【30】月影のスカーヴィズ

「全く、疑い深いお嬢さんだこと」

「今まで疑い無しについていったせいで、とんでもない目に遭ってきましたから」


 帽子の女性は困ったように俯き腰に手を当てた。

 形の良い唇がゆっくりと動き言葉を吐き出す。


「……アドビス・グラヴェールにあなた達の事を頼まれたの」

「えっ?」


 リュイーシャは目を瞬かせた。


「あなたは、アドビス様をご存知なのですか?」


 帽子の女性は小さくうなずいた。


「少なくとも、あなたよりずっと彼の事は知っているわ。そしてそのアドビスが、あなた達の代わりにロードの船に連れていかれたことも」

「なんですって?」


 リュイーシャは心臓を氷の手で握りつぶされるような恐怖感に襲われた。

 アドビスがロードの船に連れていかれるなど、思ってもみなかったからだ。


「岬の先を見てご覧。船がいるのがわかる?」


 帽子の女性は冷静な口調で、アノリア港と奴隷専用港を隔てている西の岬を指差した。


「見えます。あの船は……ロードが乗っている『銀の海獅子』号」


 リュイーシャは眉間をしかめた。

 クレスタにかの船を招き寄せてしまったのは自分の落ち度。

 忘れようにも忘れられない船である。

 クレスタを離れた夜のように、『銀の海獅子』号はその巨体を闇色に染めていた。


「ロードの『銀の海獅子』号はアノリア港を砲撃できる距離で停船している。きっとアノリアの住人の命をたてにして、アドビスを脅したんだろうね」

「そんな……」


 リュイーシャは俯き頭を垂れた。

 クレスタの民をロードの手から救えなかった時と同じ無力感が、じわじわと胸中に広がっていくのがわかる。


 リュニス第二皇子ロード。

 あなたは私の大切な人達ばかりを奪っていく。

 リュイーシャは熱くなった目の奥のものを拳で振り払い顔を上げた。


「ごめんなさい。私、あなたとは一緒に行けません」


 灰色のマントを翻したリュイーシャは帽子の女性に背を向けた。


「待って」

「やめて、離して」


 だが女性の白い指はリュイーシャの手首を握りしめて離さない。

 しかも反対に女性の方へ手を引っ張られ、体勢を崩したリュイーシャはその場に思わず座り込んでしまった。


「リュイーシャ姉様……」


 リオーネが心配げに近付き、リュイーシャの肩を抱く。

 リュイーシャは両手を地につけたまま、なす術もなくうなだれた。


「巻き込みたくなかったからアドビス様の船を降りたんです。それなのに、私達のせいでアドビス様が、ロードの船に連れていかれてしまったなんて。私は行かなくてはならないんです……でないと、私……」

「リュイーシャ」


 帽子の女性は小さく溜息をついた後、そっとリュイーシャの隣に膝をついた。星空のように煌めく紫の瞳が、リュイーシャの涙に濡れる青緑の瞳を覗き込む。


「アドビスがあなたの姿をみれば、きっと嵐のように激怒する」


 リュイーシャは惚けたように帽子の女性の顔を見つめていた。


「……激怒?」

「そう」


 女性は銀の髪を揺すって微笑んだ。

 同じ銀の髪のせいかもしれない。目の前の女性が一瞬、幼い頃の記憶に残る母ルシスの微笑とだぶって見えた。

 彼女は、汗と涙ですっかり乱れてしまったリュイーシャの髪を、細長い指で優しく梳りながら諭すように話しかけてきた。


「そう。あなたがロードの元へ行ったら、アドビスはきっとあなたのことを嫌いになるわよ」

「それは……どうして……」


 女性の唇が一瞬歪んだように見えたが、彼女は夕闇色の瞳を細めたまま優し気な微笑を浮かべていた。


「あなたのことが大切だからよ。私の知っているアドビス・グラヴェールは、アノリア港を吹き飛ばすという稚拙な脅しぐらいじゃ屈しない。寧ろ、そう言ってきたロードの使者を捕らえて、反対にその命と引き換えに、アノリアから『銀の海獅子』号を追い払っているはずだわ」


 リュイーシャはぐっと手を握りしめた。

 ざらざらした土が指の間に入って痛みを伴ったが、リュイーシャは構わず手に力を込め続けた。


「どうして? どうしてアドビス様はそうしなかったの? 何故ロードの船に黙って連れて行かれてしまったの?」


 リュイーシャは目の前の帽子の女性に疑問をぶつけた。

 彼女に言っても仕方ないが、問わずにはいられなかった。


「私だってわからない。ただ一つ言えるのは、アドビスはあなた達をここから逃がしたがっているという事よ」


 リュイーシャはきっと唇を結んだ。


「私は……もう逃げない。逃げるわけにはいかないんです。アドビス様が助けて下さったから、私達の命は今ここにある」


 リュイーシャは立ち上がった。

 手についた土塊を振り払い、顔を隠していたフードを後ろへ倒して月光の下へその面を晒した。


「私達が行けば、アドビス様は助かるの? だったら、私も姉様と一緒にアドビス様の所へ行く」


 リオーネもまたリュイーシャの隣に並んでフードをとった。


「……まいったね……」


 帽子の女性は肩をすくめ困ったように唇を歪めた。


「そう先走らないで。あなたたちがロードの船に行くという方法だけが、アドビスを助ける唯一の手立てではないでしょ?」

「……えっ」


 リュイーシャは驚きのあまり声を漏らした。


「他に、他に手立てがあるんですか!?」


 帽子の女性はリュイーシャを安心させるように頷いた。


「当たり前じゃない。それに、こういってはなんだけど……私にとっても今、アドビスを失うわけにはいかなくてね。まあ、あなたたちは私の船でほとぼりがさめるまで隠れていればいい。アドビスの救出は私がなんとかする」


