一二. 朱時雨⑨
なぜ沖田が笑い出したのか、初めは分からずにきょとんとした冬乃だったが、
自分の言った台詞をよくよく反芻してみれば、たしかに変な台詞だったように思えてきた。
悩んでいた様に見えたようだし、珍妙な事でわざわざ悩む変な人だと思われたに違いない。
「で、腹が減るとはどういう事なのか、答えは出たの」
そんなわけで、買い物からの帰り道。
冬乃のかさばった荷物を持ってくれている沖田が、まだ思い出すと可笑しくなるのか、噴きながら聞いてきた。
この質問は行きにもされて、これで二度めである。
(完全にからかわれてる・・)
「まだ出てないです・・」
行きの時と同じ返答をしながら、冬乃は顔を紅くする。
もっともあれから、その件での思考は停止している冬乃である。
「じゃあ答えが出たら教えて。真っ先に」
勿論そうとは知らない沖田が、愉しげに一笑して返してきた。
こうやって沖田にからかわれるのは嫌じゃない、どころかけっこう歓迎である冬乃は、はい、と小さく答えると、
そのあいかわからず陽だまりの如き彼の笑顔を、横からそっと見上げる。
沖田がすぐに気づいて、見返してきて。
冬乃は慌てて目を逸らした。
(もぉ)
どうであれ沖田の傍で、こんなふうに時間を過ごせることが、とんでもなく嬉しいのだから仕方ない。
(あれ・・そういえば、)
今までは沖田の語尾に、時折、形ばかりに付されていた『です、ます調』を
沖田が笑いで悶死しそうになっていたあの後から、もはや全く聞いていないことに冬乃は気がついて。
完全に取り払ってくれたのだとしたら、なんだか少し距離が近づいたような気がしてしまうのは、勝手な思い込みだろうか。
(・・夜は島原だけど)
距離なんていうならば。冬乃の知らない沖田をとうに知っている露梅が、今夜宴席で沖田と居るのを見ることになる。
ふたりのその距離は、冬乃には到底敵わない。それは今から辛いものの。
それでも沖田の傍に居られるだけ幸せだと、やはり一方で思えるのも勿論確かで。
(だから、贅沢になっては辛くなるだけ。多くを求めてはだめ)
この奇跡への感謝を忘れないように。
何度目かになる戒めを、冬乃は己に言い聞かせ。
「さっき買った綿入れを着て夜は出ようか」
不意に届いた沖田の声に、
冬乃はどきっとして顔を向けた。
「その半纏では、さすがに・・ね」
冬乃は上掛けの下の、仕事着の半纏を見やって、困って頷いた。
今しがた買ってきた仕立て済みの綿入れ袷は、平成の世でいうところの和装の『着物』。帯もして、きちんと着付けしなくてはならない。
ついに沖田の前でそんなちょっとした装いができる機会が来たことに、思わずときめきつつも、
(着付けわかんない)
帰ったらお孝に泣きつくしかないと。胸中嘆息した。
・・・なのに。
「え・・お孝さん、今日お休みなんですか」
いつもならこの時分いるはずのお孝の姿が見当たらないことに、沖田と屯所の女使用人部屋へ戻ってきた冬乃は、訝って見回していたが、
その様子を不思議そうに見ていた沖田に聞かれて、お孝さんがいないようなのでと首を傾げて答えた冬乃に、彼女なら今日は休みだとあっけなく返された冬乃は。困り果てた。
(どうしようか?)
あとはもう、八木のご妻女に頼むしかない。
「これから八木さん家に戻ってもいいでしょうか」
「勿論いいけど、・・」
冬乃が何を焦っているのかと、沖田は尚も不思議そうに見てくるのへ。
「じつは袷の着方がわからないんです」
冬乃は正直に答えた。声が消え入りそうにはなったけども。
「・・・」
やはりというか。再び驚かれたらしい。
冬乃はそろりと沖田を見上げる。
「未来では、袷は着られてないの?」
まもなく返された、尤もな質問に。
「いえ、」
冬乃は急いで首を振った。
「正装としては着られています、あとは和服が好きな人とかが」
「和服?」
(やば)
「いえ、」
和服の対は洋服。
しかし、洋服が未来では一般的だということを言えるはずがない。
この、今の、攘夷思想、真っ只中の時期に。
「その、もっと違う形をした服を未来では着ているんです・・」
つい目を逸らしてしまいながら微妙に濁した冬乃の回答に、
沖田は、だが何か思い出したかのように、「なるほどね」と案外あっさりと返してきた。
「それでお孝さんを探していたわけか。・・」
続けて何故か沖田のほうも困ったような顔で呟いているのを、冬乃は見上げて。
(?)
