第9話 餅つき大会

幼稚園に転入したからって、私の左手首の痣が消えたわけじゃありません。

そういや転入する前に両親にせがんだのです。

この左手首の痣をとらないと何も変わらないよと。

いい子になれというのなら痣をとってから言ってくれと。

両親はそれで病院に私を連れて行き、先生に手術を頼みました。

ところが先生は成長期に痣の除去をすると跡が余計に目立つし、お尻の皮膚をとって使うから、術後の左手首だけじゃなくてお尻も傷が残る。そして化膿もしやすい。

今取るのは進められない。大人になってから取る事を勧めます。

また、今は保険が利かないけど、大人になったころには保険適用で使える手術も多分増えるはず、痣の除去手術は保険適用がほとんど聞かないから出費もかさみます。


そういわれてはどうしようもありません。


私も親だけ違う食事をしてきり詰めた生活しているのは見ていました。


今の私とは違い、当時の私はしまり屋でしたから、無駄なお金を使わせるくらいなら、我慢するしかない。けどまた我慢できなくなったらお願いしようと。


幼稚園に入ってもやっぱり左手首の痣が気持ち悪いから、何らかの弾みで相手が触ってびっくりして泣かせてしまったり、お遊戯の時に手をつなぐ時にもためらわれたりしました。同じマンションの常に一緒にいるような子は見慣れているから平気で手をつないでくれたけど、そんな子はクラスに数人だけ。


まあその場で何とかおさまりがついていたので、特に大きく取り上げられることはなかったですが、何度も何度もそういう経験していたら嫌になってきます。


医者がだめだといってるんならしょうがない。

またこいつのせいか。

またこいつのせいか。

ほんとうに恨めしい左手首の痣め。

でも、そんなに全体で何かするという事も毎日はあるけど、その場だけだし何とかしのぐしかない。


幼稚園も私にとっては安住の地たり得ませんでした。


話しは変わります。

多分、入園してそんなときが立たないうちだと思います。

正月につまり年明けに餅つき大会をやったんです。

親御さんも参加しやすいように多分三が日のどっかでやっていると思います。

この幼稚園はイベントが多い幼稚園でも評判だったんです。

しかもこの幼稚園の面白さなのですが、自分らの宗教団体の宗教行事が勿論多いのですが、それ以外にも町の伝統イベントも多く行われていたのです。


自派の収穫祭もやれば、近くの神社でやる神事に参加したりとかしていました。自派の宗教行事をやりながら、あくまでもその街の幼稚園なので、町の伝統行事にも積極的に参加していました。宗教は普通、自派以外は全て否定するのが当たり前で、日本の宗教のように何でもかんでも取り込むのは珍しいんです。だけどどうも幼稚園を経営していた宗派は宗派自体がそうなのか、それとも園長夫婦個人が邪道なのか知りませんけど園内活動に関しては自派宗教を優先するものの、幼稚園それ自体の活動はあくまでもあなたの街の幼稚園というスタンスをとり続けていたのは興味深いです。


さて、そんな調子なのでキリスト教とは全く関係のない餅つき大会などもやっていたわけです。


園児たちもお餅をついたり、こねたり、自分達が実際に作ったものを食べられるとうう大会でした。


私は、餅つき大会を休みたかったので、正月はおじいちゃんちに行きたいと、高松への帰省を両親にねだりました。

祖父に会いたいんじゃないんです。

祖父からお年玉をまきあげたいんじゃないんです。

餅つき大会で私の左手首の痣のせいでまた露骨に嫌がられる様が先読み出来たので行きたくなかったのです。


けど両親は違いました。

途中入園というイレギュラーを認めて呉れた恩を返したかったんでしょう。

だけど自分の家の経済状態は苦しかったので、祖父に頼んで石臼、杵、もち米を大量に送ってもらい、今回の餅つき大会に多くの寄贈と貢献を積極的にする事で義理を返そうと考えたんだろうと思います。