 彼女は瞳を伏せながら、西の岬に浮かぶロードの船を睨み付けた。

 ぞくりと背筋に悪寒が走るような、冷たい憎悪を帯びた視線だった。


 リュイーシャは帽子の女性の隠された一面を垣間見た。

 彼女は強い人だ。


 自分はただのか弱い少女かもしれないけれど、彼女は違う。

 あれは多くの修羅場をくぐり抜け、生き残ってきた者だけがする目だ。

 

「ま、待って下さい。こうなった原因は私にあります。だから、私もアドビス様を助ける手伝いをさせて下さい!」


 リュイーシャは咄嗟にそう口走った。


「手伝い?」


 帽子の女性は一瞬口を開いたままリュイーシャの顔を凝視した。


「あなた、剣が扱える? 銃で人を撃った事は?」


 リュイーシャはごくりと生唾を飲み込み、ゆっくりと首を横に振った。


「……いいえ」

「じゃ、大人しく私の言う事を聞いて、私がアドビスを連れてくるまで隠れ場所で待ってなさい」


 リュイーシャは帽子の女性の目を見据え、そっと胸元に右手を当てた。

 そこには少年水兵ジンからもらったお守り石の首飾りがあるはずだが、今は何の手触りも感じられない。


『落とした……?』


 それにはっとしたものの、リュイーシャは右手を胸に当てたまま、自らの決意を口にした。


「私は剣も銃も使えませんし、人を傷つける行為もできません。けれど、風を操る事が出来ます」

「ふうん。やっぱり、ただ者ではないと思っていたけれど。面白いわね。気が変わったわ」


 月明かりに帽子の女性の髪が青銀に輝いた。


「場所を移動しましょう。ここは風が冷たいし、いい加減喉も乾いてきたしね」

「移動って、どこへ?」


 リオーネの問いに女性はゆっくりと西の岬の先を指差した。




 ◇◇◇




 フォルセティ号の副長シュバルツは、その顔を見た途端、思わず「げっ!」と叫び、反対の右舷側まで後ずさった。


「き、ききき……貴様はっ!」

「きゃーきゃー女みたいに叫ばないでよ。停泊中の船の影に隠れながら、やっとの思いでここまであの子達を連れて来たのに、ロードに気付かれてしまったら、あんたのケツの穴に手ぇ突っ込んで、指でカタカタ奥歯を鳴らしてやるよ」


 フォルセティ号の甲板には当直中の水兵と航海長ウェッジがいて、彼等は舷側に貼り付くように立つ副長シュバルツの元へと集まった。


 ミズンマスト最後尾の落とす影の下、舷梯げんてい(梯子状の足場)をよじ登ってきたのは、黒いつばの広い帽子を被り、ぴったりと体に沿わせた黒服を纏った、背の高い銀髪の女だった。


 シュバルツを見るその横顔は三日月のように鋭利で冷たい。

 艶やかな紅を引いた口元だけが、赤く妖艶な微笑を浮かべていた。


「つ、つつつ……月影のスカーヴィズ! き、貴様、ど、どどどどうしてこの船にっ!」


 シュバルツが震える声で叫びながら女を指差した途端、その動揺は一気に水兵達へと伝染していった。


 月影のスカーヴィズだと?


 直接彼女の顔を見た者はいないが、その風貌はどの港に行っても噂になっている。

 月光を宿したような青銀の髪。


 夕闇色の瞳は海の荒くれ男を一瞬でひれ伏させる程の眼力に溢れ、なんといっても『月影』の通り名の由来である、月をかたどった二振りの曲刀を使いこなす美貌の女。

 彼女こそ、このエルシーア南海方面の海賊船五百隻を束ねる海賊の頭目だった。


 エルシーア海には主だった海賊船長がまだ十人存在しているが、彼女はその中でも一、二を争う実力の持ち主で、彼女こそが北海の『隻眼のロードウェル』を抑え、エルシーア海賊を統べる者として名が上がっている。


 海賊を取り締る海軍の軍艦に乗っているならば、『月影のスカーヴィズ』は、いつか対峙するかもしれない超大物海賊だ。

 シュバルツが動揺するのも無理はない。


「大丈夫、シュバルツさん。スカーヴィズさんは私が雇った『用心棒』なの」


 シュバルツは耳を疑いながら、舷梯を登ってきた小柄なマント姿の人物を凝視した。切り裂かれたフードの端から、長い金髪が滝のように流れ落ちている。


「リュイーシャさんだ! それにリオーネちゃんもおるぞ」


 こわごわとスカーヴィズを見つめていたウェッジ航海長が喜びの声を上げた。

 同時に甲板に張り詰めていた緊張が一気にほぐれ、リュイーシャとリオーネの無事を喜ぶ声でしばし満ち溢れた。

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