第4話 転☆校☆生 その2


◇ 一時間目 : 国語


 授業が始まって約十分後。筆箱の中をごそごそと探っていた大成ことナルは言った。

「あっ、やっばい消しゴム忘れた! ゆいちゃん、貸してくんない?」

 だから下の名前で呼ぶな。

 そう思いつつも、「ああ、うん、いいよ」と言うと、私はスペアの消しゴムを筆箱の中から出した。人生いつ何が起こるか分からない。消しゴムは二つ持っておくに限る。

 消しゴムを受け取ると、ナルはニコッと笑った。

「ありがと☆ ……あっ、代わりに俺のシャーペン貸してあげるよ」

 ――いや、いらないし。

 心の中でつぶやいたが、なんとなく流れでシャーペンを受け取ってしまう。緑色のラメがキラキラとうるさく光っている、高級そうなシャーペンだ。いかにも、こいつっぽい。

「一限の授業の間、使っていいよ〜」

 なんとなくむかついたので、国語の授業の間じゅう、緑のシャーペンを酷使して芯をちびらせてやった。

 授業が終わり、ちょっと悪いことしたかな、なんて思いつつシャーペンを返すと、消しゴムはなんと渡したときの半分の大きさになって返ってきた。

 いったい何をどうしたらこうなるんだ。

 がく然と消しゴムを眺める私に対して、ナルはさわやかに笑った。

「消しゴム、ありがとね☆」

 シャーペン壊してやろうかと思った。



 ◇ 三時間目 : 英語


「Without your solid support, the deal would have fallen through. I'm grateful to you.」

 体を横に向け、私と向かい合わせになったナルがすらすらと英文を読み上げる。

 私は、あんぐりと口を開けて静止していた。

 何も言わない私に、ナルは怪訝そうにちらりと教科書から目を挙げた。

「どうしたの? 次、ゆいちゃんの番だよ」

「あんた、英語上手いのね……」

 ナルの英語は、帰国子女かと思うほどにとても流暢りゅうちょうだった。

 ナルはニコリと笑った。

「ああ、言ってなかったっけ。俺、昔アメリカに住んでたことあるんだよ。親の仕事の都合でさ。あと、じいちゃんはフランス人」

 本当に帰国子女だった。しかもクウォーター。

「へぇー…」

 見た目が良くて、性格は良くなさそうだけど頭も良くて、おまけに帰国子女で英語もできるとは。つくづくむかつくやつだな。

 そんなことを思っていることはチラリとも表に出さず、私は淡々と英文を訳した。

「あなたの、固い支援なしでは、……deal? 何それ。えっと、ディールはfallen……through……意味わかんない」

 え、ちょっとこの英文難しくないか。

 慌てて辞書を引こうとする私より早く、ナルが親切にも口を挟んできた。

「『deal』は『取引』で、『fallen through』は『上手くいかない』って意味。はい、つまり? Try again!」

 いい発音で先をうながすナル。

 私は答えた。

「あなたの固い支援なしでは、取引は上手くいなかった」

 よろしい、とナルが先生のようにひとつうなずく。

「で、最後の訳は?」

「……あなたに感謝します」

 ぼそぼそと私は言った。

 ナルは、バチコーンと星が飛びそうなウインクをした。

「どういたしまして☆」

 やっぱ嫌だコイツ!

 私は一人心の中で叫んだ。



「あっははは、ふっ、なにそれ、ウケるー」

 放課後の廊下。

 一緒に部活に向かう道すがら、私の隣でまーやんは大爆笑していた。笑い過ぎてお腹が痛いのか、さっきからひいひいと脇腹をさすっている。

 私はむっと眉を寄せた。

「笑いごとじゃないよ。あいつ、事あるごとに星飛ばしてきていらっとするんだもん。昼休みなんか、『じゃ、お昼にしよっか☆』って私の机に弁当置いてくるし。なんで一緒に食べること前提! そこらへんの男子と適当に食ってろ!」

 叩きつけるようにののしる私に、まーやんは笑いながら言った。

「まあ、結局一緒に食べたけどねー」

 私はしぶしぶナルとまーやんの三人で食べることを承諾した。だが、被害はそれだけにとどまらなかった。

 クラスの女子が、一緒にご飯を食べてもいいかと聞いてきたのだ。さらに、イケメン転校生のうわさを聞きつけ、他クラスの女子までやってきた。女子の情報収集能力は恐ろしい。

 おかげで、昼食はとんだ大所帯になった。教室の半分を陣取り、ずらりとコの字型に並ぶ机の群れ。「会議でも始める気かよ」とひとこと突っ込んでから教室から逃げて行った男子の言葉は、非常に的確だったと私は思う。

 私はげっそりした顔をした。

「過去最大に疲れた昼休みだった。もう二度とあいつとかかわりたくない」

「結衣、ああいうタイプ嫌いだもんねー。ナルシストっての? 特にチャラチャラしたやつ」

 何の気なしに言うまーやんに、私は額に手を押し当てて天を仰いだ。

「分かってるなら誘わないでよー」

 遠回しにナルとの昼食を回避しようとしていたところを、「いいじゃんいいじゃん」と推し進めたのはまーやんだ。この子は絶対、おもしろがっているだけだ。

 はぁ……とため息をついて視線を落とすと、渡り廊下の下に二人の男女が見えた。

 おそらく学校から帰るところだろう。女子の方は知らない子だが、男子の方は知っている。柊二だ。とすると、隣にいるのは彼女……だろうか。

「あー、うわさには聞いてたけど、あの二人本当に付き合ってるんだね」

 思わず足を止めた私の視線に気づき、まーやんが言った。

 小柄な少女と、両手をポケットに突っ込んだ柊二の背丈は、大人と子どもほどに違う。会話をしている二人の表情は、まるでいつもそうしているかのようにごく自然なものだった。

 ズキン、と胸の奥が痛む。

「隣の子、誰だっけ? 顔は見たことがある気がするんだけど」

 私はわざと明るい口調で尋ねた。

「ああ、吹部の平野さんだよ。ほら、去年二組だった。ちょっと大人しめだけど、誰にでも優しくていい子だって友達が言ってた」

「へぇ、そうなんだ」

 柊二はおだやかに笑っている。昔、あの笑顔の隣に並んで帰っていたのは私だった。だけど、もうそこに私の居場所はない。あれは、過去の思い出に過ぎないのだ。

 私はきゅっと唇の端をかんだ。

 ――これ以上、見たくない。

「行こっか」

 私はかろやかに踵を返した。

 痛み続ける胸の奥は、ふたをして視界に入れないことにした。

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