一五. 恋華繚乱⑲
逢うたびに。別れるたびに。
只々、挨拶のように、
甘く冬乃を蕩かしてしまう抱擁や口づけが続いて。だけど、いつもそれ迄で。
あの最初の夜のようなことは無くて。
(まさか、)
心のどこかで、またあんなふうに・・もっと触れられたいだなんて、
(想ってるわけが・・・)
無い。と、そんな嘘が自分自身に通用するはずもなく。
冬乃は、布団のなか。考えれば考えるほど、そうして先程から横になっているのに眩暈がしていた。
(私って、こんな女だったの・・?)
前に“習った”言葉、
好色。
これが本当に、沖田にたいしてならば、自分は当てはまるんじゃないかと。
冬乃は頭の片隅でぐらぐらと、そんな葛藤に揺れて。
認めたくないわけでもない。認めたいわけでもないけども。
ただひたすらに、
(・・・恥ずかしい)
それでも自分から言えるはずもないので、冬乃はいつも最後にそっと沖田に体を離されるたびに、きっとすごく縋るような顔をしてしまっているのではないかと。
沖田がそれに気づかないはずもないだろうに。
眠る前に、冬乃はそうして、そんなことを思ってしまっては。暗闇のなか毎夜ひとりで顔が熱くなる。
(もぉ・・)
そんな寝つきの悪い夜を、今夜も迎えながら冬乃は。ついに盛大に嘆息し。
(何て言うんだっけ、こういうの・・)
欲求不満。
(・・・)
浮かんだその的確きわまりない言葉は。
そして冬乃を。
撃沈した。
入梅前の曇り空の下。江戸で募った新入隊士達を引き連れて、土方達が帰屯した。
「おかえり!そして新たな同志の皆さん、ようこそ!」
出迎えに居並ぶ隊士達の前、近藤が大きく声を掛け。それを皮切りに皆が口々に、挨拶と歓迎の辞を述べる。
少し離れた位置でそんな様子を見ていた冬乃に、真っ先に気づいた藤堂がにこにこと手を振ったと思ったら、足早に向かってきた。
(藤堂様・・!)
溢れ出る嬉しさに冬乃もつい歩み寄る。
「ただいま、冬乃ちゃん!」
「おかえりなさい、藤堂さま、さん」
遅かった。
さま、と言ってしまってから言い直した冬乃に。
「おしおき、ね」
藤堂が微笑うなり、突如。
(え)
ぎゅうと冬乃を抱き締め、冬乃は目を白黒させて抱き締められるままに硬直し。
「「うおうっ」」
藤堂を追って近くまで来ていた原田と永倉が、そして変な声を上げ。
硬直したまま、藤堂の肩越しに冬乃は、彼らが慌てて辺りをきょろきょろするさまを見た。
離れる気配の一向にない藤堂が、
「・・冬乃ちゃん、」
耳元で囁く。
「冬乃ちゃんに逢えない間、辛かった」
(え?)
「帰ったら言おうと思ってた。俺、冬乃ちゃんのこと・・」
「おかえり藤堂」
(きゃっ)
沖田の朗々とした声が、冬乃の後ろから降って。冬乃は飛び上がりそうになった。
尤も、体は藤堂にしっかり拘束されているため飛び上がってはいない。
「・・ただいま沖田」
未だ冬乃を抱き締めたまま藤堂が、冬乃の背後まで来ているであろう沖田へ、どことなく剣呑な声の挨拶を返すのを耳に、
振り返れない冬乃の目には、固唾を呑んでこちらを見守る原田たちが映った。
「おめえら・・」
(う)
あげく冬乃の背後からさらに響いた、懐かしき天敵の声に。
冬乃は完全に硬直し。
「公衆の面前で、いい度胸だなオイ・・」
続く不穏な土方のその声に、ますます振り返れなくなった冬乃の前で、
「久しぶりに逢えたんだもの、このくらいいいじゃん」
なおも冬乃を抱き締めたまま、藤堂がつんとして返すのへ。
「だったら、俺達にも抱きつけ!」
いろいろと危機感をおぼえている原田と永倉が、そして藤堂を冬乃から引っ剥がしにかかった。
「は?やだよ!」
当然の如く藤堂が抗戦し、
もはや渦中で棒立ちしている冬乃の。
胴は、
そして不意に背後から回された腕に、ぐいっと力強く引かれた。
(きゃあ!?)
そのまま藤堂から離され、背から雪崩れ込んだ先で、
冬乃が吃驚に背後を見上げれば。
「藤堂、」
沖田が片腕に、冬乃をよりいっそう抱き寄せ。
「悪いけど。冬乃はもう俺の女だから」
宣言した。
「公衆の面前で・・・」
隣にいた土方が。
そして遂に、切れた。
「てめえまで何言い出すんだ!?」
「あわわわ」
原田がもはや呻く中。
「てめえら全員、副長室まで来い!!」
帰屯早々で、土方の鬼の一喝が。鳴り響いた。
(俺の女・・俺の女・・)
ぞろぞろと副長室へ連行される一群に、何故か原田や永倉、果ては近藤まで含まれているのだが、
そんなことに意識がいかないほど今、冬乃の鼓膜内では、沖田の発言が延々と再生を繰り返していた。
人の前で、ああして言葉にして宣言されるのは、おもえば島原の角屋の時以来ではないかと。
しかもあの時と違って。
(今度は本当・・・っ)
再び胸内を覆い出す幸福感に、そして冬乃はふわふわと顔を綻ばせ。
「冬乃ちゃん・・」
だが次の瞬間には隣から覗き込まれて、冬乃はそのまま止まった。
(藤堂様)
覗きこんでくる藤堂を気まずいまま見返しながら冬乃は、先ほど言われかけたことを即座に想い出す。
『俺、冬乃ちゃんのこと・・』
(・・あれって)
「本当なの?沖田と」
「あ・・」
「本当」
冬乃を挟んで反対側を歩む沖田から、
言い淀んだ冬乃の代わりに、間髪入れず藤堂へ返答が飛んだ。
「・・・ふうん」
藤堂の、
聞かずとも既に納得していたかのように、どこか清々しくさえ聞こえる声音が落とされ。
「俺じゃ、だめなんだよね?」
そうして続いた、冬乃へのその最後の念押しは。
おもわず周りを歩む男達まで、振り返らせた。
冬乃は。
(・・・藤堂様・・ごめんなさい・・)
小さく、謝るように頭を下げた。
そのまま顔を上げられずに歩む冬乃の横で。藤堂は、
伸びをしながら両腕を掲げ、自分の頭の後ろに組んだ。お手上げだと、
「わかってたよ」
いっそ潔く。
「元々、冬乃ちゃんは、沖田のことしか見てないってさ」
(あ・・)
冬乃は、顔を上げられないまま、足を運ぶ先々の砂利を見つめる。
やはり藤堂には気づかれていたのだ。
「だけど沖田のほうは、ちょっと分かんなかったな」
「おい藤堂、」
沖田が返事をするより先に、前方から土方の声がした。
「もう黙れ」
「はーい」
爽やかなまでに朗らかな藤堂の返事が返っていった。
土方の部屋は、沖田達の部屋よりは大きく、近藤の部屋よりは少し小さい。
そこに冬乃、沖田、藤堂の当事者のほかに、何故かいる原田、永倉、近藤が所狭しと座り込んだ。
(・・て、なにこれ)
今さら冬乃は、この恥ずかしい状況に眩暈を起こす。
「で。総司、おまえはこの未来女と、いつのまにそういうことになった」
土方の早速の問いに、
「ついこの前」
沖田が素気なく答えた。
「・・・近藤さん、あんた知ってたのか」
何故かいる近藤へと、どうせだから確認をする土方に、
「ああ」
近藤が重々しく頷く。
「総司から聞いたよ」
(そうだったんだ・・いつのまに)
冬乃のほうが却って驚く。
「・・近藤さんが納得してるんなら、俺は何も言う気は無え。・・と言いたいところだが、」
ぎろり、と。土方の大きな光る瞳が、沖田と冬乃を順に睨んで。
冬乃は慌てて目を逸らし。
久しぶりに見ると余計に、その美麗さと、そのぶんの迫力が、倍増して感じる。
(怖いです・・)
半ば涙目で、隣の沖田の様子をそっと伺う。
「・・・」
あくびしていた。
冬乃は、今のは見なかったことにして、土方へ恐る恐る視線を戻した。
「てめえら、屯所内で乳繰り合ってんじゃねえだろうな」
(ち・・?!)
だが、次に飛んで来た土方のその台詞に、冬乃は卒倒しそうになって。
周囲が噴く中、
沖田だけは飄々としたまま「まさか」とあっさり答え。
土方は。目を細めた。
「おめえらが健全を訴えようが。まわりは、そうは思わねえんだよ」
(健全・・・)
いったい、何までは健全なのだろう。
冬乃には分からないものの、
「・・・」
もはや顔を上げられなくなって、冬乃は当然の如く真っ赤になって俯く。
「屯所の風紀を乱すことは許さん。どうしても付き合いたいってんなら、」
膝上の手を懸命に見つめる冬乃の耳に、土方の凛とした声が。
そして届いた。
「総司、おまえが休息所を持て」
(・・・え?)
