一八. うき世の楽園③


 (もう・・っ)

 

 振り回されてばかり。

 冬乃がそんなふうにおもわずついた溜息は、それでも幸せからくる溜息であることには違いなく。

 

 お見通しのように目の前で、沖田がくすりと微笑った。

 

 「それは同意?」

 

 「あ」

 はっと吐いたばかりの息を呑んだ冬乃の体が、引き寄せられる。

 

 「ところで冬乃は、食事したの」

 抱き締められながら直に頬に響いてくる沖田の言葉に、冬乃は顔を上げた。

 

 「はい・・少しだけ」

 作りながら小腹を満たしただけではある。

 沖田は会合で多少食べているだろうし、深夜になるかもと言っていたのだから、待たずに食べても良かったものだが。

 

 (といっても)

 胸がいっぱいで、食欲があまり無いなんて口が裂けても言えない。

 

 

 「食事が先でも、どちらでも俺は有難いけど、冬乃はどうしたい」

 「私も先にお風呂でかまいません」

 

 (・・て、)

 

 今あっさり答えてしまったが。

 

 (お風呂まさかほんとに一緒に入る・・とかじゃないよね?)

 

 

 「ふうん」

 

 試すように微笑い沖田が、冬乃を覗き込む。

 

 「なら行こうか」

 

 

 (やっぱり・・っ)

 

 

 冬乃は未だ沖田の腕に包まれたまま。今から眩暈がした。

 

 

 

 

 

 

 枯山水の小庭とは、建物を挟んで反対側に、台所の土間があり、そこを出て建物づたいに風呂場がある。

 

 屯所の幹部用の風呂場をたったひとまわり小さくしただけの大きさで、広々としたその風呂場は、檜の香りに満ちていて、

 冬乃は先ほど沸かしたばかりで湯気を伴うその空間へと、沖田に手を引かれて入ってゆく。

 

 脱衣所に手燭の灯りを置く沖田の後ろで。

 冬乃はもう、何度も沖田に裸を見られていても、なお恥ずかしさで服を脱ぎ始めるなど出来そうにないと、戸惑って彼を見上げた。 

 

 「なに」

 振り返るなり、いじわるな眼差しをつくった沖田がそんな冬乃を見返す。

 

 「脱がせてほしいの?」

 

 (う)

 

 「それとも、自分で脱げる?」


 ドSな、この愛しい男を。冬乃はもう一度、口を尖らせて恨めしげに反抗を示してみるも。膨れた冬乃の両の頬は、早くも左右から指先で押された。

 「ふぅ!」

 押されながらも、冬乃は内心嬉しくて仕方なく。沖田と、こんなやりとりが出来ること、

 

 彼のいじわるに対してささやかながら、こんな反抗さえみせられるまでに、また一段縮まっているふたりの距離に。

 

 (・・ううん)

 距離をつくってきたのは冬乃のほうだ、それも一方的に。

 敬語が抜けないのも。憧れて尊敬している相手なのだから、と同時に、馴れ馴れしく接したら引かれないかと、

 どこか恐れている自分に。気づいている。

 

 (そんなこと、総司さんは思うはずないのに・・)

 

 どころか沖田は何度も、冬乃の敬語をやめさせようとしてきたではないか。

 

 

 (もし・・わがまま言ってみたら、どう思うかな)

 

 それこそ引かれたりしないだろうか。

 

 

 (・・・ばかみたい・・)

 一度は、嫌われてさえ沖田の傍に居続けられるのなら構わないと、覚悟したほどなのに。今、引かれないか嫌われないかなどと、どこかで心配している自分は、

 

 こうして両想いに成れて、いや、慣れて。その贅沢の中でまた、抑えていた欲が出てきてしまっているように思えてならない。

 

 

 (でも・・・)

 

 

 「冬乃」

 

 彼なら。それでいい、と言ってくれるのだろうか。

 

 「返事は?」

 

 勿論・・言ってくれるだろう。

 

 

 「総司さんに、」  

 こんなに愛されていながら。何を恐れることがある。

 

 

 「先に脱いでほしいです」

 

 「・・だって私だけ先に裸になるのは、すごく恥ずかしいです」

 (かといって一緒に脱ぐのも恥ずかしいし)

 

 

 「・・・」

 

 

 (・・あれ)

 

 起こった沈黙が。

 やっぱりだめだったのかと俄かに冬乃を不安にさせた直後、

 

 「喜んで」

 

 お望みの侭にと。

 

 沖田がにんまり微笑んだ。

 

 

 ・・・それはそれは不敵な笑みで。

 

 

 

 (て、なんでその笑み?!)

