【31】作戦会議
ああ。なんだかとても安心する。
リュイーシャはフォルセティ号を降りた時と同じ状態のままになっている、彼女達が以前使っていた部屋の中を眺めた。
フォルセティ号から降りたのは、日が沈むほんの数時間前だったが、半日以上経ったような気がする。
リュイーシャとリオーネの後からスカーヴィズが中に入り、彼女は舌打ちしながら船尾の窓に近付くと急いでカーテンを閉めた。
フォルセティ号はリュニス兵に見張られているはずだが、予想に反してその警戒は薄かった。
「よし、椅子は円卓の前に置いてくれ」
続いて副長シュバルツが部屋に入ってきた。彼の後ろには二人の水兵がいて、彼等は椅子を指示通りに置くと静かにその場から立ち去った。
「あら? ハーヴェイさんは?」
リオーネが不安げに周囲を見回した。
副長シュバルツはリュニス語ができないので、大抵こういう話し合いの場には必ずハーヴェイが通訳として同席するのだ。
けれどリオーネがハーヴェイの名を口にしたのと、彼を探すように首を巡らせたので、シュバルツはリオーネが何をいったのかわかったらしい。
シュバルツはごくりと生唾を飲み込んで、早速椅子に腰掛けた銀髪の美女――これがただの美しい女ならどれほど良いだろう――女海賊の冷たい横顔を伺った。
「あんた、リュニス語は?」
スカーヴィズに訊ねられ、シュバルツは冷や汗を手で拭いながら首を振った。
「できない。通訳の部下はリュニス兵とのいざこざで負傷して、今、下の医務室で手当を受けている」
リュイーシャはじっとシュバルツとスカーヴィズのやりとりを見つめていた。そういえばスカーヴィズとは自然に会話をしていた。彼女がリュニス語で話してきたからだ。けれど今はシュバルツとエルシーア語で話している。
リュイーシャの視線に気付いたのか、スカーヴィズが小さくうなずいた。
「いいわ。通訳は私がする。じゃ、まずは状況を確認させてもらうことにしましょうか」
こうしてアドビスをロードの船から救出するための作戦会議が始められた。
が、スカーヴィズは物憂気にシュバルツをしげしげと見つめた。
「悪いんだけど、何か飲み物用意してくれる?」
「えっ?」
「気が利かない鈍感な坊っちゃんね? 私達、ずっと市街地を走り通しだったから喉が渇いたのよ。リュイーシャもリオーネも水の一杯ぐらい欲しいはずよ?」
突き刺すようなスカーヴィズの視線に、シュバルツは弾かれたように椅子から腰を浮かせた。
「あ、は、はい! じゃ、水を用意させてきます」
スカーヴィズは唇を歪めて『違う違う』と指を振った。
「だれが水が欲しいなんて言った? しかも半年も寄港してない船の水なんて臭くて飲めやしない。お嬢さん達は体が暖まる紅茶。そして私にはマルティーニャの赤よ」
「マ、マルティーニャ!? そんな高級ワイン、この船には……」
シュバルツが普段冷静なその面を高揚させてつぶやいた。
けれどスカーヴィズはまるで子供でもあしらうように余裕の笑みを浮かべたままだ。
「来客用のがあるはずよ。エルシーアの艦長はみんな『とっておき』を必ず積んでいる。マルティーニャはアドビスのお気に入りよ」
「……そこまで知っているのならわかるでしょう? グラヴェール艦長の『とっておき』を無断で開けたら、私がどれほどあの方に怒られるか……」
シュバルツの顔は驚きを通り越して半泣きになっていた。
だがスカーヴィズは一向に動じない様子でシュバルツを見つめている。
「アドビスだって馬鹿じゃない。ワイン一本で命が助かるんだから、反対に礼を言ってくれるはずよ?」
「そ、そうでしょうか」
「そう」
スカーヴィズはしびれを切らしたようにシュバルツを睨み付けた。
「じゃ、早くお嬢さん達に紅茶を作ってあげてきて。時間もない事だし。私は先にマルティーニャをいただいてるから」
スカーヴィズはやおら立ち上がると、先程カーテンを閉めた船尾の大窓まで歩いていき、足元の床板をブーツの踵で強く蹴り付けた。
すこんと板が踏み抜かれたように下に回転し、しゃがみこんだスカーヴィズは、右手をその穴に突っ込んで一本の酒瓶を取り上げた。
緑がかった曇り硝子でできており、下の方が三角形をした変わった瓶だ。
口には封印の紙が張り付けられているが、それは金を薄く貼った紙でランプの光が当たるときらりと輝いた。
「ど、どどどどうしてその場所を知ってるんです!?」
「うわー、すごーい!」
リオーネが思わず拍手する。スカーヴィズは高級ワインの瓶を持ったままにっこりと満足げな笑みを浮かべた。
「私の海賊としての鼻をきかせたまでよ」
副長シュバルツはリュイーシャ達のための飲み物を調達するため、一旦部屋を出ていった。額に嫌な汗をかきながら。
「……スカーヴィズさん」
リュイーシャは高級ワインの瓶を品定めするようにながめる女海賊に話しかけた。どうしても訊ねたいことがあった。
「何?」
スカーヴィズはワインの瓶を円卓に置いた。
「あの……アドビス様のこと、どうしてご存知なのですか?」
「……」
長い指先でワインの瓶をなぞるように触れながら、スカーヴィズは紫の瞳を細めじっとリュイ-シャを見返した。濃い睫毛を伏せて再び夕闇色の瞳が覗くその顔は、誰が見ても美しいと思うだろう。
けれど彼女は造形の美だけでなく、内面から溢れてくる「強さ」が感じられた。存在に力がある。隣にただ座っているだけなのに圧倒されそうになる。
「あら、気になる?」
言葉は穏やかで優しいが、その視線はまっすぐで迷いがない。
「……」
気にならないわけがない。
スカーヴィズはリュイーシャよりアドビスのことをよく知っているみたいだから。
だからこそ、こちらから二人の関係について問うのは気がひけた。
何も悪い事をしていないが、後ろめたさを感じるのはどうしてだろう。
リュイーシャは返事の代わりに唇をすぼめ眉間を寄せた。
思わず顔を伏せてつぶやく。
「だって、あなたは――か、」
「そう。私は海賊で、あちらはそれを取り締る海軍の艦長様。だから、知らぬ仲じゃないわ。いろいろとね」
スカーヴィズはリュイーシャの言葉を遮り、瓶から指を離すとそれを合わせほっそりとした顎をのせた。
「アドビスにはちょっと借りがあってね……」
スカーヴィズは声を潜め、部屋の戸口を気にするように視線を向けた後、リュイーシャとリオーネに向かって囁いた。
「それで今はこっそり紳士協定を結んでるの」
「……紳士協定?」
スカーヴィズは口元に指を立ててリュイーシャを睨んだ。
「あなたは信用できる娘だから話してあげる。だけど今聞いた事は内密にね。海賊と手を結んでいることが公にばれれば、海軍士官であるアドビスの立場が悪くなる」
リュイーシャはスカーヴィズに信用されることが果たして良い事なのか判断つかないままうなずいた。
「誰にも言いません」
「ありがとう。何、大した話じゃないんだけどね。私はエルシーア海賊を一つに束ねる目的を持っている。そのためには力で他の海賊船を傘下に収めるか、懐柔するしかない。だけど、それでも私の志に賛同せず、かつ、自由の意味をはき違え、欲望のままに商船を襲い人命を奪う――人間のクズみたいな連中がいる。
私だってちょっとは人様の荷を頂いたこともあったよ。だけど今のエルシーア海賊たちは、エルシーアから採掘される魔鉱石や装飾品の加工物に目がくらみ、すっかり金の亡者と成り果てている。
特に北海は『隻眼のロードウェル』がおさえてしまったから、彼の縄張りで仕事ができない海賊船は、船ならば商船、客船問わず手当り次第に襲撃しているわけ。わずかな小金欲しさに人質の命を奪ったり、奴隷商人と手を組んで、このアノリアでさらってきた人間を売りさばいたりと、やりたい放題よ」
「……」
リュイーシャは何と答えていいのかわからず黙っていた。
スカーヴィズは息をついて肩をそびやかした。
「海賊稼業は違法かもしれないけれど、ただ、何らかの理由があって陸に住めない者もいるんだよ。陸はいろんなしがらみがあるけれど、果てしなく続く海には何の束縛もない。けれど自由な代わりに、自分のやったことについては、自分が責任をもたないと後で手痛いしっぺ返しを喰らう厳しい場所。
おっと、前置きが長くなったわね。
要はエルシーア海軍はそういう横暴な海賊に手を焼いていて、駆除に力を入れている。アドビスもその一人。私がエルシーア海賊を一つに束ねようと思ったのは、そういう連中を排除したいからなの。自由だからって何をしてもいいってわけじゃないからね。そこで私はアドビスと手を組んだ」
「手を組んだって……それはつまり、協力して海賊を捕まえるってことですか?」
スカーヴィズはゆっくりとうなずいた。
「そう。私の目的に沿わない海賊の居場所をアドビスに教えるの。大抵そいつらはエルシーア海軍本部からも捕縛命令が出ているから、互いの利害は一致するわけ。私は邪魔な同業者を片付けられるし、アドビスも短期間で命令を完遂できる。お陰で彼、まもなく最年少の将官入りを果たしそうなの。彼の家は代々海軍士官を生業にしているから、跡取としての期待も高いみたいでね……」
スカーヴィズは珍しく溜息をついた。
意志の強い眼が物憂気に虚空を彷徨う。
アドビスの事を思ってか、それとも自身の掲げる目的のことを思ってか。
どちらに対しての溜息かはわからないけれど。
話が難しかったせいか、リオーネは椅子に座ったまま眠そうに眼をこすっている。リュイーシャはそんな妹の頭を撫でて、椅子から落ちないように気を配った。
「スカーヴィズさん。お話して下さってありがとうございました。私は島育ちでまだまだ外の世界はわからないのですが……あなたのやりたいことは理解しました。そしてアドビス様もそれに賛同したから、あなたに協力しているということですね」
スカーヴィズは「そう」と一言鋭くつぶやいた。
その時、部屋の扉を二度、遠慮がちに叩く音がした。
「やっとできたみたいだね。待ってたわよ」
スカーヴィズは早く酒を味わいたいのか、ちらりと目線を瓶にやった。
「どうぞ」
「おまたせしました」
扉が開くとそこにはシュバルツが白い湯気を上げるティーカップとグラス、そして、料理長をなだめて作らせた小さな焼き菓子をのせた盆を持って現れた。
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