一四. 禁忌への覚悟⑩

 

 

 「ふあ」

 襖を閉めたとたん冬乃は、緊張からの解放で、変な溜息をついてしまった。

 

 こちらの部屋も、同じく外廊下側の障子ごしに、朧な月光が入る。

 薄闇に目は慣れているものの、あと少しの光を求めて庭側の襖を開けた。

 

 (涼しい・・!?)

 

 途端、起こった気持ちのいい清涼な風の流れに、おもわず冬乃は喜んでいた。

 この涼しさなのに夜更かしな夜虫の声も、ちらほらしていて。

 

 (・・・コレ、秋も半ば、だよね)

 来るたびどんな季節になっていようが、もはや当然に冬乃は驚かないが、

 なんとなくこれまでの行き来から、平成で過ごした時間の長さによって、幕末に戻ってくる時期が決まってくることは感じ始めていた。

 ようは、なにかしらの時間の経過の法則に従っているように思えるのだ。

 

 (前回、たしか一日半くらい平成にいたときには、こっちで半年経っていたから・・・)

 冬乃の予感が正しければ、

 今回は、まだ平成での滞在期間は半日強だったから、さすがにまだここ幕末でも、ありえて数か月だ。

 

  

 (九月上旬から初冬の十月いっぱい江戸に行くはずの近藤様が、まだ京にいて・・でも、もう皆ふつうに屯所に居る様子だから、禁門の変はきっと終わってる。・・とすれば今は、八月末か九月初め・・?)

 

 

 あれこれ考えているうちに、だいぶ部屋が冷えてきて、冬乃はぶるりと震えた。

 襖を閉めて、より暗くなった中で再び目を慣らす。

 

 

 沖田の浴衣を羽織ったままだ。このまま着ていたいが、皺になってはいけないと思えば、残念だけど脱ぎ時だろう。

 

 部屋の気温が下がっているために、さすがにキャミの一枚になるのは無理があり。冬乃は押し入れへ向かうと行李を開けた。

 

 

 ふと思い出して、行李の奥を探ってみる。

 前回、偶然にも持ってきてしまった財布が、未だきちんとそこにあった。

 

 (・・・・平成から物を持ってこれるなら、)

 

 真っ先に脳裏に浮かんだのは、

 千代。

 

 

 (薬、・・・)

 

 もし。彼女がこの先、どこかの時点で発病しても。

 その段階で、投薬して、治してしまえたなら。

 

 (発病してすぐには、他人へうつすほどにはならなかったはず)

 

 結核菌が増殖を広げ、ある程度に悪化してから、他人へ感染させる“排菌”が起こるようになるはずだ。

 

 なら冬乃が千代のそばにいて監視し、彼女が結核の初期症状を見せた時点で治療を開始してしまえば、

 それで成功するならば。

 

 沖田と千代を引き離す必要は、なくなる・・・。

 

 

 (けど・・)

 

 本来ならば。選択肢としてすら、ありえないことだ。

 

 はたして薬を入手できるのかも然ることながら、

 普通に考えれば、医者でもない冬乃が、複雑な投薬治療を要するこの病気を扱えるはずがなく。

 

 失敗すれば、むしろ菌に薬への耐性がついてしまい、逆効果になってしまうのだ。

 

 だからこそ、冬乃は、沖田に対してはこの選択肢を考える気になど到底なれない。

 

 千代にも、できるならばこんな苦渋の選択をむかえる前に、もう結核患者と接しないようにしてほしいと願ってしまう。もっとも、すでに千代の肺に休眠菌がいれば手遅れかもしれないものの。

 

 

 財布を見つめたまま。冬乃は溜息をついた。

 

 そもそも投薬治療に踏み切るとしても、いったいどうやって彼女に、

 初期症状の時点から、薬を飲ませることができるだろう。

 

 結核の初期症状は、風邪と勘違いされるような軽い症状だという。はたして、その時点で彼女が結核と認識して治療を始めてくれるものなのか。

 

 冬乃ですら当然、それが結核の発病なのかただの風邪なのか、見分けなどつきそうにない。彼女が風邪をひくたび、見定めに悩むはめになりそうだ。

 伝えられている彼女の死期から、だいたいの発病時期を想定するより他なく。


 (・・・やっぱ自信ないよ)

 

 考えてみたら、しかも西洋薬なのだ。この時代の殆どの人からみたら、得体の知れない薬だ。

  

 

 (救いなのは、お千代さんが医者の娘ってこと・・)

 もしかしたら、その時になった場合の冬乃の説得を受け入れる素地が、医者の娘ならば有るかもしれないと。

 

 

 (あと他に、方法は無いの・・・・)

 

 予防薬・・?

