新たな始まり


 沈黙が流れる。表情はどちらもあまり変わっていないけれど、なんとなくクリフの中で葛藤しているような雰囲気を感じた。


 少なくとも、レイの言葉は届いたのだと思う。


「……もうすぐやっと神に成れるのだぞ。私の悲願が、ようやく叶うのだ」


 諦めきれない、そんな感じかな。

 まぁ、これまで気が遠くなるほど長い年月を、ずっと神に戻ることだけを考えてきたんだもんね。そう簡単に割り切れないのも仕方ないとは思うよ。


 でも、諦めてもらわないと困るんだけど。


「もし、クリフが神に成ったら。僕はこの身体から離れるよ」

「なっ」

「そうなったら、まもなく僕は消滅するだろうね。君が世界の人を滅ぼすように、あっけなく消えてしまう」


 おぉ、レイが自分を人質に交渉し始めた……! クリフはかなり動揺しているみたいだし、これはなかなか効果的なんじゃなかろうか。


「させるものか」

「止められないよ。守るものがなくなるのなら、僕だって全力で抵抗出来るんだから」


 ああ、これは完全にレイのペースだ。確かに、この世界が全て滅んだら、レイにはもう守るものがなくなる。

 そうなったら何を気にすることなくクリフと対峙出来るようになるもんね。


 今は、私たちを守ることに力を注いでいるから劣勢なだけ。本気でぶつかり合ったら、クリフの思い通りにはならないんだ。だって、同じ元神様なんだから。


 それがわかっているからか、クリフもグッと言葉に詰まっている。


「教えて。君は神に成るのが目的なの? それとも……僕と永遠に一緒にいることが目的なの?」


 レイはそう訊ねてジッとクリフの目を見つめた。クリフもまた、何も答えられずに歯を食いしばってレイを見つめ返している。


 どうか届いてほしい。

 クリフの本当の願いが、レイとともに在ることであってほしい。


 本当に愛しているとは言えない、って啖呵をきりはしたけど……レイに向ける気持ちは本物だって信じたいというのが本音だもん。


 今こそ、愛するということを知ってほしい。

 祈るように、二人をただ見つめてしまう。


「酷い、ヤツだ……」


 どれほどの時間が経っただろうか。ようやく力を抜いたクリフが、諦めたように小さな声で呟いた。

 その声がとても悲しくて、寂しそうで、こっちまで胸が締め付けられる。


「うん。ごめんね。君を巻き込むことになるなんて、思ってもいなかったんだ」


 レイも泣きそうな顔でそう告げる。そのままレイはクリフをそっと抱き締めた。


 それを見ていただけの私が涙を流してしまっている。この感情をどう言い表せばいいのかはわからない。

 二人の気持ちが流れ込んでくるから。この涙は二人の涙なのだと思う。


 救われた、のかな。どうだろう。仲直りが出来た、といった方がしっくりくるかも。

 なんであれ、レイとクリフの長い長いすれ違いの喧嘩が今ようやく終わったと言えるんじゃないかな。


 私はぐすっと鼻を啜って、手で涙を拭った。


「……え、わ」


 急に、フワリと身体が温かいもので包まれるのを感じた。驚いて小さく声を上げつつ、自分の身体を見下ろすと、キラキラと輝いているようにも見える。な、なに?


「身体の所有権が君に戻ったんだよ。メグ、たくさん迷惑をかけたね」


 レイの優しげな声が聞こえてきて、自分の手をグーパーと動かしてみる。


 うん。さっきまでとは違って、血が通っているような感覚が戻って来た。ここはまだ心の中なのだろうけど、不思議なことにちゃんと自分の身体に戻ってきたという感覚はしっかりとある。


 あまりにも突然で、呆気なかったな……? いや、なかなか大変な思いはしたけれど。


「えっ。じゃ、じゃあ、クリフは」

「その名で呼ぶな」


 諦めてくれたの? と続けようとした言葉は、他ならぬクリフによって遮られた。それはとても不機嫌そうな、低い声。……あれ、低い声?


 さっきまでメグの声だったからビックリしてクリフに目を向けると、真っ白に輝く長い髪を靡かせる美しい男性がそこに立っていた。

 ハイエルフの特徴を備えているとびっきりの美形さんだ。心なしかシェルさんに似てるかも。


「ええと、テレストクリフは、もう……?」


 愛称で呼ばれるのがとにかく嫌なのだろう。私はすぐに名前を呼び直して再び問いかけた。


 どのみち嫌そうな顔ではあるけど答える気はあるようで、テレストクリフは顔を逸らしながら口を開く。うん、やっぱりシェルさんっぽい。


「私の望みは、最初からレイと永遠に共に在ること。長年の悲願を捨ててまでお前のような者に身体を戻すというのは、愛を知らない者には出来ぬ選択だろうな」

「な、なんかごめんなさい」


 すっごく根に持たれている……! 煽ったのは確かに私だけどぉ!


