第6話 毒殺未遂

保育園に入園し、保育園での生活は私にとっては苦痛で耐えがたいものになっていてそのストレスの捌け口を友達の弟妹などより無抵抗な乳児に向けて吐き出すなど精神的にはかなり追い詰められていました。一方で露骨にそういう悪意ある行動をとって制裁を食らい、その事自体がダメな事というのを肉体言語で体に教え込まれたために結局は他への捌け口がないなら本人にまとめて清算してもらうより他ないだろうという結論に多分到達したんだろうと思います。


健太郎君の悪意はエスカレートしていくばかりで、私の昼ごはんのお弁当を全部食べつくしてしまったり(捨てるという発想はなかったようです。よほど母の弁当は美味かったんでしょうか?)女の子を巻き込んでの嫌がらせも頻繁になりました。

おかげで私は女の子大好きの変態保育園児のレッテルを貼られていましたが、実際は逆で、女の子が近くにいると濡れ衣を着せられるのが嫌で逃げ回っていました。


一方で新聞にハマり、新聞を読んでいると他の事が完全に抜けてしまうため、新聞を読んで没頭している隙を突かれて、女の子を私の隣に座らせて、私の左腕を掴んで女の子の顔に擦り付けるような行為をし、それを止めに入ったように見せかけて私が保育士に叱られるように仕向けるなど、日増しに悪意はより高度なものへと発展していきました。


私はそれで誰にも妨害されないようにとトイレや浴室(正確にはシャワールーム)に新聞と辞典を持ちこんで読書するようになりました。これだと内側から鍵をかけられるからです。


ところが他の子もトイレを使うし、トイレがままならない子が多いからシャワー室で閉じこもられると保育士にとっては厄介この上ないんです。


そのためトイレもシャワー室もカギを取り外されてしまいました。


つまり、私にとって安息の場所は保育園にはなくなったわけです。


追い詰められた私は、健太郎君が存在する事自体が私の存在を否定するように感じていたので、3歳児にして恐ろしい発想を抱いたのです。


殺すしかない。


幸い、私のおべんとうを食い逃げするいたずらに関しては保育士も把握していました。健太郎君がいたずらしたかどうかはわかりませんが、誰かがお腹が減ってそれで私の弁当箱を狙い撃ちにして食っている事は知っていたのです。


だれが犯人かわからないので、保育園の給食を代用して私に与えていました。

保育園では私の弁当箱が狙い打ちされていることが虐めやからかいという認識ではなく、子供の手の届きやすいところに私のロッカーの位置がある事が原因なんだろうという感じで深くとらえていませんでした。それに弁当を食われても保育園が出す給食で代用すればいいだけです。保育園側の管理責任を追及されると面倒なので、給食費を母から取るようなことは保育園側はしませんでしたが、母は毎回給食を出してもらっているので申し訳ないと思い、給食費を支払おうとしていました。


私は毎日毎日日課のように数回は必ずちょっかいをかけてくる健太郎君へのストレスでもう爆発寸前でした。保育園に行きたくない。健太郎君が同じ名前に近いことを利用して僕に濡れ衣を着せて女の子にいたずらする。そして保育士が健太郎君の言い分を聞いていつも何もしていない私が叱られ、私は女の子からも目の敵にされている。

全部母にも保育園での実情は報告していました。


しかし、大人の前では非常に礼儀正しく、家に遊びに来た時でも靴をちゃんと揃えて玄関に入り、帰りしなは靴ベラを使って靴を履くなど、マナーも完璧な健太郎君がそんなことするわけないと母までもが完全に保育士同様に騙されていました。


なんで健太郎君は私にあんなに執着し、私ばかりを構っていたのか今もってなぞなのですが、一つだけ最近になって気づいたことがあるんです。

彼に兄弟はいません。あの当時は一人っ子でした。

その後兄弟が増えたかどうかはわかりません。

健太郎君との付き合いは保育園の短期間で終わったからです。


私は小さいころから兄の後ばかりくっついていた超ド級のブラコンでしたから、保育園でも兄の自慢ばかりしていました。自分は暗愚で無能というのをしっていたので、自分の話はほとんどしないで兄の自慢ばかりしていたんです。

