一四. 禁忌への覚悟⑲
翌朝、山南と井上が温泉の旅へと向かうことになった。
門前で幹部の皆が口々にいろんな土産を要求するのへ、山南たちが矢立をとり出して律儀に懐紙に記していて、
その微笑ましいさまを見つつ冬乃も、湯治に行く二人がちょっと羨ましくなった。沖田も羨ましがってみえるのは気のせいではなかろう。
(沖田様と温泉いってみたい)
そんな中ふと心内に浮かんだその想いに、次には、大胆にもほどがある想いだと気づいて冬乃はひとり赤面した。
どうも先日に二人きりで泊まったことで、感覚が鈍くなっているに違いない。
そういえば、その潜入捜査は今どうなっているのだろうか。
おもわず沖田のほうを見た冬乃の視線に、何故かすぐに気づいた沖田が見返してきた。
(あ、・・と)
ここで逸らしたら不自然だと、慌てて冬乃はそっと沖田の前まで向かって。
「潜入捜査のほうはどうなりましたか」
尋ねた。
尋ねながら、なにも今聞かなくてもいいことなのにと恥ずかしくなりつつ、沖田のほうは気にした様子もなく「難航してる」と返してきた。
(・・・てことは)
「明日の夜にでももう一度、泊まりにいくことになると思う」
続いた沖田の、どこか冬乃を気遣う声音で囁かれた言葉に、冬乃は紅くなる頬を隠すように「はい」と頷いた。
「じゃあ行ってくるよ」
つと響いた井上の声に、すぐに冬乃は顔を上げ。皆に手を振られて歩み出す山南たちの背を見送って。
やがて解散する皆に交じり冬乃は、茂吉にまた許可をもらえれば、今日こそ千代のところへ行っておこうとぼんやり考えた。
「冬乃さん!」
がらがらと戸を開けるなり、嬉しそうな笑顔で冬乃を出迎えてくれた千代に、
冬乃は心奥を刺しつづけている罪悪感でふたたび息苦しくなりながら、
「突然来てしまってすみません」
と頭を下げた。
「やだ、私ならいつでもいいんですもの、嬉しいわ」
千代の可愛い声が降ってくる。
顔を上げた冬乃に、だが千代が「ごめんなさい、それなのに」と続けた。
「じつは今日は急患が入ってしまって。これから母についていくことになってしまったの」
「あ、・・突然来た私がいけないので」
「いいえ、」
と千代が慌てて。
「普段でしたら私は暇なのよ、だからまたいつでもいらしていただきたいの。今日だって、私がそのようにお願いしていたのに、無駄足にさせてしまうことになってごめんなさい」
「そんな」
冬乃は首を振ってみせた。
「あ、そうだわ。次にお会いできる時は、古着屋さんへ行きません?衣替えも迎えて、新しい服がきっと入ってると思うの」
(わあ)
冬乃はつい目を輝かせていた。
「ぜひ行きましょう」
もっと服を揃えたい、と昨夜思ったばかりだ。
「決まりね」
千代がフフと微笑った。
「あ、味噌漬け、すごく美味しかったです。有難うございました」
冬乃が言い忘れてはならないことを思い出して。
「沖田様もとても喜んでました」
「まあ良かったわ。また知人から届いたらおすそわけしますね」
千代がにっこりと微笑んだ。
千代と早々に別れて帰ってきてから、茂吉に予定より用事が早く終わったと伝えて仕事に戻った冬乃は、
夜になって、やはり明夜のことで土方たちに呼び出された。
副長部屋で、畏まって沖田の横に正座した冬乃へ、
土方が向き合うと、
「また頼むが、いいな」
と何故かにやりと哂った。
「はい」
勿論、そのつもりでいる。
「それから、おまえの持ってる綿入れ袷の上に、明日はこの打掛を着ろ」
そう言って土方が風呂敷を解いて差し出してきた打掛に、冬乃は目を見開いた。
(きれい・・・)
