301-310

301


大きな鷲が舞い降りてきてあなたの肩にとまったら、そのときだけ歌える歌があるから歌うといい。今からそれを教えてあげる、覚えて先へゆくといい。祖母も私にこんなふうに、手を取って歌を教えてくれた。波のように皺の寄せた美しい手。歌っておやり、鷲があなたを訪れるのなら。



302


鬼を観測する仕事に就いている。鬼は山の向こうに背中だけ見える、というのも鬼はずっと観測所と反対の方角を見ているからだ。あっちには人里があって高速道路なんか走ってて、それが珍しいんだろうか。顔を見ようと出ていく同僚が五年に一人くらいいて、そのまま誰も帰ってこない。



303


クジラとコオロギと人間は離れて席につき、教室の窓から外を見た。外は雨、硝子が叩かれ揺れていた。途方に暮れる彼らを前に、教壇に立つ教師がいう、残る種族はあなたがただけ、あとはもうみな乗りました。種々の恋歌を編んだものからここを出なさい、舟にはつがいを乗せましょう。



304


谷町跡地のはずれにあるあの石碑にわたしの名を刻ませたい、金文字で、わたしの名を、谷町の、寄り合う股崖に鐘代からあるあの石碑、谷町のひとびとの名が刻まれるあの石碑に、もう誰にも読まれぬ文字で、このわたしの名を、命が間に合わなくなる前に。



305


平らで、若い男だから、弟は重宝されていた。すてきな色の硬い肌をもっていて、子どもらがぶつかっても、本当にびくともしなかった。みんなは弟にニスを塗り、やわらかい布で丁寧に磨いた。私にも布を渡してこう言った、こんなふうに大事にしてあげれば、ずっと長く保つものなのよ。



306


子どもの頃はわからなかったがたぶんあれは囚人たちだったのだ。学校からの帰り道、彼らは煉瓦を積んでいた。私は煉瓦に憧れた。ざらついて、真夏の砂利道みたいに白くって。こんな煉瓦を一生積んでいられるならと思ってそう言った。彼らは黙って微笑んで、私に煉瓦を渡してくれた。



307


ここに杭を打って、と涼しげな声が後ろから、さらさら長い髪の感触と一緒に私の手を取った。真っさらな遊戯盤の前に座る時だけゴーストは私に会いに来る。ここに糸を張って、さあ。でも、杭は私が打つもので、糸は私が紡ぐもの、盤は生者のものなのだ。そのうち飽きて行ってしまう。



308


お皿にたくさん粉をふるって、指で掬って顔につける。いい匂いの油を薄く塗ってあるから、粉は綺麗にくっついてくれる。それから、好きな色の花びらで、頰っぺたに自分の絵を描く。今日は白い巻貝が、上手にできて、ああ、こんなに素敵なことをしているのに時々悲しいのはなぜだろう。



309


辞書の中の暗号を辿って着いた公園には誰もいなかった。ちゃんと日時も確認したのに。じゃあ解いたのは私だけだったんだ。私は最初嬉しくて、そのうちだんだん寂しくて、最後は石ころ蹴飛ばして、おあいそにブランコこいで帰った。今でもなんだか諦めがたくて、未だに付箋が外せない。



310


毒娘として育ったので接吻で生計を立てている。男も女も、私と接吻がしたくて海を越え、山を越えこの谷にやってくる。私は彼らを抱擁する。ことのあと、彼らを弔う墓守の名はウェガシャという。ウェガシャは黙って墓を掘る。接吻に、それだけの値うちがあるのかと目で問いながら。

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