【第一部】 

一. 平成十二年夏、東京①






 逢いたい人がいる。


 

 身の焦がれるほどに愛しい人、


 貴方がここにいてくれたなら。


 ここにいて、そばにいて、


 大丈夫だと、抱き締めてくれたなら、


 どんなに・・・・











 「もしも奇跡がおこるとしたら?」

 冬乃は気だるげに顔を上げた。


 「そお、冬乃だったらさぁ、何願う?」


 「奇跡なんておこるわけなくない?」

 「それ夢なさすぎぃ。てか昔のひと好きなんでしょ、えっと江戸時代の・・」

 「・・沖田様のこと?」

 「そー」


 机に放り出したままのコスメ一式をいいかげん片付け始めながら、冬乃は小さく溜息をつく。

 「それが何か奇跡と関係あるわけ」


 「だって冬乃、いつかそのひとに逢いたいっていつも言ってるじゃん、それってぇ奇跡願ってることじゃない?」


 「・・・」


 放課後の薄暗い教室に、二人の影が僅かに浮かんでいる。

 冬乃の影が揺れ、後方にずらす椅子の音が教室中にやけに響いた。


 高校3年、18歳になったばかりの冬乃は、目の前の友人、千秋を見据えた。


 「私はね、奇跡とか信じないの」


 「だからぁ冬乃が願ってることは奇跡だって」

 「願うけど信じない」


 「何それ?変」

 千秋は不可解そうに眉をひそめた。

 「逢いたいって、そぉゆうことじゃん」


 「・・・いつか逢えるって信じたって、いつまでも叶わない現実に苦しくなるだけ。だから信じない。逢いたいって願うけど、ほんとに逢えるなんてもう信じない」


 冬乃は教室を出た。千秋が後に続く。


 「そっか。・・いつかタイムマシンできて叶うといいのにネ」

 千秋はカバンからおもむろに雑誌を取り出した。

 「ちょっと高いけどぉ・・コレ」


 恋、お金、あなたに奇跡を起す石


 カラフルに彩られた大文字が紙面を飾り付けている。


 「うそくさ・・」

 「でもぉ、これ口コミだから。身につけてればいいだけだしぃ、夢でくらい逢えるかもしれなくない?」

 「あのね口コミ言ったって、情報操作でどうにでもなるの」

 「うわ・・さむ・・」

 「それで千秋いきなり奇跡とか言い出したわけ」

 「もイイよ何も言わないからぁ」


 むくれる千秋についに苦笑して冬乃は、下駄箱から靴を落として上履きをしまった。

 「それよかこれからどぉする?」


 「あー。さっきね電話でぇ真弓きょーバイト休みになったって、うちら待つってゆってた」

 「どこ、ムック?」

 「知んない。渋谷ついたら電話してって」

 「アタシいま香水切れてんだよね、ドンク寄れない?」


 「寄るー」

 返しながら先に外へ踏み出した千秋が、ふと、

 「雨ぇ?」

 と顔をもたげた。


 「マジ?」

 続いた冬乃が空へ手をかざす。確かに僅かな雨粒を手の平に受けて。


 「夜には止むといいけど」


 冬乃の声は急に起こった風にかき消された。











 「もー入んない、食った!」


 買い物を済ませた冬乃、千秋、真弓の三人は、回転寿司店に寄って可能な限りの量を平らげた。


 「ねー雨止まないんだけどォ・・」

 ドア側に座っていた千秋が、外をのぞき見て溜息をつく。センター街を傘を差した人達がだるそうに歩いている。


 「もー、やっと来た休みなのに」

 のけ反って真弓がうめいた。

 「どーする?これから」 

 「ゴメン、私このあと寄るとこあるんだ、」

 冬乃は立ち上がった。

 「きょう先帰るね」


 「ちょっっと冬乃サンそれなくねえ?」

 さらにのけ反って真弓がうめく。

 「とりあえず出ますかぁ」

 あがりを一気飲みして千秋も立ち上がった。



 「てゆーかドコ行くのサ」

 店を背にそれぞれ傘を開きながら、真弓は冬乃を見やって尋ねる。

 「ちょっとね」

 「え、新カレ?」

 

 「うっそさすがにマダでしょ?」

 横から千秋が覗き込む。

 「でもォ冬乃カワイイからホントすぐ出来っよねぇマジうらやましー」


 「おい千秋、おまえこそカレいるんだからイイじゃん」

 「にゃぁーん」

 真弓に制されて千秋は猫真似ひとつで引っ込んだ。真弓は続けて、

 「ハヤト君だっけ名前。先週別れたのって」

 「うん」

 冬乃は小さく返す。

 

 「・・今度もまた一ヶ月続いてなくない?」

 「はじめはいけると思ったんだけどね」

 「じゃ冬乃の好きなのって沖田サンなまま?」

 

 冬乃は黙って頷いた。


 真弓が目を見開く。


 「ちょっといいかげん現実の男を沖田サンと比べるのやめれない?」

 「やっぱぁそんなイイ男?」

 再び千秋が割って入った。かまわず真弓は、

 「冬乃、見ててかわいそ過ぎ。本気なのわかるから、かなりネ・・」

 「聞いて。」

 そんな二人の横で、冬乃は立ち止まった。


 「私ハヤトにふられたの。俺のコト中途半端にしか想ってないのわかるって。ふざけんなって。・・私さ、ハヤトのコト本気になれると思ったけどダメだった」


 コンビニで買った冬乃の傘が、風に押されて揺れる。

 「もうネほんとイイ加減にしなきゃって思った」


 「じゃぁ決心ついたんだ?現実の男を見るって」

 「違う。もう誰かとつきあってみたりするのやめるってコト」

 「はぁー?」 

 傍を通りかけたサラリーマン風の男が真弓の声に驚いて、三人を見やって通り過ぎていった。


 「ソレってぇ一生沖田サン愛してるかもってことになんない?」


 冬乃は答えられずただ傘を軽く引いた。雨足が強くなっている。


 「千秋はソレいいと思う」

 呟いて千秋が、二人を促すようにやや歩きだした。


 「冬乃が決めた事って、よーするに好きになれそーってだけのキモチで付き合い出すのはやめるって事になるじゃん」

 「まぁ・・」

 「誰かを好きでもさぁ他の人にキモチ行くとき行くんだし」

 「・・・まさか千秋いま、他の男に目行ってたりしてない?」


 千秋は立ち止まってしまった。

 「真弓、あんった超スルドイよォ」

 「え、マジで?・・」

 「にゃん」


 「ゴメン、じゃ私そろそろ行くわ」

 冬乃は手を振る代わりに傘を揺らし、戯れる二人を置いて駅へと向かい出した。







 

 

 


 「やっと、来れた」



 雨の路地に冬乃はひとり佇んでいた。


 夜のせわしい六本木からは外れた、静かな墓地の塀の前で、冬乃は手を合わせる。



 長く来ることができなかったのは、たとえここに眠る人を想う心に変わりなくとも、付き合っている存在がいたため。


 だが今は、そしてこれから先はずっと独りでいる。




 ────つらかった。


 貴方を想うのが苦しかったのです。私は何度も逃げようとした。


 でも付き合った人たちを傷つけて、それだけしか残らなかった。


 もう逃げません。逃げれない。どんなにがんばっても貴方以外の人を好きになれない。


 苦しいけど、貴方を想っているときがいちばん幸せ。


 それで十分だと、いつか思えるかもしれないから。






 雨が小降りになっている。


 さわさわと風が鳴っていた。




 (貴方しか愛せないなら、)


 冬乃は傘を下ろし、空を見上げた。



 (一生貴方だけを想って生きる)




 そして、いつか・・


 生きているうちに逢えなくても、


 いつかこの寿命を終えたとき。


 沖田様、逢いにいかせてください。









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