 

 冬乃が慄く前で。沖田がさっさと両刀を外し置き、袴の紐を解き、

 昼間の時のように着流し姿にあっというまになると、

 

 腰帯へとその手を向かわせ。

 

 (っ・・)

 見ていられる度胸があるわけがない冬乃は、そこではっと気がついて。慌てて目を逸らした、

 ほとんど首ごと動かして。

 

 

 ふっと微笑う気配がしたが、

 どきどきと高まる鼓動を胸に感じている冬乃が、採れる行動は一つしかない。

 見ないように、し続けるのみ。

 

 

 すぐに冬乃の耳には、シュッと豪快に帯を引き解く音が届いた。

 

 (ど・・・どうしよ)

 

 見ていなくても頬が熱くなって。

 

 続くバサバサと空気を打つような布の音と、さらに続くシュッシュッと解いてゆくような音、

 

 着物を脱ぎ去り、いま下帯を外しているに違いなく。

 

 

 (も、もう)

 心臓が飛び出しそう。

 冬乃は、かあっと全身で噴いた火照りに、もはや顔を背けたまま目を瞑る。

 

 (けっきょく恥ずかしいなんて)

 ふたりの脱ぐ順番なぞ、恥ずかしさの度合いにたいして差が無かったらしい。

 

 「冬乃」

 

 そして、沖田からの宣告が。

 

 「次は、貴女の番」

 

 下った。

 

 

 (む・・)

 

 

 むりです・・・!!

 

 叫びたくとも、

 自分から順番をおねだりしておいて、拒否権など有るとも到底思えず。

 

 「・・冬乃」

 冬乃を促す残酷に穏やかに、笑みを含んだその声の主を。もちろん向くことからして出来ない冬乃は。

 

 「あの、うし・・」

 

 せめて、羞恥の軽減に。

 

 「牛?」

 「う・うしろを向いててください・・!」

 

 努めた。

 

 

 「ああ、・・」

 

 冬乃の耳に沖田の苦笑が届く。

 

 「わかった」

 

 案外あっさり聞き入れてもらえたようで、ほっとしたのも束の間。

 「と言ってやりたいところだが」

 

 (・・え?)

 

 「仕置きが残ってたよな」

 

 

 

 硬直した冬乃に、

 

 ゆっくりと近づく気配。

 

 

 彼のドSぶりを舐めてかかっていたつもりは。全く無いのだけれど。

 

 (総・・・司さ・・ん・・?)

 

 「俺の前で、」

 

 息が。乱れる。

 

 冬乃の首に柔く絡まる大きな両の手。

 鎖骨を伝い、

 ゆっくり肩へと。

 

 

 冬乃の視界は反転した。

 

 背には木の壁。

 

 

 「脱いで」


 

 前には――――沖田の逞しい、裸体。

 

 

 

 冬乃は。

 瞬間いつかのような激しい眩暈で、卒倒しかけた。

 

 

 尤も、

 沖田の両手にしっかり肩を掴まれていて、倒れることはなかったものの。

 

 だがそのまま冬乃は、顔の左右に両手を突かれ。

 そうして木の壁と沖田の筋肉の分厚い壁の双方に完全に閉じ込められて、

 (も、)

 

 もう平静でいられる視界の許容範囲なぞ、大幅に逸脱し。

 どう逸らそうにも近すぎて、逸らしきれないのだ、前に迫る沖田から目を。

 

 (もう心臓が!!)

