一五. 恋華繚乱⑱

 


 仲睦まじく手を繋いだまま広間に入ってきた沖田と冬乃を、当然に広間じゅうが注目した。

 

 

 二人が本当の恋仲になったとは、未だ知らない永倉たちは、二人の姿をあいかわらずの名演技だとでも思ったようで、さらに合わせるようにヒューと口笛を吹いてきた。

 

 

 近藤と昼餉で広間に来た時には、当然こんな注目は浴びなかったので忘れていたが、そういえば昨日の今日である。

 

 その昨日と今日で、まわりにとっては同じでも、冬乃にとってはあまりにも大きな沖田との関係の変化に、不思議な感さえおぼえながら。

 衆目のなか冬乃は、恥ずかしさでどうしようもなく、膳の前へと縮こまるように座り込む。

 

 露梅に会うため帷子に着替えていたせいで、冬乃が作業着でないというだけでも物珍しく見られるというのに、だ。

 

 

 沖田がこれまた、全く意に介しておらず。飄々と食事を始め、その横で冬乃は俯いたまま椀を手に持つ。

 

 沖田から言わせればきっとこの状況も、慣れろ、のひとことにでも集約されるに違いないと。

 冬乃は、彼のその台詞を想い出すとともに、その時の自分の恥ずかしい姿をも連想的に想い出し、遂にひとり真っ赤になった。

 

 「かーっ、色っぽいぞ冬乃さん!」

 冬乃の頬の紅潮を見ていたのか、すかさず永倉が煽る。

 「嬢ちゃんの首筋の痕、さりげにまた濃くなってるし」

 あいかわらず目の良い原田は笑い出した。

 

 (も・・もうむり)

 

 そっと助け船を求めて沖田を見上げれば、沖田が冬乃をちらりと見るなり、

 片手を伸ばしてきて冬乃の頭を優しくぽんぽんと撫でた。

 

 (え)

 

 無言で。

 

 ゆえに却って“意味深”となった今の沖田の行動に、

 昨夜の如く広間じゅうが静かになった中。

 

 そしてまた食べ始めた沖田を横に、冬乃はもはや固まった。

 





 

 まともに食事をした気がしない冬乃と、みるからに初夏の心地いい夜風を堪能している沖田と、並んで幹部棟への帰り道を歩きながら。

 冬乃が内心溜息をついたのは当然だった。

 

 恋仲になる前も。なってからも。きっとずっとこの先も。冬乃は沖田の言動に、逐一翻弄され続ける運命なのだと思えてならないのだ。

 

 たまには翻弄のひとつ、し返してみたいものである。

 

 (まず敵わないだろうけど)

 

 だいたい冬乃自身が、こうして沖田になら翻弄されることをちょっと悦んでいる部分もある以上、どうしようもない。

 

 

 (こんな、)

 そもそも未だどこか、夢のなかのような気さえしてしまうのに。

 

 隣に恋仲として居られて。ぎゅうと抱き合って、

 もう何度も口づけて、ちょっと危ういコトまでされて。

 さっきは頭を撫でられ(・・脳が処理可能な限界点を超えて固まったものの)、そして今もこうして手を繋いで。

 

 羅列していけば、すでにきりのない。

 出逢えた奇跡のなかでさらに起こった、この数多の奇跡。

 

 (ついていくだけで精一杯なのに。いや、ついていけてないし)

 

 

 気を抜いて思考を一歩立ち止まらせてしまえば、まだ忽ち、

 沖田との、時のさだめに阻まれたこの先の避けられぬすれ違いに、三年後に冬乃を待ち構える恐怖に。再びのまれそうになるというのに。

 

 それでももう幾度も冬乃は、目の前のまぶしい幸せに包まれては、その光で思考の目を眩ませた。

 その瞬間は何も、他に考えられなくなるほど。

 

 

 不安に立ち向かうことを、

 先延ばして、逃げようとしていることなど。わかっていても。

 (・・もう少しだけ)

 

 この目の前の幸せだけ、みさせて。

 

 

 (そう願うくらいは・・いいよね・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬乃の部屋の前で沖田は立ち止まる。

 

 振り返り、遠くの篝火が夜風に揺れるを視界に。

 握る冬乃の小さい手を引き寄せ、今一度、抱き締めれば。冬乃は、おずおずと沖田の背へその細い腕を回してきた。

 

