一八. うき世の楽園⑮




 発熱中。

 

 

 (・・・とけちゃう・・)

 

 いまは何も“不健全なコト” をしてないのに。そんなときのように体は、熱をまとい。

 

 彼へと向かう焔のような希求を、

 冬乃はむりやり押し込める。

 

 もっと近づきたい、もう幾度も願ったその想いと。

 

 (いまは、だめだから・・っ)

 仮にもインフルエンザ中だと、

 

 冬乃は内心、闘っていて。

 

 

 沖田も冬乃の体を案じてか、只々冬乃を抱きくるめているだけ。

 

 却ってそれが生殺しになっていることを、沖田は知らないだろう。冬乃は、遂に嘆息した。

 

 

 (こういうとき・・)

 想いを素直に口にしていいのだと。沖田からは散々導かれてきたけども。

 

 いくらうつさないだろうとはいえ、それは冬乃の未来の知識からの結論であって。沖田にとっては、いまこの瞬間も傍に居るだけで風邪がうつる可能性と隣り合わせな事ならば、頭の片隅にあるはずで。

 

 

 (ああもぉ)

 

 ごちゃごちゃ考えずに。心配ないのなら、いいじゃないかと。

 

 冬乃は、結局。

 

 「総司さん・・・」

 

 ふっきれた。

 

 

 「口づけ・・させていただいてもいいでしょうか・・・?」


 

 沖田が噴き出した。

 


 (・・・)


 それなりに悩んだのに、噴き出された冬乃は複雑な顔を擡げる。

 

 「それへ俺がダメだと言うとでも・・?」

 

 (え)

 だがその愛しげな声と共に近づく彼の顔に、

 冬乃は慌てて目を瞑って。

 

 「…ン」

 合わさった唇は、ひんやり冷たくて。

 やっぱり冬乃の側によほど熱があるに違いないと気づいても、もう止められるはずもなくて、

 

 「・・熱い」

 

 一瞬離された隙に、沖田の笑みを含んだ感想を聴きながら、

 冬乃の唇はすぐまた塞がれ、冬乃はそのままゆっくりと背後へ押し倒されてゆき、

 

 (あ・・)

 ふわりと背に、布団の感触を受けたとき。

 

 「まだ当分は」

 冬乃の頭上をその両腕で囲いながら、だが沖田が顔を上げた。

 

 「寝ていたほうが良さそうだね・・」

 

 (・・ハイ・・。)

 ちょっと残念そうに言ってくれたので。

 

 冬乃もおとなしく頷いてみせるしかない。

 

 「冬乃ちゃん、入って平気?」

 

 同時に襖の向こうから藤堂の声がした。

 

 (え、)

 

 明らかに平気ではない。

 まだ待ってほしいと伝えようとした冬乃の、

 「いいよ」

 上でしかし一寸先に。沖田が返答した。

 

 (わあああ)

 

 

 がらりと襖が開き。


 「ちょ沖田、冬乃ちゃんに何やってるの!いま病気なんだよ?!」

 

 案の定、藤堂の怒号が飛んできて。冬乃は逃げ場のなさに視界だけでも遮断する。

 冬乃の体はすっぽり沖田の真下で、以前土方に目撃されたあの時と同じ状況なのだから。

 

 

 頑なに目を閉じる冬乃の、上で沖田の動く気配がした。

 

 「冬乃を寝かせただけだよ」

 例によって愉快そうな声音が、上体を起こした様子の沖田から返され。冬乃は薄目を開けて藤堂の表情を探った。

 

 「・・・ふつう、覆い被さりながら寝かせる?」

 

 目が据わっている藤堂が、冬乃の潤む視界に映る。

 

 「おかしいでしょ」

 完全に疑っている。

 

 「わたしがっ・・そうして寝かせてほしいってお願いしたんです・・!」

 

 このままでは沖田があらぬ疑いをかけられたままになると。

 親友同士の二人が、またいつかの時のように剣呑な雰囲気になるところなど見たくない冬乃は。咄嗟に口走っていた。

 

 

 「・・・」

 

 が、短慮だったかもしれず。

 

 ものすごく微妙な表情と化した藤堂と、笑いを噛み殺している沖田をそれぞれ見遣って、

 困り果てた冬乃は。再び視界を閉ざした。

 

