊ちゃん、いかがすれば宜しいですかな?」
「そうだね。里桜のお願いじゃ仕方ないな。藤堂、君は先に戻っていて構わないよ。帰りはまた連絡する。」
「承知いたしました。」
運転手さんにいくつか話しかけ、彼がドアを閉めると、黒い車はそのまま走っていった。
「れいじぼっちゃん……?」
今起きた一連の流れについていけず、特に衝撃的だったおじいさんの言葉が口をついて出た。
「ああ。そういえば、僕はまだ名乗っていなかったね。
私も名乗ってないんだけど、どこで私の名前を覚えたんだ、この人。さっきお母さんと話してて覚えたのかな。
……やぶ蛇になったら怖いから、聞かないでおこう。
「里桜、もうすぐお昼だけど、イタリアンとフレンチ、どちらの気分だい?」
「朝ごはん遅めだったし、まだどっちも気分じゃないです。」
「そうなのかい?じゃあとりあえずティータイムにしようか。この前、この辺りで良さそうなところを見つけたんだ!」
言うや否や、私の手をさらっと取って、スキップするみたいな足取りで進みだした。勝手に手を引く不審者に何か言おうと思ったけれど、だらしないまでに目じりを下げて喜んでいる横顔が視界に入り、文句は胸の中で霧散してしまった。
彼が見つけたという店は、主張しすぎない品の良さがある店で、遠目で見たら気づかないで通りすぎそうなところだった。
「すまない。少し長く歩かせてしまったね。」
「いえ、平気です。」
木を基調にしたシンプルな空間に、どこかで聞いたことのあるような小洒落たフレンチ・ポップスが流れている。ほんのりと漂ってくる珈琲の香りが心地好い。
なんで今まで気づかなかったんだろう。こんな店が家からあるいていける距離にあったなんて。
「ほら、里桜。」
座って、と自然な動作で椅子を引かれた。さまになっているのが少し悔しい。
彼は自分も席に着くと、壁際に立てかけてあったドリンクのメニュー表を私に差し出してきた。豆乳ラテとか、まったりとしていて美味しそうだ。ラテアートのくまも可愛い。
……でも、待って。なんかちょっと高い。
一番安いコーヒーでも800円。長い名前のレモンティーが1200円。文庫本が2冊くらい買える。
「決まったかい?」
「えっと、コーヒーで。」
「珈琲でいいのかい?この季節限定のハニーラテなんかも可愛いと思うけれど。」
たしかに可愛い。でも私は飲み物に1500円は出せない。
「コーヒーでお願いします。」
「そうか。店員へ直接頼んでくるから、里桜はゆっくり待っているんだよ」
カウンターの店員へ話しかけに行った後ろ姿をぼんやりと眺める。巻き毛気味の明るい茶髪や、色の白い首筋、日本人離れしたスタイルの良さが、外国風の店の雰囲気によく馴染んでいる。店内に流れる音楽のように、フランス語で会話をしていそうだ。
それにしても、飲み物をたった二つ頼むのに、随分時間がかかっている気がする。もしかして今度は店員さんに不審な絡み方をしているんだろうか。
店員さんを助けに行こうか迷いつつ、席を立とうとすると、椅子の音に気づいて彼が戻ってきた。
「一人にしてすまなかったね。そわそわしているけど、僕がいなくてさみしかったのかな。」
「違います。」
戻ってくるなり頓珍漢なことを言うので、脊髄反射の速さで否定の言葉が出てきた。
それでも彼は、初孫が喋ったときのお爺さんみたいに、嬉しそうにニコニコと笑っている。冷たくされて喜んでいるなんて、ただ不審なだけじゃなく、被虐趣味もあるのかもしれない。
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