 

 先ほど部屋で抱き合った時には、冬乃はされるがまま腕ごと沖田に包まれていた。少しは積極的に動くようになった様子の冬乃に、沖田は口角を上げる。


 それにしても今は腕の妨げが無いおかげで、沖田の腹に、冬乃の柔らかな胸が深々と当たるが、こういう密着さえ照れそうなはずの本人は、いま果たして分かっているのか、いないのか。


 もっとも沖田の広い胴まわりに、腕を一周させるのは辛かったようで、冬乃の両の手は、沖田の背の左右の位置に落ち着き。その位置をきゅっと掴んできた。

 そうして沖田の着物を握りしめる小さな感触に、こみ上げる愛しさで抱く力を強めれば、

 冬乃が小さく吐息を溢したのを聞いた。

 

 

 沖田は。

 冬乃の両肩をそっと掴むと、体を離した。

 

 「おやすみ冬乃」

 

 どこか驚いたような顔が沖田を見上げてくる。

 沖田は敢えて知らぬふりで、冬乃の柔らかい頬を一撫でし、最後にもう一度だけ彼女の唇に触れるだけの口づけを落とした。

 

 

 祈ってるよ

 貴女に、また明朝、逢えるように

 

 名残惜しそうに見上げてくれる冬乃へ、心に呟く。

 

 

 「部屋へ入って」

 動かない冬乃を促した。

 

 暫しの躊躇の後に、冬乃が石段を踏んで縁側へと上がってゆく。

 

 

 (・・だが)

 

 冬乃が障子を開ける姿を見ながら、沖田はふと思う。

 いっそ彼女が早く未来へ帰り、そして此処へ戻ってきてくれたほうが。安心するではないかと。

 

 

 「おやすみなさい・・総司さん」

 

 部屋の畳を踏みしめてこちらを振り返った冬乃へ、

 「おやすみ」

 もう一度言って沖田は、冬乃に背を向けた。

 

 

 

 冬乃の部屋の角を曲がってすぐの、幹部棟の玄関へ向かう。

 

 (それでも)

 内心、沖田は溜息をついた。

 

 気づけばいなくなっているというのは、辛いものだ。

 

 それも次で最後だと思えばこそ、かろうじて喜びのほうが勝るものの。

 戻ってこない万一の可能性も残っている。沖田の心内は未だ当分、落ち着くことはなかろう。

 

 

 (冬乃・・)

 

 今は。彼女の意志を信じるより、他無い。

 

 

 玄関をくぐり、すれ違う武田達と挨拶を交わしながら、沖田は部屋へと戻る。

 まだ彼女の香りが、どこか残っているような感覚に、沖田は苦笑しながら行灯へ火を入れた。

 

 (・・・それにしても)

 

 思うに当分とは、どの程度の期間となるのか。

 冬乃は次にいつ未来へ帰るかもわからないと言った。

 

 ならば。へたすれば何年も帰らない可能性だってある、ということだ。

 

 

 (俺はそれまで手出さないのか)

 

 そう考えると、とんでもない苦行ではないか。

 

 「・・・・」

 

 考えていても詮無い事だが。さすがに沖田は、今度は心内に留めぬ激しい溜息をついていた。

 

 

 恋仲になろうとも。結局、彼女にはこうして振り回され翻弄され続けることに、変わりないのだと。

 

 全く本人にその自覚があるのかは知らないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「本当の恋仲になっただあ!?」

 

 まだ鳥たちの声ばかりな朝ぼらけの井戸場に、原田の頓狂な声が鳴り響いた。

 

 

 沖田の隣で「シー!!」と永倉が慌てる。

 永倉は元々朝が早いが、原田と沖田は、今朝、朝番のためこうして早朝より起き出している。

 

 「いや、だって沖田、嬢ちゃんのことは・・」

 「気が変わったんですよ」

 「ほえ?!」

 

 「なに、じゃあほんとに喰っちまったの!」

 そして永倉が、朝から猥談全開で飛びついた。

 

 「まだです」

 真面目に回答する沖田に。

 「予定はいつ!」

 間髪入れず原田がさらに赤裸々な質問を飛ばす。

 

 「彼女は最後にもう一度、未来へ帰るようで」

 