親の心子知らず、子の心親知らず。


完全に餅つき大会に関しては相反していました。


とうとう餅つき大会の当日がやってきました。

とんでもなく朝早くに幼稚園に行って、意気揚々と餅つき大会の段取りを開始した両親と違って私は猛烈に憂鬱でした。

私が絶対に餅つき大会をサボる事を確信していた両親は朝早くに自分達だけでなく私も連れて出ました。真冬の糞寒い中、手がかじかむのに、ぬるいお湯ではなく冷たい水でガシガシこれまた冷たい石臼を洗わされました。


朝早くからうちだけじゃなく他のご家庭からも親御さんたちが手伝いに参加して呉れています。うちみたいに石臼や杵までもこの日だけ提供する人が他にもいました。


石臼は全部で3つから5つくらいだったと覚えています。


問題はもち米を焚く蒸し器です。

当時は料理のできない母親なんて絶滅危惧種でしたから、家に蒸し器くらいは当たり前に所有していました。だから今だとこんなの調達するのが大変ですが、当時は各家庭に一個はあって当然だったので、かなりの数の蒸し器が運び込まれていました。


まだまだ子供たちが集まるまでには時間がありましたが、今から蒸し始めないと子供たちが来てからだと餅つきが出来ません。


一計を案じた私は石臼を洗わせて下さいといって、率先して一生懸命石臼を洗っていました。うちの石臼が洗い終わったら、他の人が持ち込んだ石臼を丁寧に丁寧に洗っていました。


そう、子供たちが来る前に一生懸命段取りを手伝ったアピールをして大会が開始したら何もしないでボケっと時間を潰してやり過ごそうとたくらんだのでした。石臼洗いだなどという大変な作業を手伝ったのです。本番がスタートしても何もしなくても周りの大人に自分がいっぱいお手伝いしていたところはこれ見よがしに見せているから手伝いなさいとは言われないだろうなと思ったんです。


実際にその事をアッピールするために、わざと大きい声で、両親に向かって

「ねえ、これだけ、お手伝いやれば、本番は何もしなくてもいいよね。」

と何度もそういう声かけと確認を求めていました。

だけど、何でこんな繰り返しのアッピールをしているのか私の本心を両親は理解できていませんでした。

一生懸命手伝いをしているのだから餅つき大会を楽しみにしているのだろう。

だけど本番も餅つき大会では何もしたくない。

なにが言いたいんだろう。お餅をそんなによりどりみどり食べたいのだろうか。

恐らくこんな勘違いをしていたんじゃないかと思います。


当時今と同じだけのプレゼン力があればちゃんとはっきり左手首についている痣のせいで、私が食べ物にかかわるような行為をすれば、みんな嫌がって大泣きするは必定。だから絶対に本番の時間で杵もつきたくないし、お餅もこねたくない。

だけど何もしないでやだやだといってもまたこういう事情があって説明しても納得して呉れないだろうから、積極的に段取りの段階で手伝ったんだとキチンと理路整然とわかりやすく説明すれば両親も納得したでしょう。


理由があり、行動をしていてもそれを伝えるだけの弁舌の器がまだ4歳程度の子供であった私には饒舌ではあったものの全く足りませんでした。


経験者が経験したことのない人に何かを口頭で伝えようとすることは非常に難しい上に、まだたかが3~4歳の幼児です。

幾ら3~4歳児にしては饒舌な方とはいえ、所詮幼児の会話レベルです。

父ですら理解してもらえませんでした。

母は魯鈍なところがあるので、気づいてもらえなくても仕方ないというのは織り込み詰みだったのですが、父には理解してもらえるだろうと思ったらそれも無理でした。


餅つき大会の本番が始まりました。


私はこれはもう逃げ回るしかないと、両親や教員たちの目を盗んで、トイレに隠れたり、お手洗いで意味もなく延々と手を洗ったり、兎に角時間つぶしをしながら場所も転々と移動して声をかけられないようにしていました。本当は、どさくさに紛れて、家に突っ切って帰ろうとしたんです。

