第6話 夏祭り
◇ ◇ ◇ ◇
(ちょっと早かったかな……)
河川沿いの土手を歩きながら携帯の時計から目を上げると、橋の入り口にはね返った薄茶色の髪が見えた。
日暮れどきの川面を背景に、橋にもたれかかるナルの浴衣姿はモデルのように様になっている。私はなんて目立つやつなんだ、とあきれると同時に、こんな目立つやつの隣を歩くのか、と後悔に
「や、小倉さ――って、浴衣じゃないの?」
開口一番、ナルが口にしたのは私の服装に対する不満だった。
淡い黄色のチュニックに白のスキニーという三秒で選んだ服で来た私は、ナルの前に着くとつん、と答えた。
「別にあんた相手に見栄はる必要ないでしょ。――それより、早いのね。まだ来てないかと思った」
「デートで女の子を待たせないのが、俺のモットーなんで☆」
「それは悪くない心がけね。デートじゃないけど」
周囲は浴衣を着た多くの人で賑わっている。この『瀬戸川花火大会』は、市内で最も大きな花火大会だ。知り合いと出くわす可能性は低いが、もしクラスの女子でも見かけたら速攻で他人のふりをしようと思っていた。勘違いされたらあとが面倒だ。
「じゃ、どこからまわろっか。小倉さんは、甘いものはあとで食べる方?」
屋台の入り口にさしかかり、ナルが言った。
私はまさか、と否定した。
「いつも、私は一番最初にかき氷を食べるわ。それから適当に店をほっつき歩きつつ、晩ご飯になるものを先に買い占めるの。花火の時間が近づくと、食べ物のお店はどこも行列になるから。晩ご飯を買ったら、あとは花火が始まるまで遊び放題よ。金魚すくいをしたり、ヨーヨー釣りをしたり、そのあと買ったものを食べながら花火を見るっていうのが――」
私は続きの言葉を飲み込んだ。
違う。これは、柊二との毎年の祭りの過ごし方だ。今、私の隣にいるのは柊二じゃない。
「それじゃあ、手始めにかき氷から行こっか。俺、レモン味が好きなんだよね~」
口ごもる私に対し、ナルはニコッと笑うとかき氷屋を探して歩き始めた。
すぐに、屋台の列に二店舗のかき氷屋が見つかった。ナルが練乳をかけかけたいと言うので、私たちは練乳かけ放題の店を選ぶことにした。
「練乳なんてかけておいしいの? 変に甘くなるだけじゃない」
私は自分のかき氷を片手に、ぐるぐると練乳をかけるナルを見て言った。
ナルは黄色い氷の山に視線を落としたまま反論した。
「変ってなんだよ。これがいいんじゃん。あっ、小倉さんもかけてみる?」
ほら、とナルは自分が手にしていた練乳を私のかき氷の上にかけた。
赤い氷の上に乳白色の線が走り、私は「ぎゃっ」と声を上げた。
「なに勝手にかけてんのよ! 私はいらないってば!」
「ちょっとだけじゃん。まあいいから、食べてみなよ」
ナルは涼しい顔をして言った。
しかし、かかったものはしょうがない。私は顔をしかめつつも、練乳がかかっている部分をひとさじすくって食べた。口の中で、いちご味の氷がまろやかな甘みと共にさっとと溶ける。
――――。
「どう?」
ナルが興味津々に聞いた。
「……まあ、おいしい、かも」
しぶしぶ答えた私に、「だろっ?」とナルは白い歯を見せて笑った。ナルも自分のかき氷を口に運び、幸せそうに言った。
「やっぱ、かき氷は練乳がけレモンに限るわぁー」
柊二は、いつもメロン味のかき氷を練乳なしで食べていた。小さい頃は、かき氷で私は赤くなった舌を、柊二は緑になった舌を出して、おばけごっこをして遊んだりしたっけ。それがいつの間にか追いかけっこに発展して、迷子になってお母さんたちに怒られるのだ。
それから、よく金魚すくいで競争もした。競争中にケンカになることもしばしばあった。器を水面に近づけ過ぎだとか、すくうときに指が当たってたとか。年々腕が上がって持って帰る金魚の数が増えるものだから、家の水槽はあっという間に金魚でいっぱいになった。それからは、すくった金魚は店の水槽に返却するようになった。確か、去年の結果は13匹対11匹。私の二連勝勝ちだった。