 沖田が、あいかわらずの原田の調子に哂いながらも、

 「彼女が確かに未来から戻り、此処へ永久に住むようになってから」

 さらに真面目に答えれば。

 

 「沖田・・冬乃さんの事、本気なんだな・・」

 沖田の返事の意味を解した永倉は、目を丸くし。

 

 「・・・んあ?」

 原田のほうは。再び時を止めた。

 「でも相思・・なんだろ?」

 

 好き合ってるなら今すぐにでも。

 原田の、愛に直球な性格は、決してそれ自体に甚大な問題は無い。相手が同時代の女性であるかぎり、恐らく。

 

 「まあ、ようは人それぞれってことよ」

 永倉がとりあえず原田の時間を再開してやる。

 

 「しかしなあ、おまえたちが、なあ・・」

 そして心底驚いているようで、未だ永倉は目を丸くしている。

 「冬乃さんもよく決意したな・・此処の世には身寄りもいないってのに・・」

 情に深いところのある永倉の、丸くなっているその目は、こころなし感激のためか少し潤んでいた。

 


 「そこなんですがね。問題は」

 沖田が独り言ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「青天の霹靂とは、まさにこの事だな」

 

 珍しく沖田に対して眉間を狭めた近藤を前に。沖田は深く頭を下げた。

 

 

 朝番から戻り、遅れて参加した朝餉を終えて、広間から近藤と冬乃と三人で連れ立ち、近藤の部屋へと帰ってきたところで。

 

 沖田は近藤に、冬乃との仲を打ち明けた。

 

 いま冬乃は沖田の部屋に控えさせている。

 近藤と、対談でどうしても相談することが、あった。

 

 

 

 「無理は承知で、お願いしております」

 

 「・・・本気なのか」

 「はい」

 

 

 障子も開けぬ緊迫した空気の中で。近藤は、今一度、溜息をついた。

 その表情は、どこか父親のそれにも似て。

 

 いや、実際に。

 沖田が今、頼み込んでいる事は。まさにそうなのだから。

 

 

 「冬乃さんを、俺の養女にして、此の世での身分を与える。考えたな」

 巧く計らえば確かに出来ない話ではないが、と。

 近藤はそして。最早、苦笑した。

 

 

 

 冬乃はこの時代に身寄りが無い。すなわち、どこの寺にも属さない、社会的に排他されている現状であり。

 

 沖田も、近藤や土方さえも、誰も彼もが、いつ死んでもおかしくない時世にあって。彼女を庇護する人間が突然誰もいなくなった場合を。沖田は懼れた。

 

 

 

 「で。冬乃さんがめでたく俺の養女となれば、おまえは沖田家を継ぐ気になるのか」

 

 近藤の謎かけのような問いに、沖田は近藤を見返した。

 

 「ここまで彼女のためを想うからには、彼女との婚姻も考えているんだろう」

 

 

 沖田は、一呼吸のち。頷いた。

 

 今は。沖田が家を継いでいない以上、社会的な結婚は成せない。

 現状では、出来て内々の結縁である。

 婚姻を成すならば、沖田がまずは沖田家を継ぐなり、どこかへ養子に入りその家を継ぐ必要があった。

 

 近藤の意味した謎かけは、そういうことだ。

 

 

 「彼女とは、いずれ婚姻します。全てが治まったのちに」

 

 沖田は答えた。

 

 「沖田家の家督に関しては、義兄の意思を優先しますが・・それでも俺が継ぐとするならば、それもその時に」

 

 

 つまり近藤の今の本懐、公武一和での平定を此処、政局の中心地、京で見届け。江戸へ帰還し。

 

 そして、それだけではない。確かな平和の世が訪れ、全てが治まり。近藤が戦に出る事が無くなる、その時に。

 そうして沖田が、いつ死んでもいいように身軽である必要が、無くなったのちに。

 

 家を継ぐならば、それ以降でしかありえない。

 

 

 沖田家を継いでおきながら、またはどこぞの養子になってその家を継いでおきながら、早々に死ぬわけにはいかない以上。

 

 さいわいに沖田家には、義兄とその息子がいるのだ。死と隣り合わせで生きる己がわざわざ出ていって継ぐ必要が無い。

 義兄に気を遣っての事では無しに。むしろ、今となってはこの己の特殊な境遇は有難かった。

 

