一八. うき世の楽園⑥



 「いや、寝たともいえるが」

 

 沖田がにっこりと微笑んだ。

 

 「気を失ったせいかな」

 

 

 (え・・・?!)

 

 「一度うっすら気がついたようだったが、それも覚えてない?」

 

 覚えてるわけないか

 と、沖田が愛しげに冬乃を見下ろして。

 

 「すぐまた貴女は目を閉じたしね。・・そのうち今度は寝息がしてきたから、そのまま寝かせておいて此処まで運んだ」

 

 よほど疲れ果てたんだね

 悪戯な色を混ぜた、沖田の揶揄うような眼が冬乃を捕らえた。

 

 

 何によって疲れ果てたのか、聞くまでもなく。冬乃は、再び噴火しそうになった顔を慌てて伏せる。

 

 (な、なんか)

 愛する男から気を失うほどの快楽を与えられて疲れ果てる、なんて、どんな幸せな疲労だろう。

 冬乃は整えたばかりの沖田の襟に、発熱中の頬を押し付けた。

 

 

 「腹減った。」

 そんな冬乃の頬に、再び直に響く声。

 

 「朝餉にしない?」

 冬乃はもう一度そう促されても顔を上げられないまま。只々頷いて、そっと俯き加減で沖田から離れる。

 冬乃も確かにひどく空腹ではあって。

 

 「台所に昨夜の分があるようだが・・何か手伝うことある?」

 聞いてくれる沖田に、冬乃はふるふると首を振る。

 「すぐご用意できますっ・・」

 

 ありがとう、と。顔を見ずとも嬉しそうな声が、そそくさと背を向けた冬乃に届いた。

 

 

 

 

 

 ふたり揃っての朝帰り。

 

 小鳥の声に迎えられながら幹部棟に入ってゆき、玄関で履物を脱いでいるふたりへ、部屋からちょうど出てきた原田が、

 すでに冬乃が昨日に戻ってきている事を聞いていた様子で、冬乃の存在に別段驚きもせず、

 

 どころか、

 「よお、おふたりさん!!朝から見せつけてくれるねえ!!」

 と、これまた爆音で声をかけてきて。

 

 沖田の背に隠れたくなった冬乃と、当然けろりとしている沖田の視界に、即座に映ったのは、

 

 「こら、うるさいぞサノ!」

 同じく襖を開けて出てきた井上。

 

 十分、井上の声も大きい。

 

 「おかえり!そしておはよう」

 近藤までがすらりと襖を開けて出てきて。

 

 朝餉に向かうのだろうとしても、残酷なタイミングだと冬乃は内心唸りながら、

 「おはようございます近藤様」

 恥ずかしさを押し殺し、ぺこりとお辞儀をする。

 

 「早かったな」

 まさかの土方まで出てきた。

 おもわず顔を上げた冬乃の目に、どうも彼の眉間が皺寄ってみえるのは気のせいだろうか。

 

 「おう、おかえり~」

 そしてなんと永倉まで出てきては。

 

 (~~~っ)

 もはや。見世物になっている気分で。

 冬乃はもう、本当に沖田の背に体半分こそりと隠れた。

 

 「朝餉は済ませたのかい」

 近藤が、さすがに気遣うような声音で聞いてくる。

 「はい」

 沖田が答え。冬乃は隠れたまま頷くと。

 

 「なら、冬乃さん、すまないが私はこれから朝餉だから、先に部屋の掃除をしておいてもらってもいいだろうか」

 

 (あ)

 「はい・・!」

 

 冬乃は、急いで紅いままの顔を出して返事を返した。

 

 

 また始まる、新選組での日常。

 それが冬乃にとってどんなに嬉しいことかなんて、近藤も沖田も想像もしないだろう。

 

 (・・・がんばろう・・っ)

 

 そのまま広い廊下をすれ違って口々に「行ってくるよ」と言い置いて出てゆく面々の背を、見送りながら冬乃は心に活を入れた。

 

 

 「藤堂は巡察かな」

 沖田が穏やかな表情で呟くのをそして冬乃は見上げた。

 藤堂の気配が無いのだろう。

 

 「斎藤、おはよう」

 沖田のほうは、つと斎藤の部屋を向いて声を掛けた。

 まもなく、その襖が開き。

 

 「おはよう」

 

 (あ)

 朝からあまりにきっちりと身支度のできている斎藤が、答えながら出てきた。

 

 騒ぎを避けて今を選んで出てきた、といったところだろうか。

 

 「おはようございます、斎藤様」

 冬乃はぺこりと再びお辞儀をして。

 「おはよう」

 静かな声が返されるのを頭上に聞く。

 

 「昼あいてるか」

 きっとまた稽古の誘いだろうか、沖田がさっそく斎藤の予定を確認した。

 「ああ」

 斎藤のかわらず静かな返事に、そして沖田がやはり稽古の約束を取り付けるのを冬乃は横で聞きながら、

 こんな二人の日常のやりとりもまた見られることに、嬉しさを隠せない。

 

 (日にちでなら、たった数日離れただけなのに)

 

 もう冬乃は、此処の世から片時だって離れたくはない。改めてその想いに心内で溜息をついた。

 

 (ほんとに次こそは、統真さんにお願いしてこなきゃ・・)

 

 それからは最期の時が来るまで

 今度こそずっと傍に居たい

 

 

 まだあともう少しだけ思い出さないでいたい、その事を。冬乃はそしてすぐに頭から追いやって、

 顔を上げれば、ちょうど話を終えて斎藤も朝餉へ向かい出して。すっと姿勢の良いその背を見送り、

 冬乃は再び沖田を見上げた。

 

 「先生に頼まれたならば仕方ない」

 掃除がんばって

 と名残惜しそうに微笑んでくれる沖田に、冬乃は抱きつきたくなるのを抑え。

 

 「はい」

 答えかけて、

 

 だが冬乃は意を決した。

 

 「でも今ちょっとだけ・・ぎゅっとしてください・・・」

 

 

 こんなわがままくらいなら、

 近藤をさしおいても許してもらえないだろうかと。

 

 

 答えは。

 

 刹那に沖田の服で、前が見えなくなったことで。示された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぶひ。

 

 豚の鳴き声がする。

 

 

 冬乃は驚いて、ハタキの手を止め、開け放った障子のほうを見やった。


 

 あれから沖田の腕のなかで暫しの幸福感に浸った後、冬乃は「今夜もまた泊まろう」と沖田に言われかけ、

 だが続いて沖田がその自らの台詞を訂正するように「いや、泊まるというより一緒に住むつもりでいて」と。

 言ってくれて。

 

 おかげでもう冬乃の頬は、近藤の部屋でハタキを叩いていても、緩んだまま直らないでいる。

 

 

 そんなさなかに突如、庭先から聞こえてきた豚の鳴き声。冬乃は次にはおそるおそる縁側へと歩んだ。

 

 

 (・・・あ)

 

 子豚が一匹、鼻をひくひくさせながら庭の土を嗅いで廻っている。

 

 (はぐれた・・のかな?)

 

 群れで散策していた豚達の姿を記憶している冬乃は、一匹だけの子豚の光景を見慣れず。おもわず首を傾げる。

 

 遠くのほうも見渡してみるが、他に豚がいる様子は無い。

 

 (どうしよう?)

 はぐれ豚であろうと屯所の中に居る以上、何か問題があるわけでもないのだろうけど。

 

 (・・・でも気になる)

 

 冬乃は暫し考えあぐねてから。

 庭先へ降り立った。

 

 

 

 

 

 沖田は昨夜の微妙な寝不足を解消すべく、昼まで仮眠するつもりで横になっていた。

 

 隣の近藤の部屋では、冬乃がきっと一生懸命に掃除をしているだろうと。その様子を想像しながら、次第に重くなる瞼に任せ、眠りへといざなわれてゆく、

 そんなさなかだった。

 

 障子の向こうから聞こえた豚の鳴き声に。沖田は片目を開け。

 

