一八. うき世の楽園⑪




 「・・・おお?!」

 

 冬乃の部屋の方角から揃って歩いてきた沖田と冬乃を見て、井戸場で永倉が声をあげた。

 

 冬乃は、咄嗟に沖田の背に隠れそうになりながら、まだ目撃者が土方じゃなかっただけ良かったと内心ほっとして。

 

 「“健全” な夜でしたよ」

 そんな冬乃をよそに沖田が、にこにこと。永倉の無言の問いへ返答した。

 

 (健全!?)

 今ので結局、そそくさと沖田の背に隠れた冬乃は、

 

 以前、帰京直後の土方に叱られた(と冬乃は思っている)時、そういえばそんな語彙が出てきたと思い出す。

 

 それにしても、不健全な夜を過ごしていた場合、沖田はやはり正直に返答したのだろうのかと、冬乃は内心唸る。

 

 

 (・・てか、何からが不健全なんだろう)

 

 そういえば、そのあたりを冬乃はいまひとつ判っていないまま。

 

 「大体よ、どのへんまでが健全なんだよ?」

 そこにまさかの永倉から、冬乃の疑問の代弁が起こり、

 冬乃はどぎまぎと、目の前の沖田の背を見上げた。

 

 「さあ。その本人が健全だと思う範囲でいいのでは」

 

 「「え」」

 

 永倉と冬乃の声が重なり。

 

 沖田が冬乃を振り返って笑った。

 「なんで隠れてるの」

 

 沖田のもはや無駄に爽やかな笑顔を。見上げた冬乃は返事に詰まる。

 

 とりあえず沖田が健全だと思う範囲を切に知りたくなった冬乃は、だがもちろん聞けるはずもなく、

 「その範囲・・」

 永倉が、恐らくは冬乃の心の代弁を再びしてくれそうな言葉を発した時。

 

 「なんだおまえら、早えな」

 

 (ひゃあ!)


 幹部棟の玄関のほうから、土方の声が遮った。

 

 さいわいにして冬乃達はもう井戸場に来ている。大丈夫なはず、と冬乃は思い直すも心拍の上昇は免れない。

 

 「土方さんこそ、珍しく早いですね」

 沖田が何事も無かったように、けろりと返し、

 

 「あ?ああ、起こされたんだよ、」

 

 土方はというと。急にげんなりした顔で、舌打ちした。

 

 「原田のばかやろうにな」

 

 

 朝から何があったのか。永倉達の興味は、早くもそれへ移動したのは言うまでもなく。

 

 

 

 早々に洗顔を終えた冬乃たちが、急いで幹部棟に向かってみると、

 

 「ふおおおおう・・」

 

 玄関に入る手前から、

 当の原田の弱りきった悲鳴が聞こえてきた。

 

 まだ未解決らしい。問題が何なのかは、まもなく玄関を上がった冬乃たちの目に明らかとなった。

 

 

 原田の部屋から片足が、襖を突き破って廊下に飛び出しているのである。

 

 (て、ホラー!?)

 

 慄く冬乃の横で、永倉と沖田が笑い出した。

 

 「あいつ、またやったのか!」


 (え)

 

 「あ、こら!下手に引くんじゃない!」

 井上の声が原田の悲鳴に交じって、閉じきった部屋の中から聞こえてくる。

 

 「い・・っててて、もう足つっちまうよぅ~!」

 「だからって怪我していいのか!」

 

 

 冬乃はなんとなく状況が分かってきた。

 

 襖は、格子状の骨組みの上に何枚も紙を貼り合わせて作られているはずだ。

 つまり原田の片足は、襖を蹴破った際に、その格子のひとつに見事にはまってしまったのだろうと。

 

 原田の足が突き出ている位置は、人の膝あたりの高さほどある。

 これでは部屋の向こうの原田が、いったい今どんな姿勢なのか心配になるが。

 

 (無理に引き抜いたら、井上様が仰るように怪我しかねない・・)

 

 しかし何故、蹴破ったのだろう。

 

 

 「よしっ、紙は剥がせた。これでよく見えるだろう、さあ引っこ抜くぞ!」

 つと部屋の中から、井上の奮った声がした。

 

 「ふおおおおう」

 原田の雄たけびとも悲鳴ともとれる返答。

 

 廊下側で様子を見ていた藤堂が、しゃがみこむ。

 

 「俺、こっちから押したげるよ」

 

