一八. うき世の楽園⑱




 「ああ、あの物見遊山の人達か」

 

 伝言を聞いて沖田が呟いた言葉に。

 

 「物見遊山?」

 永倉は目を瞬かせていた。

 

 「江戸から京に、休暇に来たんだそうで」

 「この動乱真っ只中の京にか?!・・今の京の情勢を知らない者なんて、さすがに江戸にゃいないと思ってたが」

 「“将軍様” が上洛されている今ならば、心配無用と思ったそうですよ」

 

 「そういうことか!」

 永倉は、納得すると同時に笑い出した。

 

 「なるほど江戸のお膝元でぬくぬく居りゃあ、その泰平ボケな考え方も仕方ねえわな」

 

 おっと失言。と永倉は己の片頬をペシリと平手打つ。

 

 「な、その女、まだ暫くは京に滞在してんなら、あとで紹介しろよ」

 女の待つ応接間へ向かい出す沖田へ、永倉は声を追わせた。

 

 「お堅い商家の娘だそうだから、期待しても無駄だとは思いますがね」

 沖田が哂った。

 

 

 

 

 冬乃は逃げ出してきたものの、お鈴が沖田に何を求めて訪ねてきたのか、一方で気懸りであり。

 (でも)

 

 たとえば沖田に茶を出す振りをして覗いてみたところで、長居できるわけでもないのだから、却ってもっと気になりそうで。

 

 (我慢して、ここに居たほうがいい気がする)

 

 今の時間なら、そのうちお孝が休憩に此処、女使用人部屋に戻ってくるはずだ。お孝といつものように世間話でもしていれば気も紛れてくれるのではないか。

 

 

 

 そして幾らか時が進んだ。

 

 (・・・・。)

 

 残酷すぎるひととき。

 

 頼みの綱のお孝も未だ戻ってこない。

 

 部屋を閉め切っていては息が詰まると、つと冬乃は立ち上がり。よろよろと向かって障子を開けた。

 目に眩しい青空が、どんより暗い冬乃をまるで揶揄うように見下ろしてくる。

 

 

 ・・やっぱり覗きに行ってしまおう。

 冬乃が決意するまで、それから時間はそう掛からなかった。

 

 

 

 

 (あの人・・)

 

 お鈴のお供の太兵衛だ。応接間の前で佇んでいる。

 

 (なんで中に居ないの)

 

 廊下を進み近づく冬乃に、まもなく太兵衛は気が付いて丁寧に会釈をしてきた。

 冬乃も会釈を返して、手にした沖田用と二人のおかわり分の茶へ、太兵衛が視線を向けるのを見た。

 

 「有難うございます。手前のほうでお預かりさせてくださいませんか」

 

 変なことをいう太兵衛に、冬乃は理解まで及ばずに動きが止まって。

 太兵衛がそんな冬乃に遠慮がちに促すようにして、盆のほうへと両手を差し出してきた。

 

 「あ・・の、どうかなさったのでしょうか・・」

 漸う紡ぎだした冬乃の問いかけに、太兵衛の両手が宙に留まる。

 

 「少々、・・お人払いをお嬢様に頼まれまして・・・申し訳ございません」

 

 「・・・」

 

 いったい、中で何を話しているのか。

 助けてもらった礼に、人払いをしなくてはならないような会話が伴うものなのか。冬乃には想像ができない。

 

 いつのまにか握りこんでいた盆の縁から、掌に圧迫の痛みを感じて。冬乃はむりやり乱入したくなる想いを次には押し込め、太兵衛へ盆を差し出した。

 

 「・・それではよろしくお願いいたします」

 

 太兵衛が恐縮した様子で、盆を受け取った。

 時。

 

 「気遣いは不要ですよ。彼女も、太兵衛さんも、入ってもらって結構です」

 

 襖の外での冬乃達の会話が中へ筒抜けだったのか、沖田の声がした。

 

 「そんな・・っ」

 中から続けてお鈴の戸惑った声がして。

 

 冬乃はもう。何が何なのか分からず、怖々と襖を開けた。

 

