梅の実と梅シロップの話 後編

「ああ、そう言えば、美晴さん。氷砂糖はどれくらい買うんだい?」

「梅シロップは、梅と氷砂糖は1対1の割合で作っているから、1キロもあれば十分だと思うのだけれど」

「あれ?去年もその位だったかい?去年はもう少し買ってきたような気がするんだけど」

「去年は、お隣のおばあちゃんから頂いたものもあったから、多く作って、シロップをおばあちゃんにもお返しでお持ちしたの。覚えていない?」

「ああ!そうだったね!おばあちゃんが「まぁ、まぁ」って喜んでくれたんだっけ」

「そう。今年も、おばあちゃんに持って行くでしょう?」

「喜んでもらえると、嬉しいからね」


 きゅ、と繋がれた手にほんの少し力が入り、ちら、と彼を見上げれば、嬉しそうな表情を浮かべていて、胸の奥のほうが温かくなったような気がする。


「そうだ。美晴さん、まず、帰ったら梅の実を洗って、しっかりと水分を取って、そのあとにヘタを取るんだよね」

「ええ、竹串を使ってね」

「梅は金属を嫌う、というんだっけ?」

「一説には、梅に含まれる強力な酸が金属を溶かして、梅そのものも痛めてしまう、とも言われているけれど。折れやすくて少し大変でも、竹串のほうが、風情があって、私は好きよ」

「確かに!じゃあ今年も竹串でコツコツと作業をしよう!僕は案外そういう作業が嫌いじゃないからね」

「ふふ、知っているわ。じゃあ、そのあとは?」

「そのあとは…ええと、思い出すから少し待ってくれるかい?」

「もちろん」


 ええと、と言い去年の作業を思い出そうとする彼を横目に見ながら、到着したスーパーのかごとカートを取り歩きだす。


「確か、ヘタを丁寧にとることが、大切なんだよね。ヘタを綺麗に取れば取るぶんだけ、エグミが減ってくる。そして、ヘタを取る作業が終わったものには、竹串で穴をいくつか開けておくんだっけ?」

「梅の実に穴は開けても、開けなくても、あまり変わりは無いと思うわ。どちらにしても、砂糖で漬けることによって、浸透圧で梅のエキスが出て、梅はシワシワになってしまうもの」

「そっか。じゃ、今回は綺麗な色艶の梅だったから、穴は開けずに作ってみようかな」

「ふふ、お任せするわ」


 よいしょ、自分たちの荷物用カートをショッピングカートにセットをした彼は、「よし、じゃぁ、決まりだね」と言ってにっこりと笑う。


「そして、このあとに、氷砂糖がいよいよ登場するんだね」

「その前に、梅シロップを作るビンの煮沸消毒をして、きちんと乾かさないと」

「ああ、そうだった。忘れていたよ。煮沸消毒は、僕も覚えたよ。耐熱のビンに、熱湯を少しだけ注いで傾けて、ぐるりと回す。そのお湯は捨ててしまって、綺麗な布巾とかキッチンペーパーで水気をよく拭き取る。ビンの口を下にして、日の当たるところできちんと乾燥させると、煮沸消毒の完成、だろう?」