 今しがた井上が原田の足まわりの紙を剥がしたことで、部屋側が少し見通せるようになったその穴を、藤堂が覗き込んで言った。

 

 「た、頼む~」

 原田の涙声が返る。

 

 「足裏くすぐりたくなるな、あれは」

 ぼそっと、冬乃の隣で沖田がドS悪魔な発言をするのを、冬乃は聞かなかったことにして、はらはらと様子を見守る。

 

 「じゃ、いくぞ!ゆっくり、よく見てなるべく擦らないよう引くんだぞ、焦るなっ」

 「ふごおおお・・・ッ」

 

 

 

 そして。

 

 なんとか怪我もなく、無事に原田の足は向こう側へと引っ込んだ。

 もとい、格子にはまるほど勢いよく突き破った時点で、よく怪我をせずに済んだものだと。いろいろ冬乃は不思議に思うものの。

 

 

 「終わったか」

 いつのまにか土方が戻ってきていて。怒りを通り越した呆れきった表情で、足が抜けた後の穴を見やると、すたすた自室へ帰っていった。

 

 「あの、なんでこんなことに・・?」

 事情を知ってそうな藤堂へ、冬乃は恐る恐る尋ねてみる。

 

 「また原田さんの、いつもの寝相の悪さのせいだよ」

 藤堂が立ち上がりながら、苦笑して返してきた。

 

 (あ)

 そうだった。

 

 原田のすこぶる酷い寝相を一瞬に思い出した冬乃は。それでも、

 どうすると、この高さを足が突き破るのか、なお理解できずに首を傾げる。

 

 「夢のなかで賊と闘ってたらしいよ」

 

 冬乃が穴を凝視しているのをみて藤堂が、冬乃の納得していない理由を察し、追加で答えてくれた。

 

 「前にもあったぜ、こんなことが」

 永倉がしゃがんで穴から部屋の様子を覗きつつ、付け足す。

 原田と目が合ったのか、ひらひらと手を振っている。

 

 (前にも、って・・)

 

 もう時々しか泊まることのないはずの屯所でもこれでは、原田の奥方おまさは苦労していそうだと。

 冬乃は噴き出しそうになりながら、彼女に同情してしまい。

 

 原田は結婚してからは、夜番の後や激務期間でないかぎりは、おまさのところへ帰っている。

 

 昨晩は、原田の隊は沖田の隊と共に夜番で、手分けして町を巡察していた。そうして帰ってきた原田が、夢でまで仕事をしているさまなら、もうすこし見直してもいいのかもしれないが。

 

 

 「いやあ、良かった良かった」

 これまで固唾を呑んで見守っていた、人の良い近藤が、四角い顔を綻ばして安堵しているなか、

 

 穴の開いた襖が開き、井上が出てきた。

 「まったく、朝一番に奇声あげて、何事かと思いきや。人騒がせもいいところだよ」

 

 部屋の向こうの障子が、開け放たれている。きっと井上は、わざわざ縁側から回って、騒いでいた原田の部屋に入り、彼を今まで助けたのだろう。

 

 「御無事でしたかな?」

 そこへ伊東が、廊下の向こうから顔を出した。

 

 「あ、伊東さん、朝からお騒がせして申し訳ない」

 井上が原田の保護者さながら頭を下げる。

 

 原田は部屋のなかで、現在、足がつっているらしく悶えているので声が出ない。

 

 斎藤は騒ぎだから出て来ないのか、朝番に行っているのかは分からないが、冬乃は斎藤ならどんな台詞を言うだろうと、つと想像してみるも浮かばない。

 

 原田の部屋から玄関までを伝って、時おり気持ちのいい風が駆け抜ける廊下に佇みながら、そして冬乃はもう、こみ上げる笑いを抑えるのに必死で。原田のつった足をちょっとばかり案じつつ。

 

 (総司さんと家でふたりきりの朝が一番だけど、)

 

 屯所の皆と迎える、こんな賑やかな朝も捨てがたいと。

 冬乃はそんなことを想って。

 

 

 (・・ずっと続いたらいいのに)

 

 こんな日々が、いつまでも続いてくれたらと。

 次にはまた、そんな悲観的な感情が押し寄せてきて冬乃は、慌てて思考を閉ざそうと頭を振った。

 

 

 「冬乃」

 

 掛けられた優しい沖田の声に、冬乃は顔を上げる。

 

 「朝餉まで、俺の部屋に居る?」

 

 (居ます・・っ)

 

 一瞬にして先の思考は消え去って。目を輝かせた冬乃に、

 

 「ほんと見せつけてくれるよなあ」

 永倉の苦笑が追うも。

 

 「冬乃ちゃんが幸せだったら、俺はそれでいい」

 藤堂を見やった永倉へと、藤堂が返事をした。

 

 (藤堂様・・)

 

 「でも沖田にいじめられたら、俺のとこおいでよ?」

 

 (・・ん?)