だけど親と教師に見つかり連れ戻されてしまいました。

「トイレが混んでるからうんこしに家に帰る」と言い訳したのですが教師は許さず、

「うんこちびりそうだから放してえ」とさらに言い訳を重ねたのですが、日頃からイベントごとが嫌いでサボタージュしていたことが仇になり、またサボろうとしていると思われて、

「トイレ混んでないじゃない。ほらまた嘘ついて、さっさとおトイレ済ませて、みんなと一緒にお餅つきしなさい。」と強引に勧めます。


「やだやだ、だってお父さんとお母さんと一緒に、朝早くからきて石臼を全部洗ったりしてちゃんともうお手伝い済ませたから。もう何もしません。」

「それだけやってくれたんだったら、ほら、なおの事餅つきで杵でついてきなさい。」教師にとってはお手伝いの恩賞代わりという気持ちだったのでしょう。

体動かすことは園児は好きですからね。

ところが私は激しく抵抗するんです。

「それがやだから先にお手伝いしたんです。もうお手伝い終わったんだから、なにもしないし、ほっといてください」

「何を言ってるの、これからが本番でしょ。本番に何もしないなんて意味がないでしょ。」本番の餅つきは園児の大半は喜んで手伝います。女の子もお餅をこねるのはおままごとの延長で楽しいらしく、男の子は杵でもちつき、女の子はお餅をこねるというのは人気があって開始早々は列を作って並ぶほど盛況だったのです。

「意味があるんです。意味があるから、先にお手伝いを一杯したんです。

もう、私は杵つきも何もしないんです。しない方がいいに決まってるんです。」

「なんであなたはそんなに餅つきを嫌がるの」

「先生、私の左手に何が付いてるか忘れたんですか」

「・・・」

先生はようやく気が付きました。

「あのね、先生、僕はね、これのせいで保育園でひどい目に遭わされてきたし、幼稚園でもそこは変わってないんです。だから、私が餅つき大会に参加したらみんな悲鳴上げて嫌がりますよ。私が杵を持った瞬間に、後ろの子たちはもう杵を持ちませんよ。私が餅つきしたら、その餅、誰も食べませんよ。

だから先生も絶対に私が石臼を洗ったことを他の人に伝えないでください」

ここでようやく私ははっきりとここまで丁寧に行ったかは憶えてないですが、痣のせいでみんながいやがるからしたくないし、手伝えば全部捨てられるという話はしていたと思います。


先生はしばらく考え込んで、最悪の決断を下したのです。


私は以来、山根先生と、山根先生にそういう行動をとらせるような社員教育をしていた園長夫婦ひいては幼稚園に恨み骨髄となりました。


山根先生は注目といって、私が朝早くから親やボランティアと一緒に参加して石臼を洗うのを手伝ったりしていたことをみんなに伝え、功労者として私を紹介しました。


私は瞬間、なんて、愚かなと思いました。


山根先生は私が言うような危惧は絶対に起こらないと思ったんでしょう。


ところが、私の危惧は見事的中、餅つきはつくのが楽しいから幼稚園児たちはついていましたが、お餅はその報告があって直ぐ食べていた園児は泣き始めました。

食べようと手を伸ばした園児は食べるのを辞めました。

持ち帰り用のお餅を持っていた園児たちはいらないから捨ててと言い始めました。


当たり前でしょう。


左手首に肌の質も全く色も、形状も違う異質なものがしかも汚い黒でも汚れたような黒色の物体がついた手で石臼を洗っていた?


しかも全部の石臼をあの汚い手で洗っていた?


冗談じゃない!


うわあ、そんなもん食っちまったのかよ。


放送した瞬間に悲鳴も上がりました。


だけど山根先生は続けます。

彼女は彼女なりの信念があって決断を下したんでしょう。

教師として、見た目の差別は許さない。

しかも肌の形状は確かに異質だけど、それが誰かにうつるものでもなければ、そこから毒やばい菌がまかれているわけじゃない。

肌の色による人の差別は絶対にいけない事。

見た目が異質なものをつけているからといって人を差別してはいけない事。

こういう事を今、この場でちゃんと教えないといけない。


そのこと自体は正しい事ですよ。


だけど、なぜ?今なんですか?