「八木さんのご妻女も無理かな。夕方に戻るような事を言っていたから、入れ違いになってしまうねきっと」
今夜の計画のために、あらかじめ八木家人の予定をさりげなく確認してあったのだろう。
(そっか、いないんだ・・)
妻女が居ないとなれば、もう冬乃に頼れる女性は思い当たらなかった。
(自分でがんばってみるしかないか)
もはや覚悟を決めた冬乃に。
「手伝おうか?」
沖田が、だがそんなふうに声をかけてきて。冬乃は、
「え・・!?」
おもわず声を挙げてしまった。
沖田のほうも、口にした言葉に自分で慌てたのか、
「いや御免、俺が手伝うのも変か」
と、咄嗟に継がれた二の次では、『私』の自称も忘れられている。
冬乃は数度目を瞬かせて、そんな、ちょっと珍しく慌てている沖田をおもわず見つめた。
「いえ・・・お願いします」
思えば、べつに裸になるわけではないのだ。
自力で着込んで変な恰好になる危険性を採るより、恥ずかしくても沖田に手伝ってもらうほうがいいに決まっている。
いや、むしろ沖田に教えてもらえるなんて、
(嬉しいし・・!)
沖田のほうが少し驚いたように瞠目し、
ややあって。冬乃の見上げる先、常の穏やかな眼に戻った彼は頷いた。
「なら一度俺は外に出るから、用意できたら声かけて」
続いたその声が、襖へ早くも向かう彼から渡されて。
その、もはやそのままの、彼の常の自称で綴られた台詞に、冬乃はどきりとその背を見やった。
「はい・・!」
冬乃は。もうよけいに嬉しくなっていて。
(今日一日で、なんかすごく近づけた・・?)
着ていた仕事着を脱いで、丈の短い襦袢姿になりながら、冬乃は込みあげる幸せで相好を崩し。
そして固まった。
(・・・この後って)
そういえば、
どうするのだろう。
襦袢の次に着るものがわからない。
(・・・。)
まさか、このままで沖田を呼ぶわけにもいかないから、冬乃は焦って行李の中と、今日買った服を風呂敷の中に見回す。
(てか、この派手なのってほんと何なんだろ?)
冬乃は行李から、赤色の薄くて長い、ひものついた布を手に取った。前から気にはなっていたものの、何に使うのかわからなかった物だ。
以前に沖田と古着屋に行った時に、
急いでいるので普段使いの服一式をいくつか、と沖田が店の者に告げたのを受け、店の者の側で適当に見繕って持ってきてくれた物のひとつだった。
よく見れば、今日も見た町ゆく女性の足元からのぞいている服と、同種の素材に見える。
(あれと同じ色だし、同じ物だよねきっと。だとすると、ロングスカートみたいなかんじに着ればいいのかな)
剥き出しになっている己の脚を覆うようにして、冬乃は手に取ったその布を腰に巻いてみた。
そういえば、色は薄いが似たような長い布が、他にも行李の中に見える。冬乃はそれも手に取ってみると、今しがた腰に巻いたものと見比べた。
(派手なものより、この色のほうがいいのかな?)
冬乃はすぐに思い直して、赤の布を取り去り、薄い布のほうを代わりに腰に巻く。
これで肌の露出は無くなったものの、
襦袢も、この腰に巻いた布も、少し透けているような気がする。
平成の下着が無い今、襦袢の下は当然、裸で。胸の形がそのまま露わな状態を見ながら、冬乃は困って。
(どうしよう・・でもこれ以上は何を着ていったらいいのかわかんないし)
とりあえず上に羽織ろう。
「お待たせしました」
冬乃は、上掛けを肩に被せながら、沖田に声をかけた。
入ってきた沖田は片手に盆を持っていた。
「昼飯の残り、もらってきたから食べて」
(あ)
この短時間に、厨房まで行ってきてくれたのだ。
冬乃の、おなか空いたの発言を覚えていてくれた沖田に、冬乃は嬉しくなった。いや、もとい、忘れるわけがないかもしれないが。
盆の上を見れば、いろいろな種類が少しずつ盛ってある。沖田のそのあいかわらずの優しさに。
「わざわざすみません」
冬乃は歓喜に押されるように、深々と頭を下げてから、
「有難うございます」
と頭を上げて沖田を見上げた。
「どういたしまし・・て、すごい恰好だな」
直後に沖田が呟いて微笑った。
(え?)
冬乃が頭を下げたことで、上掛けの襟が流れて、
頭を上げた時には襦袢の胸元から腰までが、沖田の視界に入ったからのようだった。
やはり肌が透けてしまっているのかもしれない。冬乃は慌てて、すみません、と返して上掛けの襟を直す。
「・・それ肌着だって事、ちゃんと分かってる?」
沖田が苦笑して囁く。
「腰に巻いてるそれもね」
(・・そうなの!?)
目を丸くして、上掛けの下に未だ見え隠れする腰のほうへとおもわず目を走らせた冬乃に、
沖田が、やっぱり、と溜息をついた。
「そうやって上掛けを羽織っていても、それでは出歩かないようにね」
笑いつつも念のため忠告してくる沖田に、冬乃はもはや恥ずかしさのあまり俯く。
とりあえず、沖田の前で、この時代の下着姿に上掛け一枚で立っている状態らしいことを認識した冬乃だが、
今更どうにも動けない。立往生とはこういうこと。
固まっている冬乃の先、おもむろに沖田が畳に盆を置いた。
「とりあえず食べて」
続いた、その常の低く穏やかな声が、いっそ残酷だと冬乃は思う。
冬乃は今度はきちんと上掛けの前を押さえながら、はい、と今一度会釈して、盆の傍へと座った。
沖田もその横へと、冬乃に対して少し背をむける向きで腰を下ろし。
下着姿同然の冬乃に気を遣ってくれたのだろう。
冬乃は無言のままに急いで食べ終えて、ごちそうさまでしたと礼を言い、そろりと立ち上がった。
冬乃の動きを受けて沖田が見上げてくる。
「じゃあ始めようか」
「はい・・っ」
立ち上がる沖田に、冬乃は声を挙げた。
「よろしくお願いします」
沖田が頷く。
「まずは後ろを向いて」
言われるがままに後ろへと向いた冬乃の背後で、何か持ち上げるような布擦れの音がした。
一呼吸のち、冬乃の上掛けは、後ろから沖田の手によって脱がされ。
少し強張った冬乃の肩に、
かわりに、何かずしりと重い布がかけられて。冬乃はそれが、先程買ってきた綿入れ済みの袷だと気づいた。
「このくらいは着ていると思ってたけど」
きちんと説明しておかなくてごめんね
振り向けないでいる冬乃のすぐ背後で、沖田のそんな優しい声が、冬乃の耳元へと落ちた。
「いえ、」
恐縮して首を振る冬乃の背後では、また布擦れの音がして、
そして冬乃の横に、何か赤い物が差し出され。
それが先程に冬乃が取り換えた長い布だと気づいた時、
「これを湯文字の上につけて」
と指示が来た。
(て、湯文字?)
「分からない?」
すぐに察したような声が追ってくる。
冬乃が沖田に背を向けたままおもわず頷くと、
「その今、貴女が腰に巻いてるもの」
と教えられる。
(え、てコトは)
腰に巻いている湯文字と呼ばれた下着に、
いま沖田から受け取った、この赤い布を巻くという事なのか。
(どちらかじゃなくて、二重にするんだったんだ・・)
冬乃は、肩に袷を引っ掛けた状態のまま、
腰に手をまわし、指示通りに赤の布を湯文字の上から巻いた。
「終わりました」
「じゃあ襦袢のひもを解いて前をくつろげて」
(え)
その指示に驚いた冬乃の背から、
「大丈夫。俺からは見えない」
そんな言葉が追って。
冬乃は頷いて、襦袢のひもを解いた。自分の裸の胸の谷間が、今ので左右に流れた襟の合間に見えて。
「袷に袖を通して」
すぐに次の指示が来る。
それぞれの腕を袷の袖に通すと、
「袷の肩の位置を後ろにずらすから、襦袢ごと両襟を片手に持って」
ええと
両襟を片手・・
「もう片方の手は、背の中心を掴む」
(え?)