 いじめられる、という点では日常茶飯事な気が。

 冬乃は押し黙った。

 

 「やらない」

 そこへ突然、沖田の腕が伸ばされた。

 (きゃ)

 腰を攫われた冬乃は、沖田の腕にそのまま腰を抱かれながら、促されて歩き出して。

 

 (いま、やらないって言った?)

 

 どきどきと冬乃は横の沖田を見上げる。

 冬乃を藤堂の元へはやらない、という意味に違いなく。

 

 (総司さん・・っ)

 時折こうして見せられる沖田からの独占欲に、冬乃が本当はその場で舞い踊りたいほど喜んでいることを、沖田はどこまで分かっているのだろう。

 

 

 「ったく、あーもう、二人ともさっさと俺の視界から消えて!」

 藤堂がぶんぶんと顔の前で手を振るのが、冬乃の目の端に映った。

 

 「平助ちゃん大丈夫だ、おまえには俺がいる!」

 永倉が藤堂へ抱きつこうとするのを、藤堂がすばやく避ける。

 「俺もいるぜいッ」

 足が復活した原田が、さらに横合いから藤堂に飛びついた。

 

 「嫌だああぁぁ」

 

 藤堂の悲鳴を背後に。冬乃と沖田は、部屋へと入って。

 

 

 襖を閉めた途端、

 冬乃は強く抱き締められていた。一瞬息も止まるほどのその抱擁に、遅れて零した吐息は、

 

 次には顎を持ち上げられて塞がれた唇へ、まるで押し返されて。冬乃は、

 それからもう、あいかわらず腰が砕けるまで吸われて、

 

 やっと解放されるとともに、しがみついた沖田の襟に頬を寄せた頃には、息も絶えだえで。

 

 躰の、芯が。苦しいほど、熱く。

 

 

 (も・・う、これから朝ごはん・・なのに・・っ)

 冬乃は思う、

 

 「何か、もの言いたげだね」

 

 どこか揶揄うような、それでいて冬乃を蕩かしてしまう甘く愛しげな眼差しで、見下ろしてくる沖田へと。

 

 今だって。まさに冬乃は思いっきり“いじめられている” のだと。勿論、

 愛の籠もった、恋人同士ならではの。

 

 「べつに何も…ありません…っ」

 

 そんないじめを。沖田にならもっとしてもらいたくなるなんてことは、絶対に口にすまいと。冬乃は、目の前の沖田の襟で口を塞ぐ。

 

 「ふうん・・」

 

 尤も、どうせ分かりきっているくせに、沖田が愉しそうに喉を鳴らし冬乃の両肩を掴んで離すのへ、冬乃はちょっと抵抗するも、

 

 「なら、まだ遠慮なく」

 

 あっさりと冬乃の体は離されるどころか、抱き上げられ。

 

 (え)

 反転した視界に、瞠目した冬乃が運ばれた先は。何故か、押し入れで。

 そのまま冬乃は上の段の、布団の上へと降ろされ、

 

 (え?え?)

 追って上がってくる沖田の、朝光の内で柔らかに微笑む浅黒い男顔が、冬乃を見下ろしたのを。冬乃の瞳が映した刹那。

 

 ぴしゃりと押し入れの襖が閉められ、

 視界は、真っ暗になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 (ぜったい“不健全” なコトしてた。)

 

 その自覚ある冬乃は。

 

 沖田と二人して、ちょっと遅れて来た朝餉の席で、うしろめたさに先程から全く土方の顔を見れないでいる。

 

 土方の方角からは、何か非常に不穏な気が飛ばされてくるのも、決して気のせいではあるまい。よって冬乃は、何が何でも彼と目を合わせるわけにはいかない。

 

 冬乃の隣では、当然の如く飄々と食事を平らげてゆく沖田が。固まっている冬乃を時々見やっては、気にするなとばかりに微笑う。

 沖田も、いや、沖田の場合はわざと煽っているのだろうが、土方の怒気攻撃を完全に無視し続けている。

 