 

 最後の手段で冬乃は目を瞑ろうとするも、

 即座に瞼へと口づけが落ちてきた。

 「ダメ」

 

 こわごわと瞼を持ち上げれば。

 

 「目を閉じない」

 愛しげに微笑んでくれるくせに、容赦なき命令を下す彼が映る。

 

 「ほんとに、この状態で・・脱ぐんですか・・っ」

 なかば諦めの境地を迎えつつも冬乃は訴えた。

 

 こんな、囲われて見下ろされている中で、しかも目を閉じられない真ん前には、

 

 (総司さんの裸なのに・・ッ)

 

 「あのっ、そしたら、」

 「ん・・?」

 なんだかまた眩暈がしてくる中、冬乃は絶対に間違っても下方には目が行かないようにと懸命に頑張り続けながら、

 

 「せめて私が後ろを向いてちゃ、だめ・・ッ?」

 

 切迫感に押されて口走ったら。

 敬語が抜け落ちた。

 

 

 

 「・・・そのまま敬語抜きで話すならいいよ」

 

 愉しげに。あまりにも優しい眼が、見返してきて。

 

 

 (うう・・っ)

 冬乃は、

 安堵の歓喜とともに。困って。

 

 沖田の柔らかなその笑みを見上げながら、喘ぐような息を零した。

 

 

 やはり沖田が望んでくれるのは、冬乃の作り出してしまう距離を超える事なのだと。

 それでも、冬乃のほうはそれを達成できるものなのか、分からないのだから。

 

 

 (・・・・でも)

 

 ここで、了解しなければ、

 

 (この状態で脱ぐことに・・・っ)

 

 

 どちらも難題なら、冬乃が選ぶ選択肢は当然決まっている。

 

 

 (はい。・・じゃなく、)

 

 「うん」

 

 

 乱れた息に。空気を求め開いてしまった冬乃の唇が、

 

 がんばってと微笑うかのように両端を持ち上げた沖田の唇に、次には塞がれた。

 

 

 「っ…」

 そしてそっと首すじへ。

 

 「後ろ、向いていいよ・・」

 「え」

 冬乃は、背の壁と沖田の両腕に今なお大きく囲われたまま、

 いま冬乃の首すじを屈むようにして唇で辿る沖田を、戸惑って見下ろした。

 

 (まさか、このまま脱ぐの?!)

 言われるがまま冬乃が壁へと向き直る間も、やはり冬乃への愛撫は続いて。

 

 うなじへと、

 幾つもの。蕩けてしまいそうな、優しい口づけの嵐が。

 

 「…ぅん」

 つい零れた吐息に、

 冬乃は慌てて息を吸う。これは早く脱がないかぎり、続いて、冬乃の気分がおかしくなってしまうのも時間の問題だと。

 

 (もうぅ・・)

 覚悟を決め、冬乃は帯に手を掛けた。

 

 背後からは、忍び笑う気配と。

 「冬乃」

 口づけの合間に、甘い低い音色。

 

 「手伝おうか」

 

 いつかのような台詞まで添えられ。目の前の壁に張られた沖田の両腕の内で、冬乃ははっと顔を上げた。あのときは着物を着せてもらって。でも今は、その逆を。

 手伝おうかと、

 からかわれているに決まっているのに、冬乃はよけいに乱された息で、うまく返事も紡げず。

 

 唯、首を振った。

 

 

 「わかった、」

 沖田のくすりと微笑う声が追う。

 

 「じゃあ、続けて」

 見てるから

 

 耳元で促すいじわるな囁きは。

 そして冬乃の耳朶まで紅に染めあげた。

 




 

 

 

 

 

 落とした帯も袷も足元に。

 

 最後の一枚の襦袢を肩から滑らせ、激しい鼓動に押されながら冬乃は肌を曝してゆく。

 ゆっくりと、

 

 「…ん…っ…」


 背後からは冬乃の露わになりゆく肌を追い、愛でるように落とされる口づけと、

 落ちゆく襦袢を追って左右のくびれの線を、掠るようになぞりくだる大きな両の手。

 

 ぞくぞくと幾すじもの痺れが、冬乃の芯を抜けてゆき。

 

 長く短い時を経て、

 ぱさり。と、冬乃の襦袢は、そして足元の帯と袷に重なり落ちた。

 

 