それが気に食わなかったのではないでしょうか。

そして実際に健太郎君がうちに遊びに来て、その時兄がいた時には兄は健太郎君を丁重にもてなしていました。

トランプやオセロ、後なんだっけな、まあ色々と室内ゲームなどをしても、兄はお客さんである健太郎君を楽しませるために、わざとらしいぼろ負けをしないでギリギリの丁度いい加減のところで負けてやったりして花を持たせてやっていました。


私とゲームをしているときには兄弟ですからこんな手を抜きません。

徹底的にぼろ勝ちして、意気消沈している私をみてニヤニヤしていました。

兄のおかげで、敵わねえと負け癖がついて、すぐに諦めてしまう性分になったことも否定はしませんが、兄のおかげで家に居てもさみしい思いはしませんでした。病弱で頻繁に入退院を繰り返していた時に、入院時に見舞いに来ることもたまにありましたが、退院後の静養中の時には普段私が元気な時にはロクデナシな事しかしないのに、本当に私の具合が悪い時には母に代わって良く面倒見てくれていました。

私が産まれたばかりの頃はそれまで独占していた母を奪われて私への憎しみしかなかったのに年月を経るに従い兄弟の年長者としての自覚や責任、弟の面倒を見ることのやりがいみたいなものを感じてくれていたのかもしれません。


健太郎君はひょっとしたら、優しくて頼りがいのある完璧超人の兄がいる事が羨ましくて仕方なかったのかもしれません。それで私への腹いせに私に執着して私だけに徹底して嫌がらせをし続けたのかもしれません。

私の家に遊びに来ても3人で遊ぶときは長居しても、私だけの時には直ぐに面白くないから帰っていました。


その事を最近思いだしたんです。


面倒見のいい兄を独占できる羨ましさ妬みそういうものから私に執着して徹底的に嫌がらせしていたんじゃないかと。保育園を辞めた後、私は完全に健太郎君とは縁が切れたのですが、兄と健太郎君は私が東京から大阪へ転校するまで交流していたみたいなのです。

私は3丁目公団の児童公園を遊び場にしていたのですが、兄は6丁目公団の児童公園がいつも遊び場でした。

6丁目公団の方が遊具が充実していたし、広かったんですよ。

また健太郎君の家からは3丁目公団の児童公園より6丁目公団の児童公園の方が近かったんですね。

また兄のクラスメイトも3丁目公団より6丁目公団の方が数が多かったというのも原因の一つかもしれません。

それで兄をストーカーしていたかどうかまでは解らないのですが、兄の友人たちと混じって健太郎君も遊んでいたようです。兄は健太郎君はだれか友人の弟なんだろうと勝手に思い込んでいたみたいです。


今じゃ絶対に考えられないと思いますが、昔は児童公園が本当に足りなかったんです。砂場で順番待ちとかそんなことが毎日当たり前に行われていて、子供たちが自発的に時計を見て時間交代したりしていたんです。


人気のアトラクション遊具になると取り合いなどが発生し、子供連れのお父さんお母さんがその取り合いの仲裁に入るなんてことはよくありました。


今じゃあり得ないでしょうね。そもそも児童公園があってそこに遊具が置いてあっても遊具で遊ぶ子供が少ないんです。じゃあ、児童公園来て何やってるのといえば、球技や鬼ごっこに興じているのならマシなのですが、児童公園のベンチでゲームをしているのには流石にぶったまげました。私が今住んでるマンションの近所の児童公園で実際にそんな姿を何度も目撃して、こんな活用の仕方もあるのかと驚いてしまいました。まあ、児童公園で脱泡ドラッグの受け渡しをしたりするのに比べたらマシです。


さて、本題に戻りましょうか。

表題にある通り、私は三歳児にしてクラスメイトを毒殺しようとしたのです。

健太郎君が毎日私の弁当を勝手に平らげる事に頭に来ていた私は、どうせ自分の腹に入らないのならば、私の弁当を卑しして、そのままあの世にまで旅立ってもらいたいなとある時ふっと思いつきました。