 (土方様の勘の鋭さ、ほんと怖いです・・っ)

 

 このままろくに食事が喉を通りそうにない冬乃である。

 

 ただでさえ、冬乃の頭には先程までのことがずっと映像になって流れていて。

 それで赤面しては、土方からの強烈な視線に蒼くなるを繰り返している状態でもあって。

 

 

 押し入れで冬乃は。この前のように手拭いで猿轡をされ、押し殺した自身の嬌声を耳に、あれこれ“いじめられ” て・・愛されて。あのとき蕩けてしまった身の芯は、未だくゆるような熱を残し。

 

 いま冬乃は、懸命に平静を装っていても、土方のあの様子では、何かしら気づかれているとしか思えず。

 もう何度目かで大分、こんなふうに平静を装うことになら上手くなったはずなのに。

 

 

 「・・冬乃ちゃん」

 

 不意にもう一方の隣から声を掛けられて、冬乃ははっと、その方を向いた。

 藤堂が、心配そうな表情をして冬乃を見つめている。

 

 「具合悪いの・・?全然、食事も進んでいないし」

 

 「あ、いえ」

 冬乃は焦って、首を振った。

 

 「大丈夫です。その、いろいろと・・考え事してて」

 ありがとうございます、と頭を下げながら冬乃はもう、理由が理由なだけに藤堂には申し訳なくさえなって、

 急いで前を向き直ると、豆腐を喉に流し込んだ。とにかくがんばって食事に集中せねばと。

 

 (・・・・だめ)

 なのに湯呑を手に包んだ刹那に、また脳裏を駆け巡る。

 この掌には、沖田の硬い感触まで残っていて。

 

 かあっと頬が火照ったのを、自分でも分かった冬乃は慌ててごまかすように湯呑を口に運んだ。

 

 「冬乃ちゃん、熱でもあるんじゃ・・」

 「いえっ」

 まだ藤堂が心配してくれて、冬乃はぶんぶん首を振る。

 

 藤堂が溜息をついた。

 

 「沖田、もっと冬乃ちゃんの体、無理させないよう気にかけてやりなよ」

 

 

 「・・・」

 

 なんだか、別の意味に聞こえるのは。

 冬乃の頭が完全に桃色化しているせいなのか。

 

 黙り込んだ冬乃の横で、

 こちらを向いた沖田の、ふっと微笑う息遣いと。伸ばされた腕が冬乃の背後へ回る気配。冬乃は、次には肩を抱き寄せられ、おもいっきり沖田の側に傾いた。

 

 「確かに、少し熱っぽいな」

 

 その言葉にどきりと見上げた冬乃を、間近で悪戯な眼が見返してくる。


 冬乃の煩悶なんて、お見通しであるかのように。

 

 

 「ほら、やっぱり。仕事に家事にと、ちょっと大変なんじゃないの?」

 藤堂の優しい声に、冬乃はますます申し訳なくなる。

 

 「・・・おい」

 

 (う)

 

 ついには土方が、その明らかに憤怒を含ませた声音を叩きつけてきた。

 「てめえら離れろ。食事中だ」

 

 「はいはい」

 素直に冬乃を離す沖田から、冬乃は急いで体勢を整える。

 

 「それから、」

 

 だが土方の鋭い声は続いた。

 

 

 「この後、副長室に来い」

 

 

 (・・・・えええ!?)

 

 一瞬に今からもう涙目になった冬乃と。

 

 肩を竦ませた沖田の。

 

 二人を見やって藤堂が、

 何故にいま冬乃たちが呼び出しを食らったのかと。不可解そうに、ひとり首を傾げた。

 




 

 

 

 縁側を少し開けた障子の隙間から、初夏の緩やかな風が滑りこむなか。

 

 先程から冬乃は。風紀の鬼の睥睨から、目を逸らしたきり顔を上げられず。

 

 長いような短いような、緊迫した無音の時間。どれほどか過ぎた頃。

 隣では、掻いた胡坐の片膝に肘をつき、手に顎をのせていた沖田が、遂にぶわっと大きな欠伸をした。

 

 

 「・・総司てめえ、反省の意が無えな」

 

 「何の反省です」

 

 「・・・」

 