 だがすぐまた眠りに向かおうとする矢先、今度はあらぬ方向からの冬乃の気配に、両目を開けた。

 

 「・・・」

 

 明らかに、庭から感じる。

 

 沖田はなんとなくこの先に見る光景に予想がつきながらも、やおら立ち上がり障子へ移動し、すいと開けた。

 

 (やっぱり)

 

 冬乃が、子豚を追いかけ回している。

 

 

 「待って、逃げないで・・!」

 ついには叫んでいる冬乃の小さな背を見ながら、あれでは余計に子豚が怖がって逃げるだろうと思うのだが、

 面白いのでそのまま眺めていると、

 

 「あ、総司さ・・」

 こちらへ方向転換した子豚を追って同じくこちらを向いた冬乃が、びっくりした様子で立ち止まった。

 

 子豚のほうは、必死になって駆けてくる。

 が、暫しのち縁側の沖田にも気づいたようで、子豚の足はみるみるうちに遅くなった。

 

 「捕まえたいの?」

 沖田は、向こうでばつが悪そうにしている冬乃に問いかける。

 

 「その、はぐれたのだと思って・・みんなのところへ連れ帰ってあげたくて」

 冬乃がゆっくりこちらへ歩み出しながら、答えてくる。

 

 沖田はこちらと冬乃に挟まれて立往生している子豚を見下ろした。

 

 「おとなしく連れられるとも思えないが」

 いったい冬乃は、その腕に抱きかかえようとでも考えているのだろうか。

 沖田はついに笑ってしまいながら、

 

 「捕まえたいなら、もう少し走らせるしかないだろうね。そのうち疲れて止まるだろ」

 とりあえずの提案をしてみる。

 

 「が、他の豚達がどこにいるか、見当ついてるの」

 併せて問うてみれば。

 

 冬乃が困った顔になって首を振った。

 

 「・・・」

 そんな事だろうと思ったが。

 

 よしんば捕まえたとて、冬乃が他の豚達を探しながら歩いているうちに、体力を快復した子豚が冬乃の腕の中で暴れ出すのが、目に見えた沖田は。

 

 (しょうがないな)

 

 己も庭下駄をつっかけた。

 

 屯所の囲いの中なのだから、

 子豚が一匹でいようが、なにも路頭に迷うわけでもないのだが、

 冬乃が子豚を放っておけないのなら、沖田もそんな冬乃を放っておけない。

 

 「冬乃、」

 降りてきた沖田を茫然と見つめてくる冬乃と子豚を視界に、

 沖田は今一度、提案を繰り返した。

 「これから、この豚を疲れさせる」

 

 「あ、はい!」

 

 冬乃の勇ましい返事が届いた。

 

 

 

 

 

 

 近藤が帰ってくると、障子が開け放たれていて。

 庭先を動く人影に視線を遣ると、何故か沖田と冬乃が豚を追いかけ回していた。

 

 「何やってんだ・・・?」

 

 呟いてしまいながら近藤は、走り回る二人と一匹を懐手に見つめる。

 

 沖田が近藤に気づいていた様子で、ちらりとこちらを見て目礼してきた。

 走ったままだが。

 

 「・・お?」

 そうこうするうち豚の動きが鈍っているのを見とめ。近藤がおもわず乗り出した時、

 

 豚の背後にまわった沖田が豚をさっと攫った。

 

 ぴぎーーー!

 

 豚の切ない叫び声が響き渡るも、沖田は豚をがっしり腕に抱いたまま、どこかあやすように撫でてやり。それを駆け寄った冬乃が、ぽうっとした顔になって見つめ。

 

 「・・・」

 ああして見ると赤ん坊を抱いた父親と寄り添う母親のようだ、なんて思ってしまった己に、近藤は呆れつつ、こそばゆくなってもぞもぞと腕を組み直す。

 

 さてどうするのかと見守っていると、沖田が再び近藤を向き、

 「群れに戻してきます」

 と、そこから声を掛けてきた。

 

