第2話 幸せな日々

 友紀に出会ったのは、学生時代の頃だった。

 その頃、私は家庭に重大な問題を抱えていてとても憂鬱な日々を送っていた。

 つまり、私が産まれる前に離婚しシングルマザーとして日々を送る母から虐げられる日常を。

 ちなみに、父の顔を私は知らない。

 母親はことあるごとに私に辛く当たった。

 恐らく精神的な病を患っていたのだろう。

 どうして、どうして。

 それが、あの人の口癖だった。

 どうして、私だけがこんな目に、と。

 それでも、それが終わるとあの人はがらりと態度を変えて私に優しくしてくれた。

 ごめんね、痛かったね、ごめんね、と言って私を優しく撫でた。

 そんな母が死んだ。

 自殺だった。

 日本で取り得る最も手軽で確実な方法――つまり、首吊自殺。

 遺書と多額の保険金、それと私を残して、あの人は逝ってしまった。

 遺書にはこう綴られていた。

 由紀。今までごめんなさい。私は本当にダメな親だった。私がいたらきっとあなたをダメにしてしまう。だから、私は逝くことにします。本当にごめんなさい。どうか、あなたは幸せになって。

 涙が止まらなかった。

 どうして、どうして。

 私が悪かったんだよね? 私がいい子じゃないから、お母さんはああして私を打ったりしたんでしょう? ごめんなさい。本当にごめんなさい。何でも言うこと聞くから。いい子にするから。

 

 だから、私を一人にしないで。


 当然、そんな私の願いなど『現実』は受け入れてはくれなかった。

 親戚もいない私は葬儀屋の人に言われるままにお通夜から葬儀までこなし、本当に一人になった。

 いまでも、私は父親の顔を知らない。

 きっと私は死ぬまで父親の顔を知ることはないのだろう。

 それでいい。

 捨てたも同然に私たちの前から姿を消した男のことなど、どうだっていい。

 これから先、私は誰とも交わることなく生きていくのだ、と本気で思っていた。

 そんな時だった。


 友紀に出逢ったのは。


 きっかけは、なんてことない。

 あの娘が話し掛けて来たのだ。

「キミはいつもぼんやりしてるね。クローン・パーソンみたい」

 それは、良く晴れた昼下がり。

 昼休みだというのに、誰ともつるむことなく教室の自分の席でコンビニのパンを齧っているところだった。

 鴉濡れ場の綺麗な髪を腰まで伸ばし纏めるでもなくそのままにしている目鼻立ちの整った綺麗な娘が私の机の前に立っていた。

 私はいきなり話しかけられたことにビックリして碌に反応を返せなかった。

「ほら、話掛けてもぼんやりしてるところなんか、ますますクローン・パーソンにそっくり」

 この不思議な人物に興味を引かれつつあった。

 それに、何より――

「ねえ、クローン・パーソンってなに?」

 この聞きなれないテクニカル・タームに興味を抱いた。

「なんだ、知らないのか。それじゃあ、このぼくが教えてあげよう」

 ビックリした。

 アニメや漫画では一人称に『ぼく』を用いる女性は良く見かけるけれど、実際にそれを実行するエキセントリックなパーソナリティを持つ人物は流石にいままで出会ったことがなかった。

 俄然、興味を惹かれた。

「それはね、とっても倫理的ハードルの低いお隣の国――つまり、中華人民共和国なんだけど――で研究・開発されたんだ。最初は猿のクローン体から始まって人体パーツの作成までは成功したみたいなんだけど、最終段階の試験管ベイビーまでは行きつかなかったみたい。

 酷い独裁体制が続いたせいで一気に民主化運動が高まっちゃって、後はキミも知ってるでしょ? あの国の末路」

 そのせいで体制は完全崩壊。

 一時は人民解放軍と白軍(自由の象徴としての白)の内戦状態にまで発展した。

 紅白歌合戦ならぬ紅白国盗り合戦だ。

 これに、アメリカは白軍を支援すると公式発表し、中国とロシアは完全なる内政干渉だと痛烈に批判を浴びせるが流石はアメリカ様、何処吹く風だった。

 これに、中国はロシアに支援を求めるが突っぱねられて孤立をやむなくされる、という最悪の展開に。

 まあ、これまで好き勝手に他国を侵略してきた罰が当たったのだろうけれど。

 結果、本当の意味で完全崩壊。

 新たなる国家が地球上に誕生した(国名こそ変えなかったけれど)。

 確か、アメリカを真似てあの広大な国土を分化して自治権を認めて完全民主制の自由経済主義にシフトしたみたいだった。

 それを、アメリカやEU諸国、そして、日本は人民が勝ち取った新たなる門出に祝福を! と喝采を浴びせた、んだっけ?

