二十四. ゆく末への抗い⑬





 葬儀を終えても、とめどなく溢れてくる涙を払い続けることに冬乃は疲れ、

 腫れた瞼ごと時おり手で押さえるだけに諦めて、傍らに戻ってきた沖田と帰路についた。

 

 膝にうまく力が入らず、横の沖田の支えが無ければまともに歩けるか分からないほど、冬乃の足元は幾度もふらついた。

 

 藤堂の死を知らされた夜から、暗闇にまるで心が取り残されたままで。

 

 

 この時が来ることを、長く覚悟してきたはずだった。

 それなのに、最後に奇跡なんか期待してしまったせい。

 

 そんな奇跡は起こらないのだと。

 

 再び、突きつけられ。

 

 

 藤堂にとっては望むかたちの散り方へと、せめて導けたのかもしれなくとも、

 

 そして伊東にとっては裏切者と誤解されたままの最期だけは避け得たとはいえ。

 それでも彼は、志なかばで、

 いま死を迎える事そのものを未だ望まなかったはずなのに。

 

 伊東が生き抜けば、或いはこの先の流れが変わる可能性を、

 “歴史” は許さなかった。

 

 

 (それが、答えなら・・)

 

 この先に新選組が生き抜くことも、

 沖田の命の刻限を変えることも。全て、叶うはずがないのだろう。

 

 

 (・・・わかっていたはずなのに)

 

 歴史の大流は、今やひとつの時代の“暴力的な” 終焉をめざし、既に力強く突き進んでしまっている。

 

 時代――体制の側として、最も前線でその濁流に対峙してきた新選組が、

 迎いゆくその死は、

 

 謂わば『武士の世の終焉』を象徴する、必然の終止符。

 

 避けられるはずもない事だと。

 

 

 

 それでも、

 

 抗いたかった。

 

 

 

 (・・だけど、もう)

 

 

 

 

 

 

 「冬乃・・大丈夫か」

 

 沖田の心配そうな眼ざしを冬乃は、重い瞼を懸命に擡げて見上げ、小さく頷いてみせた。

 

 (総司さんこそ・・)

 もっと辛いのはきっと、親友を喪った彼のほうなのに。

 

 それなのに、知らせを聞き全身の力が抜け落ちるように泣き崩れてしまった冬乃を、あの時も沖田は只ずっと抱き締めてくれていた。

 

 

 さきほど部屋の前まで送ってくれた沖田が、涙の止まらない冬乃を心配し、せめて部屋が温まるまでと上がってきてくれて。

 火を熾し、あれからとうに部屋なら温まったのに、沖田の腕の包みが緩まることはなく。

 

 

 彼のほうが辛いはず。その想いから辿って冬乃はやがて、

 もしも沖田があの夜に採り得たかもしれないあらゆる回避を考えて自責してしまっていたらと、思い至っていた。

 

 「総司、さん」

 伝えなくては。そう思えば再びこみ上げてきた嗚咽で、冬乃は一瞬咳き込んでしまってから、懸命に顔を上げて。

 どんなに抗って変えようとしても、

 これまでも安藤や山南、千代の、その死期を変えることは叶わなかった事を、そして冬乃は泣きながら打ち明けた。


 これだけ大きな変更を歴史に及ぼしてさえ、今回藤堂達の命日を僅かにずらす事すら叶わなかった以上、

 

 あの僧が示唆したように、

 きっとどんな事をしてみてもこれまでと同様、否これまで以上に、彼らの死は避けようが無かったのだと。

 

 それを伝えようとして。

 

 自身にさえ、言い聞かせながら。

 

 

 『本当に伊東先生は大丈夫なんだよね?』

 

 藤堂の声が今も耳に残っている。

 

 このさき討幕派が伊東を襲う事はないのかと、藤堂が聞いてきた時の、

 

 『私の知るかぎり、これから先の歴史でそのような事はありません』

 

 その自分の答えも。

 冬乃は後悔に心が圧し潰されながらも、

 

 一方で冬乃がどう答えていたとしても、だからきっと変わりはしなかったのだと。

 

 

 

 「唯一叶うかも、しれない事は」

 