 というか、今更だけど私ったら元神様に対して失礼な態度をとりすぎだよね? ひぃ……。

 冷や汗を流しながらペコペコ頭を下げていると、クスクスと笑う声が聞こえてくる。


「素直じゃないな、クリフ。メグに気付かされたくせに」

「違う。私は最初から気付いていた」

「はいはい」


 とても幸せそうに笑うレイに、ムスッとしながらもどこか嬉しそうなクリフを見ていたら……ようやく肩の力が抜けてきた。


 ああ、これで全部終わったんだな……。


「もうこの先、魔王になる者が膨大な魔力に呑み込まれることはなくなるよ。暴走だって起きない。ただ、魔物の制御は難しくなるかな……」


 暴走する魔力の元も、それを抑えるための呪いも、全ては必要なくなるんだもんね。

 その代わり、ずっと魔王の、というか神の魔力に抗えずにいた魔物たちは解放されるってことか。誰にも従うことがなくなるから、野生の本能に任せて生きることになる。


「それは、きっと大丈夫です。私が伝えていきますから。みんな、とても強くて頼もしいですし!」


 魔物が大量発生したり、暴走したり、魔物による被害が増える可能性があるってことだよね。

 これまでだって、出来る限り魔物たちが自然のまま生きられるよう、彼らの世界には手をつけてなかったんだもん。これは父様の方針だったから。手が付けられない状態になった時だけ、父様が力を使っていたんだよね。


 いつか、自分が魔物たちを抑えられなくなった時、他の者たちがなんの対処も出来ないようでは困るって。その教えが、今後の私たちを救ってくれる。

 実際、魔物討伐はオルトゥスでもよくある依頼だったし。討伐依頼に喜ぶメンバーもいるしね!


 レイも、その辺りはあまり心配していないみたい。ふわりと微笑んで小さく頷いてくれた。


「ああ、それと。ダンジョンは残しておくよ。その方が、君たちにとっては色々と便利だろう?」

「助かります!」


 ダンジョンって本当に修行に向いている場所だからね。一度攻略しに行ったからよくわかる。きちんと段階を踏んで臨めばものすごく強くなれるシステムだから、あそこは。


「それから最後に一つだけ。君に……君たちには、呪いが残ることになるよ」

「呪い……?」


 これまでニコニコしていたレイが、急に申し訳なさそうに告げたのでドキリとする。呪いという言葉の響きもあって、ちょっと不安……。


 だけど、続けられた説明を聞いた私が最初に思ったのは「そんなことか」だった。


 確かに呪いではあるけど、私には、私たちにはなんの問題もないことだったから。


「……わかりました。でも、別に大したことじゃないです」

「そう言ってもらえると、いくらか心が楽になるよ」


 だから、こう答えたのは強がりでもなんでもない。それが伝わったからこそ、レイも安心したように微笑んでくれたのだと思う。


 まぁ、少し懸念があるとするなら……ギルさんは、どう思うかなってことくらいかな。たぶん、ギルさんも気にしないって言うだろうけど。

 あー、なんだかちょっと話すの恥ずかしいな。でも大事なことだ。ちゃんと伝えなきゃね。


「それじゃあ、僕たちはそろそろいくよ」

「あ……えっと、どこに?」


 フワリと淡く光を放って浮かび上がったレイとテレストクリフを見上げ、答えはなんとなくわかってはいたけど疑問を口にする。


「この命を、終わらせに。新しく、始まるために」


 心の世界だというのに突然ザァッと風が吹き、二人が光の玉へと変化していく。

 レイが残した声がこの空間中に響き渡って、今になって初めて彼らを神々しく感じた。


 彼らは私たちの言うところの神として存在し、人の世界に堕とされてから何千年も経った。

 一柱は神の世に戻ろうともがいて、一柱は人として生き、死にたいと願い続けた。


 神の世に戻る願いは結局叶うことはなかったけれど、大切な相手とともに魂が還り、きっといつか人として生まれ変わるのだろう。


 神様の生まれ変わりだなんて考えると、なんだかすごいことのような気がするけど……その時には記憶もなくなっているだろうから、まぁ関係ないか。

 それでも、きっと二人は出会えばわかる。運命の相手だもん。二人は番になるんじゃないかなって思うよ。


 だから、願わずにはいられない。生まれ変わったその世界で、二人が再び出会うことを。

 今度は、普通の人生を幸せに送れますようにって。


「大丈夫。きっと出会えるよね。その時、二人が幸せでいられるように……私はこの世界を平和に保つ努力をしないと」


 世界平和なんてものは、幻想だ。全てには目が届かないし、常にどこかで誰かが不幸な目に遭っている。

 だけど、目の届く範囲くらいはって思っちゃうよ。だから、頑張り続ける。意味がないなんて思わない。


「ああ、力が抜けていく」


 スルスルと体の内側から何かが抜けていくのを感じる。彼らの力もまた、消えていくんだなってわかった。


 でも大丈夫。これで、全部終わったから。

 そして、ここからがまた、新たな始まりなのだから。

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