 両刀を片手にさげて立つ沖田と、彼の胴に腕を回してしがみついているお鈴の姿が。目に飛び込んできた。

 

 

 襖を開けながら冬乃は「失礼します」を言い忘れたと気づき、口にしかけていたが、目の前の光景に頭の中は一瞬に吹っ飛んで真っ白になった。

 

 お鈴が、そのままの姿勢でちらりと冬乃を見やって。

 もはやもう一度逃げ出したくなった時、

 

 「そうだ、」

 沖田の常の穏やかな声が届いた。

 

 「気が変わった。どうしても作ってくれるというのなら、私のではなく彼女の服をお願いできますか」

 

 

 (え?)

 「え?!」

 沖田の視線を受けた冬乃の、心の声と、お鈴の声とが重なり。

 

 

 (・・・服?)

 

 

 お鈴が、沖田から漸く身を離した。

 

 (あ)

 

 その手には、何故か下げ緒とおぼしき紐と、細長いものが共に握られていて。

 細長いほうは家庭科の授業で何度か見たことのあるものさしだ。

 

 「お嬢様、お採寸の仕方をお間違えでございます」

 

 不意に、驚くほどの強い口調で冬乃の横に来た太兵衛が言い放った。

 

 「申し訳ございません、沖田様」

 と、太兵衛は次には、その場に座ると平伏し。

 

 「お鈴は普段、店頭には出て参りませんため、仕事を詳しく存じておりませんのです。お鈴がこのような誤った採寸を始めると、手前に分かっておれば止めましたものを・・御無礼を致してしまいました」

 

 店頭?

 (この人たちって、呉服屋さんとか・・?)

 

 「なによ、このほうが測りやすいじゃない!」

 目を丸くする冬乃の先で、お鈴がツンと顔を背けた。

 

 「沖田様。こちらの紐を有難うございました」

 顔を上げた太兵衛を無視したまま、お鈴が沖田へ紐を返す。やはり下げ緒だったのだろう。

 

 「随分と変わった採寸の仕方をするとは思ったが」

 受け取りながら、沖田がむしろ愉快そうに笑った。

 

 「なるほど体の線は真っ直ぐとはいかない、お鈴さんのやり方は理にかなってるじゃありませんか」

 

 (・・・あ)

 

 つまり、平成の世でいうメジャーを使った測り方と同じことをしたのだと。冬乃は気がついた。

 

 「お優しいお言葉を頂戴して真に有難き事ですが、お鈴のふるまいは許されたものではございませぬ」

 畳に両手をついたまま、太兵衛が再び頭を垂れる。

 

 「そもそも仮にも呉服屋の娘、お体の線に綿密に合わせる測りは必要としませんことなど、お鈴は知っていて然るべきです」

 「太兵衛!いいかげんにしてよ、私に対して口が過ぎるわよ!」

 「いいえ・・っ、」

 

 太兵衛が再びお鈴を見上げた。

 

 「今日はこの太兵衛、さすがに言わせていただきます。御武家様のお体にまとわりつくなど、言語道断でございます!沖田様へお謝りください!」

 

 「っ・・!」

 お鈴が尚もぷいと顔を背けて。

 

 

 繰り広げられるやりとりに呆然としていた冬乃は、これまでの話からやっと状況を理解した。

 

 お鈴が沖田へ再三手紙で申し出ていたことは、助けてもらった礼に着物を作らせてほしいという事だったのだろう。

 訪ねて来てまでそれを願い出たお鈴に、沖田もさすがに断る理由がなく承諾したに違いない。

 

 そしてお鈴は太兵衛に、自分が沖田の採寸をするからと人払いを頼んだ。

 太兵衛もお鈴の気持ちが分かっていたから、彼女の願いを聞いてふたりきりにさせてやり、本当は採寸の仕事などしたこともない彼女に、あえて任せたのだろう。

 

 いったい邪まな想いがあったのかどうかは定かではないにしても、そしてお鈴は、太兵衛が想像もしなかった彼女のやり方で、沖田を採寸したということだ。

 

 

 (・・・なんか、)

 

 むかむかするのは。

 なぜなのか。

 

 