 冬乃のほうは、近藤が帰っていた事にびっくりした様子で、ぺこりと慌てて礼をしてくる。

 近藤の足元の縁側にはハタキが落ちているので、まだ掃除の途中なのだろう。

 近藤は笑って手を振ってやった。行っておいでと。

 

 二人がそれへ礼をしてきて背を向けるのを近藤は、初夏の爽やかな風に吹かれながら、ほのぼのと見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 豚たちの群れを無事に見つけて返してから、冬乃と沖田は幹部棟へ戻ってきて廊下で別れて。

 近藤の部屋には、ここ西本願寺の住職のところに用事でちょっと出てくる旨の書き置きが残っていて、冬乃はその間にと、急いで続きの掃除を始めながら、

 

 子豚を腕に抱いてあやしていた沖田の姿が目に焼き付いて離れず、感動で滲む涙をとうてい抑えられないでいた。

 

 あの姿は。

 (だって、赤ちゃんを抱いてあやしてるように見えて・・)

 父親になった彼を冬乃の脳裏に鮮やかに想像させ。

 

 きっと良いお父さんになりそう

 そんな想いが、冬乃をじんわりと包んで。

 

 たとえ、奇跡の果てにそれが現実に叶ったとしても、

 彼とその子が過ごせる時間など、ほとんど無いというのに。

 

 (それなのに・・・、)

 いま冬乃の心は締めつけられる苦しさと同じほど、深いぬくもりに触れたように幸せも感じていた。

 

 見ることなど叶わないだろうと思っていた、彼のそんな姿を、連想であっても垣間見れたからで。

 

 

 (総司さん)

 

 考えているうちに冬乃は、ついさっき別れたばかりなのにもう沖田に逢いたくなってきて。

 

 (だめだってば)

 隣の部屋へ乱入しかねない衝動に、慌てて首を振る。

 またも掃除を中断する気かと。

 

 (おあずけ・・っ)

 慌てて己に言い聞かせ冬乃は、なんとかその場で足を留めた。

 (・・どんなに遅くても、今夜にはまた逢えるんだから)

 

 一呼吸し。ハタキを握り直す。

 

 

 

 

 

 

 その今夜がやってくるまで。

 

 (長かった・・・・)

 

 

 一度、昼餉で逢えたので耐えられたようなものだと、冬乃はたった半日離れていただけで長いと感じている己にすっかり呆れながら、

 風呂を沸かし終えた身を立たせて、戻る先の土間へと視線を向けた。

 

 

 沖田はあれから暫くして道場へ行っていたらしく、斎藤と稽古着姿で広間にやってきて、

 近藤に付き添ってすでに広間に来ていた冬乃と顔を合わせたものの、昼餉を終えるとすぐ昼の巡察に出て行ってしまったのだ。

 そしてそれからは、すれ違ってばかりで逢うことなく。

 

 昼餉の席で沖田に、日の沈む前に先に家へ行っててほしいと言われていた冬乃は、今日の仕事を終えるや否や、小躍りしそうになりながら支度をして此処へ来た。

 

 

 そろそろ沖田は夕の巡察のほうも終え、こちらに向かっている頃だろう。

 冬乃は辿り着いた土間で、夕餉のための残りの準備に急いでとりかかる。

 

 組で用意する夕餉をもらってくることも、使用人に届けてもらうことさえも出来るようだが、冬乃はどうしても自分で作りたかった。

 

 疑似でも新婚さん気分を味わいたいから、なのはもちろん自分でよく分かっている。

 心をこめた手料理を愛しい彼にふるまえる、

 こんな幸せ、みすみす逃す気は無い。

 

 

 なお当然に。

 あの質問も、今夜だって。

 

 「あ、総司さん、おかえりなさい・・!」

 

 欠かせない。

 

 

 「今日はどちらになさいますか。お風呂と、お食事」

 

 

 (・・と、私。)

 は本当にいつか口にしてみたいけれど。

 

 

 

 「いや、今日も冬乃で」

 

 

 「・・・」

 

 口にしなくとも。どうやら沖田から言ってくれることに、変わりないようだ。

 

 

 


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