別に今日じゃなくてもいいじゃない。


あんたの使命感は立派だよ。


だけどさあ、今日はお祭りだぜ。


みんなお祭りを楽しみに来てんだよ。


なんで正月早々嫌なおもいしなきゃならんのん。


クリスマスでごちそうをたべて、プレゼントをもらい、

おおみそかに年越しそばを食べて

新年には神社へお参りし、毎年楽しみにしているくじを引き、

ある人は初日の出に登山しに行き

そして今日、お雑煮に使うお餅を持って帰る。

そして夕ご飯にはお雑煮お餅を食べる。


年末年始の恒例のお楽しみが、教育熱心過ぎる杓子定規な教師によって完全にぶち壊しにされました。


余程に羽目を外さなければ教師のお小言も聞かずに済んだはずなのに、あいつのせいでお小言聞かされた上に、折角のおもちまで台無しにされた。


折角の正月をこいつのせいで台無しにされた。

絶対に許さねえ。殺してやる。


ウワンウワンなきだすだけならいいですが、泣いた子供が憎しみを込めて私を見ていました。何人かの目は完全に殺意を持ってました。

泣きじゃくりながら涙目になって私をギロっとにらみ続け、私から目線を離さない子もいたのです。


だから、こうなる事がわかっていたから、構うな。ほっといてくれって言ったんだよ。


おまえ、うちの母親と同い年だろ?


やっぱ、結婚出来ねえ売れ残りの石腹女の行かず後家には、器量だけじゃなく人間的にも欠陥だらけなんだろうなあ。


何も当時はそんな事口にはしてませんが、心の中でこれよりさらにひどい意味で罵倒し侮蔑し、山根先生を怨みました。


余計な事をして、俺は敵だらけじゃん。


園児たちが忘れて呉れればいいけど、忘れるわけないわな。

正月あけて幼稚園行ったら、お遊戯の時に手をつなげと言ったらきっとみんな露骨に以前よりも嫌がるんだろうな。女の子に至っては泣きじゃくるだろうな。


冷静に先読みしている私はもう完全にブルーでした。


その後、完全にとどめを刺されました。


混乱して騒々しい中、嫌がる私を無理矢理引っ張って、

「お餅を今すぐこねなさい」

「いやです。今よりもひどい状況になるのはわかるでしょ」

「そうさせません。だから、こねなさい」

「いやだ、ってるじゃん。

なあ、もう、この状態であんたのやり方完全に間違ってんだよ。

馬鹿じゃないの。

折角の祭りぶち壊しにして、まだ足りねえってのかよ」

流石に私もブチ切れて悪態をつきました。

すると私に悪態をつかれて余計に感情的になったんでしょう。

「減らず口をきいてないで、さっさとやれ」

「やったら完全に餅つき大会終了になるぜ。

なあ、誰も嬉しくねえことしたってしゃあねえだろうがよ。

くだんねえことやめにしてくれよ」

「いいからやれ」

「いやだってるじゃん。やらねえよ」

「やれったらやれ」

「どうなっても知りませんよ。」


ああ~、もう、なんで、この人、

こんな糞真面目で剛直なの

しかも逆目ばかり突っ走るのぉ~。


収拾つかなくなっちゃったじゃん。


子供たちはイヤイヤイヤイヤイヤとお餅つきだけして終わったら速攻でご帰宅。

子供は完全に切れて無理矢理親や教師がお餅を持たせるとその場になげすてるし、

親たちは流石に申し訳ないと思って、嫌がる子供の視ていないところで、お餅をもらって帰って呉れたり、それでも子供にバレて、仕方なく、こっそり、正門前の大きなゴミバケツにタッパーウェアー毎捨てていきました。