襟を掴んでいないほうの手を背へ回したものの、どのへんを掴めばいいのかわからずにいると、
沖田が「御免」と言い置き、その冬乃の手を取った。
息を呑んだ冬乃の、手は沖田に導かれ、
「この辺」
と掴まされて。
同時に、
「巻き込んでしまうから、髪、退かすよ」
さらりと、冬乃の背にあった髪は、まとめて首筋から掬いとられ、ぱさりと片胸の前へ流された。
途中、沖田の指が冬乃の首筋を掠めて。
もう冬乃は、声も出せないままで。
(なんかこれって・・恥ずかしいとか、もはやそういう次元じゃないかも)
こんなに。接触の多いやりとりになる事を、冬乃は堂々と沖田にお願いしていたらしいと。
今さら気づいても遅い。
心臓の喧しさに、冬乃はきゅっと目を瞑った。
「そうしたら背を握る手のほうを下に引いて、同時に前の襟元を上に持ち上げる」
冬乃の心臓の鼓動など知らずに、淡々とした沖田の指示は的確で。言われたように引いてみると、成程、袷の肩位置は後ろへと大きく下がった。
急に涼しくなったうなじに、冬乃はふるりと身震いする。
「・・もう少しだけ後ろに引ける?このあと動いてると、前に擦り戻ってしまいそうだから」
「あ、・・はい」
もう一度引いてみると、背のほうまで涼しくなって、代わりに襟元がかなり上まで持ち上がった。
「まあ男はこれはしないから、俺も正確に分かってるわけではなく見よう見まねなんだが・・たぶん合っていると思う」
(それ・・)
誰の着付けの見よう見まねなの
さりげなくとんでもない事を言った沖田に、冬乃は内心嘆息する。
「そのままいったん袷から手を離して、」
冬乃の心中など知らない沖田が、尚も淡々と指示を続けてくる。
「襦袢の前襟を整えたら、ひもで結び直して」
言われた通りに動き、出来ましたと冬乃が伝えると、
「ここからが少し大変かもしれないが」
と沖田が前置いた。
「両手でそれぞれの襟の下側を持って、肩線は動かさぬよう気を付けながら、左右へいったん開いて持ち上げ、いま畳に付いているその裾を少しばかり引き上げる、」
腰の上に乗せるような動きで、と沖田が補足してくれたが、
冬乃はおもわず戸惑った顔になってしまいながら、後ろの沖田へ顔だけ向けて振り返った。
(ごめんなさい、よく分かんないです)
「見たほうが早いよな、これは。・・」
冬乃の表情に、沖田が苦笑した。
「俺が何か着て、やって見せてもいいんだけど、」
冬乃の見つめる先、沖田が行李の中に何か適当な服が無いかと探すような視線を送る。
だが、肌着が積まれているそこに、手を入れてまで探すのは躊躇われたのか、
「貴女がよければ、そのままやり方を教えるけど」
と今度は冬乃の目を見た。
きょとんとしたままの冬乃に、説明するのも面倒だったのか答えを待たず沖田が近づいてきて。
間近に迫った沖田に、どきりと驚いて咄嗟に前へと向き直った冬乃の、
背後から、そして冬乃に触れないようにしながら沖田が、大きく腕をまわしてきて、その両手は冬乃の左右の襟を掴み。
「広げるよ」
前置いて、
冬乃の袷は、左右へと大きく開かれた。と同時に、背に垂れていた袷の重さが軽くなって、
その布は冬乃の臀部を擦るようにして上がり。
畳の布擦れの音とともに、持ち上げられた袷の裾は、沖田が補足したとおりに、冬乃の腰上辺りに乗るようにして支えられて、
そして、再び両の襟は、冬乃の胸の前で閉じられた。
閉じるとともに、
右襟を掴む沖田の右の手は、左襟の下に自然と潜って。
沖田が、冬乃の胸に当たらないように気遣うような緩慢さで、その右手を抜いた。
「ここを持って」
右手を抜いたぶん、左手でまとめて両襟を掴みながら沖田が促す、