射的で勝負をしたこともあった。結果は柊二の勝ちだったけれど、私はどうしても欲しい景品があって、勝負が終わっても一人
――さん。
「小倉さん、聞いてる?」
「え?」
私はきょとん、と顔を上げた。
日はすっかり暮れて、濃紺の空の下、立ち並ぶ屋台の明かりが
その明かりに照らされたナルの白い顔が、じっとこちらを見ていた。手には、少し前に買った焼きそばやたこ焼きが入った袋が下がっている。そのうちの一つは私の分で、一緒に持ってくれていた。
「あ、ごめん。何だっけ」
「花火。そろそろ始まるからさ、場所探して座ったほうがいいんじゃないかと思うんだけど」
ナルが腕時計を指して言った。時計の針は八時前を指していた。
もうそんな時間か、と私は驚いた。
「ああうん、そうだね。私、いい場所知ってるから案内してあげるよ」
「あのさ、」
前を歩こうとした私の手首を、ナルがくいっ、とつかんで引き止めた。
私は不思議そうな顔をしてナルを見上げた。
「どうしたの?」
ナルはどこか焦ったような、苦しいような表情で口元をゆがめている。真剣さの中にすがるような必死さを含んだ瞳は、まっすぐに私を見ていた。
「別に、そんなにあいつにこだわらなくてもいいんじゃないか。あいつにはもう彼女がいるし、それにこれ以上、そのせいでつらい表情をするあんたを見たくない。この前はあきらめるなって言ったけど、別に俺にしたって――」
そのとき、隣の店から大きなベルの音が鳴り響いた。
大当たりーっ、と店主のおじさんが高らかに声を上げる。子どもたちとその母親が、嬉しそうに喜び合った。通りすがりの客も、思わず祝福の拍手を送っている。
私もつられて店の方を見た。
「すごいね、一等賞だって。私、今だにあそこのくじ引きで三等以上当てたことないんだよね。――ごめん、最後なんて言ったっけ?」
ナルは黙った。それから、思い直したように笑って言った。
「いや、たいしたことじゃないよ」
「ありがとう。心配してくれたんだよね? でも、大丈夫。きっとそのうち、この状況にも慣れてくると思うの。怪我だって、最初は痛いけど、だんだん治って痛くなくなるでしょ?」
「ああ。そうだといいな」
ナルの笑顔は、どこかいつもと違っていた。だが、具体的にどこが違うのかと言われると、私にはよく分からなかった。
私は再び歩き始めたが、数歩もいかないうちにぴたりと足を止めた。ブレーキが間に合わなかったナルの身体が、私の肩に軽くぶつかる。
「どうし――」
ナルは途中で口をつぐんだ。
二人の視線の先には、柊二と浴衣姿の女の子が立っていた。向こうも、こちらに気づいて足を止めている。柊二たちと私たちの間は、店一軒分も離れていなかった。
「えっ、大成……⁉︎ おま、なんで一緒にいんだよ」
柊二が妙に慌てた様子で言った。
ナルはやや冷たい声で返した。
「津田っちには関係ないっしょ。そっちだって彼女さん連れてるし」
私は二人の会話をほとんど聞いてなかった。柊二たちから視線を落としていくと、二人の繋がった手が目に入った。
私は何も言えなくなった。
「大丈夫?」
青ざめて立ち尽くす私を心配して、ナルが腰をかがめて顔をのぞき込んだ。
そのとき、後ろから誰かが強くぶつかってきた。あっ、と声を上げて、私の体が勢いよく前に弾き出される。
「ゆっちゃん⁉」
柊二は繋いでいた手を振り払い、倒れかけた私の方へ手を伸ばした。
しかし、すんでのところで私を抱きとめたのはナルだった。ナルは私を真っ直ぐに支え直した。
「怪我は?」
「ううん、大丈夫。それよりバッグが……」
私はうろたえて言った。
ぶつかってくる前まで持っていたはずのバッグが、なくなっていた。前方を見ると、人混みの奥に走り去っていく男の手に、チラリと銀色の留め金が光った。
「……チッ」
柊二は舌打ちすると、踵を返して男を追って走り出した。
「柊!」
私は柊二の背中に向かって叫んだ。柊二の姿は、男を追ってあっという間に人混みの中に消えていった。
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