I LOVE YOU
ごんべえ
第1話 愛しき君へ
「それじゃあね。由紀」
彼女が朗らかな笑みを浮かべ去ろうとする。
私は彼女を呼び止めようとするが、やはり、彼女にはその声は届かない。
そして、消えてしまう、彼女。
私は絶望に泣き崩れる。
嫌な目覚めだった。
彼女――友紀を亡くしたあの日から毎朝私はこの悪夢にうなされ続けている。
友紀の私物が溢れた部屋に私だけが取り残されている。
この部屋に私の私物は殆どなく、机や椅子、果ては食器に至るまでのすべてが友紀の物だった。
溜息を一つ吐くと私は身支度をし出かける準備をする。
髪を梳かし、歯を磨き、薄く化粧をする。
お気に入りのスーツを着て、ハンドバックを片手に部屋を後にする。
朝食を取らないのが私のいつものスタイルだ。
「それじゃあね、友紀」
そう私はいつものように声を掛ける。
誰もいない部屋に私の声だけが虚しく溶けていった。
★ ★ ★
閑静なマンションが立ち並ぶ第一種中高層住居専用地域に位置するとあるマンションのとある一室。
ここが私の職場だ。
私だけの私の王国。
インテリアは殆どなくこの部屋のスペースは三つの巨大なカプセルと巨大な冷蔵庫によって占拠されている。
部屋の中心に hello のホログラム文字が浮かび上がっている。
私がそれにタッチすると今日のスケジュールが表示される。
流し読みで確認すると冷蔵庫から厳重に保管された商品を幾つか取り出し保冷用のケースに詰めていく。
そして、カプセルに視線を移す。
うん、いい出来映え。
これなら、依頼主も満足だろう。
カプセルのなか培養液のプールに沈み眠る女の子を残し、私は営業へ出かける。
マンションの駐車場に停めてある車に乗り込むといつものように勝手に動き出し私を目的の場所まで連れて行ってくれる。
昔は、自分で車の運転をしなければならなかったというのだから信じられない(そういう、回顧主義の人たちのために手動運転モードに切り替えられるらしいけれど、こちらは別の免許が必要)。
こういう、AIによる自動運転は昔は事故率がそこそこあったらしいけれど、AIISが整備された今日、そんな間抜けなことはそうそう起こらない。
AIIS。
つまりは、artificial intelligence internet systemの略だが、要はインターネットによってAIを繋げることにより、単独では為し得なかった判断が――指向性の広がりにより――できるようになったということらしい。
そんなことを考えているうちに目的の場所まで到着した。
私はケースを右手にとある病院の受付まで歩く。
どうも、と言って私はいつものように受付のお姉さんに商品を差し出す。
すると、朗らかな笑みを浮かべ、お疲れ様です、と商品を受け取ってくれる。
これで、終わり。
これが、私の本業。
今日の科学技術は目覚しい発展を遂げ、その勢いは留まることを知らない。
IPS細胞を専用の機器により培養し特定のパーツ――臓器に骨に皮膚、手足など――を作り出しそれを販売する。
ご希望ならば、脳を作る事だってできる。
まあ、脳の機能は複雑過ぎて再現できないため、裏ビジネスでつくることはあっても、販売まではしないけれど。
会計はAIISを通じた――日本銀行が発行する――仮想通貨で支払われ、私が小さい頃には存在していたらしい振込みやら領収書がどうとかそういう雑事から開放され、非常にストレスフリーだ。
私は次の場所へ向かうために車に乗り込む。
AIISよって私たちの生活はかなりの高水準を約束された。
そりゃあ、AIによって奪われた仕事だって多いが――例えば、事務職のホワイトカラーは軒並み全滅らしい――それに余りある恩恵をこのシステムは与えてくれた。
それが、AIISを用いた職業斡旋システムだ。
ひとり、ひとりをAIが審査し、それにあった仕事を割り振ってくれる。
私が今の仕事に就いているのだって、AIによる
いま、この世の中はAIISなしでは機能不全に陥ってしまうほどにこのシステムに頼り切ってしまっている。
だが、忘れてはならない。
所詮、道具は道具でしかないのだ、という事実を。
今日の営業は一通り終わったので、あとは今回の依頼主を拾って帰るだけだ。
といっても、依頼主が待つ場所までAIが勝手に運転してくれるので、別に気にする必要はないのだけれど。
やがて、一件のファミリーレストランの駐車場に入りバックできれいに駐車スペースに停めてくれる。
どうやら、ここに依頼主がいるらしい。
早速、停車モードに切り替えると私はきょろきょろと視線を彷徨わせる。
いた。
スーツに身を包んだ二十代前半ぐらいの容姿をした若々しい女性。
長い髪を後ろで束ねていて、その表情は憂いを湛えながらもどこか期待に胸を膨らませているようにも見える。
どうやら、彼女も私に気がついたらしい。
手を振ってこちらに駆け足でやってくると車の後部座席に乗り込んだ。
彼女が今回の依頼主だった。
これで、実際は三十代後半だというのだから大変な美人だ。
「すみませんね。お待たせしちゃって」
言い訳がましく私は彼女にそう声を掛ける。
「いいえ、私もいま来たところだったから。それより、お腹すいてません? もし良かったらご馳走しますけど」
私はその提案を丁重にお断りして、
「早速ですが、行きましょうか。到着したらAIISをオフにしてくださいね」
彼女は、こくん、と頷いて答える。
私は停車モードをオフにすると再び車は動き出した。
★ ★ ★
私の事務所が存在するマンションに到着した。
早速、私達は端末を操作してAIISをオフにする。
操作は簡単。
小型のデバイスを取り出し、拡張現実対応のコンタクトレンズを通して見えるホログラムを操作するだけ。
なぜ、こんなことをするのか、と問われれば、こう答えるより他はない。
いまから行われる取引はとても悪いことだから。
倫理的にも怖気が奔るようなことを私達はこれからしようとしている。
そんなときに、全世界と繋がっているAIの眼があるととても困るのだ。
だから、邪な祭儀を執り行うまえに、こうした儀式を踏まなければならない。
その儀式が終わるといよいよ準備が整った。
彼女を私の王国に迎え入れ、感動の再会を果たす準備が。
彼女を私の事務所まで案内する。
エレベーターに乗り目的の階数のボタンを押す。
軽い浮遊感が私たちを襲う。
そうして、到着した階の廊下を進んだ先にある五番目の扉が私の事務所だ(ちなみに、隣の四番目の扉が私の住処)。
終始、彼女は期待と不安の入り混じった表情を浮かべていた。
私に依頼する人間の殆どがそうだけれど。
私には叶うことのない、再会。
とても、羨ましく思う。
そして、私の王国に辿り着く。
「気持ちの整理はついていますか?」
私は今更ながらの問いを彼女に投げかける。
こくん、と頷いて答える彼女。
顔紋認証でロックが解除された扉の奥へ彼女を招き入れた。
玄関から続く廊下の突き当たりに目的の場所がある。
つまり、三つのカプセルが鎮座する部屋だ。
その中央のカプセルで眠る女の子を見たとたんに彼女は泣き崩れた。
ショートカットが良く似合う享年十二歳の女の子。
それを尻目に私はカプセルを拡張現実のコマンドで操作し、培養液を抜くとカプセルのロックを解除し扉をあける。
「特定行動型AI起動」
私がそう女の子に言い放つと緩慢な動作で起き上がった。
現代に再現されたフランケンシュタイン。
それが、この娘だ。
この娘の脳に仕込んだ――AIISに繋がっていない――AIによって偽りの魂を吹き込まれている。
タオルで培養液塗れの女の子の体を拭くと一通りの動作を確認するために指令を出す。
「これが、あなたの服よ。着てごらんなさい」
下着上下にワンピースを手渡し、女の子にそう告げる。
すると、やはり緩慢な動作で服を着始める。
パンティを履き、スポーツブラを付け、ワンピースを頭から被るように着る。
うん、問題はなさそうだ。
その様子をみた依頼主の彼女はとうとう我慢できなくなったようだ。
楓。
それが、十二歳でこの世を去った女の子の名前らしい。
縋るように愛娘を抱く彼女に私はこれからとても残酷なことを告げなければならない。
それが、途方も無く憂鬱だった。
「その娘は、確かに楓ちゃんの細胞をもとに作られたクローン・パーソンです。ですが、それと同時に彼女はこれから先、楓ちゃんになることは絶対にありません。
――それでも、貴女はその娘を連れて帰りますか?」
「わかっているわよ! そんなことは!」
私の問い掛けに彼女はヒステリックに叫び、
「もう、楓はどうやったって帰ってこないっていうのは、痛いほどわかってる。
けど、私は縋りたいのよ。例え、それが自分のエゴでしかないんだってわかっていても、それでも、この体の温もりは本物だもの」
悲しみと絶望を湛えた瞳から涙を流し、そう消えそうな声音で呟いた。
そう、そうなのだ。