握れば握る程、ブルーになるけど、山根先生が横にドカっと腰を据えて監視しているからやめられない。捨てられることがわかっているから、祖父のもち米(そればかりではないですが)が勿体ないですから、決められたサイズのお持ちのミニチュアばかり作っていたら、

「ふざけてないで、ちゃんとした大きさのを作りなさい。」


いや、ちゃんとしたサイズ作っても、ミニチュア作ってもすてられるのは一緒だからさっさと餅つき大会終わらせて、ボランティアに配って呉れよ。

勿体ないじゃん。どうせ捨てられるのわかってるのに。


あのさ、言葉で言って善悪が判断できるかどうかの微妙なお年頃の子にさ、

無理矢理押し付けようとしてもそらあ、無理だわさ。


しかも、普段の日だと忙しくて、次のルーチンが待ってるから徹底できないからって何も、こんな楽しいお祭りの日に一挙に決着つけようとするのは性急に過ぎるぜ。


ほらほら、みて見なよ。

これが楽しいお餅つき大会か?

お葬式かお通夜どころじゃねえよ。

地獄の修行みたいになってしまってんじゃん。


誰も全く楽しくない。


みんなつまらなそうどころか、嫌気さしてるじゃん。


まあ、事態の呑み込めていない奴もいるからさ。

そういうのはまあのんきに楽しんでるけど、

それって大多数がそうか?

違うだろ?

大多数はもうこんなお祭りイヤイヤイヤってなってんじゃん。


あんたのせいだよ。

あんたの。


正月くれえ楽しく自由に好きなようにさせてやれよ。


な、

ほら、

みてみいや


こうなるんがわかってるから、

日頃やらねえようなことまでやって

危機を回避しようと、無い知恵絞って努力してたんだよ。


ぜ~んぶ、台無し。


あははははははははは、

ちっとも面白くねえ。


やっぱ幼稚園も一緒だったわ。

なら、いいぜ。

こっちも腹くくった。

憎まれるのなら徹底的に憎まれてやる。


左手首に汚物がついている汚らわしい妖怪でも怪人でも怪獣でもいい。


怪人なら怪人らしくなってやろうじゃねえか。


私はよい子になる道をすっぱり諦めました。

とことん悪童になって余計に嫌われてやる。

嫌がる子には今迄気を使っていたけど、もう辞めた。

嫌がるならば余計に顔に左手首の痣を顔になすりつけ、

嫌がるならば余計に手をつなぐのではなく、あざを掴ませてやろう。

そして今まではうつる心配はないよと言い続けていたが、

もううやめた。

うつるぞうつるぞといって親が真に受けてもやだから、ここはあいまいにして徹底的に嫌がる事を余計にやってやろう。


ぜ~んぶ、俺の忠告を聞かなかった、山根先生が悪い。


どうなっても知らねえよって言った結果がこれさ。


さあ、これから幼稚園にいる間、徹底して悪い子になってやる。

どうせ、いい子にふるまっていても、今日のような顛末さ。

なら、無理していい子やる必要なんてねえだろ?

なあ?

俺間違ってるか?

間違ってないよね?


どうせ、終わったんだ。

もう、ほんと、どうにでもなれ!!!


こうして悪童への道を私は選択してしまったのです。

私が本気でいい子になろうと改心するのは小学校6年生の卒業式を待たねばなりません。


陰険狡猾外道卑劣な悪童がこの日を境に誕生したといっても過言ではないでしょう。


山根先生は後になって悔いていました。

自分の正義感が混乱を招き、失敗に終わった事に。

だけど、やってしまったものは取り返しがつかないし、その場で何らかのフォローが入っていれば私も徹底して歪まなかったと思います。


私はこの日、山根先生への宣戦布告を行うとともに、もう先生のいう事を一切素直に聞くような事はしなくなりました。


彼女の正義感は非常に強く、私が幼稚園を卒園するまで体を張って矯正しようと奮励努力していたことは私も知っています。だけど、私も完全に意固地になっていたし、それは日にち病で薄れていくものではなく、日数が立てばたつほどガンコになっていきました。















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