 「測っていただけなのだから謝らなくていいですよ。太兵衛さんもどうか頭を上げてもらえますか」

 

 沖田がけろりとした様子で、太兵衛へ声を掛ける。

 

 「しかし・・」

 「そうよ、私、沖田様のお体に合ったお着物をお作りしたかったからしただけよ!」

 「お嬢様!」

 

 実際のところどういうつもりかは知らないが、あんなふうに沖田に抱きついたお鈴に。

 

 「それより、先ほどお願いした事は、どうでしょう、聞いてもらえますか」

 

 

 お鈴にそれを簡単に許した、沖田に。

 

 

 (この気持ち・・・・怒ってる・・てことだよね・・・・)

 

 

 冬乃は。

 

 初めて、沖田に対して、怒りという感情が芽生えていることに驚いて。

 

 

 (だけど、・・だって)

 

 沖田に抱きついていいのは。自分だけだと思っていたのに。

 そんな想いは傲りだったのだろうか。

 

 

 彼と両想いになれる前の自分なら、間違いなく、こんなふうに怒っている自分自身のほうに怒っただろう。なんて勝手で贅沢な、と。

 

 

 でも、だとしたら。

 いま怒っている自分のほうがもしかして間違えているのだろうか。

 

 それを自分の権利だと思うから、怒るのであって。

 

 恋仲になれたからといって、彼を独占していい権利が与えられたと思うことは、傲慢なのだろうか。

 

 

 (・・・わからなくなってきた)

 

 

 ひとつ、わかるとしたら。

 

 今すぐこの場を逃げ出したいこと。


 

 「畏まりました。こちらのお方のお召しものをお作りさせていただくので宜しいのでございますね」

 

 「ええ、宜しく頼みます」

 

 

 「沖田様、何故でございますか・・!?」

 

 

 お鈴の叫び声に、冬乃ははっと思考から引き戻されて彼女を見やった。

 そして、沖田を。

 

 

 (そういえば・・なんで)

 

 「彼女はこのとおり組のために働いてくれているおかげで、隊の者と町に出る際には何かと危険もあり、ときに男装をしなくてはならない」

 

 「「え」」

 

 今度は冬乃とお鈴の声が直に重なった。

 

 「男装・・?」

 「ええ、彼女の寸法に合った男装のあつらえを用意してはもらえませんか」

 

 「なんと」

 太兵衛が丸くした目を瞬かせる。

 

 「御苦労をなされておられるのですね」

 太兵衛は冬乃のほうを見上げた。

 

 「手前どもに出来るかぎりのことをさせていただきます」

 

 そして今一度、お鈴のほうを。

 「宜しゅうございますね、お嬢様」

 「・・・」

 

 お鈴は明らかに不服そうだが、当の沖田の要望では断れないのだろう。例の睥睨を一瞬冬乃へ寄越すと、ふいと諦めたような顔になった。

 

 「それでは、難しい仕事となりますので不肖ながら手前が、お採寸を承ります」

 太兵衛が丁寧な所作で立ち上がる。

 

 (あ・・)

 「・・よろしくお願いします」

 

 冬乃は太兵衛に頭を下げた後、沖田を見た。

 

 あの優しい、冬乃だけに向けられる眼が、冬乃を無言で見返してきて。

 

 

 (・・・総司さん)

 

 まだ胸内に燻る想いは、残れども。

 

 

 一方で沖田の今のはからいには、嬉しい想いも擡げていて。

 

 「ありがとうございます」

 冬乃は、ぽつり呟くようにして礼を言うと、沖田にも頭を下げた。

 

 

  

  

  

  

 仕立て上がったら、江戸から特急の飛脚で送ってもらえるそうで。

 なんだかんだ、届くのが楽しみになった冬乃は、応接間の外まで呼びつけた駕籠に乗り込んで旅籠へ帰ってゆく二人を沖田と共に見送りながら、

 それでも一方で未だ燻り続けている胸内に、小さく溜息をついた。

 

 忙しい沖田なのに、冬乃が採寸を受けている間そばにずっと居てくれたことも、思い返せば彼の愛情ゆえで。

 

 「冬乃、」

 今だって。こんなに優しい声で、呼んでくれるのに。

 

 「どうしたの」

 覗き込まれて冬乃は、おもわず顔を背けていた。

 

 

 「・・・」

 こんな態度をしていてはだめだと。

 

 一呼吸のち、冬乃は意を決して顔を上げた。

 

 

 「総司さんの・・に居れるのは、私だけじゃないんですか」

 

 「え?」

 だが声が途中で小さくなってしまった冬乃に、沖田が聞き返し。

 

 「何て言った」

 冬乃は、

 

 今一度、意を決し。

 

 「・・総司さんの」

 

 ぽす、

 

 と。

 彼の広い胸へと、身を預けて。

 

 「冬乃」

 落ちてきた驚いた声を、寄せた頬にも感じながら、

 

 「・・ここ、は」

 

 沖田の襟元を握り締めた。

 

 

 「私だけの場所に、・・したいんです」

 

 

 この場所を

 誰か、

 他の人にとられたくない

 

 

 顔を上げた冬乃の頬は、剥れていたに違いなく。

 

 間近に見下ろしてきた沖田の目が一瞬、見開かれた。

 

 

 「・・もしかして、怒ったの」

 

 愛しげに微笑うような、その声の次に、落ちてきたのは。額への口づけで。

 

 冬乃はなんだか、懐柔されているような気分になって。

 「・・べつに怒ってません」

 

 「嘘。怒ってたよね・・」

 「怒ってません」

 「本当に」

 「怒ってません」

 

 むきになっていた。


 「そんな拗ねた顔して?」

 「拗ねてません」


 あげく何故か嬉しそうな沖田に、冬乃はよけいに剥れる。

 おかげでもう、見るからに、

 「・・拗ねてる」

 が。

 「拗ねてません」

 

 

 「抱き合ったままで、なんの言い合いしてんだよ」

 

 「・・。」

 

 背後からの、呆れかえった土方の声に。冬乃は黙った。

 いつのまに来たのか。

 

 「例の女は帰ったのか?・・・て、おまえら早く離れろよ」

 

 沖田の腕のなかに留まっている冬乃は、今ばかりはどうしても離れたくなかった。たとえ土方がいても、こんな青空の下でも。

 

 ぎゅっと目のまえの襟をいっそう握りしめて、再び顔をうずめた冬乃に、

 沖田が心得たとばかりに、冬乃の背に回した腕を強めてくれる。

 

 「・・・オイ」

 

 完全に無視された土方が、不穏な声を発した。

 

 「いま取り込み中です。御用は後でお伺いしますので」

 沖田の恒例の飄々とした返しを聞きながら、

 

 「冬乃、」

 「オイコラ」

 土方の恒例の怒り声を背後に聞きながら。

 

 冬乃を抱きしめる腕を少し緩めて覗き込んできた沖田へと、ふたたび顔を上げた冬乃へ。

 

 「ごめんね、悪かった。俺の“ここ” には貴女だけだ」

 

 ――総司さんのここに居れるのは、私だけじゃないんですか

 先の問いかけへの答えが、返ってきて。

 

 

 「私は・・総司さんをひとりじめしてもいいのですか」

 「あたりまえ」

 「じゃあ、ひとりじめできなかったときは、怒ってもいいのですか」

 「当然」

 

 「・・これからは、」

 

 冬乃は、感涙で滲んだ瞳に。己を只々愛しそうに見つめてくれる沖田を映した。

 

 「ここ、に居ていいのは。私だけにしてくださいますか」

 

 「約束する」

 

 今度は唇へ落ちてきた、その誓いのことばに。冬乃は深い安堵に包まれ。この、自分だけに許された居場所で、そっと目を瞑った。

 

 

 冬乃が、

 沖田の女であるように。

 

 彼は。

 

 

 (私の・・・・)

 

 

 

 幸福感のなか、冬乃はやがて離された唇を追うように、うっとりと瞼を擡げた。

 

 

 

 

 「・・・てめえら、いいかげんにしやがれ」

 

 土方の呻き声がした。

 





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