第7話 ひまわり保育園顛末
昭和49年に保育園から幼稚園に編入園し、私は幼稚園に入りました。
自分の中では年中から入園した記憶があったのですが、そうではなく年少の途中から入園していたみたいでした。中途入園というのは珍しいですし、注目されます。
私が殺人未遂を起こした三歳児だという事は幼稚園の教師までは知っていたかもしれませんが、保護者の間には私が殺人計画を立てた恐ろしい三歳児という噂はブラックリストで保育園や幼稚園には伝わっても外部にそれが漏れる事はありませんでした。
これは当時の杜撰な情報管理がまかり通っていた時代では奇跡のようでした。
話しのネタ満載のような恐ろしい子供の話です。
ついつい誰かに話したくなるものでしょう。
でも、現実感がないんです。
きっと漏らした人もいるとは思うんです。
だけど、あまりに現実離れしている。
作り話にしか聞こえない。
結局、聞き流されておしまい。
実際には現実にあった話なんですけど、馬鹿なあと思われてしまった、その常識による自浄作用は私にとっても私の家族にとっても幸運でした。
毎回転校するたびに母に言われていた言葉があります。
「今度こそ、先生のいう事を聞いて、素直に、そしてちゃんとするんですよ」
その一番最初の念仏を母が私に向かって唱えたのが新生幼稚園という事になります。
そしてこの念仏は日本人の平和憲法信仰と同じように念仏を唱えていればコトダマがきっとこの子をちゃんと正常な子供に戻して呉れる。この子を念仏を聞いていれば正常な子供にもどって呉れるはず。
母は本気でそう信じて毎度毎度転校のたびにこの念仏を唱え続けていたのでした。
だけど、念仏は「念物」に過ぎません。
念仏唱えたって、実際に変わらなきゃならない本人が変わる気が無ければ全く効果ないし、本人が変わろうと努力しても環境が悪ければ本人のやる気がなくなりどうとでもなれと前よりもより悪い形に代わってしまうものです。
それに私は負けず嫌いな頑張り屋さんではなく、幼いころから負け癖が付きすぎていた負け過ぎて負けに麻痺した、諦め屋さんになっていました。
特に保育園の強制退園はショックがでかかったですね。
確かに毒殺未遂などという恐ろしい発想を抱く子供です。危険極まりないから何か起きた時のために捨てられるのは仕方ないにしても、喧嘩両成敗で、健太郎君も道連れにしたかったのですが、それが出来ませんでした。私だけが一方的に放逐されたのです。私は健太郎君の玩具として体よくいいように遊ばれた後、彼がまだ私に飽きていないうちに保母に取り上げられた形となって幕を引きました。
親達は事情を知り、特に健太郎君の親は母に平謝りに謝ったそうです。
健太郎君から聞き取りをしたら、彼の中にはそれがいけない事という認識はなく、鬼ごっこやだるまさんが転んだと同じ認識で、虐めていたわけじゃなくゲームをして徴発してからかっていただけだったのです。私の反応がただ単に面白かったようで、彼は私を虐める気はなかったようでした。友達をからかっていた茶化していただけだったのです。だけど健太郎君とコミュニケーションをまともにとってなかった私は、彼がとろくさい、私を虐めてその反応をみて楽しんでいるんだなと受け取り、だから毎日執拗にああやって私をかまい、嫌がらせしているんだと思い込んでいたのです。
大人のコミュニケーションとまではいかないまでもまあ高校生くらいのコミュニケーションがあれば、話してみれば結構いい奴だったのかもしれません。
特に健太郎君の母親が健太郎君を連れて退園させられた私の家に謝罪に来た時には、彼は理由はよくはわかってなかったみたいだけど、自分が原因で私が退園させられたことだけは理解していて、
「僕のせいで、なんだか、ごめんなさい。もっと君とは一緒に遊びたかったのに。」
確かに健太郎君は私にだけ執拗に構いに来てましたが、いたずらの材料につかう女の子達や他の男の子達とはあまり話していませんでした。
私は健太郎君のからかいが苦痛だったので彼から逃げようと積極的に他の子にからもうとしていましたが、私の左手首の痣と、保母が私を何度も注意していたので、私は悪い子という認識を他の園児たちが意識してしまい、友人は作れませんでした。
私は自分が保育園という集団生活のデビュー戦でその当時の当時者の記憶に残る大惨敗を喫して退場する羽目になりました。
母が保育園に私を預けようと決断したのは私が、非常に大人請けのいい子だったからです。
母が内職が忙しく手が離せなくて近所の同世代の子供がいる奥さんのところに私を預けても、私はその家で置物のようにじっとおとなしくしているし、排泄の失敗や、預かり先の子と喧嘩をするような事がありません。おやつやおもちゃとの取り合いをしても瞬間そうなっても、すぐに身を引くのです。多分、兄と毎日そういう事を繰り返して勝てないことを学習していたから、争いになると、投げて争いを諦めてしまう習慣が身についていたのでしょう。だから預かている側も全く手がかかりません。
しかも、これは本当に自分が勝手に覚えたことでいつからそうなったのかは記憶も辿れないのですが、発語できるようになって他人の家に預かってもらっているときは、友達同士は勿論ため口なのですが、大人に対しては常に丁寧語で謙譲語、尊敬語などを使っていたそうです。
二~三歳児が「御厄介になります。」「御不浄を拝借したいのですが」「昼ごはんをご馳走していただき誠にありがとうございます。」こんな口調で話しているんですから、どこぞのいいところのおぼっちゃんみたいと思われていたのかもしれません。
どこに預かってもらってもほぼ問題を起こさない。それどころか手がかからないからうちの子と交換したいなどという事ばかり聞いていれば、集団生活も大丈夫だろう。二~三人のところでうまくやっていけるなら数十人くらい集まってるところでもきっとこの子はうまく立ち回るんじゃないか。
母がそう思い、楽観視していたこともある意味仕方ないかもしれません。
因みに、母は今になって保育園に預けたことは失敗だったと後悔しています。
預けた当時の保育園の質に問題があったのです。
キチンと学校で保育士の資格を取り、保母をしていた女性がいたのかという点です。
保育園の名を冠するのですから、保育士がゼロ人という事はないでしょう。
ただ、保育士の資格を持った人だけで保育園をやっていたかというとこれは違います。はっきり言いきれます。
母の知り合いが保育士の資格なしにバイトで雇用されていたからです。
資格なしの保育士は少なくともまだほかにもいました。
ただ、子供を親から引き取ったり、親へ返す時の報告は必ず保育士の資格があるものが行っていたようです。
だから母の知り合いのバイト保育士が母に何かを告げる事は出来なかったのです。
私が健太郎君を嫌がっているというのはバイト保育士も気づいていたみたいです。
だけど、殺してしまえとまで思い詰めている程に私が嫌悪していたとまでは勘づきませんでした。
今は園児何人に対して何人の保育士が必要と最低限の条件が設定されていますが、当時そんなのがあったのかどうか知りません。
だから経営者だけが保育士で現場は全員バイトで固めていたという事だってあり得るし、実際に、私を預けていた保育園はほぼ全員無資格者のバイトで固めていたのです。
子守なんて子供にやらせるものという時代に両親は生まれていますし、当時バイトしていた保母は両親とそれほど歳が変わらない世代です。両親よりかは若い人の方が多かったですが、恐らく年長の子供が年少の子守をするのは当たり前という認識はあっただろうと思います。
何が言いたいかというと保母や幼稚園教諭の職というのが誰にでもできるカスな仕事という認識を当時の大人は持っていたという事です。
実際幼稚園の先生なんてのは当時はまだ一生の仕事という認識ではなく、結婚したら退職するという認識でした。幼稚園の先生は結婚前のわかいせんせいばかりでした。
また今は若い保育士の人が結構いますが、私が保育園に通っていた頃は若い保育士さんは珍しく、子育てを一段落した人が再就職して保母になっている例が多かったのです。そう主婦が片手間にやるバイトの一つとして保母が認識されていました。
しかも自分が子育ての経験をしていてその経験をある程度生かすことができますからね。躾けとかそういった面もそうですが、おむつ交換や、預かっている間の保育園での家事仕事なんかはまさに主婦の経験がそのまま使えます。若い保育士などもたまにいましたが、そういう人は結婚すると寿退社するのが常でした。
どちらの仕事も一生の仕事ではなく、特に若い女性の結婚までの腰掛的な仕事という認識が当時は強かったのです。これは憶えておいてください。
今は幼稚園教諭も保育士の仕事も社会的に評価されているし、それに対して適正ではない賃金しか払われていないと勤めている本人だけじゃなく、周りの人間も評価してくれています。だから介護士同様に政府自身も賃上げに努力をしているふりをしています。
ちなみに親がそういう認識だから子どももそういう認識かというとこれはそうでもないわけで、特に私など意識的に逆らっていましたから、わからずやのクソガキ相手に神経すり減らすだけじゃなく、ちょっとの事であいつらどんくさいから怪我するし、それがシャレにならない大けがにも発展することがあるから一瞬たりとも気の抜けない大変な商売だなあと保母や幼稚園教諭には敵意は持っていても敬意を払っていました。
だから大学を卒業して社会人になった時に、空いている時間を使って、通信教育の大学に通い、保育士の資格を取ろうかなと本気で入学したこともありました。給料は悪いけど、不景気の時代にも引く手あまたの仕事だし、男性保育士は少ないから採用してもらいやすいという話も聞いていましたからね。しかも多くの無認可保育所だと仕事の掛け持ちも暗黙の了解がありました。
結果は急に仕事が多忙になり全く勉強する時間が無くなり、30万だったか50万だったか忘れましたがドブに捨てました。
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