一五. 恋華繚乱⑯

 

 (待つって何を・・)

 

 「きゃ、沖…っ…!」

 胸の谷間に口づけを受けた冬乃は咄嗟に、逃れようとした。

 

 だが沖田に両手を括られていて腰も押さえられたままの、冬乃の体は動きようがなく。

 

 その間にも冬乃の片襟をその口に咥え、ゆっくりとずらしてゆく沖田に、

 冬乃の胸元の肌は、徐々に露わにされてゆき。

 

 「…ゃ、恥ずか……沖…田さま、や…めて」

 

 全身を迫り昇るようなあまりの羞恥感に、

 冬乃はなお抗って襟を閉じたくても、沖田に括られた両手は、びくともせずに。

 

 ついには沖田の唇が、咥えながら開いてゆく襟下に現れた、冬乃の片胸の頂をかすり、


 「ぁん…!」

 かすった瞬間に、冬乃の体はびくりと跳ねてしまい。

 

 もはや次にされる何かに、構えて冬乃は、きゅっと目を瞑った。

 

 「・・?」

 

 しかし何も起こらず。

 冬乃がおもわず薄目を開けると、

 

 いつのまに沖田が襟を口から離したのか、冬乃の顔の前まで戻ってきた。

 

 

 「今日はこのへんにしとく・・」

 

 零された、熱を帯びたその声は。

 

 気のせいか。

 「もう少し貴女に触れていたいところだけど、」

 

 

 「これは思った以上に、我慢できそうにない」

 

 

 ちょっと、悔しそうで。

 

 

 (え・・・我慢?)

 

 「まあ・・いい」

 

 冬乃の首すじの、その薄くなった二つの痕をなぞるように沖田が、次には口づけてきて。

 

 「少しずつ、ね」

 そのままちろりと見上げられたその眼は、挑戦的に、微笑った。

 

 

 「それと、」

 

 沖田が屈んでいた姿勢を戻し、冬乃を優しい目で見下ろす。

 

 「その沖田様、ってのを止めようか」

 

 「え・・」

 

 「総司でいい。敬語も要らない」

 

 「それはあまりに難しいです・・」

 即答した冬乃に。

 

 「仕方ないな」

 例のごとく沖田が微笑う。

 

 

 「呼んでみて今」

 

 

 (そんな)

 

 「呼ぶまでこのままだけど」

 ちらりと沖田の視線が、

 冬乃の半分以上露わになったままの片胸へと向かった。

 

 「これはっ、だって、沖田様がなさったことなのに・・!」

 

 ん?

 と悪戯な眼が返ってきて。

 冬乃は薄闇の中、顔を赤らめた。



 たしかにこのままは、つらすぎる。

 

 

 状況をはっきり認識させられて、もはや飛んで逃げてしまいたいのに、冬乃の両手は未だ沖田に頭上に括られ、腰は支えられ、そうして壁との間に挟まれたまま、

 

 只々、露わな乳房を、沖田へ曝しているという状況で。

 

 

 (い・・じわる)

 女には性分をみせないから安心しろ、みたいなことを言っていた永倉へ、

 沖田は冬乃に対しても十分にドSのようですが、と咄嗟に伝えたくなる。勿論ドSでは永倉に通じないけども。

 

 

 「ほら」

 早く。

 

 冬乃は促され。

 

 「そ・・」

 

 ふるふると、声を震わせた。

 

 

 「そうじ・・・さま」

 

 

 「総司様、じゃないだろ。それじゃ変わらない」

 即行で沖田が苦笑した。

 

 「・・・」

 沖田はそう言うが、

 乳房を曝したまともじゃない状況な冬乃の身にもなってほしいものである。

 

 

 (そういえば沖田様は、大体もう何度も、私の裸なんて見てるんだっけ・・)

 

 

 なんだか、だんだん憎らしくなってくる。

 と同時に冬乃は驚いた。

 

 まさか沖田に対して、こんな感情が芽生える日が来るとは。

 

 

 いいかえれば、冬乃の側がむしろ沖田に対してこれまで張っていた壁を、

 まるで沖田がいま取り壊しにかかっている、といったところか。

 そうと知ってか知らでかは分からないが、

 

 沖田の事だ。

 (わざと・・だったりして?)

