第5話・悪戯
花火大会が終わり、雑木林から消えた人影。終幕を告げる閃光の如く、束の間の逢瀬は終演の時を数える。名残に後ろ髪を惹かれて、僕は此処に座り込んで居た。
然し、延々と此処に居座る訳には行かない。時の緩流に歯向かう術は無く、常識の枠内で生きる僕らの夜は、直に終わる。何れ、更ける夜は過ぎ去り、朝が訪れる。
そうだ。この逢瀬の終幕が、君との因果の終焉では無いのだ。
「そろそろ、帰ろうか」
その言葉に頷く君に、若干の寂寥感が蟠る僕の心中は、君の知る由も無いのだろう。
背を凭れる常緑樹の根元から立ち上がって、僕は君を見下ろした。
「……」
眼下に在ったのは、僕を見上げて、両手を伸ばした君の姿。掌は、満天の星空に浮かぶ望月を覗く。その姿に高鳴る鼓動。数刻前に触れていた君の手と、改めて意識した途端に、それは羞恥の念を駆り立てた。
浴衣の袂が捲れて、露出した青白い腕。流線型を描く腕から掌に視線を辿る間に、鼓動さえ耳を叩く。
その小さな手に、僕は触れた。
艶やかな肌を滑り、そっと握り締める。然して君は、何変わらぬ微笑を湛えて、反して僕は、羞恥に堪え兼ねて視線を逸らす。無心を演じた儘、地面に足を据えて、君を強く引き寄せた。
然し、勢い余った。小柄とは言え、存外に君は軽かった。厳つい男子の体重しか知り得ない僕の力加減は、華奢な君には強過ぎたのだ。
立ち上がった瞬間には手を離した僕の胸元に、勢い余った君は、そっと凭れた。
硬直した僕の身体。張り詰めた背筋に伝う汗。僕の眼下に在るのは、緩く畝った髪。仄かに煌めく艶やかな髪。顎を引いた僕の鼻腔に触れるのは、君の匂い。
「ありがと」
胸元に凭れた儘、君は礼を告げた。
此処から、君の表情は伺えない。だから、僕は君を見据えて居た。瞳を合わせて仕舞えば、僕の脆い心臓は爆散して仕舞うのだろう。
田舎の広大な平地を眼下に、満天の星空の下。現実に在れば良いと願った理想が、いま現実に在る夢幻のような事実。
僕の鼓動は、聞こえて居るのだろうか。汗の臭いは、大丈夫だろうか。君は、緊張しては居ないのだろうか。
そんなタイミングだった。君が、僕を見上げたのは……。
「顔、赤いね」
「い、いや。これは違くて……」
極度の緊張は、言葉を仕舞う抽斗さえ緊縛し、必死の弁明は言葉にならない。君の言動に右往左往した挙句に、珍妙な言葉ばかり洩らす僕を間近で見据える君は、「あはは」と笑った。
初めて聞いた、君の愉快な笑い声だった。
途端に胸元の圧が消えて、飄々とした表情を浮かべた君は、僕の眼前に立った。然して、そっと目元を拭った。
「ごめんね。ちょっと楽しくなっちゃった」
「そ、そっか」
君の指標では、些細な悪戯に過ぎないのかも知れない。でも、僕の心は激しく動揺して居た。
当たり前だ。初めての経験の連続に係る相手は、他ならぬ君なのだから……。
僕は、そっと溜息を漏らした。
「帰ろっか」
望月を眺めて、君は言葉を漏らす。
「そうだね」
僕は未だ夢見心地な儘、承諾した。
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