 

 保有している休眠菌を殺すもの。

 だが、

 (これはだめかな・・)

 平成と違って、検査機関がない以上、千代がすでに保有しているのかは調べようもなく。

 保有していると仮定しての投薬になってしまうと。保有していなかった場合の、薬剤による影響が心配だ。



 (もうどうしたらいいの)

 

 

 眠くなってゆく体につられ、

 冬乃はそれに呆れながらも、思考が途切れがちになってゆく。

 (平成で寝てきたばっかりなのに)

 

 襦袢と寝衣を適当に取り出し、冬乃は着替えた。

 (いま、そういえば何時なんだろ)

 

 相当に深夜なのは確かだ。隣からも当然もう物音一つ無い。

 

 

 冬乃は丁寧に沖田の浴衣を畳むと、布団を取り出して敷いた。

 横になれば、急速に重くなった瞼に負けて。目を瞑った。

 

 

 

 

 

 

 

 隣の音で目が覚めた。

 

 障子から差し込む光が穏やかだ。

 秋の朝の心地のいい気温と、時おり聞こえてくる沖田の声に、うっとりと再び目を閉じる。

 もう少し、まどろんでいたい。

 

 なのに。

 

 「おい、起きろ、未来女」

 天敵土方の声がした。

 

 

 冬乃は渋顔で起き上がり、襖を開ける。

 と同時に、

 「次に起きる事件は何だ」

 目の前に現れた土方の口から、いきなり尋問が飛び出した。

 

 

 (・・・まさかコレ、この先も続いていくなんてことないよね)

 毎回、事件の後にはまた次の事件を聞かれる。そんなはめになっては、たまったものではない。

 

 (未来から来たことなんて、信じてもらわないほうが良かったのかも)

 

 「今って、いつなのですか・・」

 

 とりあえず確認する冬乃に、

 「九月五日さ」

 土方が不愛想に答える。

 

 (やっぱり九月だったんだ)

 

 「で、答えは」

 「・・・」

 

 冬乃が考えあぐねて答えないでいると、不意に土方がにやりと哂った。


 「聞き方を変えてやる。長州の征伐に際し、将軍の上洛は叶うか」


 「・・・はい」

 冬乃は諦めて答えた。

 幸いに今の土方の聞き方に対してであれば、嘘はついていない。

 

 

 先の禁門の変で。京都に攻め込み、御所内の公家たちを脅かし、あげく発砲した長州に対し、

 もはや怒り心頭の天皇から勅命が下り、長州征伐は始まる。

 

 天皇と幕府ともに手をとりあう公武一和、

 それによる一刻も早い世の平定を望んでいる近藤達は、

 

 方向を間違った尊王論で、これまで散々幕府の権威に仇なしてきた長州の、その処遇には、もとより厳罰を望んでいるだろう。

 

 長州では、以前より藩論が分裂しており。

 近藤達からすれば、ここで一気に長州内の急進派を壊滅しておきたいはずだ。

 

 

 そして、将軍が上洛してその陣頭指揮を執ることで、

 幕府こそが世を平定しえる存在たる事、且つ、その圧倒的な武力と権威を、改めて世間に認識させることができると。近藤は考えているのだろう。

 

 このあとすぐの近藤の江戸行きも、隊士募集と同時に、要人各所をまわってその必要性を訴える為でもあった。

 

 

 (といっても長州征伐、自体が・・)

 

 これから起こる長州征伐は、


 ――― 一説には、幕臣の勝海舟によって、雄藩合議による国政の必要性を説かれた薩摩の西郷が、長州をその雄藩の候補と見据えたため、

 また、良くいえば、戦さによる日本全体の国力の消耗を避けたかったため、・・本音と建前という別の見方でいえば、各々自藩の消耗を避けたかった(負荷を被るのは領民なので、施政側として当然の事ではある)――等、諸々の理由が言われるが、