例え、それが、偽りの魂を吹き込まれた偽者だと分かっていても、それでも、縋らずにはいられない。
肉体という分かりやすいシンボルには、抗えないのだ。
それが、大切な人間だったなら、尚更そうだろう。
これ、報酬ね、と彼女は分厚い紙袋を私に差し出す。
それを受け取ると彼女は愛娘のクローン・パーソンを連れて静かに私の事務所から出て行った。
★ ★ ★
その日の夜に私は依頼人の彼女から貰った報酬をハンドバックにつめて、行きつけの居酒屋に向かった。
といっても、閑静な住宅地にひっそりと佇む民家にしかみえないところなので、常連じゃなければまず辿り着くことはできないけれど。
いつもの席に座ると成人したばかりというまだ幼さが残る女の子の店員さんが突き出しを持って来てくれた。
私はついでとばかりにハイボールを注文する。
普通の店ならばAIISに繋がっているため、ホログラムを呼び出し注文すればいいのだが、この店はレトロな雰囲気を大事にしているようで、未だにこうして店員さんが受注をしているのだそうだ。
つまり、ここに入るときにはAIISをオフにしておくことが暗黙の了解、ということになっている。
なので、一見さんお断りなのだ
数分も経たないうちにハイボールがやってきたので、突き出しをつまみに呑もうとしていると、私の正面の席に誰かが腰掛けた。
まあ、誰なのかはわかっているのだけれど。
いつも、ヨレヨレのスーツを着た六十手前のおっさん。
「よう、商売は儲かってるか?」
私は構わずに半分ほどハイボールを飲んでから、
「そういうのはいいからアレをちょうだい」
言いつつハンドバックから例の物を取り出す。
男は紙袋からそれを抜き取ると慣れた手つきで数え始めた。
そして、満足そうに頷くと、
「諭吉が三百人。いや~気前がいいね」
そう言って私にカプセル型の錠剤が複数入ったビニール袋を差し出す。
私はそれをハンドバックに仕舞う。
私の小さな頃は溢れかえっていた福沢諭吉に樋口一葉に野口英世(そうそう、新戸部稲造に紫式部、夏目漱石を忘れるところだった)。
それらの紙幣はいまやブロックチェーンの技術を採用した日本政府が発行する仮想通貨に取って代わられて滅多に見ることはなくなった。
けれど、こうした帳簿につけられない取引には好んで使用されるわけだ。
さらに救えないことに、いま目の前にいるこのおっさんは現職刑事。
いくらでもマネー・ロンダリングのやりようはあるだろう。
刑事さんは近くにいた若い女の子の店員さんを呼んでビールを注文する。
そして、私を一瞥すると、
「しかしなぁ、こうしてお前さんにああいうのを売りつけてる俺がいうのもなんだがな、別のいい人を見つけようとは思わんのか? はっきり言ってな、お前さんみたいな若い娘っ子がああいうのに手を出して廃人みたいになっていくのを見るのは忍びない」
私は余計なお世話よ、と吐き捨てハイボールを飲み干す。
「もうそろそろ奥さんのメンテナンス時期じゃないかしら。早めにつれてきたほうがいいわよ」
それだけ言って私は席を離れ、女の子に一万円を渡すとその場を後にした。
★ ★ ★
そして、私は今日も友紀のいない部屋に帰る。
早速、シャワーを浴びて下着だけ着ると刑事さんから譲って貰ったナノマシン・ドラッグの錠剤を飲み下す。
ナノマシン・ドラッグ。
従来のドラッグとは違い身体的な後遺症が出ないように開発された代物であるにも係らず驚くなかれ、その効能は従来のモノをうわまわってなお、お釣りが程。
私がいつも愛好しているのは、ドリーマーという種類のもので、強力な幻覚作用をもたらすというもの。
さらに睡眠誘発作用があり、これを飲んで眠ると自分の深くイメージした記憶を鮮明に夢の中で見せてくるのだ。
ただし、それだけならば、このドラッグが販売禁止まで追い込まれた理由に繋がらない。
これを飲んだ人間が夢の世界から帰って来られなくなる事例が多数報告されたのだ。
なので、販売禁止に加え所持している場合には厳罰が科せられる事態に発展してしまった。
だけど、私は構わずそれを服用する。
あの忌まわしい事件から跡形もなく私の前からいなくなってしまった彼女。
彼女のクローン・パーソンを作れない私が取れるたった一つの慰め。
友紀に逢えるのならどんな危険も厭わない。
さあ、彼女に会いに行こう。
あの、幸せだった日々にもう一度帰るんだ。
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