 

 

 おもわずじっと見上げれば、

 ますます意地悪な眼差しが見返してきて。

 

 

 「~~っ」

 

 冬乃は。

 

 「そう・・・・じ・・・・・・・」

 

 

 ついに、がんばった。

 

 

 「・・・さん。」

 

 

 

 「・・・・」

 

 うーん

 と。どこか納得していなさそうな表情が、冬乃の瞳に映る。

 

 

 「まあ・・・それぐらいならいいか」

 

 許可がおりたようで。

 

 

 「あの、じゃあ・・襟を戻してくださ」

 「敬語」

 

 つづけざまに指摘され、冬乃は押し黙る。

 

 

 「だ、だって」

 

 冬乃は咄嗟に反抗した。

 

 「沖・・総司さ、んだって、私のコト貴女って呼ぶじゃないですか」

 

 「・・それが?」

 沖田は面食らった様子で、聞き返してきた。

 

 「『おまえ』とかじゃありませんし。『貴女』って丁寧です」

 

 「・・それはべつに、それで呼び慣れているからで、丁寧のつもりでもないよ」

 

 

 どこか。冬乃は、沖田が露梅のことはおまえで呼んでいたことを、心の奥でずっと気にしていた。

 

 その呼び方の違いが。

 時間軸に囚われた冬乃には越せない、絶対的な距離の象徴のようにすら感じて。

 

 ―――距離。

 露梅は。沖田に抱かれてきたのだ。

 この先も、冬乃には叶わない、その距離を。あたりまえのように、超えて。

 

 

 

 冬乃は小さく溜息をついた。

 

 「同じです。私も敬語慣れしてしまって、突然変えるなんてむりです」

 

 

 見上げる先、沖田が何故か、すっと目を細めた。

 

 「呼んでほしいの?おまえで」

 

 「え?」

 降ってきた、その予想外の返しに、冬乃のほうは目を瞬かせていた。

 

 「そのぐらい、容易いけど。『おまえ』が好きな呼び方で呼ぶよ、なんなら『君』でも『子猫ちゃん』でもね」

 いやどちらかというと冬乃は仔犬か。

 と、冬乃がやっぱり・・と嘆息したくなる呟きまで添えて、沖田が笑ってきた。

 

 

 

 (・・・あっさりすぎる・・)

 

 冬乃の思い悩んでいたことが、ウソのように。

 

 

 

 (・・・もう。)

 

 

 ずるい

 

 冬乃は、胸内で白旗を振るしかない。

 

 

 こんなふうに何度でも、沖田は冬乃を惚れさせて、

 とどまるところが無いのだから。



 「やっぱりどちらでもいいです・・何でも・・沖、総司さんが、呼びやすいもので」

 「ならとりあえず貴女でいい」

 

 はい、と冬乃はにっこり頷いた。

 

 

 「で、もうすっかり胸を曝すことに抵抗が無いようだから、」

 

 つと続けられたその台詞に、

 次には冬乃は、我に返って慌てた。

 「抵抗あります!大いにっ」

 

 「そう?・・残念。次はどうしてやろうかと思ったのに」

 

 「っ・・!?」

 これ以上、弄られてはたまったものではない。

 

 冬乃は観念した。

 

 「敬語は、がんばって無くすお約束しますので、どうかもう少しだけお時間をください」

 

 

 ふっと沖田が、そのいつもの余裕の笑みになって微笑んだ。

 「まあ、初めから全て変えられるとは、どうせ思ってなかったけどね」

 

 「・・・」

 

 やっぱりちょっと、憎らしいかも。

 

 

 「他人行儀が凄まじい『沖田様』じゃなくなるだけでも、まずは良しとするよ」

 

 やっぱりきゅんとしました。

 

 

 (沖・・総司様・・・じゃない、総司さん)

 

 冬乃の側で慣れるのは、かなり大変そうだが。

 

 

 

 (そういえばちょっと『君』とか『子猫ちゃん』とかでも呼ばれてみたいかも・・)

 

 おもわず想像して勝手に赤面した冬乃は。

 

 「もう立てる?」

 「え」

 

 不意に覗き込まれて。どきりと沖田を見上げた。

 

 

 (あ・・)

 確かに、腰が砕けたようなあの感覚は、そういえば治まっている。

 

 「はい」

 冬乃が頷くと、沖田の腕が抜かれた。続いて両手首も解放されて。

 

 と同時に冬乃の襟は、沖田の手によってそっと直された。

 

 「苛めてごめんね?」

 沖田が邪気たっぷりの笑顔で、挙句にっこりと哂った。

 

 「・・・」

 冬乃はおもわず剥れる。

 

 「・・何その可愛い顔は」

 

 あろうことか沖田がそこへ反応した。

 

 

 (か、)

 

 可愛い、と。そういえばあの夕焼けの中、窒息しかけた二度目の口づけの時にも、その台詞をさらりと言われたが。

 

 今の台詞はきっとからかいにせよ、

 沖田はこういう甘い言葉を平気でこれからも言いそうな気がする。

 

 おもえば彼のこの部屋で、初めて抱き締められた時も言われたのだった。

 

 

 「・・・」

 

 黙って上目に沖田を見返したまま、つい頬を染めた冬乃を。

 沖田が次には抱き締めてきた。

 

 「それから、他所であまり・・男をそうやって魅惑しないように」

 沖田の低い溜息まじりの声が、冬乃の耳元で吐かれ。

 

 (・・み?)

 冬乃は意味が分からず首を捻る。

 

 

 

 「先生がお戻りだ」

 つと沖田が、そのまま唐突に呟くなり、冬乃から身を離した。

 

 見上げた彼の顔はどこか名残惜しそうに、ふーっと溜息をつく。

 (沖・・総司さ・・ん)

 そんな、

 沖田の顔も。また見たことが無かった冬乃は、胸内を再び締め付けられて。

 

 今夜はもう、この短時間の間で何度も、初めて見るもの、聞くもの、・・されるもの、ばかり。

 

 

 (総司さ・・)

 

 「総司ーーー帰ってるかーーー」

 

 同時に。

 

 玄関のほうから近藤の声が響き。

 瞬く間に足音が、部屋の前まで来た。

 

 「ええ、帰ってますよ」

 

 冬乃から離れ、沖田が襖へ向かう。

 「先生もおかえりなさい」

 「あ、ああ!ただいま」

 沖田が開けた襖の前で、近藤が沖田を見上げてにこにこと微笑い、ふと部屋を見やった。

 

 「て、灯りも点けないでどうしたんだ」

 

 「俺達も今しがた帰ったとこですので」

 沖田がけろりと返した。

 

 「お、そうか。冬乃さんもおかえり」

 冬乃は壁前に立ち尽くしたまま、慌てて会釈を送る。

 

 「総司、ちょっとこれから書簡の整理の手伝い頼めるか、夕餉まででいい」

 「はい」

 

 

 沖田が冬乃を振り返った。

 

 「此処で、待っててくれる?」

 

 「はい」

 

 

 襖が閉まるとともに。

 

 

 冬乃は、その場にへたり込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 立っていられるだなんて答えておいて結局、しっかり脱力して座り込んでしまいながら。

 冬乃はこれまでの怒涛の出来事を、一旦一人になったことで、やっと振り返る機会を得て。

 

 (わ・わ・・)

 

 そして振り返りながら、最早。

 

 

 座っているのに、倒れた。

 

 

 ずずずと壁に、崩れた背を凭せかけ、

 冬乃は激しさがさらに増した心拍の、引き起こす息苦しさで眉を寄せる。

 

 (ふわああああ)

 混乱どころではない。

 

 ひとつひとつ思い起こすたび、顔からもし火が出せるなら、ドカンと噴火している事態で。

 

 胸の先端を沖田に唇でふれられたことも、当然、思い起こして、

 冬乃は破裂寸前な動悸に、背の壁を際限なくずり落ちながら顔を覆った。



 最近の冬乃は、制服で来た時以来の唯一の下着を、毎夜眠いなか洗って干して使うことに疲れていて。この時代の着方に倣って、まとめて洗えるだけの数がある襦袢で済ませていた。

 だがもし今も、平成の下着を着けていたなら、あんなに簡単にふれられることも無かっただろうに。

 

 (・・とか言って、)

 

 彼に触れられたことは。当然、嫌だったわけではなく。

 どころか、

 ただ想い起こすだけでも、口づけられている時と同じような、甘い痺れすら身の芯を奔る。

 

 つまるところ、只々恥ずかしくてどうしようもないだけで。

 

 

 一方で冬乃は、感じていた漠然とした不安を、今も胸奥に抱えていた。

 

 体が密着を繰り返すたび、あの時。冬乃の体の脇に時々当たった刀とは別の、何か硬いものが、冬乃の体の前にも幾度となく当たって。

 今にして思うと。

 

 (あれって・・)

 

 どんなに経験が無い冬乃でも、当然聞いている。男性が、どういう時にどうなるかくらいなら。

 

 

 (でも・・)

 

 いつかの時、

 冬乃は沖田が、冬乃に対してそういう気持ちにはならないのだと、一抹の寂しい想いとともに結論づけたことがあった。

 

 (あの頃はそうで、今が違うの?)

 疑問は甦る。

 

 何故、急に、沖田の心境に変化があったのかと。

 

 昨日までは確実に相手にされていなかったのに、今日の夕方までに、いったい何があったのだろう。

 

 

 (・・・だめ、あたまがぜんぜん働かない・・)

 

 

 

 もしかして、これはやっぱり、すごく良く出来た夢なのでは。

 

 再び辿りついたその可能性に。瞬間、冬乃は最大の力を籠めて腕をつねってみた。

 

 「痛ったあ!」

 

 

 ただの自虐行為に、涙目になった時。

 

 襖が開いた。

 

 

 

 

 「・・・何やってんの・・」

 

 

 呆れた声とともに、襖が閉まり。

 愛しい声の主が近づいてくる。

 

 

 「あの、沖、総司さ・・ん」

 

 壁を背にして大分ずり落ちたままに、今の痛みで放心ぎみの冬乃の傍へ、片膝をついた沖田を。冬乃は見上げた。

 

 「どうして・・急に、お気持ちが変わったのですか・・」

 

 「・・というと?」

 「総司さん、は私とは付き合えないと・・昨日、永倉様へ言ってたのに・・」

 

 

 「ああ、」

 

 ぼうっと冬乃が見上げる前、沖田が手を伸ばしてきた。そっと頬を撫でられる。

 

 「冬乃がもう帰らないのならば、想いを抑える必要は無いから」

 

 「・・え?」

 「俺はずっと冬乃を好きだった、って事。急に気持ちが変わったのではなく。隠してただけ」

 

 

 「う、そ・・・」

 

 いま耳に届いた言葉が俄かには信じられず、冬乃は唖然と沖田を見つめた。

 

 「本当」

 沖田が微笑う。

 

 「どうし・・て、隠して・・」

 

 

 「・・わからないかな」

 沖田が胡坐をかいて座り込んだ。

 

 「そもそも冬乃は、自分の意志で行き来することも叶わないでいた、」

 

 「そのうえ未来が、貴女の本来の世である以上。いずれは此処へ永久に戻ってこなくなる日がくるだろうと。」

 言いながら、沖田が段々と苦笑しだす。

 ここまで聞かなきゃ分からないのかと言いたげに。

 

 

 「そんな冬乃と、無責任に一時の関係に興じるわけにいかなかったから、に決まってるだろ」

 

 そうして溜息とともに伝えられた、その言葉は。

 

 冬乃の心に、少しずつ。沁みわたってゆき。

 

 

 (・・・それ・・で・・)

 

 もう行き来の自由が利くようになって。次でもう、ずっと帰らないと。

 冬乃があの時、沖田に告げたことで。

 

 

 『冬乃がもう帰らないのならば、想いを抑える必要は無いから』

 

 

 

 沖田の最初の言葉の意味を、冬乃はやっと理解した。



 

 沖田が冬乃の想いに、とうに気づいていながら。

 

 そこまで、冬乃のことを大切にしてくれていたのだと。

 

 

 (・・貴方なら、私を)

 どうにだって、できたことなんて。

 

 分かっていただろうに。


 それこそ、冬乃の先の事など考えず、

 

 恣にしようと思えば。いくらだって、好きなように。

 

 

 冬乃が。その場になったら、沖田を拒めるはずがないことを。

 冬乃自身、なにより分かっている。

 

 

 

 

 だからこその、

 

 この不安も。

 

 

 

 

 (だって私自身がどんなに、拒めなくても)

 

 

 過去と未来の時間を隔てる一線を

 超えてはならないはずであることに、変わりはない。

 

 

 何故なら――――冬乃は帰るのだから。

 

 あと三年に迫った沖田の最期を、見届けた後に。

 

 

 だがそれを沖田に伝えるわけにはいかない。

 

 

 沖田があと三年の命であることを、

 

 冬乃が、もう『二度と』帰らないのは。

 あくまで、その三年間ということを。

 

 

 

 沖田のほうは当然、冬乃が此処の世に一生いると決めたのだと。思っているはずだ。

 次が最後でもう『二度と』帰らないと。

 

 

 今の沖田の話からすれば、

 そうでなければ、想いを打ち明けてなどくれなかっただろう。

 

 冬乃がいずれは元の世界に帰るなら、

 一時の関係、に変わりはないのだから。

 

 

 

 (・・貴方の心配してくださっていた事は、)

 

 本当は未だ、今もそのままで。

 

 

 それは、同じ、冬乃にいま生じている不安であり。




 だが伝えようのないもの。

 

 

 

 

 瞳の奥が涙で滲んできて、冬乃は慌てて瞬かせた。



 (どうして・・・こんな・・)

 

 

 沖田が一時の関係を否定してくれるなら、

 

 つまりこの先もずっと、冬乃と添い遂げようとしてくれている。ということになるではないか。

 

 

 それなのに

 

 

 

 

 

 

 

 「冬乃」

 

 その呼びかけに冬乃は、はっと沖田を見返す。

 

 「もう帰らないと決めたのは」

 

 沖田が冬乃の髪を撫でた手を流し、そっと冬乃の顎を上げた。

 

 「俺のため?」

 確かめるように。

 

 確かめなくても・・お見通しですよね・・。冬乃は震える胸の内で、呟く。

 

 

 「はい・・」

 

 

 囁くように答えた、

 答えるうちから沖田の顔が近づいてきて、答えの音の、途切れぬうちに口づけられ。

 

 

 一瞬に溢れそうになった涙を、冬乃は閉じた瞼に隠した。

 

 

 

 抑えきれなかった涙が頬をつたうのを感じ。

 

 (総司さ・・ん・・)

 


 沖田の言う、俺のため、は。

 沖田が此処の世に居るため、の意味でしかないだろう。

 

 

 冬乃の意味する、沖田のため、は。

 当然ただそれだけでなく。

 

 (そして・・私の、ため)

 

 冬乃が。

 沖田を彼の望む最期へ導きたいから。

 沖田との、もう長くはない時間を、片時も離れたくないから、

 最期の時を、決して逃したくはないから。

 

 

 (総司・・さん・・)

 

 

 

 優しい穏やかな口づけだった。

 

 唇を離された時、

 冬乃が目を開けるより前。冬乃はそして、目尻に口づけられ。

 

 「泣いてるの」

 

 少し困惑したその声に、冬乃は静かに目を開けた。

 

 

 「・・幸せだからです」

 

 ――嘘では無く。

 冬乃はまっすぐに沖田を見つめ返して。

 

 

 悲しみと。同じだけの、

 恐ろしいほどの、幸せを。感じていた。

 

 

 

 こんなに大切にされていたこと。

 

 きっと添い遂げようとさえ、想ってくれていること、

 それがどんなに、ふたりには。

 叶わなくても。

 

 (私は・・)

