第8話・露見
屋上に続く階段。一段一段を踏み締めて、靴の音を響かせて歩く。手汗を握る拳を振って、明光の漏れる階上を目指し往く。
軍靴の音とは程遠く、軍靴を踏み鳴らす心境で、漸く辿り着いた最上階。最後の曲がり角に差し掛かった所で、僕は聞き慣れた囁き声を聞いた。
朝方に散々な罵詈雑言を貰い受けた、憎き腐れ縁の声音。忍び足で登る階段の先に、その後ろ背が見えた。
「何やってんのさ」
「あっ!」
仰け反って、反射的に振り返る影二つ。案の定、腐れた縁の友人二人だった。
「んだよ、椎名親衛隊か……」
「先生かと思ったわ」
盛大な溜息に合わせて毒を吐く野郎二人を見据えて、「何してるの」と、僕は問う。
「親衛隊なら、椎名の動向ぐらい把握しておけよ」
往斗の言葉を補足するかの如く、洋二が「こっちだこっち」と、僕が目指した屋上に続く扉の前に誘う。大方の予想は付いたが、僕は大人しく洋二の隣に腰を据えた。
「ほら、親衛隊。あれを見ろよ」
往斗の視線が注がれる先。曇りガラスの隅に、欠けた小穴が在った。
校内の不穏な輩が抉じ開けたのだろう。自然の造形とは異なる穴を、洋二は指差した。
「まあ、覗いてみろって」
此の儘、当の二人が進む道を誤れば、愚者の道の真髄に至るのも時間の問題だろう。
知ったことでは無いが。
僕は渋々、埃の付着した曇りガラスに片目を寄せた。
窓の縁に吹き溜まった埃が舞う中、開けた一面の蒼と一面の石灰色のコントラストが広がる視界の先。向かって反対側の出入り口の上部に据え置かれた、貯水タンクを背に蒼穹を仰ぐ、紛う方の無い君の姿が在った。
純白の積乱雲が漂う碧落さえ脇役と紛う程、優美な容姿が映える想い人は、人待ち顔を湛えて、癖の付いた髪を涼風に戦がせて居た。
「まさか、ここに椎名が居るなんて思わないよな」
「ほんと。真面目だとばかり思ってた」
両者は口々に、君の印象を語る。往斗は前言に加えて、「絶対に喋らないけど、それがまた良いんだよな」と言う。洋二は、「あの想い耽って居るような表情も良いよな」と、嫌らしい面を湛えて、褒め称えた。
確かに、昼の教室から忽然と姿を晦ます君の行方は、クラスを跨いだ噂話になって居た。
何処に居るのか。君の胸中に抱える想いの矛先は、一体何処に在るのか。それこそ、往斗や洋二が抱いて居る印象さえ持って居たさ。
そうだろう。至極、当然だろう。僕だって、そう思って居たよ。
「な、いずみ。お前だって、そう思うだろ……って、待て待て待て!」
ドアノブに手を掛けた瞬間、二人の静止の声が掛かる。
「なにさ」
「いや、お前。椎名が居るの見えただろ」
扉を挟んで向かい合わせの僕と君。限られた逢瀬は有限だ。時間は、止まらない。止まる術を持たない。ただ、無情に流れる。最早、有象無象の声音に耳を貸す余裕なんて無い。
「知って居るよ」
「なら、此処で見て居れば良い……」
呆れ顔の往斗の言葉を遮って、僕はノブを捻った。
「見て居るのは、もう御免なんだ」
開け放たれた扉の先。ガラス窓に穿たれた穴の奥に在った君を見据えて、僕は往く。刹那の逢瀬に通い合う視線。その場に腰を据えた儘、君は柔和に微笑む。阻む壁は、もう無い。
前進の意志を忘れた連中には、良い薬だろう。
胸中で吠える勝ち鬨。一歩一歩の歩調が奏でる余韻に浸って、一歩一歩を踏み締める。
早々に噂は伝播するのだろう。あの噂話の収集に余念の無い二人のことだ。教室に戻る頃、根掘り葉掘り問い質されるのかも知れない。
……その折に、君は言葉を紡ぐのだろうか。僕以外の人間に、声で語り聞かせるのだろうか。
「……」
入り乱れる正負の感情。双方が相反する二つのベクトルに挟まれる暇に、僕の憂いは加速する。
貯水タンクに続く錆びた階段を踏み締めて、僕は天地の曖昧な碧空を仰ぎ見る。落ちて居るのか、登って居るのか。曖昧な感覚に揺蕩う刹那に、僕は思い至った。
一人で思い悩む必要なんて無い。そうだ。聞けば良いのだ。今ならば、僕は聞ける。今ならば、君の想いは知り得るのだ。
「おはよう。椎名さん」
君の前に立って、僕は口を開く。
「おはよう。いずみくん」
僕の前に座って、君は口を開いた。蒼穹が平等に見下ろす世界で、頬朱を滲ませた君の微笑を見据えて、僕は憂鬱さえ吹き飛ばす。
そうだ。だって、君は言葉を紡ぐのだから。言葉の応酬が叶うのだから。君と僕の距離には、原子さえ割り入る隙が無いのだから。
「良い天気だね」
紺碧の空。白砂の入道雲。千切れ雲。時間は須く流れて、空間を支配する。厳格な束縛の前には、逢瀬さえ囚われる。
然し、輪廻は巡り巡って訪れる。因果も巡り巡って訪れる。一度の邂逅は、未来永劫の往生を約束する楔。
「本当に、良い天気だよ」
今生の逢瀬は、前世の因果に依る運命なのだろう。
途方も無い蒼穹に思い馳せる僕の隣に、君は存在する。過去も現在も未来永劫、此れが変わらぬ運命だとしたら……如何だろう。
「……」
果てない旅路。終わりの無い輪廻。延々と絡む因果。僕は、蒼穹を宿した瞳を見据えて笑った。
「どうしたの?」
「いや。なんでも無いよ」
それは、きっと至上の幸福なのだろうと……僕には思えたんだ。
寡黙な花 ぱすた @engelpasta
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます