コクーン(04)新型マクスウェル・ゲート
フランス、アルマノンヴィル銀行。
出入口から道路を跨いだ先に、ガモウ・ゴンのどっしり構える逃走用ヴァンが停められている。車壁にはアイスクリーム屋の塗装の上に〈開店準備中〉の紙が貼られて、ヴァンのてっぺんに白くうねる模造ソフトクリームの飾りには、内部に通信アンテナが仕込まれていた。
銀行内の広間を抜けて、受付に辿りついたフリップは「予約のクリップ・バダムです」と言った。万年筆型カメラを収めているのは、グレーのシングルブレストスーツの胸ポケット。背後にちんまりと立つウォルターを含めて、金持ちのボンボンと、甥っ子のやることなら何事にも首を突っ込みたがる厚かましくも陽気な叔父さん、という設定である。何やら書類に記入して、口座に預金をたっぷり入れることを約束する。銀行員の説明に口を挟んだウォルターは、この少年が鳥撃ちでいかに度胸を見せたかという話をした。「男にとっていちばん大事なのは度胸じゃ。この点にかけては、人生経験を豊富に積んだものなら異論はなかろう。肝心なところで尻込みしたり、仕事が難しくなった途端に他人に押しつけるような若者に、国の未来は任せられんじゃろうが。クリップはそんな輩とは格が違う。前途有望の故事成語のような奴なんじゃ……」
待合室で、テーブルに置いてあるクッキーを食べるかどうかで二人が悩んでいると、ジローと名乗る銀行員が入ってきた。立ち上がる二人に、流れるように鍵を渡してくる。
豪華な通路をジローと進むうち、いよいよマクスウェル・ゲートである。
「やばい」フリップが言った。
「どうした?」ウォルターがささやく。
ゲートをあごでしゃくって、「新型だ……」通過する直前、フリップは壁際に寄ってしゃがみ込み、ブーツの靴紐を結ぶ真似をする。見下ろすウォルターに「先、入ってて」と言った。
肩をすくめて、ウォルターがゲートを抜けた。
警報は鳴らなかった。
右と左を結びなおし、もう一度右を結ぼうと手を動かすフリップだったが、ジローがふり返ったのを見て、観念して立ち上がった。唇を口内に巻き込んで、緊張を悟られないように、ゲートに踏み込む。
破裂しそうな心拍が、耳をつんざくブザーの連鎖に変わった。やがて警報が一時停止、隣の白いドアから警備員が飛び出てくる。スティック状の金属探知機を「失礼」と眼前に伸ばされたフリップは、両手を上げながら、貸し金庫室へのドアを物悲しげに見つめた。案の定、胸ポケットの万年筆に探知機が反応した。
「預かっておきましょうか」警備員が言った。
「いや、その……」フリップがウォルターを見つめる。
ウォルターが「参った、こんな時間とは!」と叫んだ。腕時計を指で叩きながら、ジローにふり返る。「こいつを野鳥の会に連れていかねばならん。こんど遅刻したら先生に大目玉じゃ」
「野鳥愛好会ですか。自然はよろしいですな」
「いや、〈野鳥を殺す会〉じゃ。望遠鏡でストーカーのように観察するだけでなく、中身もしっかりと愛しなければいかんでな」フリップの背中を押し戻しながら、やたらと早口で、「山小屋でその日のうちに調理して、食べる前にテーブルの周りで輪になって、森の精霊に歌を捧げるんじゃ。肝心なのは腹から喉を通してしっかりと声を出すことでな。そうすると鳥の死体もひときわ美味になる。この銀行はクッキーはうまいが、いくらなんでも待ち時間が少々、急速に移り変わる現代に必死の抵抗をしすぎではないかね。それも悪くないかもしれんが、資本主義の権化のような機関に求められるサービスでもなかろう。この儂には政府から年金を限界まで搾り取ってやろうとの野望があるのでな、待合室で寿命が来るのはなるべく避けたいものじゃ。では、また来よう」などとわけの分からぬことを言いながらゲートを出ていった。
新聞を下ろし、長椅子に座るサングラスの顔が、広間を小走りしていく二人を見た。
ヴァンの中に逃げ戻った二人に、箱入りの中華麺を食べていたガモウがふり返った。
「早かったね」
「ボス」フリップがラップトップに叫ぶ。「マクスウェル・ゲートが新型になってた。作戦変更を願います」
金燎平のデスク背後から、衛星通信を覗いていたイーサンが「具体的には?」と聞いた。〈スター・フォース〉オフィスに、フリップの声が届く。「ぴったりの人物がいます。あいつなら、カメラ無しでも書類を完璧に暗記できるし、ちょっと変装すれば、僕の顔そっくりになることもできる……」
そのとき、フリップの言った人物は、中華鍋を激しく揺らしながら豚キムチの炒飯を作っていた。ランチルームに入ってきたイーサンに、ジャージの肩を叩かれる。ゆっくりとふり返りながらも、彼女――フロップ・クォンタムは、竹製ターナーで卵ご飯をかき回すのをやめなかった。
アルマノンヴィル銀行の出入口に、新聞を構える少女が立っていた。階段上の白い柱にもたれる彼女は、向かいの道路にあるヴァンを斜めに見下ろしていたが、その車両が離れていくのを確認すると、持ち上げていた新聞を小脇に折りたたみ、タシワ・ヤシ社製のサングラスを外した。シズラ・クンテムの顔が現れる。
口元に腕時計を持ち上げたシズラは、「計画を早めよう」と言った。
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