【3】予感

  絶海の孤島であるクレスタに他所者が来るのは年に数回。

  島の人間なら未だしも全く面識のない人間に、まるで人形でも値踏みするような視線で見られるのは不快感を覚えるし、何よりも気持ちが悪い。

  カイゼルもそれに気付いたのか、後方を振り返るとそっとリュイーシャに向かって手招きした。


「紹介が遅れました。娘のリュイーシャです。巫女として亡妻の後を継ぎ島を守っております」


  カイゼルの隣に並んだリュイーシャは、父の兄に向かって頭を垂れた。

  先程リオーネが作ってくれた島ユリの花を金色の髪に挿し、白い布を体に巻き付け、余ったそれを左肩からゆるやかなひだを幾重にも作って、深海の色をした石のついた留め具で止めている。

 

「ほう。まるで海の泡から出てきたように美しい娘御だ。しかし……」


 カイゼルと同じ目の色をしたロードのそれが、一瞬戸惑うように光るのをリュイーシャは見た。


「よく、似てるな。父上を魅了させた月影色の髪。母上を思い出す」

「兄上」


 ロードはリュイーシャに向かって剣呑な表情をやわらげた。


「失礼。そなたの父上と俺は腹違いの兄弟でな。俺は幼い頃母を亡くし、カイゼルの母上に面倒をみてもらった。まぎれもなくそなたは弟の娘だ」


 リュイーシャは咄嗟に何と答えて良いのかわからず、取りあえずロードに向かって再び頭を下げた。


「料理の支度ができるまで、兄上には私の部屋でしばし寛いでいただきます。お付の者達も隣の部屋に酒を用意してあるので、そちらへ移動してもらいましょう」


 一瞬気まずくなった場をとり繕うようにカイゼルが言った。


「リュイーシャ、お前は料理ができたか台所へ確認しに行ってくれないか?」

「おいおいカイゼル。麗しき巫女にそんな使い走りなんかさせるな」


 ロードに向かってリュイーシャはそっと首を振った。


「今日は手が足りないのです。それに食事の支度はいつものことですから」


 リュイーシャは片足を後ろに下げてロードに暇を告げると、いそいそと神殿の広間を後にした。眼帯をつけた男の視線から、一刻も早く逃れたかった。



 ◇◇◇



『なんだったんだろう。あの人。私ばかりじろじろみて』

 

 台所は五つあるかまどがすべて塞がり、もうもうと白い湯気を立てている。

 百五十人分の料理を作らなければならないということで、女中頭のメルジュはばたばたと台所を駆け回り、食器の数が足りないだとか、酒蔵から果実酒を出すようにとか、手伝いに来た近所の女達に向かって口うるさく叫んでいる。


「メルジュ、私何か手伝えない?」

「ああリュイーシャ様。そうですね、そこのコリーンを水洗いして真ん中の鍋に入れて下さいます?」


 リュイーシャは言われた通り、籠いっぱいに盛られた緑の長細い葉の野菜――コリーンを手に取った。畑から採ってきたばかりらしくちょっと青臭い。

 館の裏山から清水が沸き出していて、それを台所の水場まで引いているので、ざばざばと洗って根についた土を落とす。


「リュイーシャ姉様、私が鍋にコリーンを入れるから、洗えたら渡して下さる?」


 そう言ってきたのは妹のリオーネだ。水色の三角巾で髪を覆い、服のそでをまくってやる気まんまんである。


「ありがとう。助かるわ」


 リュイーシャは洗い終えた数束をリオーネの小さな手に握らせた。

 野菜の入った籠はあと二つある。


「あら、リュイーシャ様までお手伝いされるなんて」


 赤い根菜を手にした中年の女性が水場までやってきた。


「アルザスさん。どうもすみません。こちらこそ手伝って頂いて」


 あははははと、アルザスと呼ばれた女性は快活な笑い声を上げた。


「こんなに大勢の客がきたんじゃあ、島中の女達が手伝わないと食事の支度が間に合いませんからね。それに、カイゼル様には島の為に尽力していただいてもらってますし、リュイーシャさんは恐ろしい風や嵐から島を守って下さってますから。こういう時でないとお返しができないですからね」


 あはははは。

 アルザスは再び明るく笑うと、リュイーシャの傍らに置いてあった籠からコリーンを掴みざぶざぶと洗い出した。


「それにしても、今回の商人の一行ったら気味悪いと思いません?」

「気味が悪い?」


 リュイーシャはアルザスに聞き返した。


「私、さっき男連中と一緒に、西の浜へ酒を届けに行ったんですけどね。リュニスの皇子様の船に乗ってる水兵達ったら、酒には一切手をつけず、隊列を組んだまま小舟の側でじっと立ってるんですよ! ひとっこともしゃべらないで。いくら軍隊とはいえ、気味悪いと思いません?」