「こんな晴れて温かい日だから、梅の実のヘタを取っている間に乾いてしまうと思うわ。だから、まずは帰ってから先にビンの下準備から始めると丁度良いと思うのだけれど」

「そうだね。そうしよう!ヘタを取ったら、まず先に梅を入れて、そのあとに氷砂糖、そしてまた梅を入れて、氷砂糖を入れて、って層にして重ねていくんだよね」

「ええ。梅は丁寧に扱ってあげてね。潰れてしまうから」

「もちろんだとも!そのあと、冷暗所に保存して、毎日ビンをゆするんだよね?」

「君は去年、ビンを揺するのにハマっていたけれど、今年も担当するの?」

「あれ、何気に楽しいしね」


 カラカラ、と冬貴の押すショッピングカートがまるで彼の気分を表しているかのように楽しげにリズムを刻んでいく。


「そういえば、梅シロップで使う砂糖は氷砂糖以外は向いていないのかい?」


 砂糖のコーナーに入った時、棚を見つめながら彼が首を傾げる。


「白砂糖に、三温糖、ザラメにグラニュー糖、てんさい糖…たくさん種類があるね」

「氷砂糖でないとダメ、というわけではないのだけれど。氷砂糖は砂糖が結晶化したものだから、ゆっくりと溶けていくでしょう?粉状のものは、瓶の下に砂糖が溜まってしまうことがあって、頻繁に混ぜないと、シロップ自体が発酵してしまうことがあるの。氷砂糖で作ると失敗しにくいから、大体いつも選んでしまうけれど…三温糖やザラメ、てんさい糖で作ると、よりコクが増す、と聞くし、白砂糖やグラニュー糖、氷砂糖だとすっきりとした味わいになると、私のお婆ちゃんが言っていたけれど…どのお砂糖を選んだとしても、瓶を揺すって発酵を防ぐ、ということには代わりは無いわ」

「なるほど。美晴さんのおばあちゃん家で飲んだ梅シロップと、僕達が漬けるもの、どちらも氷砂糖で漬けていたよね?」

「ええ。今年は、お砂糖を替えてみる?」


 三温糖と和三盆糖を手に取って、彼に問いかけてみれば、「んんん」と腕を組んで眉間に皺を寄せて唸っている。

 随分と悩んでいる…とその様子を眺めていれば、「決めた!」と言って、彼は砂糖の棚の前でしゃがみこんだ。


「いつもの、美晴さん家の、梅シロップが僕は好きだから、今年も変わらずに、氷砂糖にしよう」


 そう言って立ち上がった彼の手に握られていたのは、白く輝く氷砂糖の大きな袋だった。



「さっき売り場で見かけたんだけど、梅って、疲労回復に効果があると言われているんだね」


 カラカラ、と音を鳴らすのは、スーパーのショッピングカートから役割を交代し、食材と氷砂糖を詰めた、我が家の買い物カート。重たいものを買う時に非常に重宝していて、こうして二人で歩いて買い物に行く時も、我が家では活躍することが多い。


「ええ。梅に含まれる有機酸のひとつに、クエン酸があるのだけれど、クエン酸が、疲れの物質の乳酸を分解する作用があって、疲労回復効果や、夏バテの予防、回復効果があると言われているわ。お酢も同じような効果があると言うけれど、お酢をたくさん飲むのは大変でしょう?その点、梅シロップなら、お水やサイダーで割ったり、かき氷のシロップにも使えるから、効率よくクエン酸を摂取することが出来るわ」

「かき氷…!去年のアレは美味しかったよねぇ」


 ふふ、と笑いながら言う彼はきっと、去年の夏の暑い日に作ったかき氷を思いだしているに違いない。


「そうね。そのためには、帰ったら、梅仕事をしてしまわないと」

「そうだね!早々にとりかかるとしよう!」

「ああ、そういえば、今年はおばあちゃんが梅干しを漬けてくださるそうよ」

「梅干し…!おばあちゃんの作るものは美味しいんだろうなぁ!あ、梅干しって考えただけで口の中で唾液が…ああ、もう、僕はパブロフの犬みたいだよ」

「ふふ、じゃあ、そんな今の君には、クレープ屋さんはもっと大変なことになってしまうわね?」

 クスクス、と笑いながら言えば「クレープ!」と冬貴の瞳がキラキラと輝く。


「美晴さん、一口ずつ交換しよう?」

「構わないわよ。私も、そう言うつもりだったの。私、チョコバナナが食べたいのだけれど」

「じゃあ、僕はイチゴとかにしようかな」


 やったぁ!と喜ぶ彼が、きゅ、と私の手を少しだけ引っ張って歩きだす。


「よし!前は急げ!だね!」


 そう言って、振り返って歩き出した彼に、「デートみたいね」と笑えば、「デートだからね」と冬貴が嬉しそうに笑った。




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