 言わせるのかこのやろう、と言いたげな土方の無言の圧が、

 膝元の手を凝視する冬乃にも、びしびしと届く。

 

 

 「じゃあ聞くが、朝餉に来るまで、おまえら部屋で何してた」

 

 (うう)

 しかし本当に。何故、バレているのだと。あのとき冬乃は猿轡をされたうえに自らだって声を押し殺していた。

 もう、朝餉の席での冬乃の、内に燻る熱を土方は見抜いたのだとしか。

 

 冬乃は文字通り、穴があったら隠れたい衝動に駆られ。

 

 

 「“健全な”愛を交わしてました」

 

 なのに飄々と。とんでもない台詞で返答した沖田に、冬乃はぎょっとする。

 

 「ああん?健全ってどういう意味だよッ」

 「健全は健全ですよ」

 

 冬乃は、朝の沖田の台詞を想い起こした。

 本人が健全と思うなら、そうなのだと言った、あれを。

 

 (そ、それで押し通す気ですか)

 背に冷たい汗を感じつつ冬乃は、そっと隣の沖田を窺って。

 

 「おい、未来女ッ」

 

 が、矛先がこちらに来て冬乃の心臓は飛び跳ねた。

 

 「おまえも総司にされるままになってんじゃねえと、以前も言ったよな?!」

 (んう)

 

 「後の食事もままならねえで、どこが健全だって??」

 

 それはむしろ貴方に睨まれていたからです

 とは勿論、冬乃は言い返せない。

 

 「てめえらがこれ以上、言いつけを守らねえなら、屯所での今後一切の接触を禁ずる」

 

 (え・・)

 

 縋るように沖田のほうを見てしまった冬乃に、

 沖田が見返してきて、こんな時なのに驚くほどの愛しげな表情になり。

 

 「だから、誤解ですよ」

 次に土方を向いた。

 

 「証拠が無ければ、それは不当な糾弾です」

 

 「証拠・・・だと?」

 

 「あるなら出してください。俺達が確かに、“風紀を乱す” 行為をしていたという、確固たる証拠を」

 

 

 冬乃は、はらはらと二人を見て。

 あいかわらず土方をくった態度の沖田を横に、冬乃の手は汗を握る。

 

 「・・・てめえ・・どこまでもいい度胸だな」

 「貴方に鍛えられましたからね」

 

 「俺は鍛えてやった覚えは無えよッ」

 

 「江戸の頃、貴方の喧嘩に廓に賭博にと、俺が未だ元服も済ます前から散々付き合わせておいて、よく言いますね」

 

 (え)

 

 「てめ、」

 

 「それが今じゃこのとおり“風紀の鬼” だ。世も末です」

 

 「・・ッ元服前だから何だよ?あんだけさっさと図体デカく成長してりゃ関係ねえ」

 「図体デカかろうが中身はまだまだ純情なガキでしたよ、それを貴方は夜な夜な賭博に駆り出し、俺の勘を利用してボロ儲け・・そりゃ度胸も付きます」

 「あぁんッ?あのクッソ生意気なガキの、どこが純情だったと?!」

 「ほら、ガキだったと認めてるでしょうが」

 「俺が認めてねえのは純情だったってほうだッ!」

 

 (あ・・あの)

 あいかわらず、仲が良いんだか悪いんだか分からぬ二人の勃発したやりとりに、冬乃は呆然と固まり。

 

 「いいえ、近藤先生なら俺の“純情説” に諸手で賛成してくれますよ」

 (純情説・・)

 「ったりめえだッ勝っちゃんにはいっつも良いツラしやがって!おめえは昔っから俺には本性剥き出しだったじゃねえかよ、んな奴のどこが純情だって?あぁ?大体な、純情な奴は自分で純情とは言わねえんだよッ」

 「ひどいなあ。あの頃は歳さんがガキ相手に大人げないから、こっちは自衛してたんですよ」

 「てめえが俺を“弟弟子” だと思ってイイ気になりやがるからだろが!」

 「そんなのは、所詮ガキの振舞いだとあしらってりゃ良かったんです」

 「おいコラてめえが言うな、本人がッ」

 

 (あああの・・)

 

 「とにかく、貴方が今さら何を言おうが、あのころ試衛館の風紀を乱してたのは断トツで貴方でしたからねえ。それを、」

 

 「ああ五月蠅えッ、もういいから出ていけッ!!」

 

 

 そして遂にさじを投げた土方に。

 