 元はといえば、先に起き上がる前に襖を開ける許可を出した沖田の、こうしてあいかわらず藤堂を揶揄うドSぶりに端を発した事だと、冬乃は次には思い出して。

 

 (・・もう、総司さんのいじわる・・っ)

 気づけば、藤堂と一緒になって冬乃まで振り回されているではないか。

 

 「そういう事だから、あしからず」

 冬乃の話に乗った沖田が、そしてしれっと締めくくるのへ。一番の餌食となった藤堂が仕方なさそうに、はあ、と息をついた。

 

 「そんなお願いするくらいには元気になってるんなら、ひとまず安心だよ・・」

 まして優しい台詞で収めてくれた藤堂に。再び藤堂を見遣りながら冬乃は有難さと申し訳なさとで、胸中深々と頭を垂れる。

 

 「・・で、いつまでその体勢でいるわけ?」

 

 (あ)

 指摘は尤もだった。

 冬乃の上で上半身だけ起こし今なお密着ぎみの沖田へ、冬乃はどきどきと視線を戻す。

 

 視線の先で沖田が、そうだなと呟いた。

 

 「冬乃が寝つくまでにするか」

 ぼそりと続いて独り言ちた沖田は、今のへ目を丸くする冬乃を見下ろして微笑んだ。


 「添い寝しててあげるよ」

 

 (・・そっ、)

 

 「添い寝って・・!」

 藤堂の大いに意義ありな声と、

 

 (それじゃ寝つくどころか全身で覚醒しちゃいますからっ・・!)

 冬乃の心の声とが。重なった。

 

 「沖田っ、ちゃんと冬乃ちゃんに余計な事しないで添い寝してあげれるの?!」

 

 (余計な事?!)

 さすがに意味が分かって頬を赤らめた冬乃を、

 

 「さあ」

 沖田の悪戯な眼差しが覗き込む。

 「だいぶ目が覚めてるようだから、このままじゃ寝つきは悪そうだし、」

 

 「眠らせるために、冬乃に対して効率の良い方法を採るのは・・・ありだね」

 

 

 (!?)

 

 冬乃を見下ろすにこやかな笑みを目に。

 

 「沖田っ!」

 更に意義ありげな藤堂の声を耳に。

 

 “冬乃に対して効率の良い方法” が何なのか、さすがにこれまでの沖田との経験から今度も意味が分かってしまい、もはや全身で紅くなった冬乃は。

 

 

 「冗談だよ」

 

 続いた、その沖田の言葉に。

 

 横になっているのに倒れた気分を味わった。

 

 

 

 



 

 沖田に、

 恩返しの追いつく日が来ないのと同じほど、

 振り回されなくなる日もまた、永遠に来ないだろうと。

 

 「これ以上、冬乃ちゃんをいじめないでよ?!」

 言い置いて出て行く藤堂の背を見送りながら冬乃は、胸内で溜息をつく。

 

 

 でもせめて。

 

 「わがままをもういっこ言ってもいいでしょうか」

 「どうぞ」

 哂う沖田を見上げ、冬乃は思う。

 

 やっぱりちょっとくらい自分も、彼を振り回してみたいのだと。



 「ほんとに私が眠れるように手伝ってもらえないでしょうか」

 

 

 「それは、」

 「ですが」

 これまでの流れから、いま冬乃が眠らせてと頼めば、例の“効率の良い方法” をお願いしているように聞こえてしまうだろう。だから冬乃は遮った。

 

 「効率の・・悪い方法でお願いします・・・」

 

 言い終わるや否や込み上げた咳で、咄嗟に横を向きながら冬乃は、

 (だって、これだから)

 胸内で自身にも言い聞かす。

 

 冬乃の想いが沖田にもっとずっと近づきたくて、仕方がないからこそ。こんな体調では、その想いばかりが先へと進んできっと辛くなる。

 

 咳だってまた出てしまって、いろいろと中断してばかりになってしまうのだろうから、

 (・・そんなの気がおかしくなりそうだもの)

 

 「たしかにもう少し寝たほうがいいのは感じてます・・・どうか私が寝つくよう、助けてください」

 「でも“効率の悪い方法” がいいんだね?」

 

 苦笑ぎみな沖田のその確認に、冬乃は紅くなったままの顔で大きく頷く。

 

 そう。

 こんなわがままでなら、彼を振り回してみたって。


 (いいよね・・・?!)


 沖田が思案するかの様子で押し黙った。

 

 

 

 「・・・・じゃあ子守歌?」

 

 

 暫しのち、出されたその案に。

 

 (き、聴きたい・・・!!)

 冬乃が瞳を輝かせたのは当然だった。

 

 「おねがいしますっ」

 冬乃の即答に、

 沖田のほうは半分冗談だったのか、ますます苦笑の色を滲ませた。

 「本当にそれで眠れるの」

 

 (いいえ!)

 狂喜の興奮で確実に眠れまい。

 

 「もし眠れなくても、でもっお聴きしたいです・・・!」

 沖田が笑い出した。

 「わかったよ。唄ってあげる」

 

 「で、他には何をしてほしい」

 

 (ええ?)

 振り回すはずが、この調子では何でもあっさり受け止められてしまいそうな予感に、

 

 「えと・・・うでまくらを・・」

 「うん。他には」

 

 (きゃう)

 

 「ずっと、ぎゅうっとしてて・・ほしいです」

 「もちろん」


 冬乃は。

 

 「頭なでなで・・」

 「いいよ」

 「時々お水のませてほしいです」

 「お安い御用」

 「あの、口づけも、してください・・」

 「喜んで」

 

 挙げ連ねて。

 

 

 

 ・・・・もうぜったい眠れそうにない。

 

 

 それだけは。確信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 予感は当たったどころか。

 

 眠れない、のはもちろんのこと、あらゆる“おねだり” を受け止めてもらえたうえに、

 振り回されているのは結局、冬乃のほうで。

 

 

 始まりは。どこからだっただろう。

 沖田が布団に入ってきて冬乃を腕枕した時からか、

 それより前の、湯呑に水を汲んできて枕元に置いた沖田が、布団の中から見上げた冬乃の額に『ただいま』の口づけをした時からか、

 

 さらに前の。

 子守歌を聴かせてもらった、その時からかもしれない、

 なぜかピンクのとげとげの姿が想い浮かぶ豚インフルエンザに対して冬乃が、ついにはありがとうと内心呟いてしまうくらいに、幸福感に溺れだしたのは。

 

 

 「水いる?」

 

 ちっとも寝つく様子のない冬乃を覗き込んで沖田が微笑う。こんな結果は分かりきっていたかのように。

 

 (あ・・)

 

 冬乃は再び近づく沖田の顔に、とくとくと速さを増す胸音を感じながら、目を瞑る。

 

 先ほども、冬乃が腕枕に落ち着いたあたりで、沖田が水を飲ませてくれた。もとより冬乃がお願いした事だ。  

 只、想定と違ったのは。

 

 「…ン」

 口移し、だったことで。

 

 今も優しく注ぎ込まれる水は、塞がれた唇ごと、冬乃の喉をゆっくりと潤してゆく。

 少しつたうほどに濡れた冬乃の唇は、離されると同時に沖田の舌先でそっと、その水滴を舐めとられた。

 

 そんな頃にはもう冬乃の心臓は、あたりまえに喧しい。

 抱き起こされて湯呑で飲まされるものとばかり思っていたから、冬乃は先ほどの一回目には仰天して、危うくむせるとこで。

 

 振り回されているのは自分のほうだと。はっきりと“諦観” したのも当然である。

 

 

 それに咳が始まれば、治まるまで後ろから抱き包むようにして背を撫でていてくれて。

 そのまま沖田から隠れるようにして、静かに懐紙に鼻をかみ枕元の屑入れに捨て、漸く一時の辛い症状からの解放にほっと息をつく冬乃を、

 もう大丈夫そうかと、沖田は己のほうへと向き直させ、お疲れ様と言うかのように冬乃の頭を撫でながら抱き締めてくれるのだから。

 

 (こんな看病してもらえるなんて)

 

 ずっと風邪ひいていたい。だなんて思ったら罰が当たるだろうか。

 

 

 「ありがとうございます、総司さん」

 

 冬乃は何度目かになるその囁きを、目の前の沖田の喉元でくぐもらせた。

 

 そして、時々気まぐれに奏でられる沖田の子守歌を耳に。

 その穏やかに低い朗々とした歌声が、冬乃をますます溺れさせてやまないなかで。

 

 (しあわせすぎます・・・)

 

 眠れないけど。

 むしろ、もったいないからもう眠れなくていい。

 冬乃はそっと幸せに因る溜息を、またひとつ零した。

 

   





 

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