その5
アニメ好き、ラノベ好き、バンド未遂、といった、やや虚弱なフリークスが集う文芸部は、まさしくユートピアだった。
それはわたしたちが1コずつ進級し、3年3人、2年3人、新1年生男1人・女1人、計8名となってからも変わらなかった。
輪読会でサイバーホラー・ファンタジーを選んで盛り上がったり、夏休みにフリーク寄りの虚構異世界小説にあるようなプチ合宿までやった。
ただし、本当の合宿は私たちの性格上も金銭的にもハードルが高いので、夜ぎりぎりまでユズル部長のご自宅で輪読会の題材で議論し、ホラー映画を観たりゲームをやったりし、一旦みんなそれぞれの家に帰って寝て、翌早朝ファミレスに再集合して一緒にモーニングを食べる、という感じで。
そんな中、1年半以上極めてリアルな生身の”好意”をわたしはユズル部長に発し続けてきた。
リアル、ってことは、体育後のユズル部長の汗の匂いを、”キモい”、なんて言ってるようでは話にならないってことだ。それこそ性格、体格、食べ物の好き嫌い、まあ性癖まではさすがに分からないけれども、とにかく一緒に過ごしてわたしが得た結論は、
「ユズル部長は名前通りの人だ」
ってことだ。
やや解説を加えると、自分のことを
象徴的だったのは1年のしょっぱなの出来事だった。
わたしが電車通学を始めて満員電車の洗礼を受けている頃。座席に座るのは無駄なあがきと諦めて、できるだけいい位置の吊り革を手にすることに命を懸けていた。
「よっし!」
その朝は体にほぼ負担のかからないポジションの吊り革をつかみ取った。
ふとドア付近を見ると、ユズル部長がスーツを着た年配の男性に席を譲る所だった。そういえばユズル部長は始発駅から乗るから座れる、って言ってたな。
年配男性は何度も礼を言いながら席に着く。当然ユズル部長は入れ替わりに空いた吊り革につかまる。でもそれで終わらない。
彼は、ひょいっ、と振り返って背中合わせの若い女性に何やら話し掛けている。女性の表情は、いえ、そんな、という感じだ。本当に自然な動きでユズル部長は半歩下がり、代わりにその女性を吊り革につかまらせてあげた。
すみません、すみません、と言っているのが女性の唇の動きで分かる。
スペースができた彼女を見ると、お腹が膨らんでいる。
妊婦さんだ。
おそらくユズル部長の行動を見ていたのだろう。さっきは微動だにせず座ってスマホをいじってた若いサラリーマンが、ぱっ、と立ち上がり彼女に席を譲った。
「おお」
わたしは心底感嘆した。
「
満員電車という荒波に漂う小舟のオールとも言える命綱たる”吊り革”すら他人のために手放したユズル部長は、うねる人波に呑まれて視界から消えて行った。
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