 私がそう言うと、彼女は、

「そうそう、大体そんな感じ」

 と朗らかに笑って返した。

「でね、結局、そのクローン・パーソン技術がどうなったか、っていう話なんだけど、ロシアの諜報機関――KGBだっけ――が戦中でごたごたしている中国から主要な部分だけ盗み出して引き続き研究してたんだ。で、晴れてこの世にクローン・パーソン第一号が誕生したんだけど、彼らは人が人であるために――というか、生物が生物であるためにもっとも重要な機能が存在してなった。つまり、自らの意志で考え行動するために必要な意識がなかったんだ。

 だから、連中はあるもので代用することにした。

 さて、そのあるものとは何だと思う?」

 私は見当もつかなかったので、首を横に振った。

 というか、どうしてこの娘はこんなにもその事情に詳しいのだろう?

 彼女はにっこり笑いながら続ける。

「つまりね、AIだよ。人工知能。それを、クローン・パーソンの脳みそに仕込んだんだ。脳血液関門の突破を可能にしたナノマシン群を使ってね。だけど、結局それが人間らしい感情を持つ段階に至る前に研究は頓挫して、件のクローン・パーソンは目下行方不明ってわけ。で、そのクローン・パーソンとキミがそっくりだって言ったんだよ、ぼくは」

 それだけ話すのにどんだけ紆余曲折するのだろう。

 要領がわるいな、と私は内心呆れていた。

「だけど、ぼくはそういう娘が好きなんだよね。だから、付き合おうよ。弓里由紀ゆみさとゆきさん」

 それが、彼女との馴れ初めだった。

 始めこそ相手にしてなかったけれど、寂しがり屋の私が彼女に依存するようになるまで、そう時間はかからなかった。

 

 だから、そう、これは、依存なのだ。


 私は彼女を恋人として愛していたし、きっと、あの娘もそうなんだと思うけれど、私にとっての根本的な感情は依存だと今なら思う。


 友紀とは色んな話ををした。


 主に宗教とか倫理とかそんな話を。


 例えば、クジラの話。


「ねえ、どうして、クジラって食べちゃだめなのかな? 昔は日本ではクジラを狩って食べていたのに今じゃそんなことをしたら野蛮人扱いだ。結構おいしかったらしいんだけどね。どうしてクジラは食べちゃダメなんだろ?」

 朗らかに笑みを浮かべながら友紀は私にそんな話題を振ってきた。

 この娘は自分が分かっていることでもこうして訊いてくることがあるから厄介だ。

 私は一般的テンプレートをそのまま口にする。

「クジラには人間に匹敵するほどの知性があると言われてるんだって。そんな生物を殺すのは殺人と大差ないってことなのかも」

 私の説明を聞いた彼女は浮かべた笑みをさらに深めこう返す。

「でも、他の動物だって――例えば、ぼくたちが普段食べている豚や牛や鶏だって感情を持っている。感情は知性とはあんまり関係ないんだ。みんなそれぞれ感情があって当然死への恐怖だってある。知性の差はあれど死への恐怖はみんな平等に降り注ぐのにどうしてそんな知性なんて言うファクターに拘るのかな?」