 

 

 これが確かに夢でないのなら、

 

 

 (・・・許されるのかさえ)

 

 

 「幸せすぎて・・怖いです・・・」

 

 

 罪の意識が、甦る。

 

 

 

 (お千代さん・・ごめんなさい・・)

 

 

 

 

 冬乃の瞳は再び、溢れてくる涙で霞み。

 

 

 「・・月並みな事しか言えないが、」

 沖田がそっと指先で冬乃の目尻を払った。

 

 

 「どうせ何かしらの原因で、辛くなる日もまた、嫌でも勝手に来る。だったら幸せな時ぐらい、」

 

 冬乃の心を落ち着かせてくれる、沖田の優しく穏やかな声が冬乃を包んだ。


 「素直にそれを享受していて良いんじゃない」

 

 

 「・・・はい」

 冬乃は小さく頭を下げた。

 

 「有難うございます・・」

 

 

 (・・総司さん、そして・・ごめんなさい)




 幸せでいてもいいと。

 沖田が言ってくれるように、まっすぐに受け止められる時が来ることを、冬乃はそっと祈った。

 

 もしも許される時が、来るならば。であるのだとしても。

 


 

 沖田が冬乃を壁から抱き起こし、代わりに自分の胸へ凭せ掛けた。

 後ろからすっぽり冬乃は包まれて、続くそのとめどない悲しみと対の幸福感とで、どうしようもなく再び目を瞑る。

 

 「いつからなのですか・・その、」

 私のことを想ってくださるようになったのは

 

 そして冬乃は、勇気を奮って聞いておきながら、結局消え入りそうな声になった。

 

 

 とくとくと冬乃の心の臓が、鼓動を打つ中。

 沖田がその温かな腕に、冬乃をよりいっそう抱き締めた。


 「泊りに行った後ぐらいから、はっきり自覚した」

 

 

 (え・・・?)

 

 そんな頃からなわけが・・

 おもわず声なく疑って振り返った冬乃を、

 どきりとするほど愛しげな眼が、肯定するように、穏やかに微笑んで見返して。


 冬乃は食い入るようにその眼を見つめた。

 


 (だって、あの頃・・は・・)

 

 未だ冬乃が、沖田と千代の運命に対して、どうすればいいのかもわからぬまま、なんら覚悟もできず延々と悩んでいた時期ではないか。

 

 

 (・・・そんなのって)

 

 

 まさか、冬乃の存在そのものが、

 本来の運命で結ばれていた二人を引き裂く“手段”となることを。あの頃の冬乃に、どう想像できただろう。

 

 

 

 「冬乃は?いつからなの」

 

 (あ・・)

 沖田の問いに冬乃は、咄嗟に目を逸らして前へ向き直った。

 答えられるはずがなく。



 貴方に逢う、ずっと前からです

 

 そんなことを言ったら、

 今度こそ、重たいと思われてしまうだろう。

 

 いや、

 重たい、以前に。理解すらされまい。

 

 

 「・・・・秘密です・・」

 

 そして沖田に背を向けたまま。そんな返事しか結局できずに。

 

 「・・秘密?」

 苦笑した声が当然、落ちてきても。

 

 冬乃は俯いて。

 

 

 

 (ほんとうは)

 

 冬乃がほんの幼い少女の頃に彼を知って以来、ずっと想い続けたこと、

 それさえも。

 もっと・・遥か、前からさだめられた、必然だと。

 何故かそんなふうに感じてきたなんて。

 

 

 (言ったら、絶対もう、ひかれちゃいそう)

 

 だが信じるひとはそれを、前世から、とでも呼ぶのだろうことを。

 

 

 (・・前世からというものが、どういうことなのかはよく分からないけど)

 

 

 運命、だと。

 

 すくなくても冬乃にとっては。

 そう言いきってしまえるほどに。もう、

 

 冬乃の身に起こり続ける、もはや偶然なんかではありえない、必然な、この度重なる奇跡のなかで。

 

 ずっと冬乃は。確信していて。

 

 

 この、沖田に関しての強まる使命感とともに。




 (だから・・)

 

 ――――きっと冬乃が、

 

 

 「・・・総司さんが。想像も、つかないほど前から、・・です」

 

 

 

 

 「冬乃、」

 沖田がふと冬乃の耳元で囁くように、冬乃の名を愛でて。

 

 「如何してそう・・可愛いことばかり言うの、貴女は」

 

 (え?)

 言うなり冬乃をきつく抱き包めた逞しい胸板に、両の腕に。冬乃は息をついた。

 

 「総司さん・・?」

 そんなふうにされたら。包まれ与えられるその深い安息感に、冬乃の小さな背は、うっとりと沖田の腕の中へ溺れてしまうのに。

 

 (抜け出せなくなりそう・・)

 

 ここが冬乃の大好きな場所だということを。沖田はどこまで分かっているのだろう。

 

 「・・冬乃」

 もう一度。

 冬乃の耳元に低く優しい声が、落とされ。

 沖田の片腕が、つと冬乃から離れ、後ろへ戻っていった。

 

 その手が次には冬乃の髪を、片方へ流しながら掻き上げて、

 うなじへと冬乃は、かなり強い口づけを受けた。

 

 

 息を呑んだ冬乃の、

 視界に。冬乃の体をまだ包んでいた、もう片方の腕が上がってくるのが、映って。

 

 そして、前からそっと冬乃の片襟の、内へと手が挿し入れられ。鎖骨へと這わされた。

 

 「…っ」

 同時に冬乃は髪を掻き上げられたままのうなじへと、今度は優しく掠るような口づけを幾つも受け。その擽るような熱は、

 冬乃のうなじの線を、ゆっくりと辿りおりてゆき。

 

 (あ・・)

 「冬乃、・・」

 

 幾つもの、その優しい口づけとともに、

 冬乃の襟内へ潜っていた熱い手が、冬乃の肩から、片襟を徐々にすべり落とし、

 

 露わになる冬乃の肩まで、

 うなじから辿ってきた彼の口づけは続いて。

 

 「…ん……っ……」

 つい声が漏れて、冬乃は、

 

 「……は…ぁ……」

 そして肌の上で増してゆく彼の熱に、自分で驚くほど、艶を帯びた吐息を零してしまい。我に返るような羞恥に、咄嗟に沖田から逃れようとして。

 

 許されず。冬乃はかえって後ろの沖田へ引き寄せられ。

 

 (総司さ・・)

 まるで、逃げようとした罰のように少しだけ強引に、

 冬乃の肩を掴んでいた沖田の手が不意に下って、襟内を今度は深く這入り込んだ。

 

 驚いた冬乃の、乳房をその大きな手が次には深々と包んで、

 同時に、

 冬乃の髪を掻き上げていた手も、下りてきて再び冬乃の胴を包み込み、拘束してしまい。

 

 (総・・っ)

 

 しっかりと、背後の沖田へ捕らえられてしまった冬乃が、もがいても当然びくともせず。冬乃は。沖田の手が、そのまま冬乃の胸をゆっくりと揉むのを感じて、瞳に映ったその手から慌てて逸らして。

 

 「や…め…恥ずか…し…」

 弱く。

 そんな訴えしか、できずに。

 

 

 ふっと冬乃の耳元で、沖田の微笑う声が続いた。

 「慣れて?」

 ・・・からかうように。

 

 (そんな・・)

 「ん…っ」

 

 沖田の長い節くれだった指に先端を摘ままれ、冬乃は息を揺らした。

 刀を扱う、その太く硬い指先は。

 驚くほど優しく繊細に、冬乃の胸の先を愛撫して、

 

 「…ぁ…あ」

 

 まもなく冬乃はふたたび零れだす吐息を、抑えることができないで。浅くなる、自身の呼吸に。どうしていいかわからないまま夢中で顔を背けた。

 

 「冬乃・・」

 再びうなじに受けた口づけは熱すぎて。

 

 溶かされそう、と。目を瞑ればくらくらと、ふらつく体を背の沖田へ、もはや凭せ掛けながら冬乃は震える息で小さく、喘いだ。

 








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