その繻子の艶やかな黒地に、淡い朱鷺色の刺繍の打掛は、たしかに持っている袷とも帯とも恐ろしいほどよく合う。
わざわざ合うものを土方が見繕ってくれたということなのだろうか。
「借り物だから扱いに気をつけろよ」
その言葉に、余計に冬乃は緊張して恐る恐る、風呂敷ごと手に取った。
話は以上だと切り上げた土方たちに会釈をし、冬乃はどきどきと打掛を持って部屋へ戻ると、そっと風呂敷から完全に出して、衣桁に掛ける。
(こんな打掛を着れるなんて)
衣桁から一歩下がって。惚れ惚れと見上げた。
テレビの時代劇で見たような、綺麗な打掛を着た武家女性の恰好が、明日はできるなんてわくわくしないはずがなく。
(それに・・)
安藤の恋人からもらった扱き紐を使う機会が来たのだ。
打掛の裾の長さは当然、そのままではあまりに長すぎるので、外出の際は、扱き紐でしっかり持ち上げることになる。
(安藤様・・・)
ありがとうございます
まだ全く癒えてはいない心の内で、冬乃は安藤と彼の恋人へ深々と礼をして。
明夜へと、そして想いを馳せた。
「中止ですか・・?」
夕刻になって支度を始めた冬乃を、襖越しに呼んだ沖田の声に、
冬乃は慌てて上掛けで前を隠しながら襖を開けると、沖田が開口一番「今夜は中止になった」と言ってきたのだ。
呆気にとられて見上げた冬乃に、沖田が「今しがた連絡があり、やっと会合に来た浪士達を旅籠の協力者諸共、捕らえる事に成功した」と説明してきて。
「そうでしたか・・」
おめでたい事なのに。冬乃は交錯した己の残念がる想いに押されて、つい声が暗くなってしまった。
「・・・」
当然に冬乃のそんな声の調子を読んだ沖田に、冬乃は探るように覗き込まれ、慌てて目を逸らし。
「もしかして、」
だが追って渡された、その言葉にどきりと顔を上げてしまった冬乃に、
「あの打掛、着てみたかった?」
沖田が衣桁に掛かっている打掛に目を遣り、そんな問いを投げてきた。
「え」
「昨夜、随分と嬉しそうに打掛を持っていってたから」
・・そんなに嬉しそうにしてしまってたのだろうか。
いや、打掛を着たかったのも勿論だが、最大の理由は当然、それではなく、沖田と二人で夜を過ごしたかったからに決まっている。
が、期せずしてそこから逸らせる理由を沖田のほうで出してきたことで冬乃はほっとして、
「はい。」
と乗じた。
「なら着てみれば」
沖田がにこにこと微笑った。
そうして何故か、沖田に披露することとなった冬乃の打掛姿。
「あの沖田様、・・着終わりました」
冬乃は、帯で締めた袷の上から羽織った打掛を、畳にしずしずと引き摺りながら襖の前まで着くと、沖田にそっと声を掛けた。
応えた沖田が襖を開けてきて、冬乃を見るなり僅かに目を見開き。そして微笑んだ、
「どこぞの御姫様みたいだね」
いつかの時に見た、冬乃の姿を愛でるようなその笑顔で。
もう、
それだけで満足で。
冬乃は、溢れ出でる嬉しさを抑えられずに、あからさまに照れて俯いた。
「・・このまま攫いたくなるよ」
(いま、なんて?)
その突如に続いて降ってきた沖田の台詞に、冬乃は驚いて顔を上げていた。
「攫っていい?姫様」
そんな戯れの台詞を沖田が更に続けてくる。
半ば真っ白になっている頭の中で冬乃が、沖田の言わんとする意味をむりやり模索していると、
「貴女も俺も、おかげで今夜は非番だし」
沖田がその悪戯な眼で。
にっこりと、微笑んだ。
「呑みに行こうか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます