一八. うき世の楽園⑯





 「・・ああ、そうだ、」

 つと思い出したように呟かれた声を受けて。冬乃は目を開けた。

 

 眠れそうにないと思っていたのに、温かな腕のなか深い安堵感に包まれてまどろんでいたようだと。

 うつつに引き戻されるようにして冬乃は、驚きながら沖田を見上げた。

 もっとも未だ、最後に咳をした時から、ものの数分と経ってはいないだろう。

 

 「近いうち、」

 沖田が冬乃に腕枕をしたまま常の優しい眼で見下ろしてくる。

 

 「お千代さん達が、診察に来てくれるはずだ」

 

 

 穏やかなその眼差しを。冬乃は瞠目のうちに見返していた。

 

 「お千代さんが・・ですか?」

 「ああ、そういえば、」

 沖田が冬乃の動揺をどう受け止めたのか、さらに思い出した事が出てきた様子で続ける。

 

 「前にここへ彼女が来たよ、確か先々月だったか」


 (え)

 もう冬乃は、完全に冴えてしまった目を瞬かせ、声もなく沖田を見つめた。

 

 「冬乃が数月も顔を出さないのを心配して来たらしい。お千代さんに冬乃が未来のことを伝えているのかが分からなかったから、俺のほうからは、冬乃は江戸に帰っていると言っておいた」

 

 「あ・・」

 

 冬乃は幾分かの安堵とともに、千代に申し訳なくなって。

 大体にして、冬乃が千代と何度か会っていたことも、沖田からしたら初耳だっただろう。その事には当然、千代も沖田と話すうちに気づいたに違いなく。

 

 何故、会っていたことを沖田に対して伏せられていたのか、人を疑うことのない千代ならあれこれ勘繰ることは無いだろうとしても。違和感くらいはおぼえたのではないか。

 

 (ごめんなさい、お千代さん)

 

 

 「お千代さんは医者の仕事を始めているそうだね」

 

 「はい・・・」

 冬乃はもう沖田の目を見れずに、逸らした。

 

 「昼に外に出た時、冬乃の診察をしてもらおうとお千代さん達を訪ねたが不在だった。置手紙をしてきたから、早ければ今日明日にでも来てくれるだろう」

 

 (ごめんなさい、総司さん)

 

 「ありがとうございます・・」

 

 何も追及してこない沖田に、冬乃は救われてしまいながら小さく頭を下げた。








 沖田の腕の中こそ、冬乃にとって睡眠薬にも勝る効果なのだと。

 

 (あんなにどきどきしてたのに)

 同じほど、いやそれ以上の深い安堵感に包まれ、あれからまたすぐ寝てしまって。

 

 おもえばもう何度も経験したその不思議な魔法さながらの結果を、

 再び驚きとともにはっきり認識しながら、冬乃は、今しがた眠りから起こされた目を擦った。

 

 

 (お千代さん・・)

 

 開いた瞳に映った、会いたかった存在を。

 そして、こみあげる感慨に圧されながら見上げて。

 

 「診察に御足労いただいて、ありがとうございます」

 押し出した声が、少し震えた。

 

 

 「やだわ御足労だなんて。友人に会いに来ましただけよ」

 

 少し悪戯っぽく微笑んだ千代の優しさが冬乃の瞳に眩しかった。

 

 (・・・きっと、貴女が)

 

 否、

 こうして前にして。直観よりも深く――魂から。確信している。

 

 彼女が冬乃に、

 確かに祈りを託した存在であることを。

 

 

 「冬乃」

 「冬乃さん・・?」

 床で半身を起こした冬乃を挟んで、両隣の畳に座す沖田と千代が同時に声をあげた。

 

 「大変、どこか痛むの?」

 にじり寄る千代に、冬乃は「え」と目を瞬かせて、睫毛に雫の重さを感じ。頬をつたった涙に意識が届いた。

 

 「あ、・・久しぶりに会えたので嬉しくて、つい・・」

 冬乃は慌てて涙の理由を繕う。尤も会えて嬉しいのは嘘ではない。

 

 「まあ」

 

 千代がその花の咲きこぼれる笑顔をみせた。

 

 「私こそ、会えて嬉しいわ。それに、」

 

 「思ったよりお元気そうで良かった」

 心から安心したような表情で。

 

 「診させていただくかぎり、熱も下がってることですし、このままゆっくり休まれたらきっとすぐ良くなるわ。お薬もお持ちしてますのよ」

 母特製の体力増強の万能薬、と薬の包みを振ってみせる千代に、冬乃は微笑んでそっと頭を下げる。

 

 「あ、今せっかくですから一つお飲みになって。残りは一袋ずつ毎回食事の前に飲んでほしいの」

 