「そ、そうね……」

「リュイーシャ様。ひょっとしたらカイゼル様、リュニスの皇宮へ帰ってしまわれるんじゃないかしら」


 リュイーシャは呆気にとられてアルザスのふくよかな顔を見つめた。


「カイゼル様は島に住む事を決断されたけれど、そうさせることになった、あなたのお母様はもうこの世にいらっしゃらない。そして島には、成人となり巫女として立派に成長されたあなたがいる」

「そ、そんなこと。私は知らない」


 リュイーシャははっと振り返った。

 そこには青ざめた表情のリオーネが立っていた。


「あの船は……父様を迎えるために来たの?」


 アルザスがしまったという表情でうつむいた。

 リュイーシャは静かに立ち上がり、リオーネを抱き寄せた。壊れ物を扱うように優しく小さな双肩を包み込む。


「いいえ。あの船は商人達を守るためについてきた護衛よ。そして父様はこの島の長となったのだから、私達を置いて皇宮へ行くはずがないの」


 リオーネの肩を抱きしめながら、リュイーシャは静かに呟いた。

 けれど言葉とは裏腹に、リュイーシャは胸の奥で黒い不安が染みのように広がっていくのを感じていた。



    ◇◇◇



 流石に今夜は疲れた。

 客をもてなすのは島長しまおさの務めである。

 リュイーシャは巫女である立場を忘れ、あくまでも島長しまおさの娘として、給仕をしたり台所で食器の片付けをしたりした。

 リオーネも手伝ってくれていたが、洗い物をしながら小さな頭が前後に揺れていたので、先程自室へ寝かし付けてきた所だ。


 リュイーシャは一人、カイゼル達の住まう島長の館を離れ、北の岬にある神殿へと夜道を歩いていた。

 リュイーシャは海神に仕える巫女である。基本的に神殿を空けることは許されない。だから幼い頃は父が夜だけは添い寝を欠かさずしてくれた。

 とても優しい父だ。寝言で時々母の名を呼んでいた。

 愛しい人に先立たれ、後に残された者の悲しみを幼心にいつも感じていた。母がいない寂しさはリュイーシャも同じだったからだ。


『あの船は……父様を迎えるために来たの?』

 リオーネがそう言った時、胸の奥がずきんと痛んだ。


 父の兄皇子は違うと言っていたが、彼の姿を見たカイゼルは何だかとても不安げだった。十八年も会っていない兄弟ならば、抱き合って再会を喜びあいそうなもの。けれどカイゼルとロードはそこまで親しそうにも見えなかった。

   

 ――何も心配することなんてないわ。

   真珠の取引を終えたら、商人達は三日で島を去るのだから。


 神殿の一階部分は柱の連なる回廊で、金色の月ドゥリン、銀色の月ソリンの光が差し込んで、まるで海の中にいるような薄青い光に満ちていた。

 リュイーシャの部屋は二階の天窓部分にしつらえた小部屋で、そこに行くには神殿の外にある石造りの階段を昇る。神殿の一階の天井部分はテラスになっていて歩く事ができる。そこから海と島民の集落の明かりが一望できた。


「あら……?」


 何気なく西の方角を見ていたリュイーシャは異変に気付いた。

 確か商人達は三隻の船でやってきた。そして島から少し離れた海で錨泊していたのだが、見た所二隻しかいない。ロードの乗ってきた黒塗りの皇族専用艦と商船の一隻が、月の光に照らされてその輪郭がぼんやりと黒く浮かび上がっている。


「後の一隻はどこへいったのかしら」


 リュイーシャは青き闇に包まれた水平線に目をこらしたが、それらしい姿は見当たらない。


「……いつもとやはり違う」


 商人の一行を出迎えてから、リュイーシャはどこか心がざわつくのを感じていた。例えるなら目の前を薄紙で覆われているような不安。


 それを破り何が行われているのか、見るのは易いけれど、見ればかろうじて保たれている均衡が崩れてしまうようで、それが怖い――。


 他所者が島に大勢いるから、それで神経が昂っているだけですよと、女中頭のメルジュはそう言ってくれたのだが。


 けれど。

 昔から良い事より悪い事の方の勘が圧倒的に勝った。


「……何?」


 リュイーシャは視線を海から内陸へ、後方へ転じた。低い山の稜線沿いに島民の住居が連なっている。風の被害を最小限度に抑えるため、すべて岩山から削り出した石を組んで作られた平屋である。青白い月の光に照らされたそれらは、真夜中という事もあり、静かな眠りについているようであった。


 誰かに呼ばれたような気がした。

 目を閉じ耳をすますと、ぬらりとした風に乗って声が聞こえてきた。


『……けて。誰か』

『助けて』

『島長! 巫女さま!』


 リュイーシャは神殿の階段を急ぎ駆け降りた。足にまとわりつく衣の裾を右手で掴み、カイゼルのいる館に向かって夜道を走った。

 見えたのだ。

  西の浜の海に軍人達が乗ってきた小舟がいくつも浮かんでいるのが。

  それらは沖に錨泊している軍艦に向かって漕ぎ出していた。


『どこに連れていく気だ!』

『放して! 子供を、子供を返して』


 生暖かい風は島民達の声を――恐慌と悲鳴を運んで来たのだった。

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