第2話 不審者の妄言―side M―

 ――せっかく彼女を見つけたのに。

 走り去るときに彼女が落とした緑色のハンカチを拾い上げていたら、渡そうとしたその時には距離が大きく開いていた。

 ハンカチのタグには、小さなひらがなで「りお」と書いてある。ああ、りおというのか。今生の名前も可愛らしい。


「玲司坊っちゃん。突然走って行かれたので驚きましたよ。見かけないお嬢様でしたが、先程の方は御友人で?」


 車に乗り込むと、ハイヤーもこなすベテラン執事、藤堂が問うてきた。


「待たせてしまってすまなかったね。あと、彼女は友人ではない。ぼくのお姫様プリンセスさ。」

「おやおや。そのような方がいらっしゃったとは。この藤堂、存じ上げませんでした。」


 ほっほ、と老人独特の独り言のような笑い声を漏らす藤堂は、今日の出会いがどれほど運命的なものだったのか、ちっとも分かっていないようだ。


 ――そう。本当に、運命的な出会いだった。

 朝目覚めたときから、今日は良い日になりそうだという予感があった。そのまま直感のとおりに思いついたところへ出かけて、行きつけの美容院で髪を切り、ディスプレイされていた服を買い、郊外どころか田舎町まで来たところで、次はどこに行こうかとぼんやり思考しながら外の景色に目をやった。

 ――そうしたら、景色が色づいているような空間があって、その真ん中に、彼女がいた。

 気がついたときには、車から飛び出て走っていた。彼女の曲がっていった方を走っていくと、彼女は紙切れを見ながら何かを確認するように立ち止まっていた。

 いざ話しかけようとすると、言葉をかけられなくて。彼女を抱き締めようと思っていた腕も、なぜか動いてくれなかった。

 なにか話しかけなくては。そんな想いばかりが脳内を言葉として埋め尽くしていくのに、なぜか口からは出てきてくれなくて、焦りだけ募っていたところに、彼女が振り向いて、勢い良く飛び込んできた。

 ――そこで激しい胸の高鳴りとともに確信した。やはり、僕たちは出会う運命にあるのだと。

 あの時、走り去ろうとする彼女を追いかけ、この両腕で抱けなかったことが、今はただ悔やまれる。


「時に玲司坊っちゃん、他の買い物はよろしいので?秀桜高校の制服や靴等は購入済みですが、文具の新調も必要ではありませんか?」

「今日は大丈夫だ。高校か……。僕のお姫様プリンセスは少し幼いようだったが、中学生くらいかな?ねえ藤堂、秀桜の中等部に彼女を編入させることはできないだろうか?」


 せっかく会うことが叶ったのだ。36回目や72回目の人生を歩んだ時のように、離ればなれになっているうちに、どこかの馬の骨が彼女をたぶらかす可能性だってある。そうである以上、少しでも近くに彼女を置いておきたい。


「私の力ではなんとも……。それと、私の憶測ですが、彼女はおそらく先程の誠凛高校へ通われるのではないでしょうか?」

「誠凛?知らないな。それに『先程の高校』とはなんの話だ?ここに来る途中に高校なんかなかっただろう?」

「いえ、高校はございました。玲司坊っちゃんと、お嬢様がお話しされていたところ、あそこが誠凛高校です。」


 高校なんて、あっただろうか。彼女の背景にあったのは、コンクリートがむき出しになっているような灰色の壁をした、古めかしい建物だったはずだ。他は小さなパン屋や住宅しかない通りだったと記憶している。


「廃病院ならあったが、高校なんてなかったよ。」


 出会いの場所としてはいささかロマンにかけるが、僕たち2人の愛の前では関係ないことだ。

 そのように聞かせてやっていると、藤堂から衝撃の言葉が出た。


「玲司坊っちゃん。恐れながら、その坊っちゃんが廃病院として認識されている建物が、誠凛高校でございます。」

「ははは、冗談はよしてくれよ。TVの心霊番組で見る廃病院そのものだったよ!」


 廃病院が出会いの場では不憫だから、気を使っているのだろうか。藤堂は優しい奴だ。


「まあ、あの場所が廃病院か高校かはもはや些末な問題だ。急ぎ知りたいのは彼女の通っている学校だ。調査させればそれだけでなく、彼女の氏名、生年月日、趣味、靴のサイズ、その他諸々エトセトラは自ずと分かるだろう!そうとなっては早く帰って然るべき行動をしなくては!」

「ほっほ。承知致しました。」


 藤堂がアクセルを先程より強く踏み始めたようで、周りの景色が先程よりも早く変わり始めた。

 彼女との距離も、この調子でどんどん縮めていこう。ハンカチを握る力を強くしながら、今生の僕、御園玲司みそのれいじは誓うのだった。

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