 今度は言葉に詰まってしまった。

 少し考えてみよう。

 基本的な大前提としてはクジラは食べてもいいのだ。

 何故なら、この世は弱肉強食の絶対的なルールのもとに運営されているから大原則としては何をしてもいいのだ。

 だけど、人間の作ったルールの下ではそれは許されない。

 知性を持った者同士が尊重しあい共に生きていくためには余りにもこのケダモノのルールは都合が悪すぎた。

 だから、人々はその上に新しいルールを作った。

 人が人として健全に生きてくために必要なルールを。

 ああ、そうか。

 だからクジラは食べてはいけないのだ。

 それをしてしまったら、私たちが構築したルールを破壊することになってしまう。

 極めてシンプルなケダモノのルールに回帰する羽目になる。

 だから、人は人を殺してはならないし、同じような知性を持つ――といわれている――クジラを殺してはいけないのだ。

 私はそう答えると彼女はうん、とうなずくと、

「そっかぁ、だから、クジラは食べちゃいけないんだね。――ふふ、そう考えるといつかAIも人としての権利を認められて社会に溶け込む日もそう遠くないかもね」


 そして、月日は流れ私たちは学校を卒業し一緒に生活するようになった。

 

 母の残した保険金の一部でマンションの一室を買いそこを私たちの住処にした。

 彼女との生活は楽しかった。

 あの娘がいるだけであんなに無味乾燥とした私の人生が彩に満ちていった。

 まるで、色取り取りの花が咲き乱れる花畑のように。

 体を重ねることだって何度かあった。

 終わった後あの娘はいつも『アイ・ラヴ・ユー』と歌っていた。

『今だけは悲しい歌、聞きたくないよ』。

 それ、誰の歌? と私が訊くと、

「知らない? 尾崎豊っていうすごい人の曲なんだ。

 26歳で死んじゃったけど、それでも、こうやって今でも人々の心に生き続けてる。

 すごいよね。

 本当にいいものは永遠を手に入れられるんだ」

 本当に幸せだった。


 だけど、なんにだって終わりはやってくる。

 私はそれを思い知ることになった。


 その日、あの娘は慌ただしく出かける準備をしていた。

 目的のバスに乗り遅れる、と。

 彼女はゲームのライターをしていて、こうやって慌ただしく出かけていくことが多々あった。

 といっても別に取材に行くのではなく、原稿を書く時には高速バスにに乗らないとスイッチが入らないんだ、と言っていた。

 この日もそうやって彼女は出かけて行った。

「それじゃあね。由紀」

 私は眠気眼ねむけまなこで目を擦り、行ってらっしゃい、と送り出した。


 それが、あの娘との最後だった。


 その悲報を知ったのは次の日のテレビの報道だった。

 山岳地を走っていた友紀の乗ったバスがガードレールを突き破り谷底へ転落し炎上。

 救助活動も虚しく、全員の死亡が確認された。

 

 頭が真っ白になった。

 もう訳が分からなくて茫然としたままの私に警察から電話がかかってきた。

 三原友紀みはらゆきさんと同居されていた弓里由紀さんでお間違えないでしょうか? と。

 ええ、そうです、と無気力に返す私に向こうはああ、よかった、と安堵の声で返した。

『いやね、彼女、あなた以外に身寄りがいなかったみたいだったから』

 初耳だった。

 健全な家庭で育ったちょっと変わった女の子だと思っていたのに。

 私は自分で思っているほどあの娘のことを知らなかったのだという事実に気づかされる。

『ここだけの話なんですがね。彼女の戸籍を調べてみたんですが、どうだったと思います?』

 警官がそうもったいぶった口調で私に聞いてくるが、そんなことどうでもよかった。

 あまりの劇的な環境の変化に私は体調を崩してしまっていた。

 もう、ベットで横になっていたい。

「別にどうでもいいです。私、忙しいのでこの辺で――」

『なかったんですよ。彼女の戸籍なんてどこにも』

「――え?」

 いま、なんて言った?

 戸籍がない?

「そんなはずないでしょう! 私は彼女と同じ学校に通っていたんです! 戸籍のない人間が学校に通えるわけがないでしょう!」

 気が付けば私は名前も知らない警察官にヒステリックに怒鳴り散らしていた。

 少しの沈黙の後、警官が口を開いた。

『まあ、こんなことを民間人に話すのはどうかと思ったんですがね。これには国の機関が関わってるようで私らも蚊帳の外なんですわ。司法解剖しようにも遺体は国の連中が持って行っちまうし、彼女と親しい関係だったあんただったら何らかの手掛かりを持ってるとおもったんですが、ね』

 どうも、当てが外れちまったようだ、と言って一方的に通話が切断された。


 ねえ、友紀。あなたは一体何者だったの?


 その問いに答えてくれる人はもういない。


 

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る