 冬乃は瞠目とともに、

 横で立ち上がった沖田につられて慌てて立ち上がり。

 

 「では失礼します」

 慇懃に一礼する沖田に更につられて頭を下げて、冬乃は沖田を追いかけ土方の部屋を出た。

 

 

 (な、なんか)

 

 とりあえずどうやら、接触禁止令だけは免れたようで。

 ほっとしてしまいながらも、

 

 (・・・今の嵐は忘れよう。)


 いろいろと。今しがた冬乃は、御公儀方である新選組中核幹部の二人にあるまじき黒い過去を、ごっそり聞いてしまった気がしてならない。

 

 

 しかしいつも、二人はああして口喧嘩さながらの応酬を繰り広げながら、じつに活き活きと愉しそうに見えてしまうのは、どういうことなのか。


 沖田の部屋に連れられるように戻り、冬乃はどきどきと沖田を見上げる。

 

 「冬乃、」

 

 やはり、けろりとした沖田の。

 それはそれは優しい声音が、そんな冬乃に降ってきた。

 

 「今日は俺の非番に合わせ、先生からは冬乃の休みをもらってある」

 

 

 (・・って、え?!)

 

 冬乃の瞳は途端、またしても輝いたに違いなく。

 

 昨日のうちに近藤から、明日は休んでいいと聞いてはいたが、まさか沖田の休みに合わせてのことだったとは。

 

 「夕方の、早いうちから飲みに出ようか」

 

 

 ・・・冬乃の瞳は、輝きを少しばかり欠いたに違いなく。

 

 今は、だって未だ朝なのに。

 「この後は・・?」

 これから夕方までは、一緒にいることができないのかと。

 

 「俺は、斎藤と稽古でもしようかと思ってる」

 冬乃の問いに答えた沖田から、冬乃は目を逸らした。

 

 「はい・・」

 

 「・・・」

 

 そのまま生じた沈黙に、冬乃は俯いて。

 沖田にとって三度の飯より大好きだという稽古は、存分にしていてほしい。それは本心で思っている。

 

 一方で同じほど、片時も離れずにずっと一緒にいたいと。わがままを訴える自分の心に、冬乃は耳を塞ぐ。

 

 

 「そんなにがっかりして・・」

 

 (あ、)

 沖田のひどく愛しげな声に、だが冬乃は顔を上げた。

 

 近づいた沖田の、両の腕が冬乃の後ろへ回る。

 

 

 「素直でよろしい」

 

 (え)

 あまりに嬉しそうに。そうして冬乃を抱き寄せた沖田を、

 冬乃は驚いて見つめてしまった。

 

 「やっぱり一緒にいようか、今日は一日中」

 

 

 「・・・はいっ・・!」

 

 

 

 わがままは。口にしなくても汲んでくれる沖田になら、

 なによりその沖田が、望んで受けとめてくれるのなら。

 

 わがままとは、なりえないのだと。



 つまり隠しようがないのなら、黙っている必要も無くて、

 わがままだと冬乃が思っていたものは、

 

 わがままではなくて。

 

 

 「嬉しいよ」

 

 互いが、望む事だったのだと。

 

 

 「今日は朝から晩まで冬乃づくしとは」

 

 「総司さん・・っ」

 温かな腕のなかに冬乃は、嬉しすぎて緩んでしまう顔をうずめた。

 

 

 きっと。

 ときには冬乃の望んだ想いが、『わがまま』であってさえも、

 

 冬乃がきちんと伝えたなら、沖田は喜んで最大限に聞き入れてくれるのだろう、

 

 決して嫌々では無しに。

 

 もっとわがままを言っていいと、そう望んでくれたように。

 

 

 だから。

 

 もう。

 こんな壁なら、今度こそ壊してしまおう。

 

 

 「今日は、いっぱい・・愛してください」

 

 ぜんぶ、

 

 「そして私にも総司さんにしてあげられること、もっと教えてください・・・」

 

 

 これからは想いを伝えて。

 

 素直に彼の腕に飛び込んで。

 

 

 

 

 「・・・冬乃」

 

 覗き込む気配に、冬乃は顔を擡げた。

 

 (あ・・)

 「そこまで俺を誘惑するからには、」

 

 冬乃を見下ろした深く熱の篭った、その眼が。

 

 優しく、細まった。


 

 「覚悟は、できてるよな?」

 

 

 

       





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