私の弁当を平らげる奴がいる事は保育士も知っていますが、健太郎君とは断定していません。彼が保育士に隠れて勝手に私の弁当を私の許可なく馳走になっているわけです。保育士にバレたら当然怒られます。だからそこはうまく隠れてやっているんです。それが証拠に食べ終わったら、「明日はおにぎりがいいな」とかそういう事を平気で言ってくるわけです。だけど、その一言をとって証拠としても食べている現場を押さえているわけじゃありませんから、「そんな事いってませんよ」と否定されたらそれまでです。

母には保育士から連絡はいってたでしょうが、一応毎日弁当は作って持たせていました。母もあまりに毎日の事だから「毎日持たせてやってもだれか知らない子がたべちゃうんじゃねえ。いっその事、給食費出して給食にしてもらおうかしら」といって相談したことがあったそうですが、給食は特別な事情がある人だけに配給しているので、原則弁当は持参して下さいといわれていたそうです。ひとり親世帯や、母親が入院中の場合、家庭に問題があって給食がないと食事が食べられそうもない家庭を覗いて給食は提供されていませんでした。

つまりごく普通の一般家庭は弁当持参なのです。

特別扱いされる子供が不憫で片親でも弁当持参の子が多く居ました。

子供も見てないようで見てますからね。

給食の子の家は普通じゃないとわかるんですよ。

もしかしたら、そういう風に見せつけるためにも健太郎君は弁当を二人前食っていたのかもしれません。


とにかく、普通の家庭で普通に弁当を準備してるのに毎度給食を食わされて、まずいもん食わされるだけじゃなく、特別扱いの目でみられるし、たまったもんじゃありません。しかも、特別扱いされるような身なりをしていましたからね。どこみてるんだか、わからないロンドンパリの外斜視。左手首に人の肌とは異質な形状の何かをくっつけた気持ちの悪い生物。


女の子は健太郎君の嫌がらせで私の痣を複数人の子が直に触っています。


人間の肌の質感とは違うそれを触った感触は忘れられないと思います。

多分今でも当時触ってしまった子は記憶に残ってるんじゃないでしょうか。


私はベランダで植木に農薬を振りかけている母の姿をある日偶然、目にしました。

母に何をかけているのと聞いたら農薬をかけていて、これはちょっとでも口の中に入ったら死ぬから、絶対にお前は触っちゃいけませんといって注意されました。


これだ!


私の中で瞬間。これしかないと思い定めました。

翌日の弁当にぶっかけようと思いましたが、辞めました。

どうせなら確実に食いついてもらう方がいい。

そう、私の弁当が健太郎君の好物で染まっていた方が確実に殺せると考えたのです。

何も思いついたその日に実行する必要はありません。

確実に一発で仕留めないといけませんからじっくり待ちました。

そんなある日、運よく、健太郎君の好物がたっぷり入った弁当を母が偶然作りました。私は両親に見つからないようにこっそり弁当を持ってベランダに行き、たっぷりとベランダで弁当に農薬の原液をまんべんなく降り注ぎました。


農薬の色は真っ白なので、バレやしないかなと心配になりましたが、かけてしばらく見ていると弁当に吸い込まれて色は消えてなくなりました。仮に液が吸い込まれなくてもクリームか牛乳が上からかけてあるように見えるだけです。


よし、後は持って行くだけ。


私は緊張し、興奮していたから、肝心な事を忘れていたのです。

この農薬、物凄い悪臭がするんです。

ガスや石油みたいなあの鼻を突きさす異臭です。

毒が利く虫には警告にも糞にもならんのですが、毒を扱う人間側が誤って誤飲しないためにこんな強烈な臭いをつけているそうです。


玄関で靴を履いて出ようとするとき、後ろから母近づいてきて

忘れ物ない。大丈夫と

声をいつものように賭けようとしたときです。

母はこの異臭に気が付きました。

「あんた、何、これ、変なにおい」


そしてカバンの中から弁当を取り出すとひときわ異臭を放っていました。

「うわ、なにこれ、腐ってるの?何?」


しかし、母はこの農薬のにおいを知っています。

「あんた、何したん。」

私はバレたことで返事も出来ません。黙ってました。


「あんた、折角人がつくってやったお弁当に何してん?」

私は黙っています。


「あんた、お弁当に何でこんなことすんの」

もう完全にバレています。

黙るしかありません。


「自分が食べられへんからって、あんたこんな事したらしんでまうやないの」

もう完全にアウトです。何を投入したかも母は言い当てています。

母の顔は見ていません。

悪あがきにその場から遁走しようと思いましたが、それより先に母が玄関のカギをかけてチェーンを下ろしました。

もうどうしようもありません。

ガックリとその場に座り込み、全部白状しました。


「健太郎君を毒殺するために農薬をかけた。

今日はバレたけど、明日もそうする。

おかあさんが農薬をどこかに隠したとしても探し出して弁当にかけ続けるでしょう。

農薬を捨てたら、農薬の代わりになる毒物は家に沢山あるから致死しなくても腹を下すくらいまでなら出来るでしょ。ママレモンでもハイターでもなんでもいい。

覚悟を決めて毒殺してやろうと思ったけど阻止されたからには洗いざらい白状しました。それと同時にこれから先ももうバレてしまったんだから、健太郎君を殺すことは辞めませんという事も宣言しておきます。」

多分、こんな感じに近いことを言ったんだろうと思います。


母は愕然として急遽その日の保育園を休ませ、保育園に相談。

保育園の方では私がそこまで思い詰めているとは思ってもいないし、そんな危険な子供を預かれないといって、今後について相談、つまりは退園後の事について相談するところまで話は飛躍しました。


母も内職の仕事を増やしていましたから今から受け入れできませんと言われても困ります。ただ自分の子供が殺人犯になる危険性がある状態でこのまま保育園に通わせられません。健太郎君が退園すれば済む話ですが、この話だと健太郎君は未遂の被害者になるわけで、辞めさせられる道理がありません。


保育園側は私がそこまで追い詰められていたという実情を初めて知って驚愕しつつも、こんな怖い園児を預かりたくはありません。

保育園の方が家よりもっと危ない毒物がその辺に転がっています。

本気になって私が探し出せば簡単に見つけ出すし、私は容赦なくそれを弁当にかけて健太郎君に食べさせようとするでしょう。

最悪本人が嫌がろうが無理矢理口の中に放り込むようなことまで私がするかもしれません。私はそこまでやるつもりでいましたから。

それこそ保育園で私を放し飼いに出来ません。

首輪をつけて、ハーネスをつけて短いリードで繋いでおかないといつ劇毒物を探し出して弁当に振りかけて健太郎君を殺そうとするかわかりません。


私が健太郎君を殺そうとしたことが間違いで誤りでしたと全く認めないし、既成事実として早く容認したいという感情を露骨に出していました。完全に思い定めているしこの考えを変える事が出来ません。

母が蓄膿症や花粉症でなくて本当に助かりました。

もし母が蓄膿症や花粉症で鼻がにおわない人なら私は完全に3歳児にして殺人犯になり、きっと私自身は達成感に満足していたでしょうが、両親は昭和49年のあの日ですべてがとまり、ずっと贖罪の日を過ごしていたでしょうね。

そしておそらくは父は大丈夫でしょうが母は自殺していたかもしれません。


本当にすんでのところで運がついていたのです。


保育園はもう完全に面倒見きれませんと、保育園への月謝を日割り計算して毒殺未遂の報告があった日からの分の入金を銀行口座へ返金してきました。


一方で自分の園とは縁が切れてもこんな危険な子供を誰かに預からしてはダメと近在の保育園や幼稚園にもブラックリストをまわしました。


そうはいっても母は仕事を増やしてるから家に置いていたら仕事の邪魔になります。

今回も別に無差別で殺そうとしたわけじゃなく、一人の子と相性が悪かっただけ、だから他の保育園や幼稚園なら大丈夫かなと、まずは保育園へ連絡。


ブラックリストが回っていて断られました。


そんな時、兄が通っていた幼稚園の方から電話で連絡がありました。

お困りならばうちで預からせてもらいます。

途中で退園した子などもいて空きがあるのでどうぞと。


当然兄が通っていた幼稚園にも保育園から連絡はいってました。

こんな危険な子供がいて、親は預かってもらいたいらしいが受け入れしない方がいいと。だけど兄は非常に出来が良く、卒園式の時に総代で幼稚園や保護者に向けて感謝の祝辞を述べたりしている程の子供でした。