 千代の説明のさなかに、沖田が横で立ち上がった。

 「水を新しく持ってくるよ」

 

 早々に庭の側へ出てゆく沖田の、その背が遠のいた頃、

 「冬乃さん」

 千代の鈴声に呼ばれて冬乃は、はっと振り返った。

 

 

 「みずくさいわ、お二人が好い仲になられたってこと、冬乃さんったら教えてくださらないなんて・・」


 心臓が跳ねた冬乃の瞠目を、にこやかな笑みが迎えた。

 その顔には冬乃を責める様子は見えず、冬乃はほっとしてしまいながらも、「ごめんなさい、言い出す機会が無くて」と咄嗟に下手な言い訳を口走る。

 

 しかし沖田が伝えたのだろうかと内心驚いた冬乃に、ふふ、と千代が微笑った。

 

 「二月ほど前に伺ったのよ、冬乃さんどうしてらっしゃるのかなって気になってしまって」

 

 「あ、聞きました・・ごめんなさい、その、何も言わず帰郷して」

 「いいのよ、急だったのでしょう。でね、」

 千代がうずうずした様子で話を進めた。

 

 「そのとき沖田様がずっと、冬乃さんのことを冬乃ってお名前で呼んでらっしゃったから、不躾を承知でおもわず聞いてしまったの。もしかしてお二人は・・って」

 

 (・・そうだったんだ)

 

 「私ね、じつは沖田様のこと素敵な方だなって思ってたのよ」

 

 冬乃は固まった。

 

 「一度しかお逢いしたことなかったけど、きっとよほど印象深かったのね・・」

 

 千代がそう想っていただろうことは、冬乃には分かっているが、それをあっさり口にした千代に、冬乃は吃驚し。早まる鼓動を胸に千代を見返した冬乃に、

 

 だが千代のほうは、ふわりと嬉しそうに微笑んだ。


 「だから、冬乃さんのお相手が沖田様なのが、とても嬉しいの。私にとって素敵な方同士なんですもの」

 

 

 冬乃の見つめる先の、その優しい笑顔には全く偽りがなく。千代の本心からの祝辞なのだと。冬乃は気づいて。

 

 (お千代さん・・)

 「あ・・りがとうございます・・」

 

 再び押し出す声が震えてしまって、冬乃は慌ててごまかすように咳をした。

 

 「あ、長々とごめんなさい、早く横になられて」

 千代のほうが慌てたように手を伸ばし冬乃の背に添えた。

 作った咳に誘発されたのかそのまま咳き込み出してしまった冬乃を、そうして優しく撫でてくれる小さな温かい手に、

 

 冬乃は、本当に菩薩のようだと次の瞬間に思って。千代の看護を求める患者がたくさんいるだろう事にまで思いが及んだ。

 

 ・・・彼女がこの先も、労咳の患者達と接してゆくのだろう事にも。

 看ないわけにはいかない、と。いつかに千代が答えたときを思い出し。


 

 「大丈夫か」

 

 庭から湯呑を手に戻ってきた沖田が、咳き込んでいる冬乃を見て足早に隣へ来た。

 千代から引き継ぐようにして冬乃の身を支えて横たえるのへ、冬乃は治まってゆく咳の合間に「すみません」と礼をする。

 

 「薬は飲めそうかしら・・」

 心配そうな千代の声に、

 「頂戴します」

 やがて咳の治まった冬乃は、再びゆっくりと起き上がった。

 

 「そうしたら先に少し、水を口にお含みになって」

 千代の言葉に、沖田が差し出してくれる湯呑を受け取り、冬乃は喉を潤わせつつ言われた通りに口に水を含む。

 湯呑と交換に千代から受け取った薬の包みを、開いてそっと口内へ注いだ。

 

 (・・・にがっ)

 

 激しく表情に出たのだろう。千代が冬乃の手へ湯呑を返しながら申し訳なさそうに微笑った。

 「母の作る薬は殊更に苦いんですけど、でもとても良く効きますから、どうか我慢なさって・・」

 

 まさに良薬口に苦しだと、冬乃は涙目になりながら頷き返し。たくさんの水を口に追加して、ごくりと飲み込んだ。

 

 「お薬が無くなる頃にまた伺います。お大事にしてらしてね」

 

 「あの、本当にありがとうございました・・」

 

 診察に来てくれた事だけではなくて、

 沖田との仲を祝福してくれた事も。

 

 そんな千代の存在、そのものに。

 

 

 「早く良くなられて、また甘味やさんへ行きましょう」

 

 千代の慈愛に満ち溢れる笑顔が返ってきた。

 

   


      

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