「それは、つまり?」
「おまえと未来女の寝泊まる家を、別に用意しろ、ってことだよ」
「あ・・いや、歳。それは・・」
近藤が狼狽えて割って入った。
「今だって、べつに総司は夜は自室で寝ている。冬乃さんもそうだ。二人は、・・その、確かに健全だよ」
だから、
と近藤が紡ぐ。
「別宅まで用意することはないんじゃないか・・?」
「勇さん、」
土方が、まっすぐ近藤を向いた。
「だから、実際にどうなのか、ではない。あくまで隊士達が、どう思うか、だ」
「仮にも此処は屯所だ。勤めの場だ。それなのに、二人が此処で夜な夜な乳繰り合ってる、と邪推されるようでは、示しがつかない。幹部なら屯所で好き放題していても許されるのかと、思わせるわけにはいかない」
「・・・」
むしろ今の土方の言葉に俯いたのは、永倉と原田だったが。
近藤は近藤で、押し黙った。
土方の言う事は尤もだと思ったのだろう。
「別宅がある、それだけ周知できりゃいいさ。乳繰り合う夜はそこに行ってて屯所ではしていないと、隊士達に認識させることがあくまで目的だ。本当に二人で毎夜そこへ寝泊まるこたぁ無え」
まあべつに寝泊まっても一向に構わねえがな、
と土方は言い添え。
(あ・・見せかけの家ってコト・・)
いくらか落ち着いた冬乃のほうは、顔を上げた。
とはいえ、
(乳繰り合う夜って)
土方から飛んでくる数々の台詞は、冬乃の許容限度を完全に超過しているのだが。
「わかりました」
そして再びあっさりと、冬乃の隣で沖田が返事をした。
「どこか適当に探しますよ」
「早急に」
土方が促した。
「なんだか、また妙なことになったね・・」
土方の部屋を出て、廊下を行きながら藤堂が、苦笑って冬乃に同情の眼を向けた。
「はい・・」
改めて考えると、二人の“夜”のために別宅を用意するとは、相当恥ずかしい話だ。
冬乃は実際いま、前を行く沖田のほうを真面に見ることさえできない。
「藤堂の部屋はこの角、俺の部屋はそこ」
だが沖田のほうは、幹部棟自体が初めての藤堂へと、早くも案内をし始め。
「沖田、」
藤堂まで面食らった様子で、そんな沖田に後ろから呼びかけた。
「俺、おまえにはいろいろ聞きたいことがあるんだけど」
「ん?」
沖田が漸く、振り返った。
併せて藤堂はちらりと隣の冬乃を見やって、「男同士の話」と微笑って。
「なら後で俺の部屋に来い」
沖田が返した時、先に自室へ戻っていた斎藤が、襖を開けて顔を出した。
(斎藤様・・!)
「斎藤様も長旅おつかれさまでした」
先程は遠目でしか見なかったので、冬乃は慌てて会釈をする。
と、同時に、この三人が揃うのを久方ぶりに見れて、冬乃は嬉しくなった。
「・・いきなり一悶着あったようだな」
斎藤のほうは沖田を見上げるなり、ぽつりとそんなふうに呟いて。
普段ものごとに我関せずの斎藤も、さすがに気になったようだ。
応えるように、沖田が「後で話す」と微笑った。
「俺とりあえず八木さんとこに挨拶に行ってくるから。帰ってきたら、話すからね?」
藤堂が、教えられたばかりの自室の襖を開け、背にかけていた旅の荷物だけ放り込むと沖田にびしっと言った。
「はいはい。いってらっしゃい」
沖田が不敵な笑みを返しながら手を振る。
ハラハラと二人を見やった冬乃の前、藤堂がそんな沖田に「ったく」と苦笑いで悪態を置き残し、玄関を出て行った。
「冬乃」
沖田が、藤堂の背を見送ってから冬乃を向いた。
「どんな家がいい?」
(え)
土方の命令した、休息所の事だと。一気に心臓が飛び跳ねた冬乃に、
沖田が微笑いかける。
「貴女の好きな家を用意するよ」
冬乃はどぎまぎと沖田を見上げた。
「でも、見せかけの家なのでは・・」
「見せかけだろうと、用意するわけだから。どうせなら良い家にしよう」
それって・・
(ちゃんと住める家として探すってことだよね・・それじゃまるで)
もはや冬乃の心臓は、早鐘どころではなく。
(こ。呼吸が)
激しい動悸を抱えて冬乃が見つめる先、
「そして、冬乃が未来から戻ってきた後は本当に」
あいかわらずの穏やかな眼が。優しく微笑んだ。
「一緒に住もうか」
冬乃は再び。卒倒しかけた。
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