一四. 禁忌への覚悟⑳
沖田の誘いに。冬乃がみるみる目を見開いた。
攫いたいとまで戯れでも添えられたら、冬乃ならば、こちらへ気が無ければ当然困って焦るだろうと。
それを含めて試した・・と言っては人が悪いかもしれないが。
だが沖田の見守る前、
冬乃は。その目を見開いたまま、頬まで染めて「はい」と、小さく囁いた。
そして、
みるからに嬉しそうに微笑むなり、恥じらって俯いてしまった冬乃に、
沖田は最早、
確信するしか、無く。
同時に、こうして沖田の前で恥じらい俯く彼女を、もう何度も見ていた事をも、思い起こし。
何故これまで気づかなかったのかと逆に、己に嗤ってしまう程、
それは鮮やかに沖田の、彼女に関わる幾多の記憶を、色づかせてゆき。
(・・・だが、)
生きる時代の違う冬乃が、何を想って沖田へその心を寄せるのか、やはりどうしても解せずに。
沖田は次には押し黙った。
時代が違うという事は即ち、彼女がいずれ家庭を持ち、添い遂げるを望むわけでは、決して無いという事だ、
かといって先の無い奔放な恋愛を愉しむような女性には、どうしても見えない。
武家の女性とも聞いている。未来での制度は分からないが普通は、彼女の時代で彼女には然るべき家との縁談が、いずれ用意されるだろう。
そんな事など気遣わず、己の欲のままに冬乃を恣にするのは、彼女が想いを寄せてくる以上、或いは難しい事ではないだろうが、
そこまで愚かになれるほど、冬乃とは昨日今日の浅いつきあいではない。
情も責任も、
そして、やはり確かに芽生えているこの恋慕をも含め、
彼女に向ける、あらゆる感情をもって己は、
やはり彼女の気持ちをこうして知っても踏み止まるのだという事もまた、
確信してしまい。
沖田は。
つい溜息をついた。
沖田の溜息が聞こえてきて。
冬乃は不思議になって顔を上げた。
先程の、どこか悪戯っぽい眼は、もうそこには無く、
いつもの穏やかに優しい眼が、顔を上げた冬乃を迎えた。
(・・・今の溜息は何?)
「籠を呼んでもらうから待ってて」
冬乃の不思議そうな表情は見ているくせに、沖田がそう言うだけで背を向けて出てゆく。
残された冬乃は、困って座り込んだ。
(もしかして、断るべきだったの・・・?)
御姫様みたいだと褒めてくれた沖田は、その社交辞令の流れで誘っただけだったのだろうか。
まさかそこで冬乃が頷くとは、思っていなかったのかもしれない。
(なのに私は喜んだりして、・・)
呑みに誘われたら気軽についていくような軽い女だと、思われたりしたのではないか。
・・・いや、
(そんなことない。だって山崎様の時だって、断っ・・・
てなくない?そういえば)
あの時、沖田が断ってくれたのであって、冬乃は断ってはいない。どころか冬乃は、山崎の誘いを社交辞令として受け取ったふりをして、有難うございますとまで答えなかったか。
(・・・信じらんない、私)
これで完全に誤解されただろう。
冬乃はうなだれて。
その場に座り込んだまま、深く溜息をついた。
駕籠で乗り付けた上七軒の、とある料亭は、
豪奢な出で立ちの二人を慇懃に出迎えた。
格子窓からの静風に、置行灯の幽かな火がそよぐ個室をあてがわれ、
運ばれてくる京料理と酒肴はどれもが逸品で。
そんな時間を、
沖田と過ごせることで冬乃が、先程の落ち込んだ心から快復しつつあることは。
いわずもがな、で。
(だって、こんなにも)
幸せなのだ。
断らないでよかった、に決まってる。
誤解は、どうすればいいかは分からないが追々、なんとか解かなくてはいけないにせよ。
ただ不思議なのは、先程から沖田が、あれこれ冬乃のことを聞いてくることだった。
(私のことなんか聞いたってつまんないと思うのに)
好きな食べ物や、好きな季節にはじまり、何に興味があったり、どんなことをしている時が楽しくて、どんな子供時代を過ごして、そして未来での冬乃がどんなふうに生きているのかを。
なのに何度も答えに困っては、一問一答ですらなく一問零答になって途切れてしまい、全く話が続かない苦しい事態になっている冬乃に、
そして沖田が段々と呆れたのか、いや諦めたのか、ついには笑い出した。
「尋問でもしてる気分になってきた」
「ご・・ごめんなさい」
もはや謝るしかない冬乃に、
「いや、いいけど」
沖田が笑ったまま、仕方なさげに首を振る。
「逆にどんな話なら、進んでしてくれるのかな」
(どんな話と言われても・・)
冬乃にとっての関心事なんて、すべて、沖田に関わることに集約されてしまうというのに。
そこを避けてあれこれ話そうとしても、土台むりがあるのだ。
(でも)
そんなことを説明するわけにはいかない。
「・・・・」
結局黙ってしまった冬乃に、沖田がますます苦笑し。
(つまんない女だと思われてそう・・)
冬乃はせっかく一時は快復したのに、またしても落ち込む次第で。
「私は・・」
そして、もう。最後の最後に。
冬乃は勇気を出してみた。
「沖田様のお話がもっと聞きたいです」
「・・・俺の話、ねぇ・・」
苦笑したままの沖田が、冬乃のその投げかけに、
ふっと冬乃の目を見つめてきた。
その眼は、
あいかわらず掴み所なく。
それでいて、冬乃の事はまるで丸裸にして、見透かしているかのようで。
(・・・っ)
いつかのような、蛇に睨まれた蛙のごとき気分になってしまった冬乃が、
とうとう逸らす機会まで欠いて、結果、見つめ合う状態になってしまったことに。気づいたのは。
「冬乃さん、て」
沖田が再び笑い出した時だった。
「見つめられると逸らさないね」
前にもあったような。
と、面白そうに沖田が呟き足す。
冬乃は慌てて視線を外した。やっと。
冬乃が今さら気がついたように、ついと目を逸らし、
沖田は。息をついた。
『私は沖田様のお話がもっと聞きたいです』
それを冬乃が望む理由を、
彼女の口から聞いてみたいものだ。
要は、
(この子は一体、何を考えているのか)
その胸内に疼く疑問への、
明確な解答が、欲しい。
時代を超えて、沖田に想いを寄せる彼女の、
真意がこうも掴めない以上、もはや直接聞いてしまいたいものだと。
とはいえど江戸の“歯に衣着せぬ”が信条のこの身とて、
(さすがに出来た芸当じゃないが)
徳利を持つ手を前の冬乃へと伸ばした。
促すと、冬乃はすぐに気づいて膳の上の猪口を、恐縮した様子でおずおずと差し出してくる。
冬乃が続いて自分の徳利を持って沖田に注ごうと体を乗り出してくるのを制して、手酌し沖田は、そのまま杯を一度に呑み干した。
どうも今日は一片も酔えない。沖田の側の膳にすでに大量に連なる空の徳利に、己で哂ってしまいながら、
そろそろ冬乃のほうは止めておかないと、また島原の時のようになりかねないかと様子を見れば。
目元に見事な紅を纏ってとろんとした瞳が、沖田を見返してきた。
「おきたさま、」
ちょっと重たくなった瞼を懸命に持ちあげて、沖田と目を合わせて。
冬乃は酔いのまわりに勢いづいた勇気を、あともう一度だけ、奮ってみた。
「お伝えしたくおもうことがあるるのです、」
いま微妙にろれつが回らなかったのを自覚しつつも、
頭の芯はしっかりしているから、冬乃は未だ酔い過ぎたつもりはない。島原の時で学んで、量にも気を付けている。
それでも酒の力をちょっとだけ借りながら。
伝えたいと、あれからずっと思っていた言葉は、
「こんやのように、どなたかに誘っていただいても、わたしは」
伝えられそうな今の機会に、早く言うべきだと。つまりは、
「だれとも、お酒のみにきたりなんて絶対にしません、」
だから軽い女だなんて、思わないで。
そう、伝えようとして。
「くるなら、おきたさまとだけですから」
後から思えば。
一体このとき冬乃の、どのへんの頭の芯が、
まだしっかりしているつもりだったのだろうかと。
後悔先に立たず。
沖田はおもわず猪口を運ぶ手を止めていた。
今の、冬乃の台詞は。暗に沖田へ告白してきている、としか受け取りようがあるまい。
もう言われなくても貴女の気持ちなら分かっていると、返してやりたくなる。だが、
すでに先刻結論づけたように、冬乃と安易に想いを通じ合わせていいはずも無い。
大体、冬乃は今、酒に酔っているから口を滑らせただけに違いなく。
(聞き流すしか・・ないよな)
これからずっと、こうして冬乃の気持ちを知らないふりをしていくことになるのかと。沖田はげんなりしつつ、
強く訴える様子で己を見つめてくる無邪気に残酷な冬乃から、目を逸らした。
そう、
己に芽生えているこの恋情もろとも、
直視せぬようにしていく他無いのだと。
本当に一体、彼女は何を考え、どこまで認識しているのか謎になる。
ひとつ解るのは。
好きになってはいけない相手に、
互いに恋をしたと、いうことだ。
沖田は膳に猪口を置いた。
「冬乃さん、」
いったん逸らしていた視線を冬乃へ据え直す。
「だいぶ酒が回ってるようだし、そろそろ帰ろうか」
沖田がそう言うなり冬乃の返答を待たず、あっという間に、帰り支度を始め、
冬乃はぽかんとそんな彼を見つめた。
何故また急に、沖田が話題を変えて帰ろうと言い出したのか、常以上に不思議な沖田の言動を冬乃が吟味する時間もなく、そのまま彼は立ち上がった。
見上げた冬乃を「立てる?」と、その優しいままの眼で見下ろしてきて。
只どこかその、優しいだけではない眼の奥の色に。冬乃は不安になって、
また、何か言ってしまったのではないかと、思い巡らせ。
そしてそれは、すぐに答えを出した。
呑みに来るなら貴方とだけ
そういう台詞を、冬乃が最後に口にしていた事で。
(ばか、なんてせりふ言ったの・・!)
沖田はどう受け取ったのだろう、彼のこの反応を見れば、良い結果ではなかったことは明らかで。
冬乃はもう泣きたくなって、見下ろしてくる沖田から慌てて俯き、顔を隠しながら立ち上がった。
勢いがよすぎた。瞬間、頭の上から一気に血が降りてゆく感がして、目の前が星だらけになり、
よろけたところを沖田の片腕に抱きとめられ。
まだ眩暈がしているなか、冬乃は沖田の太い腕につかまりながら、顔を上げられずに。
「ごめんなさい・・」
小さく呟けば、沖田の笑いが落ちてきた。
「立てるだけ、学んだってことだね」
立ち上がることすら出来なかった島原の時と対比しているのだろう。
偉い。とそのまま戯れに褒めてくれる沖田に、
もう冬乃は何も継ぎ返せないまま、会釈をしてそっと身を離した。
冬乃が一人で立っていられることを確認した沖田が、そして背を返し襖へ向かっていくのを、冬乃は見上げて。諦念の内に追った。
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