第8話 新生幼稚園入園

幼稚園に入園する時に母はこれから先、入学、転入するたび口にする念仏をこの時、初めて口にしました。

「今度こそ、ちゃんとするんですよ。いい子にするんですよ。わかった?」

正直、私はひまわり保育園を強制退園させられたことを全く納得していません。


健太郎君とのわだかまりは彼がお母さんと謝りに来てくれたし、お母さんがこちらが可哀想になるくらいに母に平謝りに謝っていましたから、健太郎君へのわだかまりはかなり緩和されていました。

一緒に遊ぼうといえば遊んだでしょうし、ひょっとしたら竹馬の友になっていたかもしれません。


名残惜しい形で未練たらたら保育園を退園したことが、あたらしいところで自分を変えて頑張るという能動的な態度や思考に最初からなりませんでした。


一方の幼稚園側はやる気満々です。


ブラックリストが回されるほど、矯正し甲斐のある子供が入園するのです。


こいつをきちんと矯正すれば、宣伝にもなります。

まあ、この時代の保育園、幼稚園というのは、ベビーブームの影響もあり、今よりもよっぽど競争率も高く、特に幼稚園は保育園と違って公立の幼稚園は国立大学付属などはありましたがそれ以外はありません。

つまり私立の幼稚園が大半なのです。

だから、ある程度裕福な家柄の人しか幼稚園に通わせられないという中流階級としてのステイタスも得られるわけです。

尤も私立もピンキリで私が通っていた私立の幼稚園の母体は宗教法人です。

割とキリスト教系統の宗教法人が母体の幼稚園は多かったように記憶しています。

今は、どうなんでしょうね。

やはり、キリスト教系統なのでしょうか。

まあキリスト教系もピンキリでまともな系統もあれば勝手に名乗ってるのもありますからね。

私の通っていた幼稚園はちゃんとしたところです。

逆にちゃんとし過ぎていて教諭たちも非常に真面目で熱心過ぎたために私と幼稚園の間に深い溝を築くことになります。


私自身はこの幼稚園での経験もあるんですが、宗教というものが大嫌いなんですよ。


宗教が決めた「善」は絶対みたいなところがありますからね。


そしてこの私の転入した幼稚園は、ガッチガチの宗教系の幼稚園でした。

折伏を強制強要して無理矢理園児も含めて、親も改宗させようというほど悪質ではなかったのですが、子供の教育、しつけの方針は修道院に似た厳しい指導が売り物で、我儘で手のかかる子供がここに3年通わせたら親にちゃんと気遣いの出来るいいこになったという評判で大人気でした。

また今回の私の事例と同じく、他の保育園や幼稚園で問題を起こした子を引き取って矯正することも上手だったようで、兎に角人気の幼稚園でした。

宗教的な厳しい指導が売り物なのですが、じゃあ先生は全員その信者なの?

というとそうじゃないんです。


幼稚園の園長兼宗教法人の理事長夫婦だけが信者で、後は普通に短大か大学を卒業した幼稚園教諭の資格を持つ女性教諭ばかりを雇っていました。

にも拘わらず、理事長夫婦の指導方針が幼稚園教諭には徹底されていました。


私にとってはキリスト教というのは未知の体験です。

そして今までは全く宗教色のない生活をしていました。


だから入園しての最初は本当に戸惑いの連続でした。

何をするにしても最初に「天にまします我らが神よ」云々というくだりで椅子に着座させられたり、起立させられたりして神への感謝の言葉を述べてから食事をしたり、作業をさせられました。


今はあれから流石に半世紀近く経ってしまったんでたった14の言葉しか思い出せませんが、当時は全文意味も解らず毎日唱えているうちに覚えてしまいました。


保育園の時には片づけをしないと怒られることはありましたが、それでもなんだか有耶無耶にしているうちにだれか保育士がいつの間にか片づけて呉れていたりすることが往々にしてあったんです。


ところが、この幼稚園では、片づけをキチンとしなければ、次のステップに進ませてくれない為、最悪本当に家に帰らせてくれないんです。


親があまりに遅くなって心配して電話しないで直接幼稚園に迎えに来ても、片づけをしなければ返して呉れません。


例えばそれがお弁当の前のお片付けだったとしましょう。

我を張ってお片付けをしないままにしていたら、するまでお弁当は食べられません。

勝手に食べられないように幼稚園に提げていくカバンを差し押さえられるです。

お腹はすくけど片づけはイヤだとなればカバンを取り返すか、とろそうな園児の弁当を奪うことになります。ところが、お片付けをしない子がいたら、普段は使わない礼拝堂に子供たちを連れて行き、そこで食事をさせるのです。

つまり、片づけをしていない子だけその場に取り残され、その子専用に1人大人も残されるんです。

それが職員なのかボランティアの信者なのかはわかりませんが、幼稚園の先生をサポートする大人がいたのは憶えています。毎日いるわけでもないし、人もころころ変わっていたように思います。だから礼拝にきた信者に御願いして見守り頼んでいたんじゃないかなあと今から思うとそんな感じがします。

そして、お昼ごはんも意固地になって片づけなかったとしましょう。

いつになっても食べさせてくれないんです。

水曜日だと午後1時かそれ以外の平日だと午後3時くらいになって帰宅時間になってもお片付けしていなければお弁当も食べさせてもらえません。ただ、お弁当が腐ってしまったりするといけないので冷蔵庫にしまって保管して呉れるのはいいのですが、当時は電子レンジというものがありませんから、根負けしてお片付けしてお昼ご飯を食べると冷蔵庫でキンキンに冷えて変な感じのお弁当を食わされるのです。

親が迎えに来ても親の側に特別な事情があって急いで子供を連れて帰らないといけないというのであれば引き渡しますが、親の側にそういう事情が無ければ、そのまま本人が片づけ終わるまで親にも待ってもらうのです。


流石にここまで徹底していれば子供の側が屈服妥協して、謝罪してしまいます。


元々が面倒くさい、たまたま気分がいらついていたとかくだらないことを端緒としての我を張っているわけですからね。


無意味なこういう子供らしい我は子育てをしていない、したことがない人間からしたら子供らしくかわいい自己表現だなと笑ってみすごせるのでしょうが、毎日子供と面突き合わせているご両親や幼稚園教諭にしてみたら、子供らしくてかわいいじゃ済まされません。他に色々やるべきことがあるのにこんなくだらない事で足を引っ張られてやるべきことが停滞するのです。うっとおしくてたまったもんじゃありません。


どんなに我慢しても無駄


これをわからせるために冷酷なまでに我慢比べをするんです。


そうして無駄な意地の張り合いになるダダこねという行為をするよりは、さっさと指図や指示通りに動いた方が親にも先生にも評価され、可愛がってもらえるし、ごはんも食べられると学習するわけです。


中には親や教師があきれ返る程に、このくだらないダダを続ける子も当然いましたが、教師が親にも言い含めていますし、親も教師にしつけを全権委任していますから、夜遅く真っ暗になるころにはウワンウワン泣きながら片づけをしていました。

私はこういう事が多かったので、幼稚園教諭のアフターファイブを散々妨害していました。私のせいで彼氏とのデートを棒に振ったことも相当数にあったんじゃないでしょうか。









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