その声は。
冬乃のすぐ真後ろから、耳元におちて。
互いの体が当たらない距離で大きく包まれているとはいえ、後ろから抱き込まれているような体勢には、かわりなく。
先程から冬乃の鼓動は、もはや激しく鳴り響いたまま。
(……聞こえちゃいそう)
冬乃はなんとか平静を装い。指示通りに、沖田の手に替わって胸の前の両襟を掴もうと、手を持ってゆき。
だが、動かした手は、沖田の手へ触れてしまい。
飛び跳ねた鼓動を聞き流し、なんとか沖田の手に替わって襟を握り込んだ冬乃の、背からは、沖田が離れてゆく。
「その襟、そのまま持っていて」
冬乃の背から離れてゆく声が、振り返れない冬乃に届いた。
熱が離れて、少しばかり息をついた冬乃の、鼓動は
だが、すぐ次の瞬間にはまた跳ね上がってしまった。
沖田が再び、冬乃を抱き込むように背後から、ひもを回してきたからだ。
(っ・・)
冬乃が手に押さえている襟の、その少し下を支えるようにして回されたひもが、冬乃の前で結ばれてゆくのを見ろしながら、冬乃は息を殺していた。
「手、もう離して大丈夫」
長くて短いひとときのち、沖田の声が耳元へ。
「襟を平らに整えておいて。俺は帯を用意しとくから」
(帯・・)
そっと後ろを振り返れば、
今日買った古着のある風呂敷へと、沖田が向かってゆくのが見えた。
この朱鷺色の袷に合わせて選んだ、黒地に金の刺繍の帯が、風呂敷から覗いている。
冬乃は前へ向き直ると、胸前で大きくもたついている襟元を平らにするべく、奮闘を開始した。
(着物ってたしか腰まわりが二重になっているから、・・ここを折ればいいのかな?)
「いいんじゃない」
なんとなくそれらしく折り込んだ辺りで、沖田が声をかけてきた。
その言葉にほっとした冬乃の後ろで、
「背は、少し直すよ」
言うなり沖田の手が冬乃の背にふれて、冬乃の身が着物ごと柔く後ろへ引かれて。どうやら背にできていた布のしわを直してくれているようだった。冬乃は踏みとどまるべく体を前へと倒し直す。
終わると続いて、朱色の太いひもが差し出された。古着屋の店の者が、これも必要だと足してくれた物だ。
「これで胸の下を留めるはず」
沖田の声に頷いて、留め終えるとすぐ、
「袖、持ち上げて。あと、髪も」
と指示が続く。冬乃が袖の振りと髪の先を持って腕を上げると、
後ろから脇下を通って、帯が冬乃の胸下へと当てられた。
「複雑な結び方は、分からないから適当でいい」
真後ろからの、そんな沖田の確認に、
「はい、勿論です・・っ」
冬乃は慌てて頷いてみせる。
冬乃の胸下に帯は当てられたままに、その両端が、後ろへと回された。
後ろで帯を折っているような動きの後、帯の一端が再び前へと返ってきて、そのままそれは、ぐるりと後ろへ戻った後に、
当然されるがままに袖を上げている冬乃の、後ろでぎゅっと一度強く縛られて、
その後も二、三度、冬乃は後ろの沖田のほうへと、そのつど引っ張られそうになりながら、帯が締めあげられてゆくさまに息を呑んで、
やがて沖田が満足そうな声で、
「とりあえず蝶結びにしておいたよ」
と言うのへ。
冬乃はおずおずと沖田へ向き直り、ぺこりと頭を下げた。
「本当に、有難うございました」
深々と、いきたいところ、胸下の帯が邪魔してそこまで頭を下げれなかったものの。
これは確かに、
自力で着つけるのは、確実に無理だっただろうと。
向き直った冬乃を見て、沖田が穏やかに微笑んだ。
「似合ってる」
(嬉し)
冬乃はつられて微笑んだ。
未だかなり。胸の鼓動は早いままだったけども。
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