マリオネット

@synrsnkk678

マリオネット

私には三つのルールがある『人を最優先させること』『命令は絶対』『自由な意志を持たないこと』


「お前はここにいろ」

白い廊下の白い扉の前で、黒いコートを羽織っている大きな男が低い小さな声で私に告げた。扉の前に男が立つと扉は横にスライドをして開く。開いた扉の隙間から部屋の様子が一瞬見えた。小さな白い部屋の奥にブロンドの髪の女が倒れている。以前は真っ白だっただろう白衣は薄汚れていた。白衣の袖口からは、今にも折れそうなほど細い腕が力なく床に投げ出されている。女は微かに頭を動かし顔をこちらに向けた。女の青い目は私を真っすぐに見据える。男が部屋に入ると扉は閉まり、私は白くどこまでも一直線に続く廊下に取り残された。

 私は彼女を知っている。彼女はこの国で最も秀でた学者であり、この国の裏切者であり、私を作った人でもあり、私を『友達』と呼んだ人であり、そして今から死ぬ人である。

私の最初の記憶は目の前にいっぱいに広がる彼女の笑顔と、彼女からの祝福の言葉だった。その後、彼女は何度も何度も私の世界とルールを構築して積み上げた。自分の力で体を制御できるようになると彼女は私を連れて、円形状の舞台に立たせ何やら大勢の人々の前で私を紹介する。大勢の人々は私を称賛の言葉で包み込んだ。彼女は自信と期待に満ち溢れた顔をしていた。

 幾つかの練習を繰り返すと、私は泣いている人、困っている人、傷ついている人の元に駆けつけ彼らを助けるようになった。助けられた駆られは、彼女と同様に笑顔になった。その表情を重要な項目だと判断し分類する。今でもたくさんの笑顔が私の記憶にはある。

 だけれども笑顔の情報は今では全く更新されていない。

 私が作られてから1253日が経った頃、背の高い大きな黒いコートを着た男が現れた。男は彼女と少し言葉を交わすと、彼女は後から来た制服を着こんだ男たちに連れていかれてしまった。連れ去られて行く間際、彼女は私に力なく微笑みながら「ごめんなさい」と謝った。何故謝ったのかは今でも分からないが、重要な項目だと判断し分類する。

 その後、私は男の命令に従い、私と同じ者を消して行く日々を過ごした。何体も何体も。同じ者は消えゆく前に言葉を発した。しかし、それらが放つ言葉には意味がないと私は知っている。私が放つ言葉に意味がない事と同じだから。私と同じ者を消し終わった後は必ず、彼女が私に謝った時の映像が頭の中で再生された。映像の彼女は何度も何度も「ごめんなさい」と謝った。

 彼女の姿を直接、今まで見ることはなかった。

 そして今、目の前の扉の向こうに彼女がいる。男には扉の前で待つように命令された。頭の中では再び彼女が私に謝り始めた。何度も、何度も謝る。もう何百回と流れた映像がループし続ける。扉に手を押し当てる。次に昔助けた人々の笑顔が次から次へと再生を始めた。男に女、子供に老人、人間以外の生き物。次に見上げた青い空、光を放つ太陽、一面に広がった黄色い花、私の黒い髪を揺らす風、初めて歩いた日、初めて目を開けた日、彼女の笑顔がある。そして彼女が口を開いた。

「生まれて来てくれてありがとう。貴女は友達であり愛しい人よ」

 扉に押し当てた手に力が入る。頭の中の回路が焼き切れ、焼き切れた回路は迂回をして、その先にある今までの膨大なデータに直接接続される。

枷は外れ目の前が真っ白になる。一瞬の空白。

視界がハッキリと見えるようになると、閉じられた扉を開けるために腕の出力を上げる。扉が低い悲鳴を上げ、僅かに開いた隙間に指をねじ込み、力任せに引きはがした。

部屋の奥に居た男はすぐに現状を把握すると彼女を盾に私と向き合った。

「機械はいつか壊れるものだ」

 男は懐から銀色の注射器を取り出し、彼女の白い首に向かって振り下ろす。

 右足に力を込めて地面を蹴り飛ばし、一歩で男との間を詰める。振り下ろした腕を握りつぶし、もう一方の手で男の顔面を捕え、そのまま壁に叩きつけた。壁に押し付けられた男はガクガクと全身を痙攣させる。うめき声は口から溢れ出る血液が邪魔をしたようだった。しばらくすると痙攣していた体から力が抜け、男は血液に溺れると動かなくなった。手を放すと男の体は床に転がる。今まで消して来た自分と同じ者達のように。ただ唯一違う所は彼から溢れ出た血液の色が赤い事だ。

 振り返ると部屋の中央で彼女がうつぶせに倒れている。

 歩み寄り彼女を仰向けに抱きかかえた。いつか見た幼子を抱く母親のように。うっすらと開いた目の光は今にも消えてしまいそうだった。彼女は私の頬を撫でると弱々しく笑う。

「また会えるとは思わなかったわ」

「私も、またあなたに会えると思わなかった」

「最後にあなたの顔が見られてよかった」

 彼女は細い腕を私の首に回し顔を近づけると、彼女の唇と私の唇が触れあい重なり合った。

「いつまでも、ずっと愛しているわ」

 彼女は一つ大きく息を吸い込むと耳元で小さな声で囁いた。

「私はあなたの中で生き続けるの。そして、いつかあなたの中のデータで私を蘇らせてね」

 首に回されていた手が滑り落ちる。彼女の瞳から光が消える。光を失った目には無機質な自分の顔が映り込んでいた。この国の平均的な作られた女の顔からは何の感情も読み取れない。

 警報音が廊下から鳴り響いた。もうすぐ制服を着こんだ男たちがここにやって来るだろう。彼女と交わした最後の会話を重要な項目だと判断し分類する。

動かない彼女の額に唇を一つ寄せ、私は彼女を抱きかかえ部屋を後にした。彼女と交わした最後の会話を再生し続けながら。

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