 ついに一糸纏わぬ冬乃の体へ、

 背後の沖田を振り返らずとも、感じる視線に。冬乃は、苦しい鼓動の内で息を呑み。

 

 「・・こっち向いて」

 

 かけられた声にびくりと肩が揺れる。冬乃は片腕を両乳房の前に、もう一方の腕は体の中心へ下ろして、手で秘部を隠すようにしながら、おずおずと振り返った。

 

 刹那に、

 冬乃の体は抱き寄せられて。

 「腕、抜いて」

 そっと囁かれ。

 

 冬乃は柔く抱かれたままに、素直に腕を抜いた。と同時に今度こそ深く強く、抱き締められた。

 

 「……っ」

 

 肌と、肌の感触が。どきどきと煩い心の臓とはうらはらに、冬乃を大きく安らぎで包み込むかのようで。

 

 (あ・・・)

 

 その初めて迎えた真のぬくもりは、

 

 今たしかに互いを阻むものが、互いの肉体だけとなったのだと。

 涙さえ出そうになるほどの実感で、冬乃の心を温めてゆき。

 

 冬乃は夢中で沖田の背に回した腕を強めて、彼の胸に頬を寄せた。

 

 

 時の隔たりも、勿論ここには無い。今だけは、

 

 (こんなに)

 

 温かい

 

 まるで解かしてくれそうなほど。

 

 あの氷のような疎外感が、

 また、冬乃の心を覆ってきたとしても。

 

 

 そんな錯覚にさえ。

 

 

 「総司さん……」

 

 この深いやすらぎは。

 なにより冬乃の小さな心配などまるで、完全に解放してしまいそうで。

 

 馴れ馴れしくしたら、わがままを言ったら、

 そうやって想いをありのままに曝け出したら。

 

 彼が冷めてしまわないかなどと、そんな不安など。

 

 

 

 (でも、愛されてるんだから・・・もう恐れない)

 冬乃は今一度、自身へ言い聞かせた。

 

 (きっと、大丈夫)  

 たとえば、だから。

 

 

 「また、お昼の…」

 

 あのときの、冬乃の体の奥をその指で。

 馴らしてくれた事。

 

 いつか沖田を迎え入れることの叶うとき、

 冬乃に痛みが少ないようにと。

 

 

 「あれを…して……もういちど…」

 

 

 こんなことを、想いの侭にお願いして。

 

 はしたないと呆れられてしまうかもしれないけど。でも一方で、

 どんな冬乃の想いも受けとめてもらえるような気がしていて。

 

 それももう本当はずっと前から、沖田ならきっと受けとめてくれたのだと、

 いつだって冬乃が、自信が無くて不安で。自ら引いていただけの事だったのだと。

 

 

 「・・今?」

 

 抱き合ったままの耳元で、くすりと微笑う息。

 

 冬乃は顔を上げた。

 

 そこに、

 やはり冬乃の心配してきた反応なんて、全く無く。

 

 

 (総司さん・・・)


 

 「…うん」

 

 大切にされて愛されている、

 沖田からの、その深い愛情をいつでも感じてきながら。

 

 冬乃の卑下も否定してくれて、あのとき『凄いというならお互い様だ』とまで沖田が冬乃を褒めてくれた事に感激しながら。

 

 心のどこかでずっと、冬乃は実感が湧かなかったのだ。

 

 自分がそんなふうに沖田に、褒めて認めてもらえるような、

 

 愛してもらえるような。

 

 価値のある人間だとは。

 

 

 実の親からでさえ、愛されている実感など。もう長い間もてなかったというのに。

 

 

 「いま…」

 

 

 それを沖田が、ひとつひとつ、

 解かし溶かしてゆくように。

 

 冬乃の強張った殻を剥がしてきてくれた。



 この剥がれて落ちた殻の内の、どんな生身の自分を曝け出しても、

 きっと受け止めてくれる事を。

 

 そして冬乃は、やっと。

 

 

 「いま……して…」

 

 信じられる。

 

 「総司さん…」

 

 互いの体も心も。

 いま全てを曝して。

 

 

 沖田に強く包まれ、

 感じる、この深いぬくもりが。答えで。

 

 

 ゆるぎない、彼の深い愛情の。









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