 冬乃は幾度も込み上げてくる嗚咽を抑えることも儘ならないまま、懸命に続けた。

 

 「少しでも、その人が望む最期を迎えられるように、元の・・亡くなる原因を、変える事だけで、・・」

 

 安藤や、藤堂の時のように。

 だけどそれすら彼らの望んだ最期へと本当に導けていたかなど、冬乃には分かりようがない。

 所詮は冬乃の内の、勝手な気休めでしか無いのかもしれず。

 

 まして山南や千代のように、自ら迎えるかたちの死では死因すら変わらないまま。

 

 「皆の死期を知っていながら、・・この先もずっと」

 

 歴史の流れを前に、

 

 「変えることは・・できないんです」

 

 己の無力さを幾度も思い知らされ。

 それは尚も続いてゆく。

 

 最愛の人の、最期まで。

 

 

 「・・もう耐えていけるのか・・・わかりません・・・」

 

 

 

 口から零れ出た弱音に一寸のち気づいた冬乃は、はっと息を呑んだ。

 

 

 「冬乃・・」

 

 沖田の辛そうな顔が、再び見上げた瞳に映って。

 

 

 

 

 

 冬乃の苦しみを己がどうすれば和らげてやれるのか、何一つ思い浮かばずに。沖田は掛ける言葉の無いまま、見上げてきた冬乃を唯々強く抱き寄せた。

 

 

 これまで話の端々から想像はしていたが、冬乃の居た時代はやはり泰平の世なのだろう。だからこそ此れ程迄に、藤堂のような闘いに身を投じる者達の死であっても懼れ、深く傷ついてしまう。

 

 この戦乱の世で、剣をもつ自他の死がいつ何時訪れても当然の事としてきた己ですら、いざ藤堂の死を容易に受け入れるなど出来はしない。

 ならば泰平の世こそが当然である冬乃にとっては、その苦しみは如何ばかりか。

 

 しかも彼女の物言いでは、恐らくこの先も尚、幾度も繰り返すという事なのではないか。親しい者達の死を。

 

 そして。

 

 

 「冬乃は前に、俺の望む死は何かを聞いてきたね」

 

 ―――少しでもその人が望む最期を迎えられるように

 冬乃は今そう言ったのだ。

 

 ならば、

 あの時冬乃が聞いてきた理由も、つまりは。

 

 

 びくりと睫毛を震わせた冬乃を、沖田はそっと見下ろした。

 

 「・・有難う、」

 

 冬乃の双眸が大きく見開かれ。

 

 「あれは、俺のことも“望む死” へと導く為・・だったんだね」

 

 

 答えの代わりに、その瞳には再び涙が溢れた。

 

 「冬乃」

 

 やはり己もまた、そう長い命ではないという事だ。

 

 冬乃にとってそれが受け止められぬほど近い未来で、

 冬乃が今それが為に苦しんでいるのなら、

 

 この先どうすれば冬乃は、一人になっても幸せに生きていけるだろう。

 

 

 「答えてほしい事がある・・」

 

 もし、その手がかりに何かしら成り得る可能性が、

 それを知らぬままよりも、

 あるとすれば。

 

 

 冬乃の泣きはらした紅い瞳を沖田は見据えた。

 

 冬乃にとって残酷な問いであり、聞くべき事ではなくとも。

 

 

 「俺は、いつ死ぬの」

 

 

 己は知っておくべきだと。

 

 

 

 「・・答え・・られませ・・」

 

 声を詰まらせて冬乃が逃れるように俯いた。

 

 「すまない。だが・・教えてほしい、隠さずに」

 

 

 しかもあの頃――冬乃を近藤の養女として迎えた頃からは、状況が大きく変わってしまった。

 

 時の長さにすればほんの幾年前からは。

 

 幕府を批判し反発するだけだったかつての反幕勢力は、今や明白に徳川打倒の旗を掲げ、

 

 未だ数は劣れど、執念とすら呼べるその士気は、

 第二次長州征伐後の興奮冷めやらぬ侭に、薩摩が事実上加わった事で俄かに実現可能性を得てかつてないほど高まっている。

 

 もしも、

 この『気運』の勢いの侭いずれ討幕側の優勢にでもなり、

 敗れた旧幕府側の者達がこの先虐げられるような未来が来てしまうのなら、

 

 そして、それまでに己が死すのならば。

 

 遺される冬乃にとっての最善の道は、あの頃とは違ってくるだろう。

 

 

 

 冬乃が、頑なに答えるを拒むように俯かせた顔を上げず、

 沖田は零してしまった溜息の傍ら、柔く冬乃の頭を撫でた。

 「答えてくれる日が来るまで、・・もう少し待つよ」

 

 「代わりに、今これだけは聞きたい」

 

 戸惑うように身じろいだ冬乃の体をそっと離す。

 

 「先生の死期は、いつなのかを」

 

 

 驚いた双眸が、弾けるように沖田を見上げてきた。

 

 

 

 

 

 「それ・・も・・答えられません・・」

 

 冬乃は。見下ろしてくる澄んだ眼差しに捕らわれたまま、

 「ごめ・・なさい・・」

 掠れそうになる声を絞り出していた。

 

 どうして沖田がこんな問いかけをしてくるのか解らずに。

 

 いずれも冬乃には到底、答えられるはずがなく。

 

 

 「・・・先生は、誰よりも武士であることを誇りとし、最期まで武士としての生き様・・散り様を、貫こうとされる方だ」

 

 (え・・?)

 冬乃にとっては唐突なその言葉に、冬乃は、息を呑んだ。

 

 史実での近藤の最期は、

 およそ武士としての散り方とは程遠く。

 

 

 これからさき半年もせずに、京を離れた下総国の地で、討幕軍との戦さを防ぐために投降した近藤は、

 

 何も罪となる事など無かったにも関わらず、討幕軍によって斬首というかたちでその死を迎えてしまう。

 

 

 幕府体制側として反組織を取り締まってきた近藤に、

 斬首という屈辱的な刑を受ける程の罪が、もしも在ったというのなら、

 

 たとえばそれが、武士として多くの命を奪ってきた罪だとでもいうのなら。

 

 同じ程、否それ以上に、彼ら討幕側もまた長きにわたり数多の罪を抱えてきたに等しい。

 それには、亡き孝明帝からは赦されぬままの『賊』としての罪さえも。

 

 いいかえれば、近藤や旧幕府側だけが罰せられる罪など、無い。

 

 

 近藤が捕らえられた頃の戦時下では、旧幕府体制の法など当然、既に意味を成さず、

 近藤の斬首という刑も、法に依っての裁きなどでは勿論ない、

 

 いうなれば討幕側の私怨による、一方的な私刑であり。

 

 

 

 「冬乃」

 

 冬乃の瞳に点った怒りを感じ取られてしまったのか。注意深く見つめてくる眼から、冬乃ははっと咄嗟に視線を背けた。

 

 「・・冬乃が先生の事もまた、望む死を迎えられるよう願ってくれるなら、」

 

 どきりと心の臓が跳ねて、冬乃は表情をも隠そうと、頷くふりをして俯く。

 

 「俺もその為に出来得ることを全てしたい。だから先生がいつ亡くなるのか、・・知っておきたい」

 

 

 沖田のその声は、苦しげな音色を伴い。

 

 先の冬乃の反応からやはり何か気づかれてしまったのかもしれず、

 冬乃はもう顔を上げられないまま小さく首を横に振った。

 

 「冬乃・・頼む」

 

 泣きたくなるほど唯穏やかに、大きな温かい手が冬乃の俯くままの片頬を包んで。

 

 「それが、俺にとっての望む死にも繋がる」

 

 

 (・・・総司・・さん・・・)

 

 

 沖田のその手に導かれて見上げた冬乃を、彼の眼が促した。

 

 それを示されてしまえば、冬乃が答えるしかないことを、

 まるで判っているかのように。

 

 

 哀しみも傷みも、全て覚悟しているかのような深い眼差しを、冬乃は茫然と見つめ返した。

 

 「・・教えて」

 

 止められなかった涙が、溢れて、沖田の手を濡らし。

 

 

 「来年の・・・四月・・です・・」

 

 冬乃は震えてしまう声を圧し出して、答えた。

 

 

 



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