 とにかくも、

 

 尊王思想が強く、長州に元々同情的な征討軍総督の、尾張の徳川慶勝の元、

 その意を受けた、征討軍参謀である西郷が中心となって、非戦闘による恭順策を推し進めたために、

 

 結果、闘わずに、主だった長州急進派のうち一部の上層部のみの処断等、ほとんど形だけで終了してしまい、

 長州内に“温存”された残る急進派によって、長州は、時置かずして再びその天下となってしまうのだが。

 


 なお将軍の上洛も、この最初の征伐時には叶わなかった。

 上洛が叶うのは、

 復活した長州急進派の、下関を開港し外国から武器を密輸しようとした不穏な動きを、早々に幕府が察知した上、

 いつまでたっても長州藩主父子の投降が無いことから起こる、二度目の征伐に際しての時であり。

 


 

 (・・・・なので二度目の時にはなるけども、将軍は上洛するので、嘘はついてないから許してください)

 

 もっとも、この、二度目の征伐の際の上洛ならば、むしろ無いほうが良かったのだが。

 上洛してから実際の開戦までの間に、

 幕府は、各種勅許をめぐる騒動に忙殺されて、結果、京阪に長期滞在となったがために、幕府も各藩も財政がさらに逼迫し、つまりは其々の膝元の民衆を苦しめ、京阪の物価も上昇し、全国で幕府への不信感は爆発し・・良い事など無かったのだ。

 

  

 こんな、近藤達にとっては不本意な結果を迎えることになる一連の長州征伐の流れについて、当然冬乃がいま詳細を発言すべきではなく。

 

 

 (まだ今の勢いのときに、もし完全に長州急進派を壊滅していて、二度目の征伐が不要になっていたなら、この後の幕末の流れもまた違っていたかもしれないけど、・・)

 

 二度目の長州征伐では。

 陸軍こそまだまだ旧式ながらも、海軍装備はじめ兵数においては幕府側が圧倒的に優勢でありながら、

 

 幕府の前線基地であった芸州藩の不戦騒動に加え、

 長州側の燃えるような戦意とは正反対に、もはや長引く財政難等で戦意の失せている諸藩を集めた幕府側の足並みは揃わず、将軍の病死も相まって、

 事実上、幕府は敗北し。

 

 幕府の威光はその時点で大きく失墜し、以降、様々な事態が重なり、崩壊への一途を辿ることになる。

 

 

 その幕末の大流に。

 歴史を知る冬乃が、今なにか言及することも、勿論なにか行動できるはずもなく。

 

 

 (この先の、人ひとりの歴史を変えることさえ、未だこんなに躊躇してるのに)

 

 

 もっともすでに安藤の命なら救っている。

 だからといえど、

 この先の沖田の歴史を変えて、彼から未来の愛する存在を奪うことになる決意は、未だ、揺らいだまま。

 

 

 

 

 冬乃の肯定の返事に満足した様子で、土方が背を向けた。

 

 その向こうに、山南と話す沖田の姿が見えて。冬乃は胸を締め付けられる想いで彼を見つめた。

 

 (本当に、なにか他に方法は無いの・・?)

 

 沖田の命を救えて。それでいて、彼から、運命の女性を奪うことなく済む方法は。

 

 (どうしても、)

 それが見つからなければ。

 冬乃は、やはり覚悟を決めるより他ない。

 

 

 (貴方を、死なせないためになら)

 

 結局は、何だってしてしまうだろう自分に、

 

 最後の歯止めを

 きっと尚、惨めに探し続けながらも。

 

 

 

 

 

 

 

 厨房で茂吉たちに、もはや恒例と化した久々の挨拶をして、当たり前の如く仕事を再開してきた冬乃は、

 いま朝餉の席に座りながら、藤堂がいないことに首を傾げていた。

 

 (朝番・・?)