 

 

 

 「・・・それでは、一体いつになるか分からないぞ」

 近藤は、遂に小さく嘆息を零した。

 

 わかっている。

 聞かずとも、沖田の想いなど。しかし。

 

 

 近藤から言わせれば、いくら義兄たちがいようと、沖田が本来の家督相続者であり。

 沖田が継ぐべきだとの想いは、兄分として沖田の将来を考えての願いであり。

 

 近藤が、己の盾となるを望む沖田の武人としての魂も、同時に心に受け止めながらも、どうしても沖田の将来を想ってしまうのは、致し方のないことだった。

 

 

 

 「本来なら」

 近藤は、紡いだ。

 

 「おまえが家を継いだのち、良家の・・然るべき家柄の娘を娶るべきだと、俺は思っている」

 

 「だから、後々の話とはいえ、冬乃さんとの婚姻は賛成できない。だが、」

 そして。眉間を戻してみせた。

 

 「冬乃さんを養女にする件に関しては、なんとかしてみよう」

 

 

 近藤の承諾に。

 

 沖田は、深く礼をした。

 

 「有難うございます」

 

 

 そして顔を上げ、にっこりと微笑んで返した。

 

 「俺にとっては、“近藤家”の娘なら、どの家柄の娘よりも良家ですがね」

 

 

 「ばかやろう」

 近藤は笑うしかない。

 

 

 「この話は、冬乃には」

 沖田は続けた。

 

 「彼女が此処の世へ確かに戻ってきてから、話そうと思います」

 「うむ。俺は準備だけはしておく」

 

 改めて沖田は心からの礼をした。

 

 

 

 「俺は今日はこの後、住職に挨拶に行く予定がある。冬乃さんに、その間に部屋を掃除しておいてもらえるよう伝えてくれるか」

 「はい」

 沖田は今一度、礼をして立ち上がった。

 

 

 

 

 婚姻が、冬乃のために早急に必要なものだとは、沖田は考えていない。

 

 

 沖田が死しても、冬乃が此処で生きていけるために必要なものは、

 嫡子が一定の年齢に達してでもいないかぎり、当主死後の待遇が不確かで面倒な、婚姻関係などでは無く。

 そもそも、できれば冬乃には、そうして沖田のために『家』を守る苦労など、させずに済むならばさせたくもない。


 それよりも必要なものは、

 此処の世での社会的身分としての“実家”と、一生困らないだけの金、であり。

 

 この二つさえあれば、他に何が無くてもやっていけるはずだ。

 そしてこの二つならば、沖田は用意してやれるだろう。

 

 そしてもう一つ彼女に遺せるとすれば、・・

 

 

  

 (・・・まあ、それは彼女が望めばだが)

 

 

 

 

 

 

 襖を開けると、部屋の端のほうに遠慮がちに座っていた冬乃が顔を上げて沖田を出迎えた。

 「総司さん」

 その可愛い微笑みに、沖田はつい目を細める。

 

 「先生はこれから少し出られる。その間に部屋の掃除をしておいて」

 「はい」

 

 「・・・」

 総司さんはどうされるのですか

 そんなふうに聞きたげな瞳が、続いて沖田を見返した。

 

 「俺は道場に行ってくる」

 伝えれば、冬乃は瞳を揺らし、頷く。

 

 

 沖田は立ち上がる冬乃へ近寄り。

 細い肩に流れる綺麗な黒髪を撫でて、その髪を揉むように冬乃の首の後ろに手を遣った。

 

 自然と見上げてきた冬乃に、顔を寄せれば、冬乃はそっと目を閉じた。柔らかい唇に吸いつき、暫し。堪能した。

 

 

 「……ン…」

 冬乃の両手が、つと沖田の着物を掴み。ふらついた様子だった。

 

 続けるか止めるか。一瞬迷ったのち沖田は、唇を離し。

 替わりに額へそっと口づけると、冬乃が睫毛をふるりと擡げるのを目に、両肩を押さえ体ごと離した。

 

 「冬乃」

 とろんと蕩けた瞳が、沖田を見上げてくる。

 疼く想いを押しやり。

 「掃除がんばって」

 冬乃は。こくんと小さく俯いた。

 

 

 





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