【32】作戦会議(2)

 リュイーシャにとって聞き慣れたフォルセティ号の船鐘が、一回だけ辺りの静寂に溶け込むような音色で響き渡った。


 ――深夜0時。


 シュバルツの作ってきてくれた紅茶には、新鮮な山羊の乳と砂糖が入っていて濃厚だった。山羊はフォルセティ号の船首楼で一頭だけ飼われていて、その乳は病人が優先的に飲む事ができる貴重なものだった。


 シュバルツなりに気を利かせた美味しい紅茶だった。

 お陰でリオーネはお茶を飲み終えた後、睡魔にしばし抵抗していたが、結局机の上に伏せて眠ってしまった。

 リュイーシャはリオーネを抱えてハンモックで寝かせてやった。


「……さて、アドビスが連れていかれた状況はわかったよ」


 水面に映る夕日のような透き通った赤色のマルティーニャを飲みながら、スカーヴィズは瞳を伏せて静かに口を開いた。

 隣に座るシュバルツに酒をすすめることはせず、(勧められてもシュバルツは断っただろう)空いたグラスに再びマルティーニャを半分程注ぐ。


「でも……何故リュニスの皇子は、あなた方姉妹を探しているんです?」


 落ち窪んだ目に疲労を滲ませてシュバルツが訊ねた。

 シュバルツの問いをスカーヴィズがリュニス語に通訳する。

 リュイーシャは簡単に事情を説明した。

 次期皇帝の座を狙うロードは、異母兄弟であるリュイーシャの父カイゼルの娘である自分達を息子の妃にして、己の権力を高めたいのだという事を。


 スカーヴィズとシュバルツは意外なリュイーシャ達の出自に驚きを隠せない様子だったが、大人である二人は黙って視線を交わしただけだった。

 リュイーシャが話し終わると、やおらスカーヴィズはその顔をのぞきこんできた。


「ど、どうしたんです?」

「いや、ちょっと確認したいんだけど。あなたにはそういう人生の選択もある。あっちはあなたを欲している。皇帝の妃ともなれば、一生暮らしには困らず、贅沢な暮らしができるでしょう?」


 リュイーシャは頬を赤く染めて椅子から立ち上がった。

 髪の毛の一筋一筋が広がって逆立っていくような強い憤りに声が震える。


「私を含め、クレスタの島民は、質素ですが幸せな生活を送っていました。それを己の私利私欲のせいで壊したロードを……あの男を、私は絶対に許しません。まして、その野望に手を貸すような真似なんか、絶対に……!」


 リュイーシャは母から譲り受けた、海色の指輪が光る右手を握りしめた。

 ロードがクレスタにやってきた日の夜の事は忘れない。


 海神にたてた誓い――風を操る力を決して人の命を奪う事に使わない――それを破るのが怖くて、クレスタの島民達を離散させてしまった。その負い目があるからではないが、もしもスカーヴィズの考案したアドビス救出作戦が失敗したら、今度こそあの夜できなかったことを実行しよう。


 嵐を起こしてロードの船を絶対に沈める――。

 リュイーシャは一人胸の奥でそれを誓った。


「ごめんね。悪いことをきいてしまって」


 スカーヴィズの長い指がリュイーシャの肩にのっていた。

 いつのまにか俯いていた面をあげると、女海賊は憂いた瞳でリュイーシャを見つめていた。


「一応、あなたの意志を確認したかったの」

「ええ。わかります。私がロードの船に行けば、アドビス様はすぐに解放してもらえるから……本当はそちらの方が……」

「馬鹿。それじゃ、なんのために私がここにいるのかわからないじゃない!」


 リュイーシャは頭を振った。長い金の髪が揺れたが、その右側はシグルスに短刀で斬り付けられたせいで長さがばらばらになっている。


 スカーヴィズはそれに目を止め、リュイーシャの肩から髪に触れた。


「アドビスを助けるために手助けしたいといったあの言葉は嘘?」


 リュイーシャはきっと顔を上げた。


「いいえ」

「ならいいわ」


 リュイーシャとスカーヴィズは睨み合うように互いの視線を合わせていた。

 一方、そんな女二人をシュバルツは黙ってみるしかなかった。

 リュニス語ができない彼は、二人の会話がわからなかったからである。

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