 

 

 そして暫し後。藤堂は近藤に先立ち、すでに江戸にいることを冬乃は思い出した。

 

 (そっか。・・しばらくあの優しい笑顔に会えないんだ)

 

 

 見渡せば、というより見渡さずとも、先程から強烈な視線を山野の座す方向から感じる。

 それを無視しながら、冬乃は、安藤の姿も見当たらないことに、何故か一抹の不安をおぼえていた。

 

 

 (まさか・・ね、)

 

 安藤の致命傷は、あのとき確かに防いだのだ。

 

 いま、居ないのはきっと朝番か何か。

 

 

 致命傷を負っていた場合の安藤は、七月末に、傷が悪化して亡くなる。

 だが、

 (負わなかったんだから)

 

 大丈夫・・・

 

 

 「冬乃さん」

 

 よほど冬乃がきょろきょろしていたのか、隣から沖田が声をかけてきた。

 「誰か探してるの」

 

 

 「・・・」

 その問いの、低い声音は。

 冬乃の不安を、どこか感じ取っているかのようで。

 

 冬乃の表情は、その一瞬に強張っていたのだろう、

 沖田が、冬乃の答えを促すように、静かにそんな冬乃を見下ろした。

 

 「・・安藤様を・・・」

 おもわず声を圧し出すように答えた冬乃に。

 

 予測していたように沖田は。

 「安藤さんなら、」

 前置いて。

 

 冬乃は、その先の言葉が来るのへ、身構えていた。

 

 

 「亡くなった、先の戦で」

 

 静かな侭の、沖田の声が。そんな冬乃の鼓膜に落ち。

 

 「・・・・え」

 

 

 「名誉の死だ、安藤さんは」

 そう言った沖田の目は、それでも少し寂しげに細められた。

 

 冬乃は茫然と、沖田を見上げた。

 

 先の戦、

 禁門の変の事。

 

 (そんな・・どうして)

 

 

 安藤は、池田屋事変で致命傷を負ったと考えられているが、この禁門の変の時ではないか、という考察も確かにある。

 

 (それなら、・・あのとき、私が彼の命を救えたわけではなくて、)

 

 元から、池田屋では致命傷を負う運命で無かっただけの事?

 

 

 (安藤様・・・)

 

 池田屋からの凱旋の日。

 あんなに穏やかな笑顔で、命拾いしたと言ってくれたのに。


 (・・・あれが最後に話した時になってしまうなんて)

 


 「被弾した当たり所から即死だったはず。・・苦しまずに済んだはずだ」

 

 (え)

 沖田の続いたその言葉に、だが冬乃ははっと沖田を見返した。

 

 

 被弾・・・即死?

 

 (それ、って、)

 

 どちらにしても、伝え遺されている死因と違う。

 

 

 (どういうこと?)

 

 安藤は、七月末に、傷が悪化して治療の甲斐なく亡くなる。

 その致命傷を負う原因が、池田屋事変か禁門の変の時かで、考察は分かれても。

 

 「・・・・」

 

 

 (伝承のほうが間違えていただけ・・?)

 

 黙ってしまった冬乃への沖田からの視線を感じながら、

 目を合わせていられずに冬乃は前へと向き直ったまま。手元の湯呑の水鏡を戸惑いの内に見つめ。

 

 (それともまさか、)

 

 ふと脳裏に浮かんだ勘に、

 冬乃はぶるりと震えた。

 

 ・・安藤は、やはり本来ならば、池田屋事変で致命傷を負っていたところを

 冬乃が、

 安藤の、その本来の歴史を変更したことで。

 

 彼の死因が変わったのだとしたら。

 

 

 (でも、それってつまり)

 

 たとえ、死因は変えられても。

 

 死を迎える

 その運命までを変えることは、できない

 

 

 

 冬乃は首を振った。

 

 (きっと、伝承が間違えていただけ)  

 

 「・・安藤様のお墓へお参りにいかせてください」

 「勿論。後で案内するよ」

 

 

 未亡人だった安藤の恋人は、二度も愛した人を亡くしたことになると。冬乃は不意に思い出して、胸内を突き刺すような痛みが奔った。

 

 安藤は武士として、名誉の死であっても。それでも、遺してゆく彼女のことは無念だったのではないのだろうか。

 

 それすら覚悟で、常に戦場に臨んでいるのが武士なのだとしても。

 

 (安藤様・・)

 安藤と彼女と、皆でまた甘味屋へ行こうと話したことを、思い出し。

 込み上げた想いに、冬乃は目を瞑った。

 

         




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