こんなに兄が出来がいいのに弟が尋常ならざるものというのはよほどの事情がない限りありえない。先天性の障害者でもないし、環境が変われば人も変わるはずだと、何と受け入れたいから是非にということでした。


母にとっては完全に渡りに船です。

兄を通わせておいてよかった。

先に兄を産んでいてよかったと絶対に思ったはずです。


ある時、母と話したことがあるんです。

私とお兄ちゃんが逆だったらどうなってたと。


母は「心労でお兄ちゃんが産まれる前に死んでたか自殺してたろうな。

またあんたが先でお兄ちゃんが後で産まれてきても、あんたのせいでお兄ちゃんが可哀想な目に遭うから、あんた殺して心中しとったかもしれん」


きっとこれ母の嘘偽らざる本心です。


それくらいに恐ろしい子供だったのです。

そして三歳にしてその悪童ぶりが開花してしまいました。


母がこの時止めなければ確実に事件は発生し、死ぬまでに至ったかは別ですが、障害が残っていた危険性はあります。父の実家の近所で私がこの事件を起こすずっと前ですが農薬を誤飲した子供が障碍者にという事例がありました。


殺してやりたいと思ってもそれを三歳児が実行まで移すでしょうか。

子供は気移りが激しいから瞬間、そう思っても、その次にはもう別の事を考えていて忘れているものです。

ところが私はわざと思いついた近日に実行しないで、毒を盛る相手の好物を揃うまで待ってから行動に移しているのです。

異常でした。

3歳児が計画殺人を行うという異常さ、狂気さがです。


だから保育園側も急いで自分の園への出入り禁止の措置をとるだけじゃなく、こんな恐ろしい子供がいるとブラックリストをまわしたのです。


普通の子供じゃありません。


三歳児が能動的に計画的な行動をとるという事自体がまず異常です。


幾らそこまで私が追い詰められていたとしても尋常じゃありません。


如何にも子供ですから後先考えないで行動している点もあります。

毒を食らわせて殺す事に成功したとしてもその後自分がどうなるかという事がわかっていません。

私個人は目的を達成できて万々歳ですが、私がしでかしたことへの波及です。

まず、三歳児が計画殺人を行った。

これだけでも格好の取材の的になります。

今もひどいですが今よりもっと当時はプライバシーなんてない時代です。

多分、私の家には取材陣が殺到し、私の家族はその応対に苦しめられ、また子供がしでかした重大かつ悪質な犯罪に懺悔した事でしょう。

両親はまだ仕方ありませんが、兄への取材も容赦なかっただろうと思います。

そしておそらく私の両親の里や両親の兄弟まで容赦なく取材陣が押し寄せいていたでしょう。

健太郎君の両親からは損害賠償請求を起こされるし、取材で住処も暴露されるから住んでいられなくなるでしょう。せっかく買った安住の地を手放し、最悪職も転職しなくてはいけなくなっていたかもしれません。

私がやらかした事件で私の家庭が道連れに崩壊するのはまだしも、それ以外のただの血族というだけで甚大な迷惑を親戚がどん被りする危険もあったわけです。

最近の事件もそうですけど、加害者じゃなくて被害者の叔父だの親戚だのという人まで取材しています。被害者ですら三親等内を引っ掻き回されるんです。


とにかく、まあ、未遂で済んで本当によかったです。


しかも引受先がブラックリストをまわされたために絶望的な状況になったところで、わざわざ渦中の栗を拾ってやろうという奇特な幼稚園が手を上げて呉れました。


結果的にはこの未遂事件のおかげで、丸く全てが収まりついたというのは本当に偶然の奇跡としか言いようがありません。


幼稚園側は兄があまりにも出来のいい子だったので、私の異状は環境によるもので本人それ自体は環境が改善すればまともになると信じていたのかもしれません。


この甘い見通しは幼稚園自体も苦しめ、また私自身も益々壊れていくことに繋がるのです。

















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