第6話 サクじゅわな休息

「さてと」


 何から始めようか。

 彼女は、再来週までがタイムリミットだとは言っていたが、実質、来週はじめ、長くても来週中頃までだろう。


 いくら魔法が便利なものであったとしても、いくら国家魔法士だったとしても、情報戦にまでは万能ではない。


「…虻田あぶた氏の情報収集と、この男のバックについてるやつの調査を頼みたい、と」


 自分で出来なくもないけれど、魔力増幅用クリスタルの違法製造、密売ルートの確認と同時並行をするには時間が足りない。

 やけにテンションの高い情報屋に、依頼の内容をメールで送れば、『りょ!』という二文字だけが返ってくる。


 それだけを見れば失礼な奴だと思われるかも知れないが、俺の知る限り、彼の能力値はとんでもなく高い。

 敵でもなく、味方でもない。

 彼の価値観に見合う報酬の提供さえ出来れば、どんな情報でも集めてくる。

 そんな彼の短い二文字は、いつも安堵感と同時に、軽い疲労感も連れてくる。



「先週のあの事件も田村さんの管轄下だし、情報は得やすい状況ではあるな」


 まずは、彼のところに行ってみよう。

 そう決断すると同時に、現状をどうするか、とほんの少しの間、思案する。


 規則正しく動く胸元に、閉じられて長さが強調される睫毛。

 首元にあたる髪は同じシャンプーを使っているはずなのに、結城ゆうきの髪は柔らかい。

 さらさら、と、ふわふわする感触にくすぐったくもなるものの、このままでいては、調べものをするのにも効率が悪い。

 気持ち良さそうに寝ているあたり、少し動かしたところでしばらくは起きないだろう。

 そう判断した俺は、ゆっくりとクッションを自身の背から離し、結城から背と膝へ手をまわした。



「…本当に一人とは……久しぶりじゃないか?」

「そうですか?」

「あ、いや、気にしないでくれ」

「……はい…?」


 結城へ書き置きを残し、部屋を出たあと、田村さんへ連絡をとる。

 単独行動をあまり取らない自分たちが、単体で現れたことは彼には本当に物珍しいことだったらしく、久しぶりに本気で驚いている姿を見た気がする。


「頼まれてた資料だ。紙で悪いな」

「いえ、ありがとうございます」


 いつもであればメモリースティックなどで渡される資料も、今回は紙媒体らしい。


「見てもいいですか?」

「ああ。コピーだからな、持って帰ってくれて構わねぇよ」

「重ね重ねすみません」

「気にすんな」


 一言断りをいれ、分厚い紙束の一部を取り出せば、どうやら刑事さんたちの手書きメモの一部までコピーをしてきてくれたらしい。

 走り書きやら、地図、犯人グループと思わしき人物情報など、まさに足で掴んだ情報がぎっしりと詰め込まれている。


「これは…大丈夫なんですか?」

「どれだ?」

「このあたりです」


 とても有り難いことに変わりはないのだが、彼らが必死に集めた情報の塊だ。

 いくら国家魔法士側からの資料提出の協力要請に、警察も応じなければいけないというルールがあったとしても、いい気分はしないのでは。

 そう思い、資料を見せながら田村さんに問いかければ、「大丈夫だろ」と資料を覗き込みながら笑った田村さんと、近い距離で目が合う。


 案外、黒目が大きい。

 場違いにもそんな事を考えた瞬間、「あっぶぁ?!」と田村さんが不思議な声をあげて思い切り顔をあげた。


「ぶあ?」


 とは、一体。

 謎すぎる言葉に首を傾げれば、田村さんが片手で顔を隠しながら、もう片方の手のひらを、俺に向ける。


「すまん、忘れてくれ」


 そう言った声とともに、耳まで赤くなっている年上の青年に、ふふ、と小さく笑ったあと「了解しました」と答えた。



『いまどこ』

「いつものパン屋の前だが」

『……そう』


 田村さんと別れて暫くしてから、ポケットに入れておいた携帯電話が着信を告げる。

 相手は見なくともだいたいの予想はつくものの、表示された名前に、ほんの少し頬が緩む。


 そんな俺とは真逆に、かけてきた相手の声はあからさまに不機嫌そうなものだった。


『……僕も行こうかな』

「買い物ももう終わったところだ。朝ごはん用のパンを買ったら帰るが」

『……むう』


 顔を見ていなくとも分かる。

 絶対にいま、結城は唇を尖らせている。

 そう思い、くく、と小さく吹き出せば、『…む』と俺の笑い声に気がついた結城の短い唸り声が聞こえる。


「アップルパイを買って帰ろうと思ってるんだが」

『……食べる』

「ブルーベリージャムのパイもあるな」

『僕はどっちも食べれる』

「だろうな」


 いつも立ち寄るこのパン屋で、果物を使ったパイが結城はもちろんのこと、自分も気に入っているのだが、売り切れていることが多く、遭遇できた時には、買って帰る。

 それが俺たちのルールになっているのだが。


『ちょっと待ってて』


 電話越しに結城が短くそう告げた時、通話がプツリと途切れる。

 それと同時に、すぐ近くに結城の気配を感じ視線を動かせば、ビルとビルの隙間、人の気配のないところから、結城が出てくる。


「来てみた」

「…見ればわかる」


 家の鍵は、とかも一瞬考えたものの、そもそも俺が鍵をかけて出てきたし、結城は室内からの空間移動魔法だ。鍵うんぬんは関係ないだろう。


「珍しいな」

「……気分的に」

「無理やりにジェットコースターに乗せられている気分になるんじゃなかったのか?」

「ジェットコースターの時もあるし、ジェット機で急旋回でもしてるのか、って時もある」

「なるほど」


 それはあまり体験したいものでは無いな、と結城の嫌そうな顔に頷くものの、じゃあ何でいまそれで来たんだ? という疑問が生まれる。

 けれど、疑問を持ったのもつかの間。結城のほんの少しだけ不貞腐れた顔が全てを物語っていて、俺はそんな結城の頭を軽く撫でて、笑った。



「それにしても……何ていうか」

「熱くて冷たくて、サクじゅわで甘くてトロトロしてて美味しい」

「…感想がてんこ盛りだな」


 好きなパンも、食べてみたかったパイも買え、上機嫌になった結城が、ついでに、と買ったアイスパンなるものを食べながら横を歩く。


「イタリアかあ。どんな感じなのかな」

「…ジェラート?」

「みつき、それ食べ物だけじゃん」


 くくく、と笑いながら答えた結城が、「みつきのメロンパンアイスも一口食べたい」と自分のアイスパンを差し出しながら言う。


「ま、二人とも行ったことないから僕も人のことは言えないね」

「そもそも海外に行くだけで色々と面倒そうだったしな」

「あー、ねー」


 結城ゆうきも俺も、生まれてこのかた、この国の外に出たことはない。

 ましてや結城が国家魔法士として認定を受けてからはなおさら、海外に出かける時には諸手続きが必要だと聞き、「面倒」との結城の一言で海外への渡航自体を本気で検討したことがない。


 先生と一緒に行けば、慣れている秘書の方たちに手続きをお願いして楽になるのだろうけれど、結城が「うん」と言うわけがない。

 それにそもそも、二人ともまだそこまで海外に興味が湧いていないしな、と言うことで今に至る。



「けどさ」

「ん?」

「こういう美味しいものが食べられるなら、行ってみたいかもね、海外」

「ベルギーで本場でチョコを食べまくるとか」

「それ良い、すごい良い」


 キラキラとした瞳で、楽しそうに頷く結城に、俺は一人、今